2ヶ月という時間
最近、この物語の登場人物が自分の意図しない行動をしている気がします。もはや自分でもどこに向かって話が進んでいるのか…
ベアトリーチェに買われてから2ヶ月が過ぎた。
クトルベ闘技場は年中温暖な東部の都市クトルベにあり、蜥蜴人としては極めて過ごしやすい環境だった。
だからというわけではないのだが…俺は生きている。
いつも通り、俺は満員の観客達からの歓声を背中で聞き、控え室に通じる廊下へと向かう。その道中、小鬼や人間の奴隷の死体が大量に転がっていたが、もう気にすることをやめた。
人間54。小鬼68。豚人32。蜥蜴人44。鬼人5。
2ヶ月の間に俺は何度も何度も何度も何度も何度も…この手で彼らを殺し続けた。全ては【狂化】という精神魔法によって、本能がままに操られた結果だった。
俺は抗うことを諦めた。
『お疲れ様。今日も調子良かったんじゃない?』
ベアトリーチェはいつも控え室で俺を待っていた。そしていつも同じ言葉を口にして笑うのだ。だから俺もいつもと同じ返しをする。
『あと何回で解放される?』
2ヶ月もの間、ベアトリーチェと言葉を交わすうちに俺は流暢な帝国語を使えるようになっていた。今ではクトルベ闘技場で働くスタッフとも意思疎通ができ、他の魔物との通訳だってするようになった。
『さぁ?何回かしらね?』
ここまでの会話は2ヶ月、一言一句同じだった。
『次も人間よ。お貴族様が奴隷の公開処刑をお望みなの』
控え室にはシャワーがついていて、俺は血で汚れたボロい鎧や兜を脱ぎ捨て、ベアトリーチェの前で身体を洗い始める。ベアトリーチェはそれをいつも水のかからない位置から眺めている。
『そうか。何人だ?装備は?』
『老若男女問わず30人の大所帯。希望持たせるために武器だけは与えるつもりよ。まぁ刃こぼれだったり錆びついてたり…大したことはないわ』
闘技場で俺が戦う相手には2種類いる。支配人であるベアトリーチェが選んできた相手とそれ以外の相手だ。基本的には後者の方が多い。
ちなみに後者のほとんどが金持ち貴族の娯楽を目的とした持ち込み企画だ。例えば、役に立たない奴隷や自分に敵意を向けた市民などを公開処刑するためにベアトリーチェにお金を払って、俺達に殺させ、それを高みの見物するのだ。公開処刑をすることで市民達に力の差を見せつけることも狙いだった。
『戦闘経験者は?』
『3人。そのお貴族様の魔物狩りに同行しているわ。ただ全員がやせ細ってて、まともに戦えそうなのはいないわね』
俺の身体には傷1つない。シャワーで洗い落とすのは他者の血だけだった。ベアトリーチェや他のスタッフ曰く「さすがは変異種」とのことで、同じ蜥蜴人でも戦闘力に圧倒的な違いがあった。しかし、俺は【狂化】をかけられないと強くはない。
所詮は元一般市民ということで、武器を握り、どれほど類稀な肉体を持っていても動きが素人だった。
つまりは…蜥蜴人の俺には、人間だった俺の理性とは別に、何か二重人格のような本能が確かに存在しているらしい。もしかしたら、この身体の本当の持ち主がまだどこかにいるということかもしれない。
『貴方なら余裕ね』
『どうかな』
身体を洗い終えると、ベアトリーチェがタオルを投げてくるので、それを受け取って身体を拭く。
『ベアトリーチェ、貴女は弱者を真に理解してはいないようだ』
『そう?スノリは理解していると?』
『俺は…どうかな。きっと貴女よりは理解している』
ベアトリーチェ、彼女については謎が多い。闘技場の客席に訪れるどんな貴族も彼女には敬意を払い、普段檻に入れられている魔物やそれと戦う剣闘士達の暴動を実力行使で沈静化するため、彼女に尊大な態度を取る者を見たことがない。
わかっているのはベアトリーチェを呼ぶ時、度々「至高の魔女」と言われていることだけだ。
『俺も元は弱者。痛みを、焦りを、苦しみを、絶望を知っている。貴女は知りようもないことだろう』
『それもそうね』
たまにふと思うことがある。
彼女は俺を一生闘技場で戦わせるつもりなのではないか。俺には死しか待っていないのではないかと。
俺の全てが至高の魔女ベアトリーチェ・スーリャに握られている以上、もはや俺がどうすることもできないのでは、と。
『まぁ見てろ。彼らはきっと…いい見世物になるだろうさ』
それでも俺は解放されるその日まで戦わなければならない。それしか道がなくなった以上。
『ええ、期待しているわ』
俺はベアトリーチェの前で片膝をつく。すると、ベアトリーチェは俺の頭の上に右手を置いた。
『それじゃあ次も頑張って。おやすみなさい』
俺が俺として起きていられるのは殺し合いが終わった後、身体を洗うまでだ。そして次に起きるのは、次の殺し合いが始まる直前の控え室。時間の感覚などとうの昔に消えてしまった。
およそ俺は人間をやめてしまった。
ただ、まだ…俺にも希望があると信じている。
一旦、スノリさんから視点を移そうかと。
スノリ・ブラウンはしばらく闘技場で頑張ってもらいます。