視線
「貴族のボンボンに告られた?」
俺は思わず耳を疑った。しかし当のイレイラは溜息混じりに頷く。
「誰かは…聞いていいか?」
「ムスファ伯爵家の長男…ロディ・ムスファ」
直接会ったことはないが、まさかの1つ上の先輩だ。しかも噂というか実績というか…学業成績優秀で、去年「水魔法の水温調整と生活実用化」と題された論文を発表すると、水魔法を研究している学者達を唸らせたという。
「えーっと…喜んだ方がいいか?」
去年の論文発表にて注目度を高めたが、変人だという噂は聞いたことがない。むしろ好青年らしい。秀才な貴族…付き合う相手としては中々な優良物件ではないだろうか。俺が女なら確実に付き合っている。
しかし、念のために無神経な発言は控えた。イレイラも俺の問いには首を横に振った。
「やめてくれ。私は恋愛するために帝都に来たわけではない。それに下層生まれの私には貴族の相手は荷が重い」
「そうかな。まぁ、イレイラがいうならそうなのだろう」
ロディ先輩も女性を見る目はあるらしい。そりゃそんじょそこらのご令嬢方より、イレイラの方がかっこよく、憧れるものもあるだろう。
「それで、さっきの睨みとどう繋がるわけだ?」
「ああ、それなんだが…」
イレイラは周囲を気にしつつ、言い辛そうに口を開いた。
「その告白を断って以来、やたらと視線を感じるようになったんだ」
…え?怖いなそれ。すんごく事件の臭いがするんだけど、ムムール帝国にはストーカー規制法みたいな法律がないし、そもそも警察が平民1人を守るために動くなんてことはありえない。
「気のせいじゃないのか?」
「そうだといいんだが」
想いを断ち切れないロディ先輩自身か、そのロディ先輩が気になっていた女子か、ロディ先輩の恋路を気にしたムスファ伯爵家の者か…残念ながら、俺は探偵じゃないし、問題解決に導けるチート能力もない。
「イレイラ…あーうん…その…あれだ」
おまけに気の利いた言葉も出てこない。
「何て言うか…」
日本みたいにスマホ等で高速通信が可能とはなっていない。そこで「頼ってくれ」と言っても有事の時は間に合わない。となると…
「俺にできること、あるか?」
俺が事情を聞き出したというのに、結局はこれだ。あまりに情けない。
「私を心配してくれるだけで十分だ。スノリがよく考えてくれているのは知っているからな」
こちらの思考がバレたというのか…!
「お…おうよ」
とりあえず、今後イレイラに何かあった場合、俺は警察に「彼女はよく誰かに見られていたらしいです」と証言することにしよう。
「まぁ…ロディ先輩近辺を少し探れたら探るさ。俺、意外と友達多いし」
「無茶はするなよ」
「しないさ。その代わり、あまり期待しないように」
「スノリらしいな」
食事が終わり、懐中時計で時間を確認すると、もうすぐ20時30分になろうとしていた。
「もう時間だな。帰りは俺が送るよ。東帝都学生寮だろ?」
これくらいならできる。
俺がそう切り出すと、イレイラはしばらく考えた後に、申し訳なさそうにだが、首を傾げた。
「いいのか?それだと門限に…」
「俺は飛行魔法を習得してるから、本気を出せば間に合う。何、俺は優秀だからな」
俺は胸を張って笑う。不安感の払拭は重要だ。
「あと、ここの会計は俺が持つよ。遅刻した詫びだ」
そして男が会計を持つ。それができる俺、すっげーかっこいい。
「スノリ…いや、受け取っておこうか」
俺はコップに入っていたお茶を飲み干し、その勢いで席を立つ。それからイレイラに右手を差し出した。
「さぁ行こうか。我が姫よ」
イレイラは一瞬戸惑ってはいたが、恐る恐るといった様子で俺の手を掴み立ち上がる。
「スノリ、魔法戦闘の成績は?」
「D評価だけど?」
イレイラを先に行かせると、彼女は俺の前を通る時に不意に俺の脇腹を突き、片目を閉じた。
「私はB評価だぞ。騎士にしては随分と弱々しいな」
そうして店を後にするイレイラを、俺は突かれた脇腹を押さえて追いかける。
「いや、返す言葉もない」