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短編小説

『やり直しますか?』

作者: うわの空

「この駅でこれから起こる出来事を、僕は知ってるんです」


 僕がそう言った時、駅員はあからさまに不審な顔をした。それはそうだろう。いきなりこんなことを言われて、へえそうなんだと思う人間の方がおかしい。

 中途半端な田舎にあるこの駅には今、僕を含めても数名の利用客しかいなかった。苛ついた表情で時計と時刻表を交互に見るような人間もいない、のんびりとした空間。そんな中でこんな発言をする僕は、相当浮いているだろうとも思う。

 けれど僕は、話を続けることにした。駅員にどう思われても構わない。ただただ、疲れていた。


「僕は今、母と妹の三人でこの駅に来ました。遊園地に行くためです。――駅員さんも知ってますよね? ×××遊園地。あそこに行くんです。ちなみに僕は中学二年生、妹は五歳です。年の離れた兄妹ですが、その分仲は良いですよ。だから、あんな小さな遊園地にも同伴するんです。中学生の僕が行っても面白くない場所ですが、妹が喜ぶならそれでいいと思ってね」


 話の筋が見えないのか、駅員は眉間にしわを寄せるばかりだ。大人をからかうもんじゃないよ、等と言うつもりだろうか。どうでもいい。残り時間はあと七分ほどだ。


「ところがね。結果的に言うと、遊園地には行けないんです。どうしてだと思います?」


 駅員は答えない。想像力の乏しい人間なのかもしれないし、不審者の質問に答える義務はないと思っているのかもしれない。何度も見たことのある駅員は容姿端麗で、中性的な顔立ちだった。美人な女性にも、綺麗な男性にも見える。名札には苗字しか書いていないので、性別までは分からない。なんだかんだで、話しかけたのも今日が初めてだった。

 どうして僕たちが遊園地に行けないのか。その回答は、とてつもなく簡単だった。



「妹がね、ここで事故に遭って死ぬからなんです」



 駅員は、何が何だか分からないという顔をした。僕は「あれを見てください」と、妹の持っているウザギのぬいぐるみを指差した。全長三十センチほどの白いウサギは、フリルのついた赤い服を着て、妹の腕にすっぽりと収まっている。


「もうすぐ、妹があれを線路に落とすんです。妹はそれを拾おうとして、電車にはねられ死亡します。――これが『一回目の出来事』で、この物語の『根幹』でした」


 無表情な僕とは対照的に、妹と母は楽しそうに笑っている。近くにいるお婆さんはのんびりと空を見上げて時間を潰しているし、子連れの夫婦は走り回る子供をたしなめつつも談笑している。つまりは、休日の午前中にふさわしい、とてものどかな田舎の風景だった。この風景が消え去るまで、そう長くはない。


「妹が死んでから、母は精神病を患いました。どうして助けてあげられなかったんだろう、どうして自分があの子の変わりに死んであげられなかったんだろうって、そればかり呟いて。――今はここにいない父も、そんな母を見ているうちに、引きずられるようにうつ病を発症します。一家は崩壊して、薄暗い空気しか吸えない毎日が続くことになるんです」


 僕は元凶となるウサギのぬいぐるみを睨むようにしながら、話を続けた。


「そんなある日、声が聞こえたんです。『やり直しますか?』という声が」


 ぎょっとした駅員を見て、僕は笑った。我ながら、薄っぺらい笑顔だった。


「僕もついに幻聴が聞こえるようになったか、と思いました。けどね、その幻聴は続けるんです。――やり直すのであれば、あなたには【妹を救う力】を与えましょう。ただしその力を使ったならば、あなたは他のものを失うことになります。ご注意ください。……なんてね。所詮は幻聴の言ったことだと、迷うことなくやり直す道を選びました。そしたらね、本当に時間が巻き戻ったんです。ちょうど、妹が死ぬ一週間前に」


 駅員はもはや、何も言おうとしなかった。話を中断させられるよりは、そっちの方がよっぽどいい。どうせ僕は、誰かに話を聞いてほしかっただけなのだから。


「そうして一週間後、僕はまた、妹が死ぬ日を迎えました。けれどね、二度目のその日、妹は死ななかった。僕が助けたからです。……あの声の言った通り、僕には妹を助ける力があった」


 ただしそれはきっと、神様のきまぐれと意地悪でしかなかった。


「妹が線路に落ちた、助けなくちゃと思った瞬間、僕は人の形じゃなくなったんです。――どんな形になったのかと訊かれても困ります。見たことのない姿だったので、動物にすら例えられません。強いて言うなら、肌は爬虫類そっくりでした。なのに、皮膚のあちこちがパックリと開いていて、赤黒い肉が見えているんです。眼球はなくなっていて、それがあった部分にはぽっかりと穴が開いていました。視力がなくなった訳ではないんですが。……爪は異様に長くて鋭くて、人間なんて簡単に殺せそうな――いや、きっと簡単に殺せると思います。だってその姿になった僕は、真正面から電車を受け止めても無傷だったんですから」


