あたしの知ってる、この世界のどこかで。
ありふれた話よ、ほんとに。あたしは転校生で、あの子は人気者。誰からも愛される明るさと、鼻が少し低いことを除けばモデルさんみたいな綺麗な顔。つやつやでまっすぐな黒髪を腰まで伸ばして、それが透き通るように白いあの子の肌を引き立ててた。こんなかわいい子いるんだ、ってのが第一印象。それが、あの子とあたしとの出会い。ね?どこにでもある話でしょ?
成績は、あたしの方がよかった。のんびりした性格のあの子は、詰め込み暗記式の学校の勉強とは相性が悪かったのね。多分。それでも、あたしが勉強みてあげるようになって、少しは成績も伸びたっけ。
あたし?あたしは見てのとおり、性格の悪い普通の学生よ。頭はいいけどね。見てくれだって普通だし、人を惹きつけるような、あの子みたいなふんわりと香るような魅力なんて持ち合わせてない。だから、転校初日に話しかけられた時、あたし思わず言っちゃったもの。「何の点数稼ぎよ」って。
「点数?」
「あたしなんかにかまったって、あなたにメリットがあるとは思えないから」
「もしかして、頭いいの?」
もしかして馬鹿なの?弁当のサンドイッチと一緒にその言葉をなんとか飲み込んで、目の前でにこにこしているそいつに、次は何を言おうかと、少し考えた。
「まあ、悪くはないとは、思うけど」
「ほんとに?!よかったぁ、あのね、私実はすごく勉強苦手で!あ、ええと、私、君嶋ほのか!市井さん、下の名前は?」
「……清美」
「きよみちゃん」
「清く美しいって書いて清美。名前負けよね」
「そんなことないよ!」
思いのほか大きすぎた声に、言った本人が驚いてどうするの。勢いのまま立ち上がって、周りを見渡して、ペコペコしながら照れ笑い。クラスメートも慣れてるのか、なんだよーまたほのかの暴走かよー、なんて声があちこちから聞こえる。和やかな空気の中、あたしは一人だけ、いたたまれなかった。
「声、でかいのね」
「えへへ…ごめんね。 でも、きよみちゃん、って名前のそのままじゃない?」
「は?」
「だって、清く美しいもん」
「会ったばかりのあたしの、何がわかるっていうの?」
ああ、あたしはいつもこうだ。向こうが差し伸べてきた柔らかい手に、いつでもナイフを突きつける。こんなあたしが、あたしは一番大嫌い。
でも、ほのかは相変わらず、にこにこしたまま。
「えー、雰囲気かなぁ…?立てばカンシャク、見たいな感じ」
「ゲホッ!!ゲホゲホっ…ちょっと!飲み物飲んでる時にそういうのやめなさいよ!」
紙パックに刺さったストローから、逆噴射よろしくフルーツティーが飛び散る。ほのかはわたわたとハンカチで、あたしの制服を拭いている。
「ごめん!ごめんね!わざとじゃないんだよ!!」
「わざとだったら怒るわよ」
それに、それを言うなら立てば芍薬、でしょ?続けたあたしに、ビンゴ!と人差し指を立てて満面の笑みを浮かべるほのか。ああ、この子馬鹿なんだな、ってのが第二印象ね。
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花!」
「それがあたしだっていうの?」
「そうそう、大和なでしこ!みたいな」
「なでしこも花よ」
「そうなの?!」
「で?あたしは芍薬なの?牡丹なの?百合なの?それともなでしこ?」
「待って、うぇいと、すとっぷ。芍薬も花ってこと?」
「…………もしかして馬鹿なの?」
「えへへ……いやぁ……」
照れるところじゃないわよ。冗談じゃないわ。こんな馬鹿と一緒にいたら馬鹿が伝染するわ。深いため息をつくあたしに、ほのかは恐ろしい提案をしてきた。
「きよみちゃん、勉強教えて!!」
「はぁ?!」
