雑草たちの叫び...
本作品には残酷的な描写、差別的な表現が含まれています。
お読みになる際はその事を踏まえて頂けると幸いです。
暗闇の中、彼は全力で走っていた。
息が乱れ、気管支系が苦しくても。脚は既に限界で、今にも倒れそうな状態でも、彼は動きを止めることは無かった。
目的地など無い。ただ、遠くに行かなくては。
人の気配が殆ど無い、既に廃墟とした町中。だが、周りの環境を気にしている余裕など、彼には無かった。
「!?」
脚に、全身に違和感を覚えた瞬間、激しい音と共に彼は地べたに張り付いていた。
荒れたコンクリートの地面に出来た段差。それに気付かず、足を引っかけてしまった。
「はぁ、はぁ……」
一度止まってしまった身体は、もう疲労に逆らうことが出来なくなっていた。
動きたくても、身体が言うことをきかない。
「くそ……」
叫ぼうにも、声が思うように出ない。
「なんで、なんでだよ……」
絞り出した声には悲壮と、絶望。
「なんで、なんでなんだよ……!」
救いの無い叫びに答える者など、いなかった。
止まることの無い人口増加。消費し尽くされる資源。壊される緑と汚染される環境。公害病が広まるが、誰も止めることが出来なかった。
人口が100億を超えた辺りから、人々は、考えた。
“人間は、多すぎないか?”と。
ならば、減らせば良い。
囚人、凶悪犯罪者はすぐに処分された。無駄な時間は要らない。判断までの時間が長くなるほど、限りある資源が潰されていくのだから。
だが、焼け石に水だった。効果を知ろうにも、人間そのものが多すぎる。
もっと、減らす必要がある。
では、どうやって?
故に、考えた。
そもそも、人はここまでの数が必要なのか?
今生きている人間、全員、価値ある存在なのか?
人々に有益なものを生み出す秀才や、政治などで導く優秀な者が入れば、志半ばで消える者もいる。そして、誰の、何の役にも立たない存在。
役立たず。その様な人間に、価値はあるのだろうか。限りある資源を使うべき存在なのか。
それよりも、今後の人や地球にとって有益な者に使うべきでは無いのか。
ならば、処分するべき存在は、決まった。
そこからは早かった。
処分を正当化できるよう、法は変えられた。
変えられた法に基づき、人は動いた。
そして、多くの人間が処分された。
同時に、当然だが批判が生じた。
処分された人たちは、何もしていないのだ。罪を犯したわけでもない。なのに、殺された。
罪の無い人々を殺すのは、殺人と同じだ。と。
そして、あらゆる国で過激なデモが発生した。
だが、デモは、国家批判。即ち、犯罪だ。
犯罪者に、容赦する必要は無い。
国々の意向に従わない人間は、ゴミも同然。ゴミは処分されるべきだ。
既に、世界はその方向で進んでいた。
それでも、人々は批難を止めない。
そんなとき、ある人は言った。
人は、綺麗に咲く花は愛でる。だが、雑草には何の感情も無く踏みつぶす。それと同じだ、と。
百ある雑草より、一の花に価値を見いだす。
雑草は刈られ、排除される。そこに、誰も何も疑問を持たず。
即ち、今の人間は、花と雑草だ。
花は守られ、雑草は駆除される。
故に、我々の行いは、正しい。
その考えに賛同する者がいれば、否定するものもいた。
否定するものは、限りなく処分された。
あるとき、分かったことがあった。今の法を否定する者の多くが、所謂雑草だった。
花は、何も言わなかった。
花は、花という理由で多くの金と資源を与えられた。
花である限り、彼らは守られる。幸せでいられる。
否定する理由が、無かった。
そうして、人口は順調に減っていき、安定してきた。
数十年経つ頃には、それが当たり前になってきた。
自分が、生きる価値の無いと分かった者は、大人しく処分を受け入れるものもいた。中には、自ら命を絶つ者。
時に、抗う者。そういう反乱分子には、専用の駆除者が用意された。
そうして、順調に除草が続けられた……。
子供の頃から、勉強は良く出来る方だった。
正確には、学校の成績は、だった。
頑張ればそれに応じてテストの点数が上がった。そうしていく内に授業中も積極的に手を上げるようになり、スラスラと問題を解いていた。
素行も決して悪くなかった。真面目で、成績が良い。親や教師からの評価は良かった。それが嬉しくて、もっと頑張るようになった。