 妖怪人間、というのをテレビで観たことがあった。あれに近いかもしれない。姿も、心境も。


「――電車を力尽くで停車させて、線路の上でうずくまっている妹に大丈夫かと声をかけました。我ながら、どこから声を出したのかも分からないような、ざらざらした声で。……そしたらね、ウサギのぬいぐるみを片手に、妹は大泣きするんですよ。『こわい』から始まって、ごめんなさい、ころさないでくださいを連呼するんです。……僕に向かって」


 ――かいぶつさん、ごめんなさい、ごめんなさい、おかあさんたすけて、こわいよ。


「母は母で、泣き叫んでいました。妹が助かったという喜びより、僕に対する恐怖の方が遥かにうわまっていたと思います。何を言ってるのかさっぱり分からない声で、とにかくヒステリックに叫び続けていました。周囲の人たちも同じです。お婆さんは腰を抜かしたうえに失禁していましたし、向こうにいる夫婦は子供を連れて逃げて行きました。――駅員さん。あなたもね、叫んではいませんでしたが、頭を抱えてその場で震えていましたよ。僕の姿がよっぽど怖かったんでしょうね」


 僕は笑うが、駅員さんは笑っていない。まあ、笑える話でもないだろう。妄言だと言われればそれまでだ。


「結局、妹を助けるために怪物となった僕は、家族との絆をなくすことになりました。未確認生命体だとかで、警察だの動物愛護なんちゃらだのに追いかけまわされて、安住の地なんてものもなくて、山奥で息をひそめながら暮らすことになります。怪物になったら二度と、人間の姿には戻れないのだと知りました。――これが、二度目の今日でした」


 そうしてまた聞こえる声。――やり直しますか?


「三度目から、僕はあれこれ工夫しました。まず、自分は人間の姿のままで、妹の死を回避できる方法を探しました。妹の死の一週間前から、遊園地に行くのは辞めようと言い続けました。その日は出掛けるなとも忠告しましたが、すべて徒労でした。遊園地が中止になったら、妹は公園に遊びに行くと言いだして、道中トラックにはねられるんです。×××遊園地ではなく他の場所に行くことも提案しましたが、この場合もやはり電車に。電車でなければバスに。バスでなければトラックにはねられます。時間帯を変えても、駅を変えても無駄でした。ぬいぐるみを線路に落とさなければいいのだと、ウサギのぬいぐるみを隠してみたりもしましたが、今度は足を滑らせ転落しました。落としたぬいぐるみを拾うため、線路に飛び込もうとしている妹の肩を掴んで引っ張ったら、中途半端に頭部だけが電車と接触し破壊されたこともありました。その時ももちろん、妹は死にましたよ。脳を撒き散らしてね。一切外出させないように、妹を家に縛りつけようとしたこともあります。けれどその時は母にとがめられ、そうこうしているうちにやはり妹は死にました」


 ダイジェストのつもりだったが、思った以上に長くなってしまった。これでも、半分以上は端折っているのだが。


「次に、自分が怪物になっても家族の絆が切れない方法を考えました。自分はこんな姿をしているけれど人間で、あなた達の息子で、君の兄なんだと説得しましたが、誰も聞いてくれませんでした。怪物になる瞬間、その姿が視認できないよう試みましたがこれも駄目。自分が善良な怪物なのだと理解してもらえるよう、あらゆる人助けをしてみましたが、人間を襲いに来たのだと勘違いした警官に撃たれてしまいました。自分が怪物になる一週間前から、怪物は怖くない生き物なのだと母と妹に力説したこともありましたが、これも意味がありませんでした。みんなその場では、そうだね怪物も優しい心を持ってるんだね、なんて納得してくれるんですが、現物を見た途端に豹変するんです」 


 話しているだけで疲れる。こんなやりとりを、もう何度繰り返しのだろう。妹は何度も死んで、僕は何度も怪物になって、いつでも何かを失った。


「……怪物になった後、一度だけ家族の様子を見に行ったことがあります。山をこっそりと下りて、自分の家へと向かいました。――僕のいない家族は、みんな笑っていました。幸せを絵にかいたような、そんな表情で。けれどそんな笑顔の裏側では、僕の事を忘れようと必死でした。僕の持ち物はすべて処分して、僕は最初からいなかったのだという事にして……。そうやって、父も母も妹も、幸せに暮らしていました」


