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五章―2

「へ!?」

「おいおいおい」

 大輪はまるで一つの大きなタイヤのようにゆっくりと前方へと転がり始めた。下にあるアトラクションや綺麗に飾られた通り道、ショップが簡単に潰されていく。

 がごん、がごん、と前方へと進む大輪はこちらへと向かってきていた。

《未来》の忘却者は、《最悪な未来》を展開している。これは、その影響なのだろうか?

「こ、怖っ!!」

 小さく悲鳴を上げる星歌を無視して、郁斗は下界を見る。下の《対策チーム》も観覧車の大輪が外れ、こちらへと向かってきていることに気付いて、逃げ始めようとしていた。

 ――確かにこのでかさじゃ、並大抵の力では敵わない。

 けれど、郁斗には星歌がいる。

 星歌と力を合わせればもしかしたら何とかなるかもしれない。いや、何とかしてみせる。その決意が星歌にも伝わったのだろう。星歌は果敢にも、眼前に迫りくる大輪を睨みつけていた。

「行ける?」

「おうよ!」

 このグリフォンの姿では太刀打ちできない。ならば、もっと大きく、もっと強い生物をイメージする。さらに星歌と強く、深く繋がり――途端、その繋がりが途切れた。

「郁斗!」

「!?」

 ば、と視界が覆われる。星歌の体とわかった。柔らかく、星歌の体がグリフォンの顔面を包んでいることに気付き、郁斗は体をばたつかせた。ひゅ、と吹いた冷たい風の中に、微かな悪意を感じて――

「あああぁぁぁあぁぁぁぁっっ!!」

 星歌の悲鳴と、血の匂いが散った。

 ずるり、と視界が開く。星歌の体が顔からズレて、落下しようとしていた。

「星歌!」

 グリフォンの体を保てなくなり、咄嗟に人間の体になり、落ちていく星歌の後を追う。ばし、と星歌の腕を掴み、引き寄せた時、息がとまった。

 星歌の顔面は血まみれだった。

 特に左目が真っ赤で、深く大きな裂傷が一つ走っている。ぼたぼたととめどなく溢れ出る血が、地上へと零れた。

 これも《未来》の忘却者が導いた《最悪な未来》なのだろうか。

「くそ!」

 大輪が中心軸から外れ、地上へと落下した時に押し潰されたゴンドラの破片が飛散し、星歌の目を貫いたのだろう。これもまた《未来》の忘却者の仕業なのだろうか、と、焦燥と後悔と怒りに舌打ちする。

「痛い、いたい……!」

「星歌!」

 落下していく。

 風を突き破って、ぐんぐん迫る地上に郁斗は再び体を変化させた。鷲の姿になって背に星歌を受け止めて、どすん、と地面へと落下した。衝撃が体を突き抜けて、激痛が意識を一瞬奪った。まともに呼吸ができずに、しばらくその場で倒れ伏す。ごろり、と背中から星歌が地面へと転がった。