高校も良いところに行き、そこでも成績優秀者としてみんなから褒められた。大学にも浪人すること無く行って、留年にも無縁で、教授からの評価も良かった。だから、就活の際、大学の推薦枠を難なく使えた。そのおかげで、就職活動も楽に終わった。
劣等者が雑草として処分されるルールは知っていた。思い返せば、何人か周りから消えていた気がした。
けど、自分には関係ない。そう思っていた。
このまま順調に進んでいくんだ、と。
そこから、何かが、違った。
頑張っても空回りする。そうして何度も上司や先輩から怒られた。
それでも、頑張った。
けど、途中からよく分からなくなってきた。
考えてみれば、今までは確実に答えがあるものに対して頑張っていた。
決められた答えを出せるように努力する。テスト、受験、就職活動。全てそうだった。どれだけ時間が掛かろうと、決められた時までに答えを出せる様になっていれば良かった。
けど、会社では違った。
頑張っても、時間が掛かってしまっては怒られる。じゃあスピードを重視したら、もっとよく考えろ、と。
考えても分からないことがあった。だから相談した。けど、ちゃんと自分で考えろと返されるだけだった。そうして自分の考えで進めたら、なんで勝手にやったんだ!とまた怒られた。
そのうち、周りの人間の声や目が、今まで知らなかったものになった。
なんだか冷たくて、苦しかった。
あるとき、たまたま耳にした。真面目なのに何も出来ない、と……。
そんなことはない。だから、意地でも頑張ろうとした。
けど、どうしても思い通りにいかなかった。
なのに、周りの人間は上手に、器用にやれている。
自分より明らかに不真面目そうで、だらしなさそうな奴でも、効率良く且つ上司にとって納得できる結果を出せる奴は、認められ、みんなから気に入られていた。
納得出来なかった。
だから、なんとかして見返してやろうと、認められようと、頑張った。
たとえ時間が掛かろうと、いつかは……。
ある日、通知が来た。
それを見た瞬間、頭が真っ白になった。
処分通知。
国に、死ねと言われた。
なんで?どうして?これまでは上手く行っていた。
まだ、やりたいことはある。
死にたくない。
けど、通知の結果を覆すことは出来ない。
叫んだ。何も変わらないのに。
全身が震えた。めまいがして、吐き気が生じた。
突然の、死刑宣告。恐怖しないわけがない。
でも、なんで?なんで自分が?
そうして気付いたら、部屋を飛び出し、走っていた。
逃げなければ。
全てを捨てて逃げなければ、殺される。
自分の人生を否定された恐怖と絶望に押し潰されながら、走った……。
「……、ここ、は?」
目の前に広がる、建物の屋根。ハッキリとした明かりは無いが、今居る場所が屋内だということはすぐに分かった。同時に、分からないことが生じた。走っていたとき、躓いた衝撃で倒れ、起き上がれなかったはず。なのに、なぜ?
「起きた?」
「!?」
耳に入った聞き覚えの無い声に、一瞬のうちに意識が覚醒した。同時に、激しい警戒心が宿る。
「大丈夫、君と、同じはずだから」
「同じ……」
「雑草、だろ」
その言葉に、何も言えなかった。
「そうだよね。ここに来る人間って、そうなんだよ」
「……長い、のか?」
「そろそろ、一週間、かな」
即ち、一週間は逃げていた、ということ。逃げ出して間もない彼にとって、その期間が長いのか短いのかの判断はできなかった。
「なんとなく逃げたけど、でも、それだけだった」
「これから、どうするんだ?」
知りたかった。これからの、自分のために。
「知って、どうするんだい?」
「……」
そんなのは、分からない。ただ、死にたくない。
「君は、最近、そう判定されたのかな?」
「……ああ」
「じゃあ、教えてあげるよ。何も、できないよ」
「っ!?」
聞きたくなかった言葉だった。何も、出来ない。それはつまり、価値が無いということ。
「だって、そうだろ。じゃなきゃ、処分の対象にはならない」
「だったら!なんで、あんたは……!」
「最初は、今の君と、同じだったよ」
今の君、という言葉を聞き、胸が締め付けられる程の苦しみを感じた。下された判定に納得できず、死ぬのが嫌で、逃げだしたから……。
ある日、ある時、もう価値が無いから死ね、と言われた。当たり前のように。
それを、「はい、分かりました」と受け入れろ?出来るわけが無い。だが、それをしろというのが、今の世。
なぜ?なんで死ななければならない?価値が無い?誰が、どうやって、なんで決めた?
