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婚約者は、私の妹に恋をする  作者: はなぶさ
これが、本当の最後なら。
25/64

8

「物語」というものには、常に主題というものが存在する。

この奇妙な人生を物語に例えるなら、主題は一体何なのだろうか。そして、それにはどんな教訓が含まれるのだろうか。


「アル、貴方はこの本のことを知っていて?」


枕の下からそっと取り出した小説を見せれば、アルは片方の眉を器用に動かして首を傾いだ。

厚くも薄くもないその本は、貴族の子女が読むには少し物足りないかもしれないと思う。

だけどその読みやすさが、社交界はもちろんのこと貴賎を問わず人気を博した理由の一つなのかもしれなかった。

登場人物はさほど多くなくので人間関係も複雑ではない。

ただ単に、隣国の姫君と騎士の恋物語が展開されているだけだ。


「もちろん、知っていますが……」


それが一体何なのかと、生真面目な顔に疑問を浮かべたアルが私の持っている本を覗き込む。

一時期は貴族の間で話題をさらったのだから、下位貴族出身である彼が知っていてもおかしくない。

私たちの間で話題にしたことはないが、タイトルくらいは耳にしたことがあったのだろう。

「この本がどうかしましたか?」

手が届くようで届かない位置に居たアルが、一歩前に歩み出て、私の差し出した小説を眺める。

受け取っていいのか迷っているのだろう。彼の右手が少しだけ宙をきって、何も取らずに元の位置へ戻った。

「アルはこの本、読んだことあるのかしら?」

問えば、予想していた通り首を横に振る。

簡単に概要を教えれば、「そんな話だったのですか……」とさして興味のなさそうな顔で頷かれた。

社交界で話題になったとは言え、マリアンヌもそうであったが、アルのような反応を示す人間だって少なくない。


「それで、この本が一体何なのですか?」


隣国の姫君と一介の騎士という、普通なら決して結ばれることのない主人公二人が物語を壮大なものにしているが、内容としてはどこにでも転がっているような恋愛話だ。

過酷な運命に翻弄される二人ではあるが、この国にだって、階級の違いゆえに結ばれることのなかった貴族は溢れるほど存在している。

その一つ一つを拾い上げれば、もっと劇的な話はあるだろう。

だからこそアルは、小説の内容には興味を抱くことができないのだ。

むしろ、この本自体に何か仕掛けがあるのではないかと訝しんでいる様子である。彼の青い目が、熱心に本の表と裏を見つめていた。

しかし、この本は特別でも何でもない。

一般に書店で購入できるものと何ら変わりなく、出入りの業者に依頼すれば翌日には手に入れることができる代物だ。

あえて言うなら、ロマンス小説にしては表紙が地味だということくらいか。


「……この本は、お父様のものなのよ」


声が震えないように努める。けれど、それが上手く言ったとは思えなかった。

想像以上の揺れを帯びた言葉が、静まり返った室内に余韻を残して消える。

平静を装っているつもりだったのに、唐突に、指先が力を失った。

ばさりと音をたてて絨毯に落ちた本が、風もないのにページをめくる。アルは、思わず体を起こそうとした私を目線で制すると、流れるような動作で本を拾い上げた。

彼の手の平に納まった本を、ベッドに横たわったまま、ただじっと眺める。

自分の手が震えていることに気付いたのはそのときだ。

知らない内に詰めていた息を吐き出す。落ち着いていたはずの心臓がほんの僅かに脈動を強めた。

このまま真実を語っていいものなのか、急に怖気づいて口を噤む。


「旦那様に?」


アルの声が不信感を帯びているのは、あの人が私にこんなものを与える人間ではないということを知っているからだろう。

繰り返す人生の、長いとはいえない生涯で、私が父から与えられたものはそう多くない。

思えば、はっきりと父からもらったと断言できるのは、社交界デビューの年にもらった首飾りくらいなものだ。他のもの―――――例えば、淑女教育に必要な蔵書の類、或いは他家に招かれたときのドレス、装飾品などは母を介して渡されたし、そもそも父がそれに関与していたとは思えない。

