2
永遠とも、一瞬とも思える奇妙な沈黙の後。
「……、っ、」
息を吐きだす音が、耳に響いた。まさに、深い眠りから覚める瞬間のように。
真っ黒な汚泥から引っ張り出されるかのごとく、ずるりと意識が浮上する。鼻の奥を冷たい空気が通り抜けて、肺が大きく膨らみゆっくりと萎んだ。それを合図に、視界が白く塗り替わる。
眩しいと感じる間もなく、今度は、ちかちかと星が瞬くように目の前が明滅した。
思わず両目を擦りたくなるような衝動に、瞬きをしているのだと理解する。
「―――――イリア、」
ぼやけた視界がじわりと輪郭を描き、解けるように晴れていく。
やがて、完全に開けた視界の向こうに、夜にしては明るく、朝にしては薄暗い空が広がった。真上は炭のように濃いけれども、端に向かって段々と淡く薄くなっていき、思い出したように黄色や紫が混じり合う。
その幻想的ともいえる浅葱を割るように、背の高い木々たちが思い思いに枝を伸ばしていた。重なり合う樹冠が白く縁取られたように眩く見えるのは、遠くにあっても存在を主張してくる淡い月のせいなのか。
今にも消え入りそうなのに、仄かな光を地上に届けようと足掻いている。
やはり、未だ夢の中にいるのだろうか。
だって、声を失うほど美しい払暁を背負うように、……彼がいる。
さらりと揺れる黒髪と、白磁で作られたかのような染み一つない顔、鈍く光る黒曜石の瞳。どれをとっても違えようがない。
あまりにも、どうしようもなく懐かしい。
そして、胸に去来する強烈なほどの既視感に、心臓が大きく音をたてて耳を塞ぐ。金属が震えるような耳鳴りから逃れるように、はっと息を吐けば、目前に汚泥の中で息絶えたときの光景が蘇る。
そう、まさに今。私はあのときと全く同じような状況に居た。
横たわったまま力なく彼を見上げている私と、跪いて私の顔を覗き込んでいる彼。また、懲りもせずいつかの日を繰り返しているのかと勘違いしそうなほどには、全てが似通っている。
違うことと言えば、雨が降っていないことくらいかもしれない。
茫然とただ見つめていれば、震える唇がそっと言葉を紡いだ。
「僕の、お姫様」
お姫様なんて、あまりにも慣れない呼び名だというのに否定もできず、ただ、そっと息を呑んだのは。彼の冴えた輪郭をなぞるように、はらりと水滴が落ちたからである。どこから拾った光なのか、きらりと揺らめきながら零れた一粒は、空中で弾けて消えた。
ともすれば見逃してしまいそうだったけれど。
「どうして?」
「どうして泣いているの?」
続けて名を呼ぼうとして、あえなく失敗する。
私自身も、ひどく動揺していたのだ。言葉にできなかった名前の代わりに、擦り切れるような吐息が漏れた。
まさしく息のかかる程の距離にいるその人の返事を待ったけれど、彼はそもそも、自分が泣いていることにすら気づいていないようだ。黙ったまま、恐々と私の頬に触れる。
相変わらず指先が冷たくて、心地いい。
かつて、この指に、縋ったことがある。
「……カラス?」
今度こそ、と覚悟して呼んだつもりなのに、思ったよりも弱弱しい声になった。聞こえなかったかもしれないと再び口を開くも、小さく揺らぐ黒い双眸がひたすらに私を見つめていて。どうやら彼の耳にはしっかり届いていたようだと知る。
言葉はなかった。でも、いっそ雄弁とも言えるほど、声なき声で語るカラスがそこに居る。
それもまた、あの雨の日の再現のようだった。
大声で泣き出す一歩手前。泣きたくないと我慢していような、くしゃりと歪んだ表情が胸を突く。
とはいえ、穿った見方をするなら、過ぎる喜びを受け止めきれないようでもあった。
そんなカラスの様子に引きずられるように、首元を締め付けられているような感覚になる。心が共鳴しているみたいに、切なくて、苦しくて、痛い。
