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「・・・・・・、そろそろ持ってきた花を花瓶に入れるわ」


 時刻はそ夕暮近くになった頃、いつもよりも賑やかな愛美の病室で、そうう切りだしたのは黎だった。その言葉で残りの三人は自分たちが思っていた以上に断っていたことに気づく。


「だったら俺も行くよ。一人で花瓶と花束持つのは大変だろ」

「ヒメキは残りなさい。代わりに貴女が着て。夕代さんも顔づき合いが長い人が残っているほうがいいだろうし。いいかしら?」

「はい、構いません」


 黎の要請にウィヌスは頷いた。


「それじゃあ行くわ」

「うん、お願いします」

「「行ってらっしゃい」」


 どことなく満足そな顔の二人を残し、黎とウィヌスは外に出て行った。

 病院内にある共同の水道場まで二人はやってくると黎は直ぐに花瓶から枯れた花を近くのゴミ箱に捨てて、無事な花を脇に置き、花瓶を洗い始めた。。水道場の前には窓があり、夕日の光で彼女の達の髪が煌めく。


「なぜ、あんな人間になったのですか?」

「ヒメキのこと?」

「ええ」


 花瓶の水で洗っている黎の隣でウィヌスがそんなことを訊ねてきた。彼女の質問の内容がヒメキだとことだと黎が解ったのは単純な消去法である。


「昼に彼が語った言葉を私は素直に感動しました。しかし、浅はかでした。ちゃんと理解していませんでした。あの入院している少女と触れ合いを目の当たりにして、ようやく言葉の重みを理解できた。

 

 きっと、彼が彼女との信頼関係を結ぶのは容易ではなかったはずです。なぜならば、彼はただの人間だ。例え寂しかろうが、双方哀れでも、拒まれ続けば挫折しても可笑しくない。なのに彼はただの彼女とあそこまで親密になれたのは、彼の在り方と貫き通した結果です。

 なぜ、そのように振る舞え通せたのかが不思議でしかたありません。悪く言えば異常です」


 ウィヌスの言葉を聞いて暫く黙った後、黎はそろそろ夕日から夜空に変わる空を窓から見る。


「――きっと、ヒメキがああなったのは、昼休みにアンタが言ったように家族の影響よ」


 黎が語るのは、彼女自身物心ができたばかりから、彼の親と交流が深かった自身の親から聞いた話。自身も見てきただろが、最初のほうはおぼろげ。しかし、確かにあった本当の話。


 ヒメキは生まれた頃から他人に嫌われていた。

 何もしていないのに陰口を囁かれて、今こそないが陰湿なイジメも受けていた。

 だが、そんな人生を歩んできたにも関わらず、屈折しなかったのは彼の両親のおかげであろう。

 奏日悠季。奏日雀。

 この二人は生まれおちる前から息子を愛していた。

 ヒメキという名も、父の悠季から一文字、母の雀をそのまま使うとおかしかったので、スズメ目の小さな鳥の『ヒメ』の名を合わせてできた名だ。

 肉親だけには彼の呪いじみた性質が影響しないという例外なのか、それとも両親たちが何かしら特別な存在だったため嫌うことがなかったのか、その真たる理由は定かではない。

 ただ、二人がヒメキを心から愛していたのは紛れもない事実であった。

 母、奏日雀が言った。


 なんで、ヒメキはみんなに嫌われちゃうのかな?


 母はその原因をヒメキにあるとは思っていなかった。

 それは贔屓目ではなく、彼女に考えれるありとあらゆる観点から基づいて何度も導き出される結果だった。


 ヒメキはこんなに優しい子なのに、お母さん本当にわからないな。

 ごめん、そんなに不安にならないで――

 大丈夫。他のみんながヒメキを嫌った分以上に、私やユウくん―お父さんがいっぱい、いっぱい愛してあげる。

 でも、それで満足しちゃったらダメだよ?

 私たち以外にもヒメキを好きになってくれる人がいるんだから・・・

 私たちのお友達のアヤちゃんやシュウくんもヒメキはいい子だって言ってくれてたし、その娘さんのレイちゃんとは仲良しだよね?

