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「ええとぉ、まずは自己紹介からか?」
まるで緊張感のかけらもない声でヒメキが言った。
あの後、ヒメキはウィヌスの鞄を持ってきたのが、手当をしたのは怪我させた黎だった。理由としてはまず、怪我のせいでウィヌス本人が自力で手当をできない。それと女子の鞄の中身を男子が触るわけにもいかず、また異性の体に触れるのも考えものなのでヒメキは手当をできない(黎は別の意味でヒメキがウィヌスに触るのを嫌がった)。つまり、残った黎がすることになったのだ。色々と文句を言いつつも、黎は完璧に応急処置を施した。応急処置の間、ヒメキ以外の二人が微妙な空気だったのは説明するまでもない。
「俺のこと言わなくてもいいよな。黎は当然だし、リュミエールは同じクラスだしね」
「同じクラス?」
そこに反応したのは黎だった。
「ヒメキのクラスにこんな子がいたなんて知らないわよ」
「私は本日から貴女方が通う高校に留学してきましたから、知らないのも無理もないでしょう」
「ちょっと、待って。うちの制服を着てたからそうじゃないかとは予測の一つであったけど、留学してきてヒメキの隣の席に座ることになった子って貴女なの?」
「ええ、そうです。名前はウィヌス・リュミエールと言います」
「……」
黎は改めて相手の姿を見回し、ある一点(胸)を焦点すると、敵意と虚脱感など色々な感情を滲ませた。その様子を他の二人は気づかず、話を続ける。
「えっと、じゃあ、次は黎だな」
「え? ああ、そうね。私の名前は星明黎。ヒメキとは――幼馴染よ」
ヒメキの声で我に返った黎は、言葉の間に少しの沈黙を混ぜて、自分とヒメキの関係を伝えた。
「幼馴染? 私はてっきり――なるほど」
ウィヌスは何か言いそうになったが、二人の顔を交互に見て、納得し、黎に意味ありげな視線を向けた。
「な、なによ」
「いえ、ただ苦労をされていると思っただけです」
「余計なお世話よっ!」
顔を赤らめて怒鳴る黎を見て、ヒメキはきょとんとした。
「え? なんのこと言ってるんだ?」
「ヒメキは気にしなくていいの!」
「話が脱線する前に本題に入りましょうか……」
「脱線さしたのは貴女からでしょう?」
ウィヌスは黎の言葉を聞き流し、一拍をおいてから気持ちを切り替えた。
「さて、まずはホシアケさん、でよろしいですね。貴女は多少の知識を得ているようですから、まずはカナカさんに色々と説明しましょう」
「ああ……」
「……」
「まずは最初に、私やホシアケさんを含め、貴方は普段目にしないような力を行使する私たちを目の当たりしたはずです」
ヒメキは先ほどの明るき素振りはどこかいき、暗くうかない顔で頷いた。その様子を隣
にいる黎は心痛な赴きで眺める。
ヒメキがどこまで戦いの光景を見ていたかを二人は知らないが、少なくとも翼で空を飛ぶ黎や、常人よりも卓越したと自負している自分の剣技は見たはずだ。極めつけは黎が空を飛んでいたことだろうが、それ以外の光景も目撃していたなら、より一層、現実離れしたものを感じたに違いない。そのような表情になるのも当然だ。
もっとも、黎やウィヌスにとって、あれが現実なのである。
「貴方もゲームや漫画などで魔術や人外の類の存在を少なからず御存じのはず」
「人外……、モンスターとかそんなもの?」
「そうです。そして、魔術といった力を合わせて、それらは虚像ではなく現実に存在しています。それは証明するまでもなく、貴方が先ほどご覧になったでしょう」
「……」
「まず、魔術についてですが、これらは場所や行使する存在によって様々な呼び名があり、微妙に違ったりします。日本でいうところの陰陽道もそれに通じ、私の身近では魔術が主なものです。また、それとは似たものでありながら違う力、超能力や気功も存在します。ですが、それら力、術、技などの全ては結局根源たるものは同類とされており、その全ての総称として《特異技術》と呼んでいます」
