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我が家に義母と義弟を迎えることになったわけだが、それなりに障害があり、なかなかうまく事を運ぶことができなかった。
事情が事情なだけにそれも当然ことといえるが、これほどに顔が似ているというのに、父とヴィルヘイムの血縁関係を疑う人間が出てきたのは何とも奇妙なことである。
単に、父が後妻を迎えるのをやめさせたいという意図があったからかもしれないが、同じ伯爵位の方に「他人の空似では?」と指摘されたと聞いたときは、ほとほと呆れ果てたものだ。さすがに見る目がない。
これほどに似ることは、なかなかない。
けれども社交界では、ヴィルヘイムを父の実子とみる人間のほうが少ないらしいので、仕方ないことでもある。(実際はそうだから、本当は見る目があるのかもしれない)
困っていることは他にもあって。
やはり我が家の使用人には複雑な想いがあるらしく、シンシアとヴィルヘイムに対してどことなくよそよそしいのである。あからさまに態度に出す人間はもちろんいない。さすがに立場を弁えている。
それでも、二人のことを受け入れがたいのだろうと思わせるには十分すぎるほどの雰囲気があった。
シンシアは、貴族としての在り方を学ぼうと教師に教えを乞うていたが、生まれ持っての素養というのは後天的に得るのが難しい。傍から見ていても四苦八苦しているようだった。
なるべく近くに居て、私が分かる部分は教えようと思っていたのだが。
自分自身が学んで覚えるタイプではなく、何となくできてしまう性質なため、理屈が必要な場面で指導するのに苦労した。
立ち振る舞いに関しては特に、口頭での説明が難しい。
一方、ヴィルヘイムは後継として父について学んでいる最中である。当主に付いて回る姿は愛らしいが、大人の世界に飛び込むには、いくら何でも幼すぎる。指摘したものの、私の苦言は無視。父が手取り足取り教えているらしい。
もしかして、息子ができたのが嬉しいのかもしれないと、今になって思う。
確かに、ヴィルヘイムは可愛い。
そんな弟は、学院にもまだ通っていないというのに忙しく過ごしており、ゆっくり話をする暇もない。
家令がどうやらあの子を色々気にかけていると知ったので確認しようと思っていたが、その家令とも顔を合わせることがなかった。
色々なことが停滞している。
そんなときだ。
街でイリアに会ったのは。
シンシアのために何か贈り物を用意しようと思ったのがきっかけだった。
礼儀作法の授業で何か嫌なことでもあったのか、最近ふさぎがちだったので、彼女の気分が上がるものを用意できないかと思ったのだ。
市井出身の彼女が実は街を恋しがっているのではないかとも考えた。だから、かつての生活圏を懐かしむことができるようなものがいいかもしれないと、学院の帰りに商店へ立ち寄ることにしたのである。
迎えの馬車を降りて、護衛と共に歩く。
広い通りを挟むようにして立ち並ぶ様々な店舗をガラス越しに見て回った。
普段は出入りの商人が屋敷まで商品を持ってくる。それらをずらりと応接室に並べるので、こんな風に店まで足を運ぶことは滅多にない。
それでも。
子供の頃は、勉強のためと母がよく連れ出してくれた。
そういう日はだいたい、屋敷へ戻ると父から「楽しかったかい?」と訊かれたものだが。内心、私たちが出かけることをよく思っていなかったのだろう。少し厳しい顔をしていたように思う。
それは別に、伴侶を屋敷内に閉じ込めておきたいとか、偏った考えを持っているからではない。
単純に、貴族の女性が単身で歩くのは危険だからである。そこに私のような幼い子供がいるのも心配だったらしい。父は、母と私を真綿に包んで、宝箱にしまっておきたい性質なのだ。
家族に対してはどこまでも慎重で、徹底的に守りの姿勢に入る。当主として非情な判断をくだすときとは全く別の顔を見せるから、何だか愉快だった。
―――――あのボンネット、素敵だわ。
シンシアのものを見に来たはずなのに、思わず感嘆の息を漏らす。
我が家出入りの商人は、私や両親の好みを熟知しているので、初めから私たちの目を楽しませることができそうなものを選定して持ってきている。事実として、おおむね気に入る。けれど、逆にいえば、あっと驚くようなものは含まれていないので、物足りない気もした。