至って馴染みのある苦い感情だった。何度も何度も飽きるほどに経験した。もはや知り尽くしていると言っても過言ではない。
私にとって、生きるということはまさに苦しむことと同義だったのだから。改めて実感すると共に、突然、思い至る。
生きている、と。
はっと閃くかのごとく、麻痺していたように動かなかった指先がぴくりと跳ねた。地面に触れていた中指がざらついた砂の感触を拾う。まさに、五感が蘇るかのようだった。
ふと、胸元に違和感を覚えて確かめれば、雨も降っていないのにドレスがじっとりと濡れている。
生地がもともと暗色だから分かりにくいが、どす黒い染みが広がり、ところどころ赤い。
―――――そうだ。
私は確か、……死んだはずだ。サイオンの投げた短剣が肉を切り裂き、為す術もなく地面に倒れた。
シルビアの慟哭と、私を助けようとしたソレイルの顔。命の終わりを予感したその刹那を鮮明に思い出す。迫りくる死に視界を奪われ、そうして鼓動を止めた。忘れるはずがない。
何度も繰り返してきた死であり、幾度めかの死でもあった。
終わったはずだ。そのはずなのに、なぜ。
「……私、どうしたの……? さっき、私……死んでしまったかと思ったのに」
戸惑いがそのまま言葉になる。身じろげば、肩に添えられた手の平が慰めるようにゆっくりと動いた。いつの間にそうなったのか、中途半端に体を起こしていた私を、彼が支えてくれている。
守られるように、慈しまれるように抱き込まれていた。
「やっと」
「やっと、見つけた。僕の、お姫様」
私の声が聞こえているのか、いないのか。彼は震える唇で、言葉を切りながら慎重に告げた。
慈しむような、あるいは切なさの籠る声だ。温度すら感じそうな声音に耳を震わせて、かつてはもっとひんやりとした声だったはずと、些末なことを思い出す。
鍵のかかった、牢獄にも似た豪華な部屋で「捕らわれのお姫様」と呼ばれたあの日。
いないはずの赤ん坊を腕に抱き、部屋の中をうろうろと歩き回っていた私は、現実と悲痛な夢の狭間で藻掻いていた。気休めに口ずさんだ子守唄に、不安定な精神がますます落ち込んでいくなんて誰が思うだろう。
我が子という名の闇をかき抱くその姿は、きっと滑稽だったはずだ。
狂気の中にいながら、それでも正気を失わずにいた私を見て、カラスはいかにも愉快そうに嗤っていた。
私のことをお姫様と呼んだのは嫌味だったのか、単なる軽口の一つだったのかもしれない。もしかしたら、深い意味などなかった。
あのときの彼にとって、私の存在など「そんなもの」だったに違いない。
取るに足らない存在。
それなのに。
「さっき、貴方の声を聞いた気がしたわ。やっぱり、そう言ってた。僕のお姫様って。……でも、どうして? 私は一度だってお姫様だったことはない。私はいつだって……、」
物語の脇役だった。だから、何度人生を繰り返したところで、結末を変えることができなかった。
主役のための筋書きが、端役のために書き換えられるなんて、まず起こり得ない。物語はあくまでも、「主人公にとって」の大団円に向かって突き進むのだから。
初めからそうだった。
知っていたのに、それでもずっと夢を見ていた。
シルビアのようなお姫様であれば。あの子のような存在になれたなら。もしかしたら幸福な未来がやってくるかもしれないと。
けれど結局、私は私で。
何度繰り返そうと、私は私であり続けたし、他の誰かになんてなれやしなかった。
そんなことを支離滅裂に、何度も息を吐きだしながら溺れるように告げると、カラスが歪に笑う。
自分もそうだと。
「僕の人生の主役は、僕じゃなかった。僕は自分の人生を生きてきたけど……、それでも僕の人生の主役は僕自身じゃなかった……」
分かるような分からないような、真意を計りかねる言葉に首を傾げれば、