まさに漫画やゲームなどで聞く様な内容だ。だが、それらは虚像や妄想の類ではなく、確固たる現実。話だけを聞く人間ならともかく、その現実を見てしまった人間にとって、否定する要素など存在しなかった。
「そうなんだ」
「そ、それだけですか?」
だが、ヒメキが得に動揺もした様子を見せず、静かに一言返しただけだったので、ウィヌスのほうが僅かに動揺してしまった。光景として目の当りしていても、事実として受入れる。ウィヌスはあまりにも順応が早すぎるヒメキを怪訝に感じた。
そんなウィヌスの内心を悟ったのか、ヒメキは苦笑する。
「顔にでないだけで動揺はしている。ただ、毎回毎回一つ知るたびに混乱するのは駄目だろ? 一つ一つ事実として無理矢理でも認識しないと、話をまともに進まない」
「……」
ウィヌスは一瞬、何かを思案していたが、「すみません。私から話を止めてしまって」と直に謝罪した。ヒメキはとくに気にしていないような(実際に気にしていなかった)素振りで、ウィヌスに話の続きを促した。
「では、次に人外の類について説明しましょう。まず、空想上の存在が現実に存在するというのを理解してください」
「さっきも言ったけど、モンスターとかだよね?」
「ええ、そうです。魔獣、妖精、魑魅魍魎の類、はたまた数多の神も多く存在します。いや、正確にはしていた(・・・・)のです」
「していた?」
「現にいまも存在はしています。だが、その数は遥か昔にも比べて減少しました。それこそ、今のように多くの者たちが、その存在を認識できないほどに。その理由としてはかつて大規模な戦争が二度ありました」
「世界大戦?」
大規模、戦争、二度という三つの単語でヒメキは世界大戦のことを連想した。だが、ウィヌスの反応は首を横に振るものだった。
「いえ、人間同士のものではなく、それとは別の戦争です。あの大戦も人外、異能が関わっていなかったと言えば嘘になりますが、今はその話をする必用はないでしょう」
何気に歴史の裏側を知った気がするが、そのヒメキの反応を他所に置いて、ウィヌスは隠された歴史を語りだす。
「まず、最初の戦争、ある一つの存在が世界を統べる最高種たる神々と呼ばれた存在に反旗を翻したのです。これは、様々な神話、聖書でその断片が伝えられています。北欧神話でいうラグナロクが例を挙げられますが、最も史実に近いものはヘブライ神話の一人の天使が神に反逆したものでしょう。
もっとも、この話では神は一つのものとされており、実際は多く存在します。現に神というものは一神教を除き、多くの国、宗教で多数存在しています。
ここ日本では八百の神、とも言われていますね。この話はすればするほど長くなるので、今は多くの神がいた、というのだけ頭に入れてください」
「ああ……」
「しかし、それらの神々はそのによって多くの神々が亡くなりました。たった、一人。自身も神格とされた者の手によってです。その者も、ある者の手によって深い奈落へと落とされました。それが一つ目の戦争の終幕であり、同時に次なる戦争の序章でした」
「次の戦争・・・・」
「奈落へ落とされた者は、憤りや憎しみの矛先を世界に向けました。悪魔や魔物を率いり、それこそ世界を破滅させる如く混沌に包まれました。これによって、残った神々も龍などの幻想種も亡くなりました。彼らは私たち人間と違って、多くの力はあるものの、最初から数はそれほどいず、増やすことも簡単ではないのです。よって、大半が滅ぼされたら後は消え逝くのみ。それは私たち人間も例外ではありません。ですから、私たち人間はその他の種族とも協力し、何とか災厄も無くしました。多くのものを犠牲にして……」
ありふれた、よく聞くような話だとヒメキは思った。
そんな話だからこそ、よく聞くものだからこそ、その話に信憑性をヒメキは感じた。