母は「旦那様から貴女に」と言って手渡してくれたものだが、本当は違っていたのだろう。

何一つ与えられない私を憐れんで、そう言ったのだ。

だから、こんな恋愛小説なるものを、母ならいざ知らず父が与えてくれるはずなどない。

アルにもそれが分かっている。

私の護衛として、父とも浅からぬ関係を築いているからこそ、その不自然さに気付いたのだ。

眉間に皺を寄せているアルに「盗んだのよ」と声を潜めれば、彼は面白いほどに目を大きくした。

その顔があまりにも普段の彼と違っていたから、思わず吹き出して、はしたなくも喉の奥で笑う。

「……お嬢様」

そんな私の様子を見て、からかわれたと判断したのだろう。声音に抗議の色を交じらせて、私の顔を覗き込んだ。


「―――――本当よ」


本当に盗んだの、と言いつつ、今度こそきちんと体を起こした。

先ほどよりもだいぶ倦怠感が抜けているような気がする。

もはや笑って誤魔化すこともできないほどの事実に、アルが静かに息を呑んだ。

父親のものを盗むなんてあってはならないことだし、他の家ならともかく、我が家では許されないことでもある。

ましてや、罪を犯したのがシルビアではなく私なのだから。

父に知れれば釈明の余地なく断罪されるだろう。

いや、断罪とは言いすぎか。けれど、冷淡な言葉で罵られ、そんな娘に育てた覚えはないと自室に軟禁されることも有り得る。あくまでも外部には知られないように、ひっそりと罰を与えられるはずだ。

けれど、もしもシルビアが相手であれば、仕方のない子だと笑って許すに違いない。

いたずらも程々にしなさいと嗜めるくらいだろう。

あの子のことをそれ程に信頼しているのか、それともただ単に、私がこの家に害を及ぼす存在だと疑われているのか。

想像したところで何も分からないけれど。


「お嬢様……理由を伺っても?」


盗んだという事実にはあえて触れず、アルは本を眺める。

しきりに首を傾いでいるのは、あると思っていた仕掛けがどこにもないからだろう。中身をくり抜いて大事なものでも隠していると思っていたのか。けれど、そんな古典的とも言える手法を用いる人間は少ない。

「仕掛けなんてないわ」と再び笑みを落とせば、アルがこちらに観察するような視線を向けた。

自分が投げかけた問いに対する答えが欲しいのだろう。


「……理由、理由ね」


だけど、「なぜ」と聞かれたところでその答えを持っているわけではなかった。

その本を見つけたのは、ただの偶然だったと言えるし、何かに導かれたとも言えるかもしれない。

大きな力に導かれて「見つけざるを得ない」状況に追い込まれたのだというほうがしっくりくる気がした。

答えはきっと、誰も知らない。

知っているとすれば、それは、神と呼ばれるものだけだ。


「ごめんなさい、アル。それは言えないのよ。だから聞かないでくれると嬉しいわ」


私が首を振れば、彼はその深海に似た色の瞳を細めた。

遠くにある何かを見極めようとしているような仕草だった。


「……いえ、私こそ差し出がましいことを申しました」


頭を下げる護衛のいささか落ち込んだ様子に苦笑する。

彼は本当に「差し出がましいことをした」と認識しているのだろう。

悪いのはアルではないけれど、今ここで全てを語ることもできない。だから「いいのよ、私こそごめんなさいね」と笑って誤魔化す。

アルは相変わらず、箱の底を覗き込むような眼差しをしたまま「お嬢様が謝る必要など、ありません」と言った。彼もいい加減うんざりしているだろうに、私が謝罪を口にする度に、同じ言葉を繰り返す。