「納得できないかもしれないけど、もう、覆せないんだよ」
「……」
「俺はさ、薄々分かってたんだ」
「どういう、ことだ?」
「これでも、会社員だったんだ。けど、うまく出来なかった。何度もやり直したり、注意されたり。時には、あからさまに馬鹿にされたよ。気付くと、周りからは陰口言われたり。自分、何のために働いてるんだろう、って何度も思った。そしたら、通知が来てね……」
それを聞いて、彼はゾッとした。自分と、同じだと。けど、同時に理不尽さも感じた。二人とも、それだけ、だろ、と。それだけで、どうやって、価値が無いって判断したんだよ、と。
「残酷だけど、今の世の中、価値は自分が作ったり見出したりするんじゃない。他人が判断するものなんだよ。どれだけ自分が頑張ろうと、多くの他人が判断すれば、それが正解になるんだ」
「そんなの……!認め、られるかよ……!」
「うん。認められない、よね」
優しく、悲しそうに言う表情を見て、恐怖を覚えた。なぜ、そんな風に言えるのか、分からなかった……。
「認められない。でも、冷静になればなるほど、分かってしまうんだ。自分の、価値の無さに……」
何を、言えばいいのか、彼には分からなかった。
肯定も否定も出来ない。
擁護しようにも、目の前に居る彼のことを、何も知らない。
「だから、自分は死ぬべきなんだって、やっと理解できた」
「おい!」
「どうせ死ぬんだ。なら、せめて自分で決めたい」
「やめろ!!」
「ありがとう」
その言葉のすぐ後に、彼は窓から姿を消した。
今まで聞いたことの無い鈍い音が、聞こえた。
「なんで……。なんで、だよ……」
自分のすぐそばで、自分と同じ境遇の人間が、命を絶った。
身体が震える。心が恐怖で押しつぶされそうになる。
けど、立たなければならない。立って、走らなければ。
でないと、次は、自分が……。
そう思った瞬間、すぐに立ち上がり、そして、走った。
ただ必死に。
先ほどのことを捨て去ってでも。
自分は、死にたくない……!
微かでも、残る気配がある。
なら、それを追っていけばいい。
そうすれば、獲物を見つけることができる。
手段など問うな。感情もいらない。
これは、仕事だ……。
あれからどれだけ走ったのか、分からない。
だいぶ遠くへ行った気はする。けど、ここで立ち止まるわけにはいかない。
いつ殺されるのか分からない。だから、もっと遠くへ……。
……どこまで遠くへ行けば助かるのか。彼には分からない。でも、死にたくないなら、もっと逃げ続けなければならない。
脚が折れようとも、肺が潰れようとも、視界がうつろい壊れようとも。
だが、彼は人間だ。人間である以上、限界が来る。
震える脚。苦しくなる呼吸。それにずっと耐えられるわけない。
廃墟の壁に手を付き、膝を落とす。
手を胸に抑え、呼吸を整えようとする。
だが既に限界に達していた身体は、簡単には回復しない。
一度休みを感じた身体は、それをより求める。
先ほどまで動いていた身体が、鉛のように重く感じる。
このまま倒れて、寝てしまえば、どれだけ楽だろうか……。
けど、その欲望には抗う。それだけ、彼はまだ生への執着がある。
故に、重い身体に逆らいながら、歩き続ける。
そうしてしばらく歩き続けた。全身は重く、歩幅も非常に小さくなっていった。さすがに少し休まなければならない、そう思い近くの廃墟の中へと侵入した。
こんな場所でゆっくり休めるのか、という思いはもちろんあった。だが、そんな我儘をいえるような状態ではない。欲を出した瞬間、待っているのは、死。
なら、辛い環境も耐えなければならない。
そんな状態になった自分の境遇を呪いながら……。
階段下のところに物が乱雑に置かれていて、ちょうどそれが良い具合に隠れられそうだと思った。故にそこまで歩き、ゆっくりと腰を下ろした。
極限までの疲労とストレスを抱え続けていた身体は想像以上に疲弊しきっていた。このまま起き上がることができないと思えるくらい身体は重く、息も細々とするのがやっとだった。