ありえないでしょ?普通。転校初日に、勉強教えてって。馬鹿じゃないの?っていうか馬鹿でしょ?頭悪すぎる。キングオブ馬鹿。馬鹿クイーン。馬鹿の一等星。そのまま流星群とともに散れ。ああやだ、なんかあたしまで馬鹿みたいな事考え始めた。恐ろしい。
ただ――…一番恐ろしかったのは、このやりとり、別に嫌いじゃないな、って思ってる自分が、いたってこと。あたしの突きつけたナイフで、ウサギの林檎を剥いて寄越すような。ほのかはそんな子だった。
「きよみちゃん!できた!」
「どれどれ?」
今回のテスト範囲をまとめて、あたしなりに作ったミニテストを、自信たっぷりにほのかが解いて寄越す。なるほど、確かに全部埋まっている。
「うーん……」
「どう?どう?ご褒美あり?あり?」
「もう、子供じゃないんだから。えーっと……よし、ここはマル、っと……」
あたしの赤ペンが答案に丸印をつけるたびに、ほのかは小さくガッツポーズをする。その仕草がかわいくて仕方がないあたしは、わざとゆっくり考える振りをして『溜め』、大げさにマルをつけてほのかを喜ばせた。
「そして最後の問題もーー…?」
「最後の問題もー…? ん、よし、全問正解っ」
「ぃゃああああああったああああああああああああ!!!」
もう、飛び跳ねないの。子供じゃないんだから。そう苦笑するあたしに、ほのかは本当に子供のように抱きついてきた。シャンプーの香り。リップクリームの香り。透明で優しくて、あたしの胸の一番奥をぎゅうっとつかむような香り。頬と頬を寄せ合わせて、無邪気にはしゃぐほのかの香り。
「だってねだってね、私、人生で初めてなの!100点取れたの、ほんとに初めて!!」
そうね、あたしも初めてだわ。
「全部、きよみちゃんが教えてくれたところ全部、できたんだよ!」
そうよ、あたしにもできたわ。
「嬉しいっ!嬉しいよーーあはははは、やったーーー!」
そう、あたしも嬉しいわ。あたしも初めて、できたわ。心の底から愛おしいって思える人が。
思春期の真っ只中、友情と愛情の区別もつかない子供の戯言って笑われるかしら?
誰に?
誰があたしのこの恋を、笑う権利を持っているっていうの?
あたしはあたし。この子が、ほのかの事が大好きなあたし。誰が変えられるっていうの、あたしを。
この気持ちを遮る者は、たとえほのかでも許してあげない。
あたしの中に芽吹いた恋を、あたしにだって邪魔はさせない。
答案に躍る赤い丸の数だけ、ほのかにあたしが刻まれる。
解いたテストの数だけ、ほのかとあたしが近くなる。
夏休み前。期末テストの結果は、学年1位のあたしの7つ下に、ほのかの名前が張り出された。志望校は「入れるトコ!」と豪語していたほのかが、あたしと同じハイレベル高校を目指したい、なんて欲を出し始めても、ほのかの両親は止めようともしなかった。
「あら、清美ちゃんいらっしゃい」
「こんにちは、おばさん」
「いつも勉強ありがとうね、ほのかー!清美ちゃーん!」
「はーーーい!」
どてどてと階段を、2段飛ばしで下りてくる。最後の3段は「とぅっ!」なんて勢いをつけて飛び降りて、着地。
「ほのか、犬じゃないんだから」
「えー私猫がいいなー」
「なに言ってるのよこの子はほんとに!もうー、ごめんなさいね清美ちゃん、ほのかったらほんとに落ち着きがなくて」
「そういうところもほのかのいいところですから」
「でっしょー?きよみちゃん、わかってるぅー!」
「調子に乗らないのっ!もう…少しは清美ちゃんを見習いなさいよ」
「見習ってるもーん!」
「それで?」
「それで見習ってるつもり?」
「えーーー?!お母さんもきよみちゃんもひどくなーい?!」
ひととおりの談笑の後、あたしはほのかの部屋で雑誌を広げる。ほのかの香りと女の子らしさで満たされたほのかの部屋で、あたし達は夏休みの計画をたてた。
「さ、どれでも好きなの選んで?」
「うわぁー……!!どっ、どれでもいいの?!」
「もちろん。ご褒美だもの」