彼は昔から、変わらない。ずっとずっと前から、変わることなく私の護衛騎士であろうとするのだ。


初めにこの本を見つけたのは、いくつか前の人生で、そのときは本当に偶然だった。

既にソレイルと結婚していた私は、領地経営のことで父の助言を得るべく生家に訪れていたのだ。

しかし、事前にお伺いをたてていたにも関わらず、父は不在であった。

家令に聞けば、何の悪びれもなく、虚弱なシルビアを療養させる為に母と三人で郊外の別荘に向かっているのだと説明される。

私が来ることを知らなかったのかと問えば、知っていたと思いますと困ったような顔をして笑われた。

お急ぎだったようで、と取ってつけたように頭を下げる。

つまり、連絡する暇もなかったのだと弁明しているのだと思った。

私は、一瞬、喉元までこみ上げた熱の塊を必死に飲み込んだ。

そして、「シルビアの為なら仕方ないわね」といかにも寛大であるかのように振舞う。

自分はもう貴族の小娘ではないのだと言い聞かせて。これは政治と一緒なのだと、仕事の一環なのだと自分自身に言い聞かせる。

家族間でのやり取りでないのなら、さほど傷つくこともない。

仕事の約束を反故されたのだと思えばいい。

だから、笑みを作ることなど造作もないのだ。

てっきり怒り出すと思っていたらしい家令は「お嬢様も寛大になられましたね」と、微笑んだ。

嫌味だったのか、本音だったのか分からないけれど、有難うと言えるくらいの余裕はあった。

私はそれほどに、多くの経験を積んでいた。

何も知らなかった頃の自分ではない。己を守る為に何をすべきかよく理解していたのだ。

父の行動だって予測できたのに、確認を怠ったのは自分だと、無理やり己を納得させた。


家令がその場から去って、たった一人廊下に残された私は溜息を吐きながら考える。

なぜ、いつもこうなってしまうのかと。

窓の無い廊下には、壁掛け花瓶が静かな陰影を落とすだけで他には何もない。

それだって目を凝らさなければ見えないほどで、私の影なんて無いも同じだった。

私の人生というのは、こんなものかもしれないと天井を仰ぐ。

そこに黒い鳥が潜んでいるのではないかと期待して、等間隔で並ぶ華美な装いの照明に視線を滑らせる。


そして、ほとんど無意識に、父親の書斎のドアノブを掴んでいた。


普段の自分からは考えも及ばない行動だったけれど、なぜだかそうしなければいけない気がしたのだ。

実際、鍵が掛かっているはずのその扉はいとも容易く内側に開いた。

それまでは確かに重いと感じていたはずの厚みのある扉が、そのときばかりは羽のように軽く感じられたのを覚えている。

父の許可なくして立ち入ることの許されない書斎への出入りは、露見してしまえば只ではすまないと分かっていた。

だけど、まるで自我が芽生えてしまったかのように、足が意志を持って勝手に動く。

忍び込んだというよりは、ただ「中に入った」という感覚で、あまり罪悪感はなかった。

あれほどに抜け目のない父が、よりにもよって書斎の鍵を掛け忘れることなどありはしない。

だから、施錠されていないという点で、これはあくまでも偶発的な出来事なのだと論が立つ。

責められるべきは私ではなく使用人だという意識があったのかもしれない。


私が、この小説を手にしたのはそのときだった。


見上げるほどに背の高い本棚の、一番上の右端。意図して取り出そうとしなければ、存在さえ忘れてしまうようなところにその本はしまわれていた。

つまり、脚立などを用意しなければ見えない位置にあるということだ。

自分自身、なぜそんなところに目をつけたのか分からない。

だけど、そこに何かあるような気がしたから、隅に置かれていた来客用の椅子を引っ張り出してそこに乗り上げた。別荘に行っているというのであれば父が突然現れることもない。既に緊張感さえなくなっていた。


―――――なぜ父が、恋愛小説など。


初めに抱いた感想はこれだった。

他人の恋愛話に興味を抱く人間ではないし、ましてや創作物であれば、目に留まることもないだろう。

私の父親は、そういう人間だった。

私自身、己の数奇な運命に立ち向かうことが最優先で、社交界を賑わせている小説のことは知っていても読もうとは思わなかった。どこにでもあるような身分違いの恋の話だと、耳にしたことがあったから。