もしこの状態で通報されたら。最悪、駆除者が来たら。
だが、そんな思考も働かないほどに疲れていて、彼はそのまま深い眠りに落ちた。
どれだけ寝られたのかは分からない。ただ、自分の感覚を認識することで、まだ生きていることは分かった。意識が覚醒していくことで、激しい空腹と喉の渇きを感じた。
思えば逃げ出してから食事などしていなかった。それを思い出すことで、更に空腹に襲われるような感じがした。
だが、どうすれば食べ物を得られるのか、今の彼には分からない。だから、どうすることも出来ない。
とはいえ、このままでは餓死の可能性が生じる。いずれは何かしらの手段で食べ物を得なければならない。
だが、今はまだ空腹は耐えることが出来る。一番の問題は喉の渇きだ。
乾きすぎた喉は焼けるような痛みとなっている。呼吸する度に喉を刺激する。その痛みにより咳き込むが、更なる激痛となる。
なんとかして水を手に入れなければならないが、この様な廃墟地域に水道など通っていない。最悪、泥水を啜るしかない。
改めて絶望を感じるが、ふと、今の周りの状態に疑問を抱いた。
自分が寝床とした階段下の物置スペース。物自体は乱雑に置かれているが、埃やカビといったものが見られない。
いや、よく見れば多少の埃はある。だが、この様な場所なら息が苦しくなるくらい積もっていてもおかしくはないはず。
そこまで思ったとき、ある考えに及んだ。
もしかして、この辺りには人がいるのではないか、と。
それなら彼が感じた不自然な環境が、当然のものになる。
それに、もし人がいるなら、水の在処も知っている。
僅かな可能性にかけ、彼は立ち上がり、未だ重い身体を動かすことにした。
まず、階段を見てみた。
「うわ……」
表面は既にボロボロで、至る所にカビ、金属箇所にはサビが生じている。よくこんなところの下で寝られたものだ、と思った。
だが、この様子を見るに、恐らく上の階は何も期待できないだろう、と思えた。
耳を澄ましてみても、特に人の気配は感じない。なら、これ以上ここにいる意味はない。
ゆっくりと歩き出し、この建物から出た。
100m程歩いたところに、小さな建物を見つけた。
何の特徴もない、ただの廃屋。だが、彼はそこに人がいるような気がした。
単なる勘、ではない。というのも、周りを見渡してみると、壁や地面には朽ちた箇所から草が生えていたり、サビも見える。だが、この入り口付近にはそれらが少ない。
即ち、人がよく出入りしている可能性がある。
少し悩み、足を踏み入れることにした。
ゆっくり、なるべく大きな音を出さず。
そんなとき、ふと、気配を感じた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間、自分に向かって何かが襲いかかってきた。
回避のため、咄嗟に身体を前にやった。だが、疲労により身体のバランスが上手く保てず、そのまま床に転げ落ちてしまった。
だが、このまま寝そべるわけにはいかない。彼に向かってくる何か、いや、人は、未だ彼に対し敵意を向けている。
身体を捻らせ、転がることで相手との距離を取る。だが、それで取れる距離など対したことはなく、すぐ距離を詰められてしまった。
自分へ襲いかかった人は、少し痩せ細った男性だった。無造作に伸びた髪と髭の為年齢はよく分からないが、まだ若い感じがした。
その男は彼に跨がり、左手で襟元を乱暴に掴み、右手にはボロボロに錆びた小さな鉄パイプを持っていて、それを彼の顔に向けていた。
「ま、待て……!」
「う、うるさい!」
狂気、恐怖。それらを感じさせる男の目はただ彼に向けられている。彼の言葉を聞く余裕など、無い。
このままでは、殺されてしまう。そう思った瞬間、全身が震えた。
「おぎゃぁぁ!うぁぁぁぁ!」
「!?」
そんなとき、遠くから微かに、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
その声が発せられた途端、男は泣き声の方向に顔を向けた。