目の前には色とりどりのスイーツ。先日目に留まった雑誌の特集記事が、ほのかの好きそうなスイーツがいっぱいだったから、つい買ってしまった。学年10位以内に入れたご褒美に、好きなものをひとつだけ、食べさせてあげる――…そんな建前でも、ほのかは心底喜んでくれる。ほんとは、あたしが見たいだけ。好きなものに囲まれて幸せいっぱいにケーキを頬張る子供みたいなほのかを、特等席から見たいだけ。
「あ、これ!すっごくかわいい!」
「かわいいと味は関係ないわよ」
「あるよ!かわいい方がおいしいし、かわいい方がいいにおいだもん!」
「…なるほど、一理あるかもしれないわね」
かわいいほのかはいいにおい。あたしは知ってる、あたしだけは知っている。
「でしょでしょー?あっ、でもこのチョコレート、すごく、すごい」
「何よその、すごくすごい、って」
「すごくて、すごいの!ほら」
「……ごめん、やっぱりわからないわ」
「えーーーー!すごくすごいよこれ!……あ、これ!!」
「ん?ヴァイオレットショコラ?」
ほのかが一層興奮して指差したケーキは、深いスミレ色の砂糖菓子が乗ったチョコレートケーキ。
「これ、すっごくきよみちゃんっぽい!」
「は?!」
真剣なまなざしで力説されても、いまいちあたしには響かない。
「どこが?」
「凛としてるところとミステリアスなところ!」
「凛としてミステリアス?」
「うん、そう!きよみちゃんって、たまに何考えてるかわかんないミステリアスなところあるじゃない?」
「さぁ……自分では意識したことないから……さて、ここで問題です。当事者よりも傍で見ている者の方が全体を把握できている事を意味する慣用句は?」
「えぇっ!?わかんないよそんなの!」
「ほんとかしら?あたしのテストにもあったと思うけど?」
「えーーー!えーーー……」
「ヒントいる?」
「いる!いります!いりまくります!」
「漢字四文字」
「もう一声!」
「目、という漢字が入ります」
「目…読みは、め?もく?あ!!」
ぱちん、と両手を打ち鳴らし、ほのかが叫ぶ。
「傍目八目!!!!」
「第一問クリアね」
「第二問もあるの!?」
「漢字で書いてみて」
「えーーーーー!!!!」
わたわたとシャーペンを取り出し、ノートを広げる。あたしはこうやって、普通の会話の中にクイズ形式で問題を出してほのかに勉強を教えてきた。詰め込むよりも、ゲーム感覚でやらせた方が、きっとこの子には合うと思ったから。
「おか、おかー……おーーーかーーーーー!」
「言葉の意味を考えて」
「おかーが出ーてーこなーいよー!」
「歌うな」
「あ!もしかして、これ?!」
さらさらとシャーペンを走らせ、ほのかの右手が正解を書き上げる。
「はいよくできましたー」
「やったー!」
「でも、ほのかには、あたしがこんな風に見えてるってこと?」
芍薬、牡丹、百合、なでしこと来て、次はスミレ。ほのかにはあたしが植物にでも見えているのかしら。ヴァイオレットショコラを眺めながら、オレンジジュースを一口飲む。
「うんとねー、色かなー」
「色?」
「うん、その人が持っている色っていうか、雰囲気?」
「紫とこげ茶なの?」
「うーん……こう、オトナっぽくない?このケーキ」
なるほど確かに、カラーリングは落ち着いた、大人の雰囲気漂う印象。あたしの場合は大人なわけじゃなくて、冷めているだけだと自覚しているけれども。
「そうね、そういわれれば大人っぽい雰囲気はあるかな?」
「きよみちゃんオトナっぽいから」
「それはほのかが子供過ぎるだけじゃなく?」
「あーまたそんな事言うー!」
そりゃ、ちょっと子供っぽいところもあるかもしれないけどさ。拗ねた様に視線を逸らして唇を尖らせる。
その唇に、今、あたしが何をしたいって思っているか。知ったらほのか、友達辞めちゃう?