だからこそ、父の書斎にそんなものが置かれている違和感に、首を傾げながら何となくページをめくる。

そこに、重大な秘密が隠されているとも知らずに。


「アル、その本の一番最後を開いてくれる?」


何も語らず、突然そう言った私にアルは戸惑いつつも長い指を背表紙に滑らせた。

僅かに首を傾げながら、けれど、特に反抗する様子もなく従う。

背表紙を開くだけの動作だから時間もかからなかった。そして、ほんの一瞬の沈黙の後、


「――――シルビア、様……?」と、搾り出すように私の妹の名を口にした。


父の書斎でこの本を見つけた私は、さらりと内容を確認して、やはり自分が知っているものと同じものだったとほっと息を吐いた。それが安堵によるものなのか、もしくは落胆によるものなのかは分からない。

とにかく、自分の人生を左右するような出来事は何も記載されていなかったと肩の力を抜いた。

そしてそのとき、ソレを見つけたのだ。


「これは似顔絵?いや、肖像画……ですか?」


アルの問いにそっと頷く。

そうだ。それは、その小説の一番最後のページ、白紙のところに描かれていた。

「落書き」と言っていいほどに乱雑なペン筋で描かれた絵。

だけど、どこか哀切を伴うような儚く淡い絵でもあった。

私もアルが感じたのと同じようにシルビアの絵だと思い、それほどまでに溺愛されているあの子が羨ましくもあり、少し怖くも感じて本を閉じたのだ。

母親が違うとは言え、私もシルビアも父にとっての娘であることに変わりはない。

……そのはずである。それなのに、こういった本当に小さなことで愛情の差を見せ付けられているようで心が軋む。

本の背表紙をなぞった自分の指先が僅かな震えを呼んで、最初の人生で両親に見限られた自分を心底哀れだと感じた。

幾つか深呼吸を繰り返して平静を装いつつ、取り出した本を元に戻そうとしたあのとき。

ふと過ぎった違和感は何だったのか。

何かは分からないけれど「何か」が違うと感じた。


「それはね、アル。シルビアではないのよ」


もう一度、本の背表紙を開いて隅から隅までをじっと見つめればおのずと答えが導かれる。

刻まれた父の名と年号と、日付。

父の描く絵には全て署名と日付が入っているから、習慣で書き記したとしか思えないが、それが全てを証明していたのだ。

そこに記されていたのは、シルビアが生まれるよりも、ずっとずっと前の日付だった。


「シルビア様ではない……のですか?いや、でも……お顔が……よく似ていらっしゃる」


まるでシルビアであるかのような顔をして、一枚の紙に収まっている一人の女性。

色をつけていないからこそ、それが別人であることを証明できない。シルビアのように繊細が銀色をした髪を持つ人間は、この国ではとても稀な存在なのだ。

もしも、絵に描かれた女性が金髪であれば、見るからに別人だと分かっただろう。

しかし、黒いインクだけで描かれた女性は、窓の外でも眺めるような仕草で朗らかな笑みを乗せているだけだ。


「それは、シルビアの実の……お母様よ」


シルビアが生まれるよりも前の日付。シルビアによく似た顔。父が描いたという事実。

そこから答えを導き出すのは、そう難しくない。


「……シルビア様の、母君?」


疑問なのは、なぜ「この本」に描いたのかということだ。

この本を見つけ出したいつかの人生の「私」は、父の書斎からそれを持ち出し、ソレイルと暮らす屋敷に持ち帰った。そして、自室の鏡台に隠したのだった。

自分の中に湧き上がった疑問を払拭すべく動き始めたのは、そのすぐ後のことである。


作者に会わなければ、会って、話を聞かなければ。


誰に脅されているというわけでもないのに、ほとんど脅迫されるような心持ちだったと思う。

既に「次代の侯爵夫人」であった私には幾つかの伝手があり、この国のどこかに居るであろう作者を捜しだすことはさほど難しいこととは思えなかった。そしてまた、その通りでもあったのだ。