男はすぐに彼へ視線を戻すが、彼は生まれた瞬間の無駄にはしなかった。
右手で自分の襟元を掴んでいた左腕を掴み、左手で鉄パイプを持つ右手を抑えつけた。
「く、くそっ!」
「頼む、聞いてくれ!」
「うるさい!」
二人が大きな声で騒ぐことで、より一層赤ん坊の泣き声が強くなった。
「俺は、お前に何もしない!」
「うるさい!信じられるか!」
「ほ、本当だ!俺は、お前と同じだ!!」
強く、大きく叫んだ。喉の痛みなど忘れるほど強く。
それを聞いて、男の力が弱まったのを感じた。
「おな、じ……」
「そうだ……!この間、通知が来て、それで、逃げ出してきた……」
「……」
「衝動的に逃げて、何も、水も食料も持ってない……。だから、もし人がいるなら、一口だけでも、水が欲しかったんだ」
策など無かったが、この状況下、嘘をつく意味は無かった。故に、彼は正直に自分の状況と要求を簡潔に伝えた。
「俺らと、同じ……」
誰に聞かせるでもない呟きを発し、しばらく、二人の間に沈黙が生じた。
その間も、赤ん坊の泣き声は止まらない。
そうしていると、男は彼を強くにらみ付けながら、ゆっくりと離れていった。
解放された身体をゆっくりと起こし、男と向き合う。
「……来い」
短く言い、男は彼を奥へと案内する。
少し歩いて、薄暗い部屋へと入った。そこには先ほどから泣いている赤ん坊と、その子を抱く一人の女がいた。
「……」
「これを、やる」
男が渡したそれは、500mlの飲料用ペットボトルに入った水。
「こんなに……。いいのか?」
今までの生活だったら、大した量ではない。だが、水の得る方法が分からない今の状況では、非常に大量のように思えた。
「雨水を溜めたものだ。健康的な保証はできないが、無いよりはいいだろう」
「……ありがとう」
「頼む、すぐ出て行ってくれ」
受け取ってすぐ、男から発せられた言葉。どことなく苦しさがあるように思えた。
「……あの赤ん坊は、あんたの子か?」
「そうだ」
「……」
どうしても気になっていたので、一応聞いてみた。回答は、予想通りだった。
だが、それだけ。それ以上、何を聞けば、何を言えば良いのか、分からなかった。
「……俺たちは、学生の時から、付き合っていたんだ」
「……ああ」
「けど、数年前通知が来て、それで、二人で、逃げ出した」
「そうか……」
「ここはもう1年くらいになる。けど、そろそろ離れないといけないと思っている。定住すると、見付かる危険性も高まるからな」
同じ場所に居続ければ油断も生まれかねない。そういう意味では定期的に離れる必要があるのかもしれない。
これから逃げ続ける生活になる彼にとって、その言葉は重くのしかかった
「例え逃げ続ける人生でも、俺は、あいつとあの子を、守りたい……」
「分かった」
なら、自分はもういるべきではない。彼はそう思った。
もらったペットボトルの蓋を開け、一気に飲み干す。
これからまた歩き続けるためにも、まず喉の痛みを抑えなければならないと思ったからだ。
飲み干して、呼吸を整える。身体は重く、空腹も苦しいが、なんとか歩くことは出来るだろうと思った。
そうして気持ちを切り替え、出口へ向かおうとしたその時だった。
遠くから、銃声が聞こえた。
「まさか、駆除者か!!」
男の叫びにより、彼は我に返った。同時に、想像を絶する恐怖が生じた。
「くそっ!……お前かぁ!!」
その言葉と共に、男は両手で彼の胸元を激しく掴んだ。
その目は激しい怒りと恐怖に満ちており、先ほどとは比較にならないほど強い眼光だった。
「そんな……。いやっ!」
女の苦痛に満ちた悲鳴。同時に、抱いていた赤ん坊がまた泣き出した。
「お前のせいで来たんだ!お前が行け!」
「そ、そんな……!」
男の言う通り、恐らく彼を追ってきてここまでやってきたのだろう。だから、自分が行くべきだと思う。
「……分かった。だから、離してくれ」
そうして男は手を離し、彼はゆっくり出口へと向かい、外へ出た。
