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第一幕

遥か昔。《鬼》と呼ばれるヒトならざる者に人間は怯え暮らしていた。


人間が家畜を食べるのと同じように、鬼は人間を食料として見ることが多かったからだ。丸々太った豚や鶏を見て、「可愛い」と表現する人間も居れば「美味しそう」と表現する人間も居る。鬼から見た人間はそれと変わらなかった。


平均的に5尺(約150cm)程の身長で小柄だった人間にとって、1間(約180cm)以上の鬼は脅威だった。背も高く力も強い鬼。人間と違う容姿。鬼の出る夕刻には山奥へは入るなと親は子に言い聞かせた。


そんな時代のとある山で、心優しい鬼が膝を抱えていた。



「……また、逃げられた。俺はそんなに怖い顔か?」



(えんじ)色の髪、額に生えた二本の角。1間には少々欠けるものの平均的な人間と比べれば長身の鬼。


怪我をした子供に声を掛けたら脱兎の如く逃げられたことに落ち込んでいる。野生の熊に遭遇したらその場から離れようとするのと同じように、鬼に出会ったら逃げるのが人間の常識だ。けれどこの鬼は、どうやら人間と仲良く遊びたいらしい。



「赤鬼君は怖くないよ、な?そう落ち込むなって。」



膝を抱えた赤鬼の背をあやすように撫でたのは薄紫色の髪をした鬼だった。1間以上あるその身体を屈めて赤鬼の背を撫でている。赤鬼はすっくと立ち上がると決意を固めるようにぐっと拳を握り、空へと突き出した。



「よし!立て札を作ろう!」


「立て札…?」


「んだ!人間と仲良くなりてぇ、お茶とお菓子でもてなすぞって書いて立てておくだ!」



そうしたら人間も気兼ねなく訪れてくれるだろう、といそいそと木を切り倒して準備を始める赤鬼。目を丸くして見ていた鬼もふわりと微笑むと赤鬼が切り倒した木を軽々と持ち上げた。



「青鬼どん?」


「手伝うよ。俺達、友達だろ?二人の方が早い。」


「ありがとう!」



二人の鬼はせっせと木を加工して大きな立て札を作った。立て札には綺麗とはお世辞にも言えなかったが、心を込めた文字で「赤鬼のいえ。お茶もおかしもあります。なか良くしてほしいです。」と書かれていた。平仮名と漢字が混在し子供の手習いよりも下手な字だったが、顔に墨をつけてまで一所懸命書いた文字。


完成を見て二人の鬼は飛び上がって喜んだ。これで人間と仲良くなれる、そう思って喜んだ。



しかし人間にはその立て札が罠に見えた。人間を(おび)き寄せて、取って食おうという意図しか感じられなかった。


身を隠してこっそり見ていた赤鬼は落胆した。罠だ、騙そうとしている、そんな言葉を聞く度に大きな身体はどんどん小さく丸くなっていき、また膝を抱えるようにして肩を落とした。青鬼は側に腰掛けて、今にも泣き出してしまいそうな赤鬼の背を撫でていた。





数年前、夕食の木の実を取りに少し遠出をした赤鬼は、楽しそうに笑う村の子供たちを見掛けた。走り回りじゃれ合い、楽しそうに遊んでいた。とても眩しく見えた赤鬼は一歩近付いてみた。けれど、赤鬼に気付いた子供たちは蜘蛛の子を散らすように一斉に駈け出し家へと逃げて行った。


それから毎日村を見に出掛けた。人間に気付かれないように息を潜めて、羨ましそうな眼差しで子供たちを見詰めた。


そんなある大雨の日、大きな木の下で雨宿りをしている村の親子を見付けた。強い雨足で相手の姿が良く見えていなかったからだろう、赤鬼は親子と話をした。他愛ない会話でも赤鬼は嬉しかった。少し太い木の枝に葉っぱをたくさん(つる)で括り付けた傘を作って差し出した。


親子は相手が赤鬼だと分かると傘を放り出して大雨の中を一目散に駈け出した。一人になった赤鬼は肩を落としてずぶ濡れのまま家に帰って行った。


丁度遊びに来ていた青鬼が作ってくれた味噌汁で身体を温めながら静かに泣いた。



そんな赤鬼を見ていたからか、青鬼は一つの提案を口にした。



「赤鬼君、村人を助けよう。」


「ダメだ、怪我してても皆逃げるだ。」


「違う違う。俺が村で暴れるから、赤鬼君が俺を()らしめれば良い。そうしたら英雄だよ。」


「け、けど青鬼どんはどうするだ?」


「俺は赤鬼君に負けたと言って逃げる。そうしたら人間と仲良くなれるよ、きっと。」



名案とばかりに微笑む青鬼に、赤鬼は泣いて感謝した。その作戦で人間と仲良くなれると確信した赤鬼は大層喜んだ。


今夜は遅いから明日の昼頃、仕事に出ている大人も昼飯に戻るだろう頃合いに実行することとなった。






青鬼は家に戻ると家中の片付けを始めた。


分かっていたからだ。悪役を引き受ければ、もう赤鬼と仲良く出来ないことを。友達だと人間に知られたら、今以上に警戒されて赤鬼はまた泣いてしまうと、理解していた。


古びた柱、二人で背比べをした傷を撫でて少し寂しそうな笑みを浮かべる青鬼。感傷に浸っていた青鬼だったが、勢い良く振り向き人間などとは比べ物にならない速さで玄関への距離を瞬時に無くす。