曇り空に掲げた手の平に、ぽつりと雨粒が落ちてくるように。

想像していた通りの結末が待ち構えていた。


「きれいな方でしょう?シルビアにそっくりだわ……」

「この方が……」


感心したような息を吐いてアルが、じっと肖像画の女性を見つめる。

その青い瞳が、はっきりと分かるほどの好奇心を滲ませた。けれど、それ以上の感情は読み取れない。

そのことに、安堵する。

もしもソレイルがこの絵を見たなら、きっと、墨で描かれた女性の中にシルビアの面影を探すのだろう。

そして、あの薄氷のような瞳を微かに綻ばせて、指先で優しくインクの線をなぞるのだ。

まるでシルビアに触れるみたいに、そっと。

その場面を当たり前のように想像できるのだから、私もどうかしている。

それとも、失ってしまった人生のどれかでそういう場面を見たことがあるのだろうか。


「それにしても、不思議なものですね」


シルビアの母親から視線を外して、私を見つめるアルが苦笑した。

それに首を傾げれば、


「シルビア様の母君が実在していたとは……いや、当たり前と言えば当たり前なのですが」

何だか信じ難いです、と口にしたアルに他意はない。ただ、事実を言葉にしただけなのだろう。

病弱なこともあり、その存在自体が淡く儚いシルビアは、本当は実在の人物ではないのだと言われても納得してしまいそうなところがある。

花の種から生まれたのだと言われても驚かないかもしれない。

そんなシルビアを産んだ女性が居るというのは、確かにどこか不思議な感じがした。

最初にこの事実に直面した「かつての私」も、アルと同じようなことを思ったのだ。

だからこそ、誰にも知られないようにそっと想像してみた。

シルビアの母親なるその人の髪色を。その目を、その声を。

どんな風に話すのだろうか、どんな仕草をするのだろうか、どんな表情でシルビアを抱き上げたのだろうか。……シルビアが病弱なのは、血筋からくるのだろうか。

聞きたいことも、知りたいこともたくさんあった。

けれど、その答えを得ることはない。

私がとシルビアの母親が会うことはないのだから。


その一方、調べずとも分かることがあった。

この本は「父の本」であるが、それは所有者が誰なのかを示しているのではない。

文字通り、言葉通りの意味でもあったのだ。


本の中に描かれている、とある騎士。隣国の姫君と恋に堕ちた中位貴族の男性……彼女の護衛騎士。

それこそがまさしく―――――、


父だったのだ。


その事実に行き着いたとき、私の身の内に走ったのは衝撃ではなく、諦念であったかもしれない。

ああ、そうか。と、ただ納得したのだった。

世間的に言えば、どこかありふれている身分違いの恋。だけど、本人たちにとっては世紀の大恋愛。

それこそ本になるほどの、劇的な話でもあった。

あくまでも「作り話」として描かれた世界ではあったが、その登場人物たちは完全なる虚構ではなかったというわけだ。

けれど、私の母は隣国の姫君などではない。

それは実の娘である私自身がよく分かっている。そしてそうであるなら、この本の主人公は母ではない。


けれど、母が、この国の生まれではないこともまた事実だった。


「……お嬢様?」


すっかり考え込んでいた私に、アルが躊躇いがちに声を掛けてくる。

彼の顔を見つめながら思う。

全てを話すのなら、今しかないと。

だけど、それを口にすることによってこの先の道が大きく逸れる可能性もある。


『アルフレッドが可哀想。貴女を主にしたから、彼は死んだのね』


いつかの人生で、聞いた言葉が甦る。

何を言うべきか逡巡しながら、ゆっくりと口を開いたそのとき、


―――――コン、コン


誰かが部屋の扉を叩いた。







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