 だから、いまは嫌ってる人のほうが多いかもしれないけど、きっとこれからはヒメキのことを好きになってくれる人がどんどん増えていくよ。

 それに嫌いだった人がいつのまにか自分を好きになってくれるときもあるんだよ。

 だからね、ヒメキ。不安にならないで、諦めないで、嫌いにならないで、目を背けないで、寂しがらないで、色んなものを見てね。世界はきっとヒメキが思う以上に優しいよ。

 ごめん。いまのヒメキには難しかったかな?

 なら、何度も同じことを言ってあげる。私たちはヒメキが大切だって言ってあげるね。


 父、奏日悠季は教えた。


 あまり喋らない人であったが、ヒメキのことを思い、ヒメキに自分が習っていた武道の手ほどきをした。


 理由は単純に強くさせるため。あらゆる意味において強くさせるためだ。

 ヒメキは虐められた。両親の手が届かないところで何度も怪我をした。

 父はヒメキを強くした。自分が守れないときにはヒメキ自身が自分の身を守れるようにと――

 しかし、過ぎた力は、自己防衛のためとはいえ逆に自身を更に苦しめる結果を招く。

 だから、父はまず争いを避ける方法、身の守りかたといった保守的な技術と無作為に暴力をふるわないように精神面を重点に教えた。

 しかし、ヒメキに自ら仕掛けるというものを一切教えなかったわけではない。

 時には守るではなく、たとえそれが馬鹿な行動でも自ら動かなければならない時がある。

 父、奏日悠季当人も物静かな人間ではあったが、譲れないことがあれば、絶対に自らが行動した。

 ゆえにヒメキは二人に影響され、二人を信じ、今の奏日ヒメキという人物が形作られた。


「本当に良い両親ですね。出来たらお逢いしたいものです」


 彼女から語られた彼の両親の話に、ウィヌスは感動していた。

 その様子を見て、黎は普段なら制御している感情が毀れ落ちる。


「絶対に無理よ、だって―――」


 黎が思わず言ってしまった言葉にウィヌスが眉を潜めた。そして、黎は自分の失言に気づいて、顔を強張らせた後、諦めたように溜息を吐く。


「―――あとでヒメキに謝らないと・・・・・・」

「? どうゆうことですか?」

「………」


 黎は水を変えた花瓶をゆっくり水道場に置いて、ゆっくりと窓に指をさした。


「?」

「察しなさい」

「………………………っ!!」


 黎の言葉でウィヌスはある事実に思い至った。


「謝るのはなし。そもそも、私が勝手にヒメキの喋ってしまったのだしね」

 黎のその言葉で、ウィヌスは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「だからこそ、ヒメキはお母さんとお父さんに言われたことを信じて、これからも信じ続けて頑張るのよ。私はね、それを応援する」


 黎は制服のポケットからハンカチを取り出し、花瓶についた水滴を拭き取る。


「私は一番ヒメキの隣にいたいけど、ヒメキが誰かと仲良くしようとするのは邪魔しない。もしも、ヒメキが私以外の誰かを選んでも、いっぱい泣いちゃうけど、幸せになってよかったと思える。

だから、私はヒメキを《特異技術》や《再臨者》とか、そんな危険からも守るわ。私という星明黎という存在は、その為にだけにありたい。前世が高尚な存在なんて関係ないのよ」