「僕の人生の主役はいつだって、―――――君だった」と、思いもよらないことを口にする。
自分は主役じゃないから、君を助けられなかったと。
インクを薄めたような儚い笑みの、瞳の奥にだけはっきりと本心を映し出す。
深い、絶望だ。
「いつも、いつも、君を助けられなかった」
最後の方は声が潰れて、耳を澄まさないと聞こえないほどだった。
苦しいという言葉だけでは足りない。
悲しいという言葉だけでは表せない。
報われない想いというのは、どうしてこれほどに痛いのだろう。
私もよく、知っている。
記憶に残るのは、苦しみばかり。それでも、
「違う。それは絶対に違うわ。だって、貴方が私の前に現れるとき、私はいつだって救われるのよ。いつだって、何度でも」
ずっと、知らなかっただけだ。私を救う為に命をかけて尽くしてくれた人がいたことを。
最後の最後にはとうとう諦めて人生に見切りをつけた私とは違い、この人は諦めなかった。ただの一度も。そのおかげで私はここにいる。
死んでしまったにも関わらず、呼び戻された。
今度は、時間が戻ったわけでも、人生をやり直すわけでもない。
続きを、始める。
カラスによれば、それは奇跡というものらしい。
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。死という、人間には絶対に避けることのできないはずのものが覆ったのだから。それを奇跡と呼ばずして何と呼べばいいのか。
しかし、奇跡を起こすのは神ではない。
強い想いが、運命を最善へと引き寄せるのだ。
閉ざされた世界で、もがき苦しみながらそれでも生きてきたのは、きっとこの瞬間の為だった。
ここが本当の、終幕である。
この一瞬の為に、生きてきた。
「イリア、」
視線の先にはやはりこちらを見つめている黒い虹彩がある。零れ落ちるような柔らかい眼差しに、心ごと全身を包み込まれるようだった。
その温もりに遠慮なく甘えることができる。許されている。
もう誰にも責められることはない。みっともないと咎められることも、恥ずべきことだと罵られることも。今の私はソレイルの婚約者でも、シルビアの姉でも、伯爵家の令嬢でもないのだから。
淑女でいなければならない理由はなく、矜持などもはや意味を持たない。生身の「イリア」という人間がいるだけだ。
何も、ない。
でも、温かい。
そうして、これまでずっと震えるほどに寒かったのだと気付く。
温もりを知り、寒さを覚える。
貴族の令嬢がゆえに、生まれながらに恵まれた環境にあり、あらゆるものを与えられてきたけれど。私が真に求めていたのはこれだったのだ。
欲しいものは「ここ」にあった。
すべて失くしてしまったけれど、私は、やり遂げたのだろう。
だから。
「私、貴方と、生きていく」
腕を伸ばせば、覗き込むように私を抱きしめるカラスの背中に触れる。
幻でも、夢でもない。私達は現実を、生きている。
「私も、貴方も、幸せになるのよ。……私は貴方を幸せにして、貴方は私を幸せにする」
カラスの双眸から、塊のような水滴がぼろりと落ちて、私の顔に降ってくる。
雨粒みたいに、次から次へと。
まるで、あの雨の日みたいに。
「……だって、カラス。貴方は、
私を、愛しているんでしょう……?」
信じがたいものを見ているかのように大きく見開かれた目。それすら既視感があった。
けれど、決定的に違うのは、これは悲劇ではないということ。あの雨の日のように、終わりゆく命を繋ぎとめようと必死になっているわけでも、繰り返される別れに慟哭しているわけでもない。
私は、まさにこの指で希望に触れている。
一度、カラスの腕から抜け出して体勢を整え、膝をついたまま正面から彼を見据える。子供のようにあどけない顔をしているその人は身動き一つしなかった。手の平でその冷たい頬を包み込めば、零れる涙が皮膚を濡らす。温かいような気がして、何だかとても不思議だった。
