軍隊とは家計における警察である。
近年、自衛隊は軍隊だとし、自称平和主義な善良市民による集団的自衛権に反対する運動が行われているらしい。記事を読むに反原発と集団的自衛権行使に反対する母親等が『ママデモ』という形で参加者を集めて行ったとある。反原発や集団的自衛権については様々な人々の様々な意見があるだろうからあえて私がどうこういう事もないだろう。
ただ、一つだけどうしても気になったことがある。
「戦争より命。原発より命。子どもたちに虹色の未来を」「戦争と聞いて不安です」
という発言だ。
まず言いたいのは、自衛隊はあくまで自衛の物であるのに戦争より命、戦争と聞いて不安という事だ。こちらが仕掛けるならそれに対して反対するのも解るが、この人たちの戦争はどうも自衛戦争までも非難する節がある。そもそも誰も戦争するとは言ってない。
強盗はある日突然訪れる。こちらがいくら拒否しても来るし無論話も通じない。また、唐突に来るそれを未然に防ぐのは難しい。強いてできるとすれば警備会社と契約するなり監視カメラを設置するといった抑止力となるものを家に置くことだろう。
しかし、そういったものから身を、家庭を守ってくれるためにあるのが警察という組織だと私は思っている。
この事をもって言い換えるとすれば、自衛隊はすなわち警察となろう。
話しが通じない、交渉のできない侵略者はすなわち国土を脅かし、その財貨を狙う強盗である。それを未然に防ぐ抑止力として、警備会社の役割を果たしてくれているのがアメリカ軍と言ったところではないだろうか?看板を掲げるだけでどんな強盗も警戒する。しかし、強盗とは警備会社と契約している家でも盗みに入る事がしばしばある。リスクと得られる財貨を天秤にかけて後者に傾いた結果であろう。警備会社というのは実際に抑止力を持つだけで実働して犯人を撃退するケースは少ない。そんなとき実働して強盗から我等国家という家庭を守ってくれるのは誰か?それこそが自衛隊だと私は思う。
「戦争より命。子どもたちに虹色の未来を」とあるが、自衛のために命を落とすことさえも忌むべき行為だと言うのであろうか?それは違う。警官だって強盗にナイフで刺されて死傷することだってある。ならば自衛隊が強盗の凶弾に倒れることだって国という家庭を守るための戦死である。これは警察の殉職と何が違うのか?
自衛隊は所謂世界という大きな組織の中の一警官である。各家系から子供を出して警察という組織が形成されるように、国家というそれぞれの家計から自衛隊や軍隊を集めて国際連合という治安組織が成り立っているのではないだろうか?すなわち、自衛隊を否定する人は警察の存在をも否定しているといえる。
結論としては、自衛することを拒否しようとするお花畑の住人は自分たちがいくら強盗に襲われようが警察などの手は一切借りないでいただきたい。なぜならそれは、自分の子供に危険を背負わせたくないと言っておきながら、よそ様の子供に強盗のとばっちりを受けて怪我する可能性を押し付けているのだから。