「そうですか・・・・・・私は少し、貴女を誤解していました」


《再臨者》は前世と同じ道を辿る可能性がある。

 だが、それは可能性であり、絶対ではない。

 あの少年の前世が世界を二度も滅ぼそうとした存在であっても、現世では心優しい少年であろうとするように、彼女もまたそうなのだとウィヌスは解った。


「すみません」

「謝るくらいなら、とっとと行ったら? 気づているのでしょ?」

「!?」


 黎の言葉にウィヌスに緊張が走った。


「気づいていたの、ですか?」

「当たり前でしょう? だから、何も言わないで普通にしていたのよ。アンタが病院前でいきなり突っ走らないか冷や冷やしたわ」


 そう、ウィヌス、そして黎も、この病院の敷地内に入った瞬間、「あること」に気づいた。

 その、「あること」をその場で何も言いださなかったのは、その場にヒメキという《再臨者》であっても一般人で、にも関わらず首を突っ込みそうな人間がいたからだ。


「もう少し夕代さんとこいてから私はヒメキと一緒に帰る。だから、さっさと貴女は戻ったら行きなさい。そのためにこの町へ来たのでしょう?」

「ええ。そうです。この剣は正義のためにあります」

「安っぽい台詞ね。まぁ、貴女が言うと多少ましに聴こえるわ」 


 黎は花瓶を持ち上げ、ヒメキたちが待つ病室に戻る。その後ろをウィヌスは追う。荷物は部屋にあるし、残っている二人に別れの挨拶ぐらいはするべきだろう。


「お気をつけてお帰りくださいね。ここからは私の仕事ですので」

「それはこっちの台詞よ」


 そして、ウィヌスは黎を共に部屋まで戻り、荷物を持って別れを告げた。

 ヒメキはまたね、と。愛美は楽しかった、と。黎は気をつけなさい、とそれぞれ別の言葉を受け取って、彼女はただ一人病室からと出た。

 この先に起こる結果がどうであろうと、きっとあの三人には二度と会うことはないだろう。


 ◆


 ウィヌスが帰ってからも、ヒメキたちは少しだけ話をしてから帰ることにした。

 理由はヒメキが愛美の体調が悪くなったのを察したので、切り上げるように帰ることを申し出た。彼女はいつもよりも会話をしたので疲れたのだろうをヒメキは思った。


「それじゃあ、またな。夕代」

「バイバイ、夕代さん」


 二人の言葉に愛美は笑顔で頷いた。


「うん。奏日君、星明さん、今日はとっても楽しかったよ」


 彼女はそう言って、ドアは閉じるまで手を振っていた。

 そうしてヒメキたちは通路を並んで歩きだす。窓から見える空は完全に日が沈み、あと一時間ぐらいで面会時間が終わるせいか、周りには誰もいなかった。


「これでヒメキは満足なのかしら?」


 歩きながら黎がヒメキにそんなことを尋ねてきた。


「どういうことだ?」

「ヒメキが私のあの留学生の不仲が気に入らなかったから、今日私たちと一緒に夕代さんのお見舞いにきたのでしょう?」

「まぁ、誤魔化しても仕方ないし、正解だ」


 ヒメキの予想どおりの返事が返って来たのを確認しながら黎は話を進める。


「確かに私とアイツの関係は、マシにはなったわ。取り留めない会話を繰り返す内に、息苦しさは消えたと思う」

「そうか。夕代の考えた通りだな」

「やっぱり夕代さんだったのね。考えたの」

「ああ。俺と夕代も最初は仲良くなかったけど、話をしている内に今みたいになった。だから、黎たちもみんなで会話をすればそうなるかなって、夕代が」

「一般論ではないわ。解り合って仲良くなったのは、ヒメキと夕代さんだからよ。もしも、私たちだけで無理に話ていたらもっと険悪になっていたでしょうね」

「だと思う。だから、俺と夕代も一緒に話した。まぁ、夕代だけで良かったかもな」

「ヒメキがいないと嫌よ。でも、夕代さんのあの毒気が抜ける? もっと言い方を変えれば朗らか気分になるのかしら。あれは彼女特有な空気ね」

「そうかもな・・・・・・」

「話は戻るけど、私、一つだけ解らないことがあるの」


 黎が立ち止ると、ヒメキも同じように立ち止る。そして、黎はヒメキの目を覗き込むようにして尋ねる。


「なんでヒメキは私とあの子の仲良くさせようと思ったの?」


 ウィヌスと一緒に愛美の見舞い行こうと誘われた時、黎はさきほどの言葉どおり、ほとんど察した。だが、ヒメキがそうしようとした理由が、多少は予想があっても明確には解らなかった。


「単純に、仲良くなりそうだったからかな」

「えっ?」


 それは予想外だった。

 一番あり得そうで、なさそうな話が、自身の彼女の仲を良くし、黎が進んで彼女と協力させるためだ。ヒメキはお人よしだから、人助けの手伝いは進んでしたいはずだ。だが、自分では役不足で、黎も引き止めるので、黎を巻き込んで一緒に手伝おうという策を講じた。

