遠いところ
「そもそも12歳にもなって鞄隠すとか、しょーもないことようするわ。関心してもしきれへんでホンマに」
「見つかって良かった。パパに買ってもらった大切な鞄なんだ」
父親をパパと呼び、貧乏人が多い学校にわざわざお高めの革鞄で登校してくるとは…そういうところがイジメられる原因なわけだが。
「大切やったら、きちんと自分で管理せにゃいかんわ」
リッカー家は元々ムムール帝国の首都…帝都ムムルカンドで生活をしていたらしい。家長であるオリスは教育者として優れており、アッカリア市でその才覚を発揮するべく、一家で引っ越してきた。だから俺達北部の人間とは違う言葉遣いをしている。その辺に感覚の違いがあるのだろうか。
アッカリア市は炭鉱で働く労働者が多く、朝は霧が立ち込め、昼は鉱山から吹き下ろしで砂埃が舞い、夜にもまた霧が立ち込める。基本的に街全体がガスってる気がしてならない。しかし、昼にその影響を受けない場所がある。街の中央にある高台、通称【上層】。そこにはアッカリア市の議会や役所などがあり、それらに勤めている人々の住居もある。一方で炭鉱の労働者等々が暮らしている場所を【下層】と呼ばれた。ちなみに我が家も下層にある。
だからというわけではないが、基本的に下層の人間は上層に近づかない。ただ、俺は例外的だ。
「何度来ても上層の空気は美味いわ」
俺は坂を上って視界がクリアになるのを感じると、いつものように深呼吸をする。すると、右隣を歩く金髪美少年ザックは苦笑した。
「砂埃、どうにかならないかな」
「ホンマやな。おっちゃんに頼んでみろや」
「パパに?さすがに無理だと思うよ」
「そこはほれ?議会の力でチャチャっと」
「えぇ?」
俺は同級生達から少し煙たがれている。理由は気弱なボンボンであるザックを助けたせいもあるだろうが、下層の誰もが躊躇う上層を出入りしていることにもある。最近では「貴族の腰巾着」と呼ばれたり…
正確には「貴族の腰巾着の腰巾着」だろうけど。だって、オリスは貴族じゃないし、アッカリア市の貴族パフマフ男爵のご指名で帝都から引っ越してきたわけだから。オリスは聖人君子的な人物でもないし、多分男爵の駒に過ぎない。
まぁ、何はともあれ…上層にあるリッカー家の屋敷は俺にとって図書館のようなもので、今にも潰れてしまいそうな自分の家より勉強が捗る以上、利用しないとかありえない。
それに…あの制度が使えるかもしれないのだから。
「クックックッ…」
「スノリ?」
リッカー家の屋敷は上層の外側にある。おそらく、上層の中心部には特権階級の方々のお住まいがあるのだろう。そのため、上層に上がって1分もかからぬうちに屋敷が見えてくる。
「なぁなぁ、今日も【風系魔法式基礎】見せてくれや」
「スノリは風魔法好きだよね」
「ほらお前…空に憧れてんねん。空飛びたいねん」
などと話をしていると、リッカー家の屋敷前に到着する。ちなみに屋敷屋敷と言っているが…食う寝る以外に何かする空間がない掘っ建て小屋暮らしのスノリ・ブラウンから見た感想だ。佐藤拓郎的には分譲住宅とかにありそうな坪30から40ほどの一戸建てだ。まぁ佐藤拓郎的にも一戸建てに住んでいるなんて裕福だなと思わざるをえないけどさ。
「ただいま」
「お邪魔します」
ザックの後に続いて屋敷の玄関扉を抜けると、オリスが雇っている家政婦さんが出迎えに来た。
「おかえりなさいませ。スノリ様もようこそ」
「ああいえあの…!なんや、俺んことは気にせんでええですよって。様なんて」
俺は炭鉱で働く貧乏人ダレレの一人息子。様で呼ばれるほど偉くはない。故に…毎回呼ばれても慣れない。
「ふふふ、スノリ様だって」
「うっさいわ、どつくぞ」
「はいはい、早くパパの書斎に行こ。エマさん、お茶お願いできますか」
気弱なザックも屋敷では余裕な感じがある。まさにホームグラウンドといった感じだな。
俺はザックについていき、玄関入ってすぐの階段を上る。すると、2階から軽快な足音が近づいてくる。
「スノリ!」
「おー、アメリア!こんにちはや。お邪魔するで」
2階で待ち構えていたのはアメリア・リッカー。ザックの妹6歳、美少女の卵というか雛だ。ザック曰く、そこそこに人見知りではあるようだが、俺は幼女の相手ができない大人ではなかった。幼女の心の鍵を開けることなど、クラブのホステスを振り向かせることに比べると容易いものである。
「スノリ!あのね!あのね!」
「おーおー、なんやなんや。ちと落ち着けや」
「アメリア、僕もいるんだけど…」
アメリアは俺の足元まで来て、ピョンピョンと愛らしく跳ねた。その度にサラサラとした髪が揺れ、何か俺の男心がくすぐられる。ザックにシスコンの兆しが確認されていたが、これはなるほど…否定できん。
「見て欲しいものがあるの!」
アメリアはザックに見向きもせず、俺の服の袖を引っ張って奥に歩いて行く。
「スノリ…」
「ちょっ…ザック何怒ってん」
「別に怒ってないよ」
アメリアが想像以上に俺に懐いてくれてるし、上手く立ち回れば、結婚も不可能じゃなくね?
「でも、アメリアはやれないから」
「お?」
「アメリアは貴族の家に嫁がせるってパパがね」
…不可能でした。調子に乗りました。
「そ、そらそうやな」
俺を引っ張るアメリアの背中が遠く感じたのは身長差のせいでも、気のせいでもないのだろう。