誰かと誰かが恋をする。熱い友情の物語。裏切り裏切られる事、弱肉強食、それらの全てはどこにでも存在する身近なものだ。だからこそ、魔法や神などが現実にある、と認識した上で、この話を聞けば、ありふれた物語だからこそ、より現実を帯びた事実としてヒメキは受け入れた。
もっとも、だからとて、誰しもがヒメキと同じように受け入れるものではないだろうが。
しかし、ウィヌスの話はまだ終わっていない。その話だけでは、なぜ自分が彼女に命を奪われようとしたのかがわからない。
「二つの戦争がよって、様々な種族、《特異技術》が失われました。ですが、それらの強力な力は完全に消えたではないのです。一つは、僅かに生き残ったものが脈々と現在まで知識を受継いだり、人知れず場所で今もなお生きていたりするからです。そして、もう一つが《再臨者()》の存在です」
「?」
「日本の仏教でいうところの転生に近いですね。《特異技術》の多くの分野において、個体の強さは肉体と魂によるものと考えられています。肉体の強さは、種として身体能力。魂の強さとはそれ以外のもの、知識や魔力といったものです。一度、肉体が滅びれば、魂だけになり、再び生まれるまでには長い歳月によって、前世に得た知識は忘れています。ですが、稀に前世の知識などが膨大な量のため、忘れ切れなかったものがそのまま蓄積されたまま新たな存在として此の世に生まれる場合があります。その存在を《再臨者》と呼びます」
「つまり、前世が凄い存在だった人のことか?」
?季の言葉に、ウェヌスは頷いた。
「人、とは断定しませんがそのとおりです。基本的に《再臨者()》は前世が人間以上の知識や能力を持った存在です。それ以下の能力しかない存在は、次までに抜け落ちます。黙示録で天に昇ったとされるキリストが世界の終わりの日に、キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、義をもって世界を裁くために、再び地上に降りてくることを再臨といい、それがルーツかと思います。そして・・・・・・」
ウィヌスは一拍おいてから、続きを告げた。
「カナカさん。貴方も《再臨者()》なのです」
?季は言葉を出せなかった。
いや、いったいどんな言葉を出せばよいのだろうか?
今までなら、そんな馬鹿な話だと笑い飛ばせたが、先ほどまで見た光景と、彼女の話がそれをさしてくれない。
自分は普通ではない。《再臨者》と呼ばれる存在のようだ。
どう反応していいか解らないうちに、更なる事実をウィヌスは告げた。
「そして、貴方の前世は特に危険な存在なのです」
ウィヌスは再び一拍おいてから、続きを少し緊張を増して告げる。
「貴方の前世は最も危険な存在、その正体は彼の堕天使、あるいはこの世すべての悪とも言われていますが、実際には確定されていません。宗教でも他宗教の神を貶めたり、あるいは格をあげて敬ったりするので、そう言った意味で貴方の存在が歴史や神話でいうどの存在であったかは定かではありません。ただ、明らかになっていることが《特異技術》の全に通ずる最も名高い異名、《極罪》。かつてあった二つの戦争の発端になった存在です」
言葉では表現できないほどの多く命を奪い、世界を二度も騒乱に招いた張本人。
それが自分の前世。
「ヒメキ……」
それまで黙って聴いていた黎が静かな声でヒメキに声をかけた。
そこでヒメキは、自分が少しの間、沈黙していたことに気づいた。時間は数秒か、あるいは数分、ヒメキ自身どれ程経ったか解らなかったが、幼馴染が気遣って声をかけてくれたのはわかった。
「うん、ありがとう」
黎に感謝の言葉だけ伝えた。
大丈夫、とは言えない。それが気遣ってくれた人間に対する模範的な回答だとしても、それが嘘であることには代わりはなく、言えば嘘だと見抜かれ更に相手が心配するのがわかったから余計に大丈夫などと言えるはずもなかった。
「で、その前世が《極罪》かな? その《再臨者()》である俺を殺すのが君の目的なんだな」
そういうことなら理由がつく。そんな危険な存在の生まれ変わりならば、再び世界の脅威になりかねないと判断されるのだろう。