 が、奏日ヒメキという人間はそんな周りを巻き込んで自分の目的を果たそうとはしないはずだ。だから、ない。しかし、ヒメキが言った単純な理由とは思わなかった。


「重ねて聞くけど、なんでそう思ったの?」

「黎って、リュミエールさんの印象って最悪だったろ?」

「当然」


 黎の即答にヒメキは苦笑した。


「だったら、後は好きになるだけかなって思ったんだ。そしたら、黎の人間嫌いも少しはマシになるかなってな」

「ない」

「また即答だな。でも、そう言いつつ、夕代のことは嫌いじゃないだろ?」

「……」


 考えてみる。確かに黎は夕代愛美のことが嫌いでない。むしろ、尊敬している。長い病院生活であそこまで明るくあれるのは好感が持てる。


「な?」


 黎から否定の言葉がなかったため、ヒメキは肯定なのだと受け取り話を進めた。


「実はな。黎って人嫌いと言いつつ、人が嫌いなわけじゃないのさ。実際に両親のことは好きだろ?」

「うん」

 

 即答だった。あとヒメキも、とは恥ずかしくて言えない。


「嫌いと言いつつも、その人のために行動している。打算とか言いそうだけど、黎はそうじゃないと思う」

「買いかぶりよ」

「そうじゃないって。じゃなかったら、俺は黎のこと好きじゃなかっただろうしな」

「え?」

「勿論、黎が俺のことを友達と想ってくれてるのは嬉しいけど、だからって俺が同じように想うかは別問題だ。俺は人が嫌いと言いつつも、ちゃんと人を見て優しい行動をとれる子が好きだ」


 今日だけで語るなら、黎はほとんど交流がない高司夜差のことを語った。嫌いといつつも、ウィヌスに病室での振る舞いをアドバイスしていた。本当に嫌いなら無視でもしておけばいい。

 嫌いな人間にも優しくできるのは、媛季とは逆である。


「そんな優しい子がさ、嫌いなままなのは嫌だなったて思ったんだ。嫌いっていう気持ちはきっと疲れると思うから、黎が少しでも好きな子が増えたらいいなって思ったんだ」

「てっきり、私は別の事をかと思った」

「別のこと?」

「例えば私があの子と仲良くなれば、私もこの町に起きてる事件を一緒に解決する、とかね」

「いや、俺は黎に危ないことには関わって欲しくない」

「それは私も同じよ」


 予想どおりの言葉に黎は満足する。


「ねぇ、ヒメキはあの子の手助けをしたいんのよね。それは単純に見知らぬ人の誰かのため?」

「それもないと言えば嘘になるけど、いまはリュミエールさんが一人で頑張っているのをなんだかほっておけない。手助けしたいかな」


 それも黎には予想どおりの言葉だった。こういった行動は単純明快で解りやすい。

 きっと本当はヒメキが私とあの子の仲を取り持とうしたのは、あの子のためでもあると思う。でも、私のことも考えてくれているのはやっぱり嬉しい。胸が温かくなる。


「なら、仕方ないわよね」

「れ、黎?」


 いつのまにか黎は両手でヒメキの顔を包んで、うるんだ瞳でヒメキを見つめていた。

 まるで、今からキスでもするとうな、甘い雰囲気が流れる。

 ドクドクとヒメキは自分の心臓が高鳴っているのが解り、それは黎も同じだった。

 黎の顔が近付く。ヒメキは痺れたように思考が停止する。


「ヒメキはどうやってあの子の力になろうとしたのかな?」


 その言葉一つ一つの吐息がヒメキの唇に当たる。それぐらい、二人の距離は近づいており、遠目から見れば完全に重ね合っているように見えるだろう。


「そ、それは俺も《再臨者》だから、黎みたいに力を―――」

「やっぱりね。でも、駄目。《再臨者》になるとね、誰にも言えるけど特にヒメキの場合は危ないの。力を発揮できればできるほど、前世の記憶に乗り込まれやすい。そうしたらヒメキは本当に世界中から狙われちゃうし、ヒメキがヒメキでなくなってしまう。私はそれが怖い」