「……ふふ」
「その、意味ありげーな笑い方もミステリアスだし、オトナっぽい!」
「そう?」
「いいなー、私にないもの、きよみちゃんはぜーんぶ!ぜーーーんぶ持ってる!」
大の字に床に寝転がって、ほのかはそう言い放つ。
でもそれは、お互い様で。だってそうじゃない?誰からも愛される容姿も、人懐こさも、あたしにない魅力を、ほのかは全部持っているじゃない。本人は気付いていないかもしれないけれど。
「……2組の田中」
「ん?」
ページをめくるあたしに、ほのかはそのまま言葉をつなげる。
「好きなんだって。きよみちゃんの事」
ええ、知っているわ。田中って名前だったのね、あいつ。
「なんとかして告白したいーって」
「されたわ」
「な……っ!?」
がば、っと音がしそうな勢いで跳ね起きて、なんだか面白い顔になってるわね、ほのか。
「興味ないの、そういうの」
「なん……なんで、断っちゃった、の……?」
「言ったでしょ?興味ないのよ」
……それに。知ってるから。あたし。ほのかがあいつを好きなの。
「なんで?!田中…いい、奴だよ…?」
「そうね、でもあたしにはどうでもいい奴だわ」
できれば存在ごと抹消したいくらいどうでもいい。あいつがいなければほのかはあたしだけのほのかでいてくれるかもしれない。ほのかの中にはあたしだけがいればいい。ほのかの中にいてもいいのはあたしだけ。このあたしだけ。
そんな感情が、あたしの言葉を冷たく鋭くしている。それは、ほのかにもわかっちゃったのね。
「どうでもいいって……ひどいよ!きよみちゃん!!どうして人のことそんな風に言えるの!?」
「だって、本当にどうでもいいんだもの」
珍しく怒って、強い感情をぶつけてくるほのか。テーブル越しにあたしをにらみつけるほのか。ああ、かわいい。
「ふふ……」
「な、なんで笑ってるの?なんで笑っていられるの、信じられない!」
「だって、ほのかかわいいんだもの」
キスしたくなるくらい。
「冗談言ってごまかさないで!!」
「冗談じゃないわよ」
本当にかわいい、あたしのほのか。
「だって、だったらなん――」
でも、少しだけうるさいわ。
「…っふ」
そんなうるさい唇を、あたしの唇で塞ぐくらい、好きにしたっていいでしょう?
「きよ、み、ちゃん……」
まだ熱の残る口元を押さえたまま、ほのかが後ずさる。追いかけても、よかったんだけど。それはきっと、あたし達にはまだ、早すぎるはずだから。
「…かわいいから、キスしちゃった」
ファーストキスよ、それ。あたしの。雑誌に目を落としたまま、あたしはほのかにそう告げる。きっと面白い表情になっているから。あたしも。多分、ほのかも。そんなの、恥ずかしくて、見ていられる自信がないわ。
「あぅ……私も、だけど……なんで……」
本当なら、今すぐ抱きしめてかわいがってあげたい。体の隅々まで、あたしの欲を塗りこめて、一生忘れられなくしてあげたい。やり方なんてわからないけれど、きっとあたしならできるはず。だって、何度も夢に見たもの。シミュレーションは完璧だと思うから。
「…友達同士とか、女同士って、ノーカンじゃないの?」
火照りのぼせるあたしの頭を、あたしはあたしの言葉で冷やす。もう少しうろたえるほのかを堪能したい気持ちもあったけれど。あたしの方が耐えられないわ。
「そ、そっかぁ……友達の、かぁ……」
「そうよ。友達ならノーカンでしょ?」
「う、うん、そう、そうだね、ノーカンにしよう?」
あたしの中に渦巻く劣情を覆い隠すように、上手に分厚く、賢い言葉でコーティングする。なるほど、確かにあたしはヴァイオレットショコラケーキなのかもしれない。ほのかが言うように。
「ほのか」
「はいっ!?」
びくっ、と体を強張らせる。大丈夫よ、捕って食ったりなんかしないから。今はまだ、ね。初心で純粋で、かわいいかわいいほのか。安心して。あたしはあなたが好きなだけ、ただそれだけよ。
「あったわよ。ほのかっぽいケーキ」
「え、ケーキ……わ、かわいい……」
繰ったページの右上に、雪ウサギみたいなホワイトチョコケーキ。
「ほのかってうさぎみたいだから。ジョリィ・ジョリィ、だって」
「えへへ…うさぎ、かぁ…」
悪い狼に食べてしまわれないうちに、やっぱり、あたしが食べてしまおうか――…ふふ。
こんな簡単に、あっさり騙されてくれるほのかは、やっぱりどこか、うさぎみたい。