もし気のせいでなければ、銃声は彼の右手方向から聞こえた。なら、その方向に行けば、水をくれた彼らは逃げられる可能性がある。
だが。
「!?おい!」
彼は、銃声とは反対の左手方向へ全力で走った。
「ふ、ふざけるなぁぁぁぁ!!」
男の咆哮を意識している余裕など無い。
ただ、逃げるしかない。
水をくれた恩も義理もかなぐり捨てて、彼は自分の生への執着を優先した。
男は追ってこない。当たり前だった。彼を追えば、女と赤ん坊が危険に晒される。
「くそがっ!……おい!俺が囮になる!お前は隠れてろ!」
男はすぐ部屋に戻り、女にそう伝える。
「でも!」
「ここで二人とも死ぬわけにはいかないんだ!!」
そう叫んで、男は鉄パイプを持って銃声がした方向へ走っていった。
多分、自分は死ぬ。けど、それで二人を守れるなら。と、自分に対し必死に言い訳をしながら、男は全力で走った。
再び、銃声がした。今度は先ほどよりも近く、ハッキリ聞こえた。
恐らく、相手はもう自分に気付いている。今のは警告でもあるのだろう。
相手を不意打ちして殺せればいい。そうすれば自分も助かる。だが、相手はプロの人間。そう簡単にはいかない。
けど上手く行く可能性を捨てることは出来ない。走るのを止め、壁伝いに、ゆっくりと足を動かす。
銃声は聞こえない。それどころか、気配も感じられない。
もしかして、まだ距離があるのかもしれない。なら、どこかで待機しつつ、相手を探すのが良いかもしれない。
そう思った瞬間、より近い距離から銃声が聞こえた。
同時に、男の足から血が噴き出した。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!」
突如訪れた激痛。激しい叫びと共に、血が噴き出した箇所を両手で強く押さえる。
何故だ。気配は無かった。どこにいた。
「……任務対象の獲物では、無いな」
その声と共に静かに近づく存在。駆除者、と呼ばれる男。近付いてくる足からは音は全くせず、そのことがより一層恐怖を強めた。
「くぁぁぁぁ!くそ、がぁ……!」
逃げ出したい。だが、男が撃たれた箇所は、脚。動かそうとするほど激痛が走る。走るどころか、起き上がることさえできない。
「……お前は、……そうだ、間違いでなければ、一年以上前に逃げ出した者だな」
「!?」
自分のことを知っている。それは即ち。
「もしそうなら、お前ともう一人いるはずだ」
「……知らねぇな」
誤魔化さなくてはいけない。必死で頭を使い、この男から彼女と子供を隠さなくては。
「嘘を言うな」
「嘘じゃねぇ。はぁ、……っ、すぐに離ればなれに、なった……。一緒にいるほうが、危険、だからな……」
余計なことは言わない。ただ、今はもういない風で通せれば良い。そうすれば、余計な詮索はされないはずだ、と。
「……嘘だな」
「嘘じゃねぇ!!」
「残念だが、俺に嘘は通じない」
感情無く、男は言った。
「例えどれだけ口で嘘を言おうとも、目は誤魔化せない」
「……っ!」
「お前の目は、嘘を言っている。つまり、お前の他にもう一人いる」
「う、うぁぁぁぁぁぁぁ!!」
駆除者の男が言うなり、男は叫びながら襲いかかった。
痛みなど、どうでもいい。このままでは、二人とも、殺されてしまう。
今ここで、奴を殺さなければならない。
だが彼は難なく男の攻撃を避け、直後、男の首元に拳を入れた。
「がはっ!!」
拳の勢いのまま、男は床に叩き付けられる。だが、抵抗を止めるわけにはいかない。すぐに体勢を整えようと、顔を相手の方へ向けた。
「!?」
「……」
四発目の銃声が響いた。
泣き疲れたのか、子供は静かに寝ていた。
何度か銃声が聞こえてから、どの位が経ったのか、女には分からなかった。
それでも想像できたのは、きっと彼はもう死んでしまった、ということ。
悲しみ、恐怖、不安。逃げ出してから、ずっと守られて生きていた。これからどうすればいいのか、全く分からない。
だが、甘えてはいられない。自分の腕には、二人の間に出来た大事な子供がいる。この子を守らなければいけない。