「そんな・・・・・・黎は大丈夫なのか?」


 彼女が自分と同じ存在であることは本人から直接聞いていなくても確信していた。

 だからこそ、そのような自分が自分でなくなるような恐怖を人知れず今まで、いや、今も耐えているのか心配になるが、黎はそんなヒメキを安心させるように微笑む。


「私は特別。だって、ヒメキがいるもの」


 黎はそう言いながらゆっくりと、ヒメキから体を離した。


「なに赤くなってるのよ?」

「な! ……からかった?」

「さあ、どうでしょう?」


 黎が距離を取りながら自分の唇に指を当てて艶やかに笑った。彼女のそんな顔は珍しい、いや、むしろ初めて見たかもしれないと思った。


「なんだか、いまからガールズトールの気分」

「は?」


 いきなり黎が訳の解らないことが言ったので、ヒメキは首をかしげた。


「いまから夕代さんのとこに行くわ。うん、いまの気持ちは女の子と直接語りあわないと駄目ね。流石にヒメキでも無理だわ」

「でも、面会時間――」

「ギリギリまで。ちなみに男厳禁のトークするから、ヒメキは先に帰ってなさい。ついてきたら怒るわよ?」


 そう言い残して、黎はヒメキを置いたまま来た道を戻って行った。


「……黎も、女の子ってことか?」


 女心は秋の空といったものだ。時に男では理解できない行動をとる。十六年以上の付き合いだが、黎の先ほどの行動は理解できなかった。

 ついてくるなというから、ついてこれば本当に黎は怒るのだろう。だからといって、本当にそのまま帰るヒメキでもない。


「病院のバス停で待っておくか」


 まだまだ寒いが、一応春なのできちんとしとけば風邪はひかないだろう。

 そうして、ヒメキは一人で病院から外に出ようとしたのだった。


 ◆


 ヒメキが出た瞬間、それは襲ってきた。


「――――――――――――――――」

 

 ザク


 ザクザク


 ザクザクザクザクザクザク! 


 足元から無数の剣が突き刺さる。それは現実に起こった現象ではく、ヒメキが感じだイメージに過ぎなかった。

 周囲は自分以外誰もいない病院前。確かに遅い時間だが、一人も見当たらないのは明らかにおかしい。その静けさの中、先ほどの感覚だけが、ヒメキを刺激していた。


「―――な、なんだ?」


 痛みはない。が、痛い。肌を刺すような感覚はあるのに、実際そんなことはない。感覚だけが支配する。

 まったく、理解できない。なぜ、外へ出た途端、こんな感覚に襲われるのだ?


「おやおや、自身に向けた敵意だけではなく、まき散らせた敵意にも鋭く反応しているのか。まぁ、いままでこんな獰猛な性質の敵意はここまで受けたことがないだろうな」


 訊き憶えのある声が聞こえたので、そちらのほうを振り向く。


 最初に見たのは満月。そして、月の下には自分の学園で保険医をしている天乃眩月久がいた。

 だが、今まで見てきたお茶らけな印象でもなく、また今日愛美に対してだけかいま見せた穏やかな印象ではけしてなく、いまヒメキが襲うこの感覚が生易しいものだと感じるくらい、冷たく、そして、強大な印象を与えた。


「あ、まのくら、先生?」


 そう、天乃眩だった。自分の学校の保険医であり、神出鬼没の人物。ここにいても驚きはしても、いつもなら何処かで納得していた。いや、自分たちが来るつい先ほどまで愛美の病室にいたので、帰る途中だと思えばいてもなんら不思議ではない。

 不思議な男だ。奇抜な男だ。そんなものは前から知っている。

 なのになぜかヒメキには目の前の男が初めて見る人物に見えた。この男こそがこの異常な空間に招き寄せた張本人かとも思えた。

 なぜなら、ヒメキが先ほどから襲う奇妙な感覚と天乃眩から感じる感覚は、種は違えど質は同じに感じたからっだ。


「ああ、そうだよ。どうした、顔色が悪いぞ?」


 一歩、天乃眩が近付く。


「なぁ、奏日ヒメキよ。怖いか?」


 更に一歩、天乃眩が近付く。ヒメキは微動だにしない。いや、できなかった。本当な今でも逃げ出したい理解不明な恐怖が全身を虫のように駆け廻っているのに、体が、瞼一つすら動かない。 瞳は渇きながら、どんどん、自分に近づいてくる天乃眩を映すだけだった。

 心臓が先ほどは全く性質が逆の厭な激しさでドンドン高鳴っていく。


「これが、俺が、僕が、君が、私が、貴方が、お前が、世界が―――」


 天乃眩は歌いかけるように、あるいは呪言で縛るように語りかけながら近づいてくる。


「ならば、理解しろ、踏み出せ、知れ、記憶の海に溺死せずよう足掻け――」


 そして、天乃眩はとうとうヒメキの目の前までやって来た。


「変われ、動け、そして、俺に見せてくて、奏日ヒメキ・・・・・・」


 この日、この男に、奏日ヒメキという人間は壊されることになる。


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