懐中時計の誘い
「ねぇねぇ、誰なのよイレイラ」
「彼氏?彼氏なの?」
「「気になる気になるぅ」」
イレイラを無事に寮へ送り届けた俺は彼女達の前で魔法の剣を顕現させるが如く、柄が長い1本の箒を異空間から取り出す。これは空間魔法といい、軍事的にも生活的にも広く活躍する四次元ポケットだった。
「スノリ…まだそれに乗っているのか?」
俺はイレイラの呆れ声に耳を貸さず、彼女たちに背を向けて箒を地面と水平に持った。
「んじゃ、イレイラ…またな」
箒を手放すと同時に俺は彼女たちの方に振り返って後ろに重心を傾ける。すると、地面に落ちそうになっていた箒がふわりと浮き上がり、俺の尻を持ち上げる。
「飛行魔法?」
イレイラの友人が不思議そうに首を傾げるのを目下に、俺は箒に座ってゆっくりと上昇していく。
「いつかこれがスタンダードにならんかね」
「ならないぞ!まったく…」
呆れながらも手を振ってくれるイレイラ曰く「飛行魔法なんて、何もなしで飛ぶのが普通だろ?」とのこと。つまりスーパーマン式飛行だ。しかしハリポタ式飛行の方が俺的には好きだ。そのためにわざわざ箒も買ったんだから。
俺は箒の先端を自分の寮がある方向に向け、これまたゆっくりと前進する。結構なスピードが出せるけど…夜の上空はかなり寒く、風も冷たい。バイク乗りみたいに防寒対策しないといけなかった。そこで俺は建物の屋根スレスレを低速低空飛行して帰路につく。ちなみに俺の頭上にはコートを着た人達がスピードを上げて往来していた。
「やっぱりガスってる街よか帝都がいいな」
パリやローマ、アムステルダムなんかに引けを取らない街並に魔法によって灯されたランプの暖かい灯りが輝き、放射線状に伸びる道の中心点にあるシムサライ宮殿まで導く。アッカリア市ではまず見られない美しい景色だ。
俺は故郷批判を程々にズボンのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、門限まで残り10分を過ぎていた。一応寄り道せず、この速度を維持すれば問題なく帰れることに安心する。
しかし、結果からいうと俺は門限を破ることとなった。
「きゃぁぁああああああ!」
何事…!
ポロッ…
「って…ちょっ!あぁ!」
悲鳴を聞くと同時に懐中時計が手から滑り落ち、何度かそれをお手玉したが、結局手の甲で弾いてしまい、そのまま下に落ちる。そして下にある建物の三角屋根を転がり、真っ暗な路地裏に消えていった。
「懐中時計…安くないからな…」
空間魔法で魔法のランタンを引っ張り出して、懐中時計を追って真っ暗な路地裏に降り立つ。
ーーピチャーー
「おいおい懐中時計は防水性ないぞ」
箒をしまい、ランタンの灯りをつける。
「…はぁ?」
お目当ての懐中時計は少し離れたところに部品が散らばっていて、見るも無惨な状態だった。しかし俺が声を上げた理由はそれじゃない。
俺は恐る恐る魔法のランタンを高く掲げ、壊れた懐中時計のその先を照らす。
真っ赤な道に仰向けに倒れた女学生。
「ぉぃぉぃおいおいおい!」
反射的に駆け出す。
ーーピチャッピチャッピチャッ!ーー
「もし!しっかり!もし!」
女学生だとわかったのは、俺の進学先である帝都中央学院の制服を着ていたからだ。しかし、俺が女学生の元に辿り着き、その全身を照らすと、その制服は赤く染められ、女学生の右腕が…制服の袖ごとなかった。
ピクリとも動かない女学生を見て、俺は無意識に思考の外に追いやっていた赤い道が何なのかを確認する。
当然、俺が降り立ったのは水溜りの上ではなく、血溜まりの上だった。でも…俺は20mほど走って女学生の元に辿り着いた。20mも血溜まりが続くだろうか?
「誰か…誰か!人が…!誰か来てくれ!」
とにかく叫んだ。そして、恐る恐る自分が来た道を振り返る。
「う…うわぁぁあああああああああ!」
俺が降り立った場所より奥、そこにはもはや肉塊としか形容できない何かが散らかっていた。