そもそも、なんでこんなことになったのか。何故、自分たちは殺されなければならなかったのか。何も悪いことなどしていない。何も……。
どのくらい待てばいいのか、分からない。けど、今動いてしまうのは危険だと思った。幸い、子供は静かに寝てくれている。このまま静かに耐えていれば、きっと……。
「こんなところに隠れていたのか」
「!?」
微かな希望を打ち砕く、冷たい言葉が耳に響いた。
「赤子か」
「だから……。だから、何よ!」
「哀れだな」
冷たく感情の無い言葉。何が哀れだというのか。女の心には恐怖以外の感情、怒りが込み上げてきた。
「誰のせいで、こんなところにいると思ってるの!私は、私たちは、何もしていない!」
「何もしていない、じゃない。何も、出来ないんだ」
「そん、な……。何で決めつけるの!」
「決めつけじゃない。様々な審査、検証によるものだ。故に、お前達は処分対象となった。それだけだ」
「それだけ、って……。人の命を、なんだと思ってるの!!」
涙を滲ませながら、強く叫ぶ。
その叫び声により、赤ん坊は起きだし、激しく泣き始めた。
だが、今の彼女には、その子をあやすことは出来ない。
「……私を、殺すの……?」
「そうだ」
「彼は、殺したの?」
「ああ」
当然の様に言った。それが悔しくて、辛くて。歯を食いしばりながら、彼女は再び涙を流した。
「……お願い、この子だけは……」
「生かしてやる」
「ほんと……?」
「ああ、殺しはしない」
意外だった。彼らは残酷で、きっと子供にも容赦しないと思っていた。だから、子供は助けてもらえるということが、微かながら嬉しかった。
「雑草同士の間に生まれたとはいえ、教育次第で優秀な存在になる可能性がある。故に、子供は殺さない」
「は……?」
何を言っているのか、理解できなかった。
いや、本当は理解できている。ただ、それを認めたくない。だから、それ以上、言葉が出ない。
「安心しろ、政府直轄の教育機関に入るだろう。そこで優秀な人材になるためのプログラムの元教育を受ける。勿論、無駄だと分かれば処分される」
そして彼女が認めたくなかった事を、彼は、感情無く告げた。
「あ……、あ……、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁ!!!!」
恐怖、悲しみ、怒り、様々な感情が入り混じった、悲鳴とも言えない叫びを響かせながら、再び銃声が鳴った……。
あれからどれだけ走っただろうか。そしてここはどこなのか。何も分からない。ただ言えることは、どこにいようと、安全な場所など無いということ。
彼らはどうなっただろうか、と気にするも、そんな資格は無いと思い、考えることを止めた。
死にたくない。生きるためなら、しょうがない。
自分のための言い訳。心が潰される感覚を味わいながらも、彼は足を進めた。
だが、疲労が回復しきれていない身体は、早々に限界が来ていた。先ほど癒えたはずの喉は再び痛み始め、脚も棒のように思えてきた。
少し、休みたい。
そう思ったとき、また、銃声が聞こえた。
その途端、全身が震えた。汗が先ほど以上に溢れ出た。
休んでいる余裕など無い。彼は全身の力を入れ直し、再び走り始めた。
身体が重かろうと、息が苦しかろうと、止まるわけにはいかない。今止まったら、殺される。
再び銃声が響いた。先ほどよりハッキリと聞こえた。
全力で走ったはず。だが相手はそれ以上の早さで近付いてきた、ということ。
残酷だった。それでも、逃げなければ。せめて、どこかに隠れてやり過ごす。
走りながら、隠れられそうなところを必死に探す。
だが、また響いた銃声は更に近付いており、彼の思考を奪う。
考える余裕無く、気付くと路地裏に脚を進めていた。
このままでは、危険だ。
だが、引き返すことなど出来ない。
せめてどこかに隠れなければ。
そう思った直後に響いた銃声と、転がる物体。
もう、すぐそこに、いる……!