掘り出しもののような商品はまず、持ってこないからだ。
価値があると分かっているものしか持参しないのは当たり前なのだが。それでは少し面白くない。
街を歩けば、自分の好き嫌いは関係なく流行りのものが見れるので、とても楽しい。
わくわくと一人で盛り上がる。そんな気持ちを抑えつけるように、すまし顔で歩いた。
護衛が傍にいるのの、彼は必要なときしか話しかけてこない。物静かで、しかも、危険がないと判断した場合は少し離れてくれるので目立たなくていい。
まるで一人歩きしているようだ。
周囲に誰もいないというのは案外、あるようで、あまりない。
学院では友人が傍にいるし、屋敷では侍女がついて回る。視界の隅にはいつも使用人の姿があって、まるきり一人になるという機会はなかなか訪れないのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、数メートル先に見覚えのある後ろ姿が。
―――――イリアだ。
私と違って、一度屋敷に戻ったのか学院に居るときよりも外向きの恰好をしている。いつもより少し明るめのドレスだ。何だか眩しい。
つばの広いボンネットを被っているので、彼女がイリアだとは認識しずらかったけれど。
でも、イリアだ。
すっと伸びた背中に、細い腰。音のしないひっそりとした歩き方。派手さはなく、品の良いドレス。
近くにいるのは護衛だろうか。つかず離れずの距離で彼女を見守っている。
大切にされているのだわ、とほっと息を落とした。
どうしても、あの幼い日に見たイリアと彼女の母親を思い出すから。母君の厳しい口調と険のある眼差し。
イリアは一生懸命演奏したはずなのに、ねぎらいの言葉もなかった。
たった一言でも褒め言葉があったなら、こうも気にしなくていいのに。
自分が愛されて育ったいう自覚がある分、母親からあのように冷たい態度をとられているのが不思議だった。もしかして、いつもあんな感じなのかと思ったけれど。
街歩きを許されているようだし、ちゃんと護衛もついている。
なぜか、遠くに嫁いでいくしかなかったルビーのことが頭を過った。
他人の家族関係なんて表からは図れない。関係値や内情については本人にしか分からないものだ。
イリアはもしかしたら私が思っているよりも大切にされているのかもしれない。きっと、そう。
と、そのとき。
あまりに見すぎたのか、ふいにその人が振り返る。
ぱち、と弾ける音がしたみたいに視線がぶつかった。
帽子のつばが目元に影を落としているので判断しずらいものの、確かに目があったように思う。彼女の唇が小さく、でもはっきりと「あ」という形を作った。
「マリアンヌ様、」
気づかれなければいいと願ったのは、もしも目が合ったら嬉しくなってしまうから。そうなってしまったら、否応なしに近づきたくなる。
―――――イリアに近づきすぎてはいけないという父からの厳命は今でも有効なのだ。
けれど、今回ばかりは仕方ない。
示し合わせたわけでも、待ち合わせしたわけでもなく、偶然遭遇したのだから避けようもない。だとすれば、挨拶しないわけにはいかない。……と、自分自身に弁明した。
「ごきげんよう、イリア様」
声をかけると戸惑った様子の彼女が膝を折って返事をする。
こうしてきちんと向き合って話をするのは、ソレイルも交えてひと悶着あったあのとき以来だった。
イリアと距離を置いている間も、当然彼女のことを忘れたことはなく。何度か話をしようとしたのだが、ルビーに釘を刺されていたことを思い出した。
『謝っても、イリア様には伝わりません』と。
それはイリアが怒っているから何をしても無駄、という話ではない。それくらいは分かる。
ルビーが教えてくれたのは、いくら私がなぜあんなことをしたのか懇切丁寧に説明したところで、イリアは信じないだろうということだった。
私が、下心ありきでソレイルに近づいたと勘違いしている以上、何を言っても受け入れてはもらえないと。
ルビーを全面的に信用しているからこそ、イリアとはやはり距離を置いたほうがいいと考え自重していたのだが。いつか話ができればいいと期待していたのも事実である。
ところが。