さっきの”アクシデント”をノーカンにした、ケーキの甘い魔法。
はじまったばかりの夏休みのそのほとんどを、あたしはほのかと一緒に過ごした。
「あぁぁ…私生きててよかった…」
「なんでよ」
マイクを置くあたしを、羨望の眼差しでほのかが見つめる。中間テストの息抜きに来たカラオケボックスで、他の友達が歌っている間中、ほのかはずっとあたしに力説する。
「凛としてミステリアスで、その上歌も上手くて……ほんと、なんなの……」
「ほのかの歌だってかわいらしいじゃない」
今流行りの女性アイドルグループが歌う恋の歌、なんて。あたしにはとてもじゃないけど歌える自信がないわ。
「ゆっこだってりなっちだって、私なんかよりずっとかわいく歌うじゃん……」
「それでも、ほのかの歌はかわいいわ」
「ダメダメだよーどうせ私なんてーうー!」
「そんなことないと思うわ。少なくとも私は、だけど」
「そうだ!きよみちゃんアイドルになろう!?」
「あたしがアイドル?」
「そう、絶対そう、きよみちゃんがアイドルになったら、私マネージャーやるから!」
「マネージャーの方がアイドル向きって言われるのがオチだと思うけど。ねぇ、ゆうちゃん」
ちょうどトイレから戻ってきた友達にネタを振る。友達も、笑いながらそうだと言う。
「ほのかは自分の魅力を理解してないんじゃない?」
「あー、だねー。きーちゃんの言うとおりだよねー」
「ええ」
「えー、ウソだー」
信じられないことに、ほのかと一緒にいると、あたしにも友達ができる。14年生きてきて、こいつらならまあ、友達と呼んでも差し支えないかな、と思えるような気のいい友達が。放課後にこうして、カラオケボックスで盛り上がるような、そんな普通の学生のような友達が。
それはおそらく、ほのかの影響なんだろう。ほのかのまとうふんわりとした魅力が移り香のように、あたしにもいつの間にか染み付いていたんだろう。この二人も、最初はあたしのことを「怖い人」としか思っていなかったって言ってたし。実際そう思われていても、あたしは痛くもかゆくもなかったんだけれども。今は、ちょっと、嫌だけど。
「でもきーちゃんのルックスは、どっちかっていうとアイドルより女優とかモデル向きじゃない?」
「だよね!?だよね!?私もそう思う!きよみちゃん、1学期に告白とかされてたし、スタイルいいし」
「えー!?誰に、誰に?」
「昔の話よ」
「きゃーーー!!きーちゃんかっこいいーーー!!クール!しびれるぅー!」
「ちょっとー、私まだ歌ってるんですけどー?」
曲の間奏に、リナがマイク越しに文句を言う。みんな笑う。そこには裏切りも嘲りもなかった。ただただ楽しい時間だけを、あたしたちは共有した。
ほのかと二人きりになる時間は減ったけれども、でも確かに、あたしの中にほのかがいて、ほのかの中にはあたしがいた。あたしはずっと、ほのかが好きだった。ほのかだけは特別だった。
「そいえばリナ、図書室の人はどうなったの?」
歌い疲れたあたし達は、フリードリンクをすすりながら恋バナに花を咲かせる。
「まだ……てか、名前もクラスも知らないし……」
もじもじとストローをもてあそぶリナを、ほのかが脇から小突く。
「話しかけちゃえ!あ、あの、その本、いいですよね、って」
「できるか!だいたい、あの人の読む本、私読んだことないし」
「何を読んでいるの?」
「きよちゃんならわかるかな……最近出た、30歳だか40歳だかいう本」
「45歳?」
「それ、だと思う」
「有名な作家の作品ではないし、ドラマ化も映画化もされているわけじゃないその本を選ぶ、っていうことは多分」
「多分……?」
「年上好きなんじゃない?」
「なにそれーーーー?!」
あたしも読んだ事はないから、話はよく知らないけれども。こうして友達を笑わせるくらいならできるし、ほのかの為にも、そうしたいと自然に思えた。
「読んでみたら?憧れの人が好きなものに触れて、自分の知識が増えて、近づけるかもしれない。プラスになることはあるけれど、マイナスになる要素はないんじゃない?」
「きよみちゃん、カウンセラーになろう?」
「何よ、アイドルの次はカウンセラーなの?」
「なんなら占い師とか!」
「何がなんなら、よ」
ほのかはいつも、あたしの知らないあたしを手にとって、これがあたしだ、って見せてくれる。ほのかの事を好きになる度に、あたしはあたしも好きになる。これが愛情じゃないというなら、多分この世に愛情なんて存在しない。