現実世界に居て、なのに、現実と幻想の堺に存在しているかのようなカラス。
けれども、ここにいる。ぎゅうっと強く抱きしめれば、一層、彼の存在を強く感じることができた。
どこか茫然とした様子の彼は、おずおずと私の背中に腕を回し、確かめるように私の名を呼んだ。
「……違うよ、イリア」
「え?」
「愛しているなんて……。それは、多分違う」
「、」
身動きできないほどにぴったりと隙間なく重ねられていた体を、更に強く抱き寄せられて。
「愛なんて短い言葉じゃ縛れない。声に出して表現することなんか叶わない。僕が君に、どれほどの想いを抱いているかなんて誰にも分からないはずだ。きっと、想像すらできない」
こんな気持ちは、世界中で僕だけが知っているとカラスは続ける。
愛よりももっと深く、愛よりももっと強く、愛よりももっと苦しい。そんな気持ちを人はまだ知らないんだろうと。あまりにも長すぎる年月の中で抱いた感情は、とても一言では表現できないと。
「この世界で僕だけが知っている。……僕だけが、君だけに、抱いてる」
「でも、何て言えばいいか分からない。言葉を尽くしたって伝えられる気がしない。何て言えばいい、何て言えば伝えられる……?」
苦しそうに、嗚咽を挟みながら肩を震わせている。
そして、大きな塊となった涙がいくつも零れ落ちた。
「愛しているという言葉以外に、ない。見つけられない。他に、なにが、ある……?」
どんな告白よりも、どんな愛の言葉よりも、胸を打つのに。これは愛じゃないという。
端的に、愛という言葉で理由付けできた感情なら、どれほど良かっただろう。
だって、これが本当に愛と呼ばれるものなら。誰もが知っているはずの「愛」なら。これほどの執着にも、愛なら仕方ないと折り合いがつけられたはずだ。もしくは、破滅に導くほどに強い感情との向き合い方を、誰かに教えてもらえたかもしれない。
けれど、この想いは自分だけのもので。他の誰にも理解できないと、もう分かっている。
仕方がないから、愛と名付けるよりほかにない。
この世界のまだ誰も知らない想いを、私も、知っている。
そしてきっと、こういう想いを、誰もが知っている。
*
*
血に染まったドレスを隠す為に着せられたカラスのローブからは、懐かしい香りがした。
記憶の一番深いところまで侵食するという「におい」
他のすべてを忘れても、においだけは記憶に残るのだという。
だからだろうか。呼び起こされるように、彼と共に過ごした日々の、何気ない思い出が蘇る。
「もっと僕の方に寄りかかって。傷は消えているようだけど、失った血が戻ったかどうかは分からない。……気分は、悪くない?」
とりあえず安全な場所に避難しようと拾った辻馬車は決して乗り心地が良いとは言えなかった。車輪が土を踏むと大きく揺れて体を突き上げる。痛みに顔を歪めていると、カラスに肩を抱かれた。
素朴な馬車には装飾の類は一切なく、通常貴族が乗るものとは違って人が乗る部分は箱型ではない。雨を防ぐ程度の屋根がついているだけだ。座席部分はむき出しである。
吹き抜ける風が心地よいといえばそうなのだが、体調が万全とは言えない今、どうしても皮膚が粟立つ。
それでもどこかほっとしているのは、生き返ったとはいえ、一度死んだ場所から逃れることができたからに他ならない。
かつて、あそこには、シルビアの遺体があったはずだ。
何度も繰り返してきた人生の、始まりの場所でもあった。
いつまでも居たいとは思えない。
二人座ればそれだけでいっぱいになる椅子でカラスと身を寄せ合うようにして暖を取る。けれど、そもそも体温を持たないような人と温め合おうとしたところで、意味がないのかもしれない。
それが何だか可笑しかった。