ルビーという的確な助言をくれる友人は突然、去ってしまった。そして、その後あまりにも突然訪れた我が家の不幸に心がちぎれそうになって。
要は、イリアのことが頭の片隅に追いやられてしまったのだ。
あまりにも自分勝手で、己のことが情けない限りであるが。
それほど、母の死が与えた影響は大きかった。
「お買い物ですか?」さりげなく近づけば「はい」と頷く。
ショーウィンドウに、並んだ私たちの姿が映って、少しだけ心臓が騒がしくなる。
「妹に何かお菓子を贈ろうと思って出てきたのですが……。流行りのものに疎いものですから、何にしようか迷ってしまって……」
会話できるとは思っていなかったけれど、ごく自然に水を向けられて驚く。
このまま話が途切れてしまうのは惜しい。
「妹……? 妹さんがいらっしゃるのね?」
初めて聞く話だ。
いや、学院でそんな噂が流れていたかもしれない。
けれど、とりたてて話題の種になるようなことでもなかった気がする。
「―――――はい、」
しっかり返事をするものの、妙な間があったようだ。
「?」イリアの顔をもっとよく見るために足を踏み出したけれど、何気に距離をとられてしまう。
避けられているようで悲しい。自分のしでかしたことを思えば、それもそうかと無理やり自分自身を納得させるしかない。
この先、これ以上私たちが距離を詰めることはないだろう。
一瞬前までは確かにあった、ふわりと宙に浮かぶような高揚感が萎んでいく。
「マリアンヌ様は何かご用事が?」
「……あ、え、ええ」
こくこくと頷きながら、今だ開くことのない距離間に安堵した。
「イリア様はご存じないやもしれませんが、この度、父が再婚いたしましたの」
「……いえ、存じております」
他人に興味がないようなのに、時勢には通じているらしい。さすがである。
ということは、我が家の不名誉な話も耳に入っているらしいと察して、恥ずかしさを覚えると共に気まずい思いがした。
シンシアは伯父の妻であり、ヴィルヘイムは不義の子ではない。だというのに、世間的にみれば、シンシアは母の死後、入れ替わるように我が家に入り込んだ後妻でしかなく、ヴィルヘイムは罪の子なのである。
二人の置かれている状況は、私が考えていたよりももっと厳しいものであった。
だけれども、
「義母に何か贈り物を、と思ってここまでやって参りましたの」
何も恥じることはないのだと思い直す。シンシアは本当に、良い人だ。
初対面のときも感じていたけれど、一緒い暮らし始めてから一層、彼女の実直さやひたむきさに感銘を受けることとなった。
母は死の間際、自分が連れてきた庭師の話をした。
その人にとっての上流階級での下働きがどういうものであったのか、私には想像すらできないが、少なくとも伯爵家での暮らしは楽なものではなかったのだろう。
出奔するほどに。
他の使用人との軋轢も、ただの嫌がらせとして済ませてしまえば話は早いが、厳密にいえば、彼らの間にも確かに序列が存在する。役割的な話ではなく、仕える家の順位だ。
伯爵家で仕事をしていることは、それだけで箔が付くものなので、だからこそ格下の家からやってきた彼が煙たがれるのはあり得ることだった。
そんな風に、階級で人を見る使用人たちが、主となるべく市井からやってきたシンシアと折り合いがつけられないのも分からないではない。
……分からないではないのだけれど。放っておくわけにもいかず口出ししてしまう。
すると、彼らは互いに歩み寄る……わけもなく。私が、彼女の味方をすればするほど、確執は深まっていく。
ここでも私は、自身の影響力を思い知ることとなった。
私がシンシアとヴィルヘイムの味方をすれば万事解決、とはいかないのだ。
「……奥様の……? そう、なのですか?」
明らかに驚いた様子のイリアが、そっと口元を抑える。
ただちに、申し訳ありませんという謝罪の言葉が出たので、首を振る。
「そうですわよね。血の繋がりもないのに、不思議なことですわよね」と答えながら、噂には尾ひれがつくものだということを実感する。
シンシアはいつの間にか、我が家を乗っ取ろうとしている希代の悪女となっていた。
「……マリアンヌ様がお気遣いなさるほどの女性なのですから、きっと素敵な方なのでしょう」
優しい言葉で心を掬いあげてくれるイリア。
重く沈んでいく心が、ふっと軽くなるようだ。