 実際に彼らが幸せだったのかどうかは、分からない。ただ、妹が死んだ時のような空気はなかった。



『やり直しますか?』



「――やり直しますか、と何度訊かれたかはもう分かりません。ただ分かっていることは、妹を助けるには僕が怪物になるしかないということ。そして怪物になれば、家族との絆を失うということです。妹を助けたいのであれば、人としての僕を捨てなければならない。人間として生きたいのであれば、妹を見殺しにするしかない。……これはもう確定要素で、変えることができないんだって、ようやく気付きました」


 駅員の方を見ると、青ざめた顔で妹の方を見つめていた。ホームからウサギのぬいぐるみを落としてしまったと、妹が騒いでいる。――そろそろ時間だ。 


「こんなつまらない話を聞いてくれてありがとうございました。【僕の物語】はこれで最後です。金輪際、やり直すつもりはありません。これでようやく『今日』を終わらせることができます」


 迫りくる電車を見ながら、僕は笑った。これほど清々しい『今日』は、きっとなかった。


「それでは、もう会うこともないと思いますが……お元気で」


 僕は何か言おうとする駅員に向かって手を振ると、線路に飛び込もうとしている妹よりも素早く、線路に飛び降りた。


 妹を助けるならば、怪物になるしかない。

 まず、これが間違いだった。僕はきっと、自分自身も助かることを前提に、物事を考えていた。


 僕が人間として生きる道を選べば、妹が死ぬ。

 けれど、これを逆に言うならば。



 僕が人間として死ねば、妹は助かる。そして僕は、家族を失うこともない。



 僕は急いでぬいぐるみを拾い上げると、妹に向かって放り投げた。妹は泣きそうな顔で、母は絶望的な顔でこちらを見ている。お婆さんも見知らぬ夫婦も、ぽかんと口を開けたままだ。

 電車と僕との距離は、おおよそ一メートル。どう考えても、もう助からない。放り投げたウサギが弧を描くのを見ながら、僕は笑った。これでようやく、満足できる今日が終わるのだと。



 そうして、動かなくなった。 



 動かなくなったのは僕の心臓ではなかった。放り投げたウサギのぬぐるみが、迫っていた電車が、僕の周囲の人間が、――僕を除くすべてが、動かなくなっていた。


「……やり直しますか?」


 そうして聞こえる、大嫌いな声。僕は目を見張った。その声の張本人は、ホームから僕を見降ろしていた。男性なのか女性なのか分からない端麗な顔。先ほどまで無言で僕の話を聞いていたその人は、饒舌に話し始めた。


「なかなか面白い見解を聴かせて頂きました。確かにあなたが仰っていた通り、あなたの選択肢はおよそ二つしかありません。怪物になるか、見殺しにするかです。それ以外の選択肢、……例えば今、あなたの取った行動は、本来ならば選ぶべき答えではありません。それは、単なる自己満足でしかありませんよ。あなた以外の家族は、あなたを失うことになるのですから」


 どこまでも冷めきった目で、その人は続けた。


「あなたはここで死んでも、この世界はここで終わりません。……あなたが死んだ後、この世界がどうなるのか教えてさしあげましょう。あなたの母親は重度のうつ病を発症し、五年後に自殺します。更に、あなたの事と母親の事を悔いた妹は、十年後にやはり自殺を。――完遂こそしませんが、重度の後遺症が残り、死んだ方がよかったと思えるほどの地獄を味わうこととなります。父親は、死にたいと言い続ける妹の介護を続け、楽しいという言葉の意味も忘れて死んでいく。あなた一人がいなくなることで、家族全員がバラバラになる。それが、この世界での末路です」


 それでもなお、あなたはこの選択肢の続きを選ぶのですか。



 宙のウサギは楽しそうに笑う。

 電車は僕の回答を待っている。

 何度も繰り返した今日はいつだって残酷で、僕の欲する未来は永遠に訪れない。


 それでも、



『やり直しますか?』




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― 新着の感想 ―
[一言] 昔、死ぬ運命を回避するってゲームを少しだけやったことがありましたが、それを思い出しました。 等価交換的にどれを選んでも何かを失うというのは辛いですね。妹の死を見続けなければならなかった兄の…
[一言] 恐ろしい話ですね。 結局は妹は死んでしまいましたが、なんどやり直してでも妹を助けようとする青年はかっこいいな、と思いました。 とても、面白かったです。
[一言]  なんか、実際の人生とも重ねてしまいます。「やり直す」ことはできませんが、数ある選択肢のどれを選択しても結果が想像できる時……。  「彼」はその選択肢を試せるという幸運か、と、最初は思いまし…
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