世界が危険な事にならないために、早めに駆除するのが妥当な対処だ。
そして、ウィヌスはハッキリを告げた。
「いえ、違います」
「そうか―――って、ええええええええええええええええええええええええぇぇぇっ?」
てっきり、肯定されると思ったヒメキは、あっさりと否定されたことに呆気をとられてしまった。それは、黎も同様だったようで、ぽかーん、と口をあけている。
「その、私はフランスにあるとある組織に在籍していまして……」
二人の反応に対して、ウェヌスは先程までの緊迫したものとは違う、どこか気まずそうな雰囲気で、自分のことを語りだした。
「まぁ、俗にいう正義の味方みたいなものでして、主に《特異技術》関係で悪事を働くものを排除したりしています」
「あ、ああ・・・・・・」
呆気をとられながらも、ヒメキは何とか相槌をうつことができた。
「そして、最近、ここ日本、この風木市で《特異技術》関連と思しき事件が多発しており、詳しく調べると《極罪》の《再臨者()》の反応がありました。つまり、カナカさんのことです。《極罪》の魂の波長は、長年、組織の中で記録として残されたものがあり間違いはありません。我々は今回の件が《極罪》の《再臨者()》の思ってしまい(、、、、、、)、私が派遣されました」
「つまり……?」
先程までとは別種の嫌な予感が?季の体をぞわぞわと蝕んでいった。
「しかし、最初のカナカさんの行動が、私を助けるものだったことをホシアケさんから先程、カナカさんが荷物を取りに行ってくれている時に聞きました。更に貴方の反応や行動、《特異技術》等の乏しさ、それらが虚実ではないことから、《再臨者()》の覚醒はそれほどないと判断しました。つまりは、今回の件とはカナカさんは無関係であり、私の、しいては私たちの勘違いということになります。すみません?」
ビッシ! と、ウェヌスは頭を下げた。
「殺っ――――――――――――――――――――――――――――――――すっ?」
ブッチ と、血管が切れたような音と共に、黎の背中から再び六枚の翼が生えた。
「ちょっと、黎!?」
「か、勘違いってなによ! それで?季を殺しかけたなんて、許さないわよっ! 絶対に一億殺す!」
「まった! とりあえず、落ち着け! 殺すとか、物騒なこと言わない!」
「なんで待つのよ? だいたい、なんで?季は落ち着いてられるのよ?」
実際、?季自身も黎がここまで狂乱してなかったら落ち着いてはいられなかっただろう。勘違いで殺されかけたのである。だが、ここままでは幼馴染が殺人を犯しかねないので、冷静に宥めようした。
「ほ、ほら、結局、俺は無事だし、今後とも狙われる危険性もないことがわかったからいいじゃないか?」
「それは、一概に言えません……」
?季が必死で黎の恐慌の止める最中、ウェヌスは言いにくそうに呟いた。
「え?」
「今回の件では無関係でも、カナカさんが《極罪》の《再臨者()》には変わりはなく、その危険性を危惧して命を狙われる可能性もあります」
「よし、殺そう」
「待った―――! 黎もどんどん物騒なことを簡単に言わない! 君もなんで今、そんなことを言っちゃったの?」
「わ、私はただ、事実を言ったまでです」
「君、よく周りからドッジ子とか言われない?」
「な、なぜそれを? さては、読心? 《再臨者()》の覚醒!」
「あと、思い込みが激しいとも言われてるでしょ?」
「間違いありません。この短期間、我々と共にしたことによって覚醒しましたかっ!」
「あっ、やる気ね! ヒメキ、今度は止めないでよ。というか、止める前に、ヤるから!」
「二人とも落ち着いけぇええええええええええええええええええええええええええ!」
三人は暫らく騒いだ後、互いに声を出しつかれたので、息を切らしながら取り敢えずその場は沈静化した。
「ぜぇぜぇ、でえぇ、アンタはこれからどうする気よ?」
