思い出したいわけでもない身の上話 1
主人公の自己肯定と自己否定の価値観の始まりの説明です。読まなくても本編に影響ないです。
物心ついた時には、いろいろなものが“みえる”のは当たり前になっていた。
確か、初めてみたのは『ひいおじいちゃん』。
三つか、四つの頃だったかな。お婆ちゃんと一緒にお墓参りに行った時だった。
手を合わせているお婆ちゃんの頭上をふよふよと漂って、手を伸ばしてお婆ちゃんの頭を撫でているのをみた。
その時は、その人が『ひいおじいちゃん』なのだとは知らなかったので、家に帰ってから、お婆ちゃんに「頭を撫でていたのは誰?」と訊いた。
その時のことは後にも先にも幸いなパターンだったと言える。
お婆ちゃんは信心深い人だったので、私のいきなりの突拍子のない質問を笑うなんてことはせず、「その人の特徴は?」と優しく訊いてくれたのだ。私は見たままを話した。
全部話し終わると、お婆ちゃんはいきなり泣き出した。幼い私は、自分のせいで優しいお婆ちゃんを鳴かせる程の酷いことを言ってしまったのかと狼狽えたけど、お婆ちゃんは私を咎めるどころか、「ありがとう」と私に言った。
なぜお礼を言われたのか、その時は理由がわからずますます混乱してしまった。
だけど、お礼を言われた、というそのことに、私は「良いことをした」と、その時は思った。
だから、他の人には見えないものがみえる、ということを、この時私は“良いこと”なのだと思い込んでしまった。
そのせいで、私はこの後、自分の人生を悪い方向へ行くことになってしまった。