「…なんだ、鈍ってないじゃないか。」


「あ…、夏雪(なつゆき)さん…。」


「久し振り。」



鋭く尖った爪で喉元を掻き切ろうと伸ばされた青鬼の腕は、何時の間にか玄関に立っていた女の鬼に掴まれた。


相手が顔見知りだと分かると青鬼はゆっくりと腕を下ろし、淡々と話す女鬼の名を口にした。亜音速で放たれた青鬼の攻撃を止めた手が真っ赤になったと不満そうに女鬼は手の平を突き出して見せた。青鬼は何度も頭を下げて謝罪していたが、女鬼は何事もなかったかのように纏められた荷物を持ち上げた。



「赤鬼は良いの?」


「あ、その…実は…。」


「理由は知ってる。“見てた”から。」


「……お見通し、でしたね。赤鬼君の為なら俺は家を出ることも平気です。」


「帰って来る?」


「それ、は…。」



荷物を下ろすと夏雪(なつゆき)は青鬼を真っ直ぐに見詰めて問い掛けた。薄紫色の瞳から逃れるように青鬼は土間へ視線を落とした。言い淀む青鬼を見詰めていた夏雪(なつゆき)だったが、一つ溜息を吐き出すとくるりと背を向けた。



「…染藤(そめふじ)、人間を信用するな。鬼は、あいつらだ。」



夏雪(なつゆき)の掴んだ扉がみしりと音を立て、木目に沿って(ひび)割れる。それは哀しみと怒りの混在した感情を抑えているように見えた。青鬼が黙って見ていると夏雪(なつゆき)はすっと力を緩めて肩越しに微笑んで見せた。



「でも、邪魔はしない。何時でも帰って来て良いからな?」



夏雪(なつゆき)は青鬼の返事を聞かぬまま外へと歩を進め、地が(ひび)割れる程の力で跳躍すると枝葉の揺れる音を響かせて遠ざかって行った。


音の遠ざかる方向を見上げながら、青鬼はゆっくりと瞼を下ろす。




遠い遠い昔から。何時からだったかなど誰も分からない程昔から。


鬼には人間と同じく縄張り争いがあった。同じ種族でも自分の縄張りを荒らす者は敵だった。強い者は打ち負かした者を配下に加え、組織力を高めていった。強さに憧れ自ら下る者、寝首を掻くつもりで下り野心の炎を燃やす者、理由など様々だが徐々に頭数を増やし何時しか国のようなものまで出来あがった。


そして人間と同じように争いを繰り返した。戦いを好む者、部下やその家族を守る者、其々(それぞれ)の正義を持って刃を交えていた。


そんな鬼たちにも規律があり、それは必ず守られた。山の動物に被害を与えないこと、山が崩れる程争わないこと。どんなに卑怯な鬼もこの決まりだけは破ることはしなかった。だからだろう、人間が知らないのは。山奥で行われる戦は月の出ない時のみとされていた。月明かりの無い夜に、山に入らない人間が知らないのは当然のことだった。


鬼たちは争いを繰り返し生きていたが、今では大きな組織が一つと少数の組織がいくつかあるだけとなっていた。圧倒的な力を持った鬼が生まれたからだ。そして、同じ鬼同士で争っている余裕などなくなってきたのだ。



鬼は人を食らう。けれど、目的もなく殺すことはない。意図せず殺してしまったとしても、手厚く弔うか感謝してその肉を食らう。妖怪たちも悪質な悪戯をする者は居ても意味なく誰かを殺すことはない。


人間が《鬼》と恐れる者には二種類あった。


一つ、赤鬼たちのように人間と変わらぬ容姿で額に角があり、長身の鬼。彼等は力も強く、鋭い爪と牙を持っている。髪や瞳の色も様々で、人間を食料と思っていても個人の好みに分かれる。


そしてもう一つ。角や牙、爪は同じくあり身体も大きい者が多いが彼等は人間を“殺す”。


動くものを襲い、命を奪う。そう、人間が誰かを恨み、妬み、憎み心が壊れてしまった者がこの《鬼》だった。美しい姿を見せる者も居るがそれは惑わせているにすぎず、本来は醜い化け物だ。



鬼は彼らを《異形》と呼び敵視した。山の動物も同胞も無差別にただ殺すからだ。意味も目的もなく殺すという行為を続ける《異形》を鬼たちは駆逐すべく団結していった。けれど人間にその区別はつけられなかった。区別出来るほど鬼のことを知らないからだ。

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