一番初めに呼吸を整えた黎が、睨みながらウェヌスに向かって尋ねた。
事と次第によっては、今は背中にない六翼の翼がまた広がり、また同じような事になるではないのかとヒメキはハラハラしていていたのが、その心配は、次のウェヌスの言葉で杞憂となった。
「とにかく、私はこの町で起こっている《特異技術》関連の事件の糾明、沈静をします」
それを聞いたヒメキは、自分が狙われることによって黎が暴走する心配はないと安心したが、すぐ別の事が気にかかった。
「《特異技術》関連の事件? そういえば、さっきも言っていたけどなんなの?」
「貴方がたには関係ないことです」
ヒメキの問いに、ウェヌスははっきりとした拒絶を示した後、ちらりと黎を見る。
「てっきり、なんだ、その言い方は? とでも言うと思ったのですが……」
「確かに言い方は気に入らないけど、私たちには関係ないことはどうでもいいわよ」
黎の素気ない返答を聞いて、ウェヌスは眼を薄く細めた。
「……、まるで逆ですね」
ウェヌスはヒメキと黎を交互に見比べた後、独り言のようにポツリと呟いく。
「え?」
「何でもありません。では今回、私は失礼します。この度は失礼しました」
ウェヌスは頭を一度下げてから、荷物を担ぎ、街の方に出る出口に向かった。
ヒメキはじっとその背中を見送った後、姿が視認できなくなってから、体を動かして残った黎の様子を窺った。視線の先あった黎の姿は、じっと気まずそうな顔でヒメキを見つめていた。
「……」
「……」
「……。なにも、聞かないの?」
どれくらいかの沈黙の後、黎から口を開いた。
「黎は聞いて欲しいのか?」
「聞いたら、答える……」
今にも消えてしまいそうな声を耳にして、ヒメキは小さく笑う。
「そう。なら、今日は俺たちも帰ろう・・・・・・」
「っ?」
驚いている黎を他所に、ヒメキは足を進めた。
「何も聞かないの?」
背中から聞こえる黎の問いに対して、ヒメキは振り返らず答えた。
「知りたいけど、今まで言いたくなかったから言わなかったんだろ? だったら、言いたくなるまで、ずっと、待つ」
黎は一瞬だけ呆然すると、ほんの少しだけ笑ってからヒメキの後を追った。
ついてきた黎の姿を確認し、ヒメキはあることを思いついた。
「そういえば、黎、汗をかいているな」
「えっ? 臭うっ?」
「いや、臭いはしないけど、服が湿ってるし、少し汚れているから……」
確かに黎は先ほどの戦いで大量の汗をかいた。あんなことを日常茶飯事でしているわけでもないので、内心焦りはしなかったが、肉体的に慣れないことをすると疲れる。
その前にも、ヒメキを探すために路地裏を駆け巡り、服の汚れはその時にできたものだろう。
「一度、帰る前にどこかで汗を流して、服を少しだけでも綺麗にしたほうがいいかもしれない。そんなので帰ると時間も時間だし、おばさん達が余計な心配するだろ?」
「確かに、そうかもしれないわね」
黎は顔を曇らせる。両親のことは好きなので、彼女も心配はできたらかけたくなかった。
「うん。なら、行こうか。俺も入りたいしなぁ」
「え?」
どこに、と黎は尋ねる前にある想像をした。
帰る前に汗を流す→つまり、お風呂に入る→自分の家に帰る前なのだから、つまりはヒメキの家でお風呂に入る→流れで上手くいけば――――――
「そ、そうね。うん、すぐに行きましょう」
「あれ、顔が赤いぞ? まさか風邪でも引いたのか?」
「ち、違うわ! でも、そうならないためにも、早く行きましょう」
「ああ、そうだな」
そして黎は色んな想像を膨らませながら、あまり周りの景色を意識せず、ヒメキについていった。
◇
「あっ……、ここね」
到着すると、黎は眼の前に建つ時代を感じる大きな建物を見て、小さなため息をついた。
ヒメキたちがやってきたのは住宅区にある銭湯だった。
ここツクモリ銭湯は平日休日問わず近所の人間がよく利用している。開拓区のほうにもサウナ、温水プールなどを完備したレジャー施設があるのだが、そこは風呂に入るという目的よりも遊びのために行く人間がほとんどであり、平日の今の時間は開いていない。