あたしはほのかを愛してる。あたしはほのかから愛を感じてる。ほのかとあたしの間には、友情と愛情を混ぜた色が常にある。3年になってクラスが別になっても、あたし達の間にある色は変わることなく褪せることなく、そこにあった。
あり続けることは、できなかったけれども。
「……なんで?」
「うぅ……ごめんね……」
「謝ることじゃないでしょう?」
それに、ほのかは悪くない。むしろほのかは被害者だ。……まだまだ子供で、親の庇護下にあるあたし達には、どうすることもできないものの方が圧倒的に多い。例えば親の都合だったり。
例えば、親が離婚したり。
「私も……いっぱい、考えたんだけど」
「うん」
「きよみちゃんには、ほんとにたくさん、勉強教えてもらったりして」
「うん」
「学年8位になれたのは、きよみちゃんのおかげだし」
「うん」
「だけど……」
「それと、志望校のランクを下げるってのが、つながらないんだけど」
「うちってほら、妹も弟もいるから」
「うん」
「私ばっかり、進学にお金かけられないな、って」
「……そうね」
「ごめんね、ほんとに」
「だから、謝ることじゃないでしょ?」
「だって……っ」
ポロポロと涙を零すほのかの頭を、あたしはなでてあげることしかできない。長くて綺麗なほのかの髪の毛を、なでてあげることしかできない。あたしが大人だったら…ほのかの言うような意味じゃなく、自立した、一人の大人だったら…。ほのかに、大好きなほのかに、こんな顔なんて絶対させない!守りたい。守ってあげたい。ほのかを、最愛の人を。
「あたしには、ほのかを守ってあげられるほどの力は、ない。でも、奨学金とか、推薦とか、ないの?」
ほのかが静かに首を振る。……そうね。あなたはそういう子だったわ。あたしがそうしたんだもの。わからないことは自分で調べられるように。頭のいい子に。
「……行きたかったな……きよみちゃんと同じ学校……」
あたしの記憶の中で、中学生のほのかの表情は、とても悲しそうに微笑んだままで残っていた。
ほのかの両親の離婚を機に、あたしがほのかの部屋を訪れることはなくなった。一緒に帰ることはあったけれども、受験対策の塾通いで、あたしは放課後に遊ぶ時間がとれなくなっていた。あたしだけじゃない。リナもゆうちゃんも、塾に通うだけの経済的余裕がないほのか以外は全員、2年生のときみたいに集まって騒ぐような余裕はなかった。
ほのかはほのかで、働き始めたおばさんの代わりに、まだ小さい兄弟たちの為に家事をやったり、新聞配達なんかで少しでもお金を稼いだりしていたみたいで。それなりに、忙しくしていた。
今思えば、放課後みんなで遊んでいたあの時間は幻だったんじゃないか、って思っちゃうくらい。あたしの中のほのかはずっと愛おしいままだったけれども、ほのかからの愛情をダイレクトに感じていたあの頃と違って、あたしの中には癒えない渇きがあった。ずっと。ずっと。
卒業式でちらっと見かけたほのかのおばさんは、少し年をとったようにやつれていた。
あたしを見つけて、ほんの少し会釈をしてくれた。あたしも会釈を返す。
――あんたたち大人がしっかりしないせいで、ほのかは……!
喉元まで出掛かった醜い言葉を飲み込めるくらいには、あたしは大人になっていた。
感情と人の波を掻き分けて、あたしは向かう。校門であたしを待つほのかの下に。
「合格おめでとう、ほのか」
「きよみちゃん!!きよみちゃんも明藤合格おめでとう!」
「まぁ、当然よね」
「あー!きーちゃん、ほのちゃん!」
「ゆうちゃん!リナは?」
「…彼氏に第2ボタンねだられて困ってたからおいてきた!」
「それ逆じゃないの!?」
ケラケラと笑うほのかは、いつものほのかだけど、ほのかの中にあたしがどのくらいいるのか、もうあたしにはわからなくなっていた。
「まさか図書君が1年生だったとはねー」
「今は2年生じゃん」
「というか、未だに図書君って名前なのがね」
いいのよ、リア充はほっといて。投げやりに言い放つゆうちゃんの後頭部を、リナの卒業証書がポカリとたたく。
「図書君じゃなくて俊哉君!」
「ちょ、図書君って今言ったのきーちゃんだってば!」
「私を見捨てた罰でーす」
「あはははは!!リナも合格おめでとう!!」
「いぇーい!」