「……イリア? 大丈夫?」
顔を見るまでもなく声音だけで、彼が私のことを案じているのがよく分かる。
「大丈夫」と返しながら、光を増していく空と、まだ誰も起きだしていない街並みを眺めた。あまりの静けさに、これまでもことがすべて夢だったのではないかと思えてくる。
そもそも、昨日まではソレイルとサイオンが死闘を繰り広げるなんて想像したことさえなかったのだ。
実際、さっき息を吹き返した後、しっかりと立ち上がって周囲を見回してみたけれど、そこには「何も」なかった。
それどころか、確かに地面に倒れたはずのサイオンも、その仲間たちの姿もなかったのである。
誰かは分からないが、きれいに後始末をしたのだろう。
死んだと思われていたはずの私はそのまま捨て置かれていたので、要するに、後処理をした人間は「あちら側」の人間だというのが推察される。
回収する必要がないから、置いていかれたのだ。
一体、どこからどこまで仕組まれていて。どこからどこまでサイオンが関わっているのか。
それすらよく分からない。
けれども、ともかく。私にはまだやるべきことが残っている。
決意新たに顔を上げれば、ふと、「髪の毛。せっかくきれいなのに……、汚れちゃったね」と、カラスが言った。
結構な速さで進む馬車の、転がる車輪音に消されてしまいそうな音量だった。
それでも、その言葉が妙にはっきりと耳に届いた。
『君がどんな髪色をしていようと、どんな目をしていようと、どんな顔かたちだって、……どんな君でも、僕は君を、美しいと思うよ』
昔、聞いた耳障りの良い声が蘇って、胸が痛い。あのときの彼と、今ここにいるカラスは同じ人間なのだろうか。……いや。きっと、そうなのだろう。
だって、同じ「瞳」をしている。
「カラス」
「ん?」
冷たい顔に、静謐をそのまま浮かべたような眼差し。そこに、戸惑うほどの優しさを滲ませている。
きっと、私が何をしても、何を言っても、許すのだろう。許されて、しまうのだろう。
「―――――私、今から死ぬわ」
ひゅっと息を呑んだ彼が勢いよく私の体を引きはがす。両肩を強く握られて、痛みに顔が歪んだ。
それでも彼は私を離さない。真意を探ろうとしているのか、怪訝そうでありながらとても真剣な顔つきだった。
けれどやがて、小さく息を吐いて「……、本当に、死ぬわけじゃないんだね?」と、感情をねじ伏せるようにそっと口にする。
その言葉はまさに核心をついていた。
多くを語らずとも、何となく思っていることが互いに伝わる。だからと言って言葉を惜しんでいいわけではないけれど、人に誤解されてばかりだった己の人生を思えば。私のことを理解しようと努めてくれる存在はとても貴重だった。
繰り返してきた私の人生と、あまりに長すぎる彼の人生で、ほんの一瞬しか交わらなかった私達の時間。それでも、なかったわけではなく、意味があった。
短くとも共有してきた時間が、私たちを「ここ」に導いたのだ。
「でも、今から協力者を捜すには時間がかかりすぎる」
頭の中に、知りうる限りの顔が現れては消える。巻き込むわけにはいかないと思うのに、巻き込まなければどうにもできない事情がある。けれど、誰かを危険に晒してまで生き延びることに、やはり罪悪感を覚えるのだ。―――――この期に及んでまで。
すると、
「それなら僕に、心当たりがある」と、カラスが言う。
思わず「貴方に?」と聞き返したのは、彼が私以外の誰かと繋がりを持っているなんて考えられなかったからだ。
「僕だって、ただ何となく長い間を生きてきたわけではないんだよ。特に『一度』君を失ってからは」と、自嘲気味に、だけどどこか得意げに笑った。
そして少しの間をおいて、ぽつりと告げる。
「見て、イリア―――――」
「夜が、明けた」
(あの日。君を抱きしめて、たった一人で見上げた―――――、)