なにより、当然といえば当然だが値段が違う。
その安価な料金、そして利用客のほとんどは自宅がそこまで離れていないので、湯冷めする心配があまりないことから、部活帰りの学生や外で遊んで体を汚した子供たちが家に帰る前に寄ったり、自宅に風呂が存在していない人間や大きな湯船に浸かりたい人間がここを利用したりする。ヒメキたちも幼い頃は、遊びの帰りに何度かここを利用したことがあった。
そして、もう一つの利点としては、かなり遅い時間まで営業していることだ。
その分、開業時間が他と比べて遅いのだが、夜、時間を見計らえば、大きな湯船を自分だけで占領できることもある。
「最初はうちでと思ったけど、狭いからここで汗を流そう。ここで入るお風呂は広いから気持ちいいしな」
「まぁ、そうね。久しぶりに入るのもいいかもしれないわね」
気持ちを切り替えた黎は、そのまま銭湯に入っていくヒメキの後に続いた。
もっとも、鍵付きの靴箱に靴をおけば、すぐに別行動だ。
「じゃあ、また後で・・・・・・」
黎にそう言ってから、男と書かれた青じの布をくぐる。
料金は前払いなので番台にいる人にお金を渡そうとし、
動きを止めた。
そこには自分の学校の保険医が座っていた。
「って、何で天之眩先生がいるのですか!?」
大きな声でつっこんだのは番台を挟んで向こう側にいる黎だった。
「おやおや、これはこれは、奏日ヒメキに星明黎ではないか。こんなところで奇遇だな。私という存在は運命というものはまったく信じていないといえば微妙なのだが、このような偶然を招くなら、運命というものを少しは信じてやろうではないかと―」
「長台詞はいいですから、理由を答えてください!」
「仕事帰りにより、今日一日の疲れを湯で流した後、毎度恒例のコーヒー牛乳を飲んでいたら番台の御老婦がいきなり腰痛を痛めてな。私が応急処置を済ませた後、ここでは安静に休まらせるのに適していないから、家族に自宅まで送らせた。そして、私はここでその家族が帰ってくるまで代理として役目をこなしている。いやはや、何年も生きてはいたが番台に座るときがこようとは冗談でも思いもしなかったよ。こうなるからこそ、生きるという事は飽きはしない。この世に絶望を感じたり、些細なことで生きる目的を失う存在の気持ちを私には理解しなくもないが同調することはありはしないだろうとここに断言し、他ならぬ二人の前で誓ってみせよう」
「誓わなくていいですよ。でも、それなら帰ったほうがいいですか?」
「否。私が番台をすると言っただろ」
黎の言葉に月久は短く答える。
「そ、そうですか・・・・・・」
月久がそう答えるも、黎はどこか気まずそうな顔をする。その表情で何かを察した月久は大きく息を吐いた。
「気にしなくとも覗きはしないさ。気になるなら、奥にある遮り板の後ろで着替えて入るとよい。ここからでも解るとおり、この位置からでは見えないだろ? だいたい、私は仕事と割り切れば性的欲求など簡単に抑えれるし、今更、女生の裸なんて見慣れ過ぎて、抑える前に自ら昂ぶらせることすらままらないという男性として非常に問題がある状態なのだから、ここは勇猛果敢にも軽く犯罪でも犯すこともなく、番台で暇を持て余すのもあまりにも有意義ではないから、性衝動の固着でも考えて、のちにうpにでもアップしよう。ああ、ちなみに今は君たち以外で御客さんはいないから、それなりに我が物顔で満喫するがいいさ」
その月久の台詞半分ぐらいのところで、すでに黎は番台に金を置き、そのまま遮り板の場所まで行っていた。
ヒメキは律義に最後まで聞いてから、金を手渡して、手早く準備を済ませ、ロッカーに脱いだ衣服をしまった後で鍵を閉め、浴場の扉を開いた。
お風呂の内装は典型的な銭湯となんら変わらない。壁もペンキで富士山の絵が描かれている。
確かに、月久の言葉どおり人はいかなった。しかし、時間も時間なので珍しくもない。とくに思う事はなく、適当な洗面台に腰を下ろした。