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
本能的に出た悲鳴と共に、角を全力で曲がる。
そして、目の前の壁、即ち行き止まりの状況に、一瞬のうちに絶望を感じる。
「もう、終わりだな」
後ろから感情の無い声が聞こえ、その方向に顔を、身体を向けた。
真っ直ぐ彼を見据えた目。ただ物を見るような、感情の無いものだった。
そして自分に向けられた銃口。今まで耐えていたものが壊れたのか、気付いたら彼は腰を地面に付けていた。
「本当に、殺すのか……」
「そうだ」
「何でだ……!」
「何故?雑草は処分する。それがルールだ。俺はルールに則り、お前を殺す。そこに特別な理由などいらない」
「ふざけるな!俺が、俺は何もしていないだろう!何か犯罪を犯したか!?誰かを傷付けたか!?真面目に生きてきただろう!何でだ!?」
彼は全力で叫んだ。例え見苦しく、現実が覆されなくとも、叫ばずにはいられなかった。
「お前の今までの過程など、どうでもいい。俺には関係の無いことだ」
「かもしれない!けど、夢くらいあるだろう!こうしたい!こうなりたい!その為に頑張るのは駄目なのか!!」
「お前は、馬鹿か?」
「なん、だと!?」
「頑張ることが正しいんじゃない。結果を出すこと、結果を出せる優秀な能力があることが重要なんだ。結果に繋がらない過程に、価値は無い」
無感情に、だがハッキリと告げられた、今の社会の真実。
頑張ることは手段であり、目的では無い。目的を達せられない人間は不要。今の世のルールはそれを述べているも同然で、実際そういう人間を処分することで、人類の増加を抑制している。
「うるさい!それでも、いつかは成せる!夢は叶う!希望を持つことの何が悪い!そうやって人は頑張ってきたんじゃ無いのか!!」
「ならお前は、その夢を、どう考えている?」
「は?どうって……」
「いつ叶う?いつ叶えようとしている?どうやって叶う?叶うために何をしなければならない?そしてお前は、夢の為に何をしてきた?」
「何を、どう、って……」
うまく、言葉が出ない。自分は頑張ってきた。こうしたいという想いだって持っていた。だから、努力してきた。
「言えないだろう。それが、雑草だ」
「……!」
「ただ想っているだけ。それは、子供でも出来る。優秀な人間なら、その為の手段を考え、行動する。だが、お前には無い。何も無いくせに、一人前に周りを見下そうとする。だから、お前は雑草となった。それが、現実だ」
「……う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
怒り、憤り、絶望。その全てが叫びとなってはき出される。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そしてその叫びをかき消すように、銃声は響いた……。
「報告は以上となります。事後処理の手配を願います」
短く用件を伝え、彼は携帯電話を仕舞った。
仕事を終えた後に訪れる静寂。既に慣れたが、これから先、決して好きになれるとは思えない。
こういう時、いつも思うことがある。神は不平等で、残酷だ、と。
もし本当に誰にでも平等というのなら、この様なルールが定められることはなかったはずだ。
誰もが同じ力を持ち、それを発揮し、みんなが幸せでいられる。
だが、現実はそんなことあり得ない。甘い汁を吸う者の下に、苦汁を味わう者がいる。
生きることは不平等である。誰かが優秀であるために、他の誰かが犠牲になる。今の法は、それを示している。
見方を変えれば、例え何であろうと優秀だといえる能力を見つけて、それを発揮すれば、認められる世なのだ。
そう思うと、あの彼は、哀れだったのだろう。
静寂に身を任せ、そっと目を閉じると、未だに彼が叫んだ言葉が耳の奥に響く。
世が世なら、彼の言葉は、受け入れられるだろう。
人によっては、道を示し、彼の助けとなったかもしれない。
しかし、そんなのは仮定でしかない。
結局、自分の能力を見出せなかった存在。
自分の理想にしがみつくあまり、それ以外のものを見ることが出来なかった。
だから、処分の対象となった。
ただ、それだけだ。
もしも自身に対する考えを変えていれば、抜きん出た能力を見つけることが出来たかもしれない。
ただし、その能力が、本人が求めるものかは別だ。
希望と現実は一致しないことなど当然だ。
しかし、例え本人の希望にそぐわなかったとしても、世の中が求めているのなら、それは認められ、重宝される。
そうすれば、生きることは勿論、安定した生活も保証された。
生きていれば、可能性はあるかもしれない。だから、そうやって生きることで、自分の理想を追い求めることも出来なくは無い。
そう、自分が、そうであるように。
対象の誰かを感じ取る才能。気配を殺して近付く才能。相手を攻撃するとき、感情を無くせる才能。
それが、それだけが、自分にある、突出したもの。
それがあるから、今を生きることができる。
だが、同時に、誰かを犠牲にすることが前提の人生でもある。
誰かを殺すことでしか、自分の存在意義を示すことが出来ない。
それでも、この世がそれを認めて、必要としているのなら……。
彼は、これからも殺し続けるしかない。
それが、今の世の中の決まりで、自分が選んだ道でもあるから。
そうやって、これから先も、彼は生きていく。
そこに、疑問も悲しみも苦しみも抱かない。抱く意味など無い。
それが、生きるということなのだから……。
この度は最後まで読んで頂いて誠にありがとうございます。
決して良い作品ではないと思いますが、何かしら感じて頂けたら、勝手ながら嬉しい限りでございます。
これからもよろしくお願いいたします。