「……星歌」

 星歌は左目を抑えている。その手のひらから真っ赤な鮮血が流れていた。右目が強く瞑られて、涙が伝っている。

「大丈夫?」

 大丈夫ではないことは明白だ。郁斗は何とか体を起して、人間の姿へと戻る。ずき、と鋭い痛みが腹から全身に駆け抜けた。骨が数本折れたようだった。

「私は大丈夫」

 瞑られていた右目が薄らと開く。涙で濡れた目が柔らかく細められた。

「全然大丈夫そうには見えないけど?」

「平気だよこれくらい。……それに相棒だからね。守るのは当たり前だよ」

「ありがとう」

 に、と血に染まった顔で、星歌は笑った。

「どういたしまして」

 がごん、と再び観覧車の大輪が回る。スピードは遅いが、進む幅が広い。このままでは潰されてしまう。そして、がしゃん、と周囲に小型のアトラクションが集まっていた。

「……どうしよう」

 星歌が上体を起こして、周囲の状況に気付いて、不安に顔を曇らせた。

「星歌」

「な、何?」

「もう一度、繋がろう」

「……え!?」

 驚きに声を上げる星歌に、郁斗は淡々と言う。

「繋がって、もっと力を上げれば、簡単に片がつく」

「駄目だよ!」

 それを星歌は力いっぱい否定した。

「だって、繋がれば郁斗も目が……!」

 星歌の《繋がり》は、他人と一心同体になる力だ。力は共有できるし、意思も通じる。けれど、同じように自分が負った怪我が相手にも伝わり、同様に負傷してしまう。

 星歌は、左目を負傷している。

 それはもう、治らないほどの深い傷を。

 郁斗は負傷した星歌と繋がれば左目の怪我が、同様に刻まれるだろう。

 それを、星歌は心配していた。

「駄目ったら、絶対に駄目だからね!」

 もちろん、不安はあった。怪我のことではなく、深く繋がり合うことについて、だ。繋がれば繋がるほど強くなるが、その分リスクだってある。それは一昨日起こった電車での《繋がり》の事件。多くの死者が出た。多くの人の心に過去を想起させた。そう、過去にだって一回起きているのだ。もしかしたら、今回も繋がって、暴走する危険性だってある。

 でも――、

「大丈夫だ」

 そう、大丈夫なはずだ。今の自分たちなら、大丈夫だ。過去の自分自身しか見ていなかった自分と、今は違う。

「僕たちは、パートナーだ。あんたが受けた傷は、僕も受けるべきだ」

 傷を分かち合うのだって、相棒である自分の役割だ。

 傷を分かち合い、戦う――それがコンビを組む郁斗の役割。とても痛いことだろうけれど、独りではないという、喜びがある。

「それに、あんたには悪いけど、僕も怪我している。もしかしたら、繋がった途端、酷い目に遭うかもしれない」

 心配するのは、その点だけだった。

 星歌は郁斗の真意を見定めるように、じ、と目を覗きこんでいる。がごん、と観覧車がゆっくりと進む轟音が響いた。それに呼応するかのように集まった小型のアトラクションもにじり寄ってきている。

「僕たちは独りでは何もできない」

 傷だらけの彼女の手のひらを、郁斗は手に取る。

「でも、二人ならやれるんだ」

 がごん、と響き渡る轟音。アトラクションは、痺れを切らしたかのように一斉に襲いかかってきた。焦りが生まれる。しかし、こちらを見つめている星歌の目から視線を外せなかった。

「後悔しても、知らないよ?」

 呆れたように、星歌が微笑む。

「大丈夫」

 握り返された手のひらを、郁斗も強く握り返した。

「後悔は、絶対にしない」

 そして、かちり、と体の奥で何かが嵌り込む音が鳴った。凜、と星歌の力が流れ込み――突然、左目に激痛が襲った。思わず苦悶の声が漏れるのを、奥歯を強く噛みしめることで耐えた。

 これは星歌の痛み。

 そして、郁斗の傷でもある。

 二人は、二人の傷を負い――さらに深く繋がり、互いの心の強い思いが溢れてくるのを感じた。

 星歌が思いに触れて、息を呑む。

 星歌の感情がこちらに伝わってくる。

 自分と星歌の過去に起きた事件を――そして、今までのことを知り、愕然とする気配が。

 そして、その罪悪感を無意識に引きずっていたことが流れ込んでくる。

 焦り、後悔、驚愕、悲しみ、それよりもはるかに大きい罪悪感。罪悪感を覚えたせいか、《繋がり》の力が不安定になる。ピンと張りつめていた糸が一気に弛むように、込み上げて確かに繋がり合っていた力が、動揺し始めた。

 アトラクションが二人へと突進してくるのを見て、不安定な力を振り絞りながら郁斗は再びグリフォンとなって星歌をくわえて空へと飛びあがった。下ではアトラクション同士が衝突しあい、無残にも大破していく。

「ごめん! ごめんなさい!」

 星歌の感情が千千に乱れるのがわかる。

「私……! 私、とんでもないことを……!」

 くわえられながら泣き始める星歌に引きずられて、悲しくもないのに郁斗も涙が溢れてきた。ばさり、と大きく羽ばたいて、しかし、不意にぐらつく。あの悪意を孕んだ風のせいだろうか、と考えて、それは違うことに気付いた。

 不安定すぎる星歌の力に、郁斗も振り回されているのだ。

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