(しかし、今日は色々な事があったよなぁ……)
今日の事を思い巡りながら、備え付けのボディソープを使い軽く体を洗い、シャワーで泡を流し、その流れで頭も洗う。
(まぁ、結局はあの転校生、リュミエールさん関連だけど・・・・・・。まぁ、自分のこともあるけど、明日あったらどんな顔すればいい? 素知らぬ顔をしたらいいのか? でも、それはあからさまで逆に悪い気分にさせるか? ううぅうううぅうううん)
そうこう悩んでいる内に、ヒメキは頭を洗い終えた。
とりあえず、考えるのを中断し、ゆっくり湯船に浸かることにした。
湯船に浸かった場所から丁度いい熱さが体を刺激し、軽く寝そべるようにまで体を浸からしてから一息ついた。
と、そこでヒメキは湯船にもう一人いることに気づいた。
入口からでは死角になっていたのか、入るときには気づかなかった。月久は適当なこと言ったことに対しては何時もの事なので呆れることもなかった。
そして、相手もこちらが湯船に入ったことに気づいたようだ。特に何気なく、相手がいる場所に視線を向ける。微かにあった湯気が掃われて、その姿を見た。
ウィヌス・リュミエールが浸かっていた。
…………。
……………………。
両者とも呆然と相手を見ていた。
いや、混乱するな、冷静に状況を判断しよう。相手はもしかしたらそっくりさんかもしれない! だいたい、さっき別れた彼女がここにいるなんて夢でも滑稽すぎる展開だ!
と、ヒメキは目を凝らして、もう一度、よく相手を見た。
少し赤くなった白い肌に、白みを帯びた金色の髪が湿っぽく濡れて張りついている様子はどこか扇情的だった。こちらを呆然と見つめる緑の瞳も宝石のように綺麗であり、微かに震えている唇は柔らかそうだ。
うん、綺麗だ。って、違う! 確かに顔はリュミエールさんだけど、実はそれだけで男かもしれない! 自分でも言うのも嫌だけど俺だって顔で女と間違われることもあるし、もう一度よく確認しよう!
そして、顔から下のほうに視線を向ける。
アウト!
そこには大きな山が二つあった。唯一の救いは、ウィヌスが胸を隠すように腕を組み、脚も組んでいたため大事な部分は見えなかったことだろう。もっとも、寄せ上げるように隠してもいないのに、谷間がある汗ばんだ胸はその方面に疎いヒメキでも十分に破壊力があった。
「―」
「?」
「Regarde pas!」
何かを叫びながらウィヌスは立ち上がった。
フランス語で直訳すると『見ないでください!』だが、ヒメキは頭の中で語訳する暇などなかった。
さっきまで見えてはいけない場所が、立ち上がったことで非常に危険な状態だ。いつ消えてもおかしくない微かな湯気が消えれば、それこそヒメキはウィヌスの丸裸を目にすることになる。
なんとか落ち着かせようとするが、ヒメキ自身が落ち着いてないのでうろたえているばかりだ。その間にも、ヒメキはウィヌスの体を見ていて、ウィヌスの顔がどんどん紅くなり、次第には涙目になった。
「っ!」
「?」
ゴスッ!
ヒメキは自分が殴られたことに気づいたのは、意識が途絶える一瞬前だった。
その時、思ったことが、黎以外の女の子に殴られるなんて初めてだな、とどこか情けないことであった。
のちにヒメキが目を覚ましたときは、男性の脱衣室で寝そべっており、体にタオルを巻いた黎が心配そうに見ていた。
物音に驚いた黎が男性浴室の様子除き、湯船に浮かぶ自分を発見したとヒメキは聞かされた。
その時には既にウィヌスの姿もなく、ついでに番台にいた月久も帰っており、いまいるのはいつも番台にいる老婆の家族だ。
ヒメキがウィヌスのことを黎に言うと、最初は彼女も状況を理解していなかったが、ヒメキが殴られたことを知るともの凄い剣幕で怒っていた。
ちなみに、黎のタオル一枚の姿もある手の魅力は十二分にあったのだが、無意識の中でヒメキは黎とウィヌスのある部位を比べてしまったのは秘密である。