満面の笑みでピースをキメたリナのブレザーに、第2ボタンはなかった。
「ふふ、ボタン取られたんだ」
「うん、先輩がいなくても俺にインスピレーションをくれるように、って」
「あ、相変わらずわっかんない子だよねぇー…」
「でも図書君らしくない?」
「と・し・や・く・ん!」
卒業証書の筒を構えるリナを、あたしは少し警戒する。穏やかな笑いがあたし達を包み込んだ。
「ねえ、どうせ家近所なんだからさ、またこうやって4人で遊べるよね」
高校違っても――…。
少し寂しそうに、そう付け足して言うほのかを、あたしは直視できなかった。
「あったりまえじゃーん!ねー、リナ!」
「そだよー!」
「……ふふ、当然よね」
そうだといいのに。それが当然だったらいいのに。
少し大人になったあたしには、それが子供の発想だって、わかっちゃってたんだよね。
もしかしたら、あたし達みんな、わかっちゃってたのかもしれない。
だけど、だから、確かめたかったのかもしれない。安心したかったのかもしれない。
今まで過ごしてきた時間が全部なかったみたいに、思い出が、時間に晒されて劣化していって最後には
消えちゃうみたいに
そんな風になってほしくない、って。思ってたのかな。
形だけの約束でも、形があるだけまだマシで。
お別れは、いつだって寂しい。
あたしにとっては、そっちの方が当たり前。
それでも、あたしは忘れない。
あたしはほのかが大好き。ずっと好き。ずっと好きよ、ほのか。
高校生になったあたしは、また相変わらず「怖い人」って思われたまま、それでもそれなりに、普通の高校生として生きていた。
ほのかのいない学校で、どうやって笑えっていうの?
ほのかのいない日常に、どうやって馴染めばいいっていうの?
頭だけはよかったから成績で怒られることもなかったし、バカ騒ぎすることもなかったから目をつけられることもなかった。言い寄ってくる男はまぁ、それなりにいたけれど……ありえないわよね。だって、ほのかじゃないんだもの。
高校生になったあたしは、高校生になってもずっと、ほのかに捕らわれたままだった。
だから、嬉しかったんだよね。
ほのかから、久しぶりに会いたい、って連絡来たの。すごく浮かれてた。
でもね。ちょっとでも考えたら、わかりそうなものじゃない?
2年生になって、久しぶりに会いたい、って。
ほのかの性格をよく知ってるあたしなら、絶対気付けてたはずじゃない?
でも、浮かれてたから。わからなかったな。
カラオケで、ほのかが、聞いたこともないような歌声で、あたしの知らない歌を歌うまでは。
抱きしめたほのかに、あたしの知らない香りが混ざっていることに気付くまでは。
”友達のキス”が、あの時の、あの1回だけのキスよりも、ずっと手馴れているって気付くまでは。
「私ね、彼氏できたんだ!今度紹介するよ!」
そう。
「きよみちゃんは?彼氏できた?」
……そうね、失恋もしたけれど。
「えへへ……きよみちゃんに、一番最初に教えたくってさ!あっ、リナ達には内緒だよ?まだね。きよみちゃんが、なんだかんだで私にとっては一番特別だから!」
……ふふ。私もよ、ほのか。
「でもねー、彼氏ちょっと頭悪いっていうか。勉強苦手?みたいで。私が昔、きよみちゃんに教えてもらったみたいに、私いっつも問題出してるんだよ!」
あたし、役に立ってるんだ。
「うん!これなら、一緒の大学に進学できそうだな、って。バイトもしてね、ちゃんと資金貯めてるんだよ!あ、そだ、これ私のバイト先ね!よかったら今度遊びにきて!彼氏も働いてるから、もしタイミングが合えば、遭遇のチャーンス!かも」
……楽しみにしてるわ。
「っと、そろそろバイトの時間だ、バタバタしちゃってごめんね!また今度、4人で遊ぼう!ではでは、いってきまーっす!」
ありふれた話よ、ほんとに。あたしはあたしのままで、あの子はやっぱり人気者。誰からも愛される明るさと、誰かを惹きつけるようなふんわりと香る、あたしの知らない魅力を持ち合わせた。
あたしの知ってるほのかの中身を、あたしの知らない”誰かさん”が、変えてくんだ。
あたしの知ってるほのかの中身が、あたしの知らない”誰かさん”を、変えてくんだ。
あたしの知ってる、この世界のどこかで。
ありふれた話ね。
あたしは、4年越しの初恋に、ついさっき、やぶれたばかりの女の子。
ね?どこにでもある話でしょ?