三章―2
「……」
星歌はこれを知らないだろう。
自分がどれほど他人から敬遠されているか。どれほど憎まれているか。もう元には戻れないという嘆きが。
そう、元には、戻れない。
「いっくん」
メリーゴーランドに乗りながら、幸明が声をかけた。
「自分の意志を、しっかりと見ろ」
「……」
「じゃないと、今度こそ本当になくなるぞ」
――何が?
何が、なくなるというのだろう?
自分にはもう何もないというのに。
「わかってますよ」
そう頷いて、郁斗は再びガイドマップを見る。
もし、この場に星歌がいたらどうしているのだろう?
ガイドマップを覗きこんで、楽観的に笑うだろうか? それとも、この戦場で顔を引き締めるだろうか? それとも――……。
考えて、止めた。
もう星歌はここにいない。
星歌は隣にいないのだ。
もう、元には戻れない。
何だろうか。この思考に暗い影を落とし、どこか虚しく感じるこの想いは? 何かにすがりつきたくなり、無様にも泣き喚きたい衝動は?
「……」
歯を噛みしめて、耐える。
その空虚さに目を向けず、その反対側にある憎悪と苛立ちを見つめていた。
* * *
「夢子さん」
星歌は建物の中にいた。この建物が何なのか、よくわからない。だだっ広い部屋には何もなく、星歌と夢子と、憮然とした表情の男が二人いた。
「ここ、どこですか?」
フローリングの床に座りこみながら、この部屋をぐるりと見渡す。舞台に、仰々しい真っ赤なカーテン。演説でもするかのような堅苦しい空気に、僅かに不安になった。
「私にもわからないわ。でもきっと会議とか演説とかに使われている場所ね」
「そうですか……でも、何でこんなところに私たちいるんですか?」
「そうねぇ、どうしてかしら?」
自分と同年代か下であろう少女――夢子が、不安がる子供を安心させるかのような手つきで、星歌の頭を撫でた。
「……」
うまくはぐらかされたのだろう。
星歌は持ってきていた日記をぎゅ、と抱きしめた。ここに自分の全てがつまっている。言わばもう一人の自分だ。これには嘘も、ごまかしも書かれていない、真実だけが書かれている日記。
星歌は縋る想いで、ぎゅ、とそれを抱きしめ続けた。
時折聞こえる、自分に対する陰口――「人殺し」という言葉が、聞こえてくる。それはこの部屋にいる星歌と夢子以外の男二人の言葉だった。
人殺し、って誰が?
自分のことだろうか?
わからない。
そのことは、この日記にも書かれていない。
――怖いよ。
もう一人の自分に、助けを求めた。求めても、助けなど来ない。
――郁斗。郁斗なら、こんな時、どうする?
恐怖に立ち向かう?
それとも「関係ない」と切り捨てる?
「星歌、大丈夫?」
そ、と撫で続ける手が止まる。夢子に顔を覗きこまれて、星歌は慌てて笑みを繕った。
「私は大丈夫です!」
あはは、と笑って、ごまかす。嘘だということがわかっているのだろう。
夢子の顔は晴れずに、ますます曇っていった。
「あなたが何を思い詰めているのかわからないけど……あなたは、あなたらしくしてて? あなたに嘘は似合わないわ」
私、らしく?
私らしく、とは何だろう?
そう問いただしたいが、きっと答えてくれないだろう。
寂しい。ここには誰もいない。不安だった。わけのわからないことが多すぎて。そして、何故だろう。誰かに謝りたくて、謝りたくて――泣きたくて仕方がなかった。
* * *
それは突然だった。
『中央の都』にいた郁斗、幸明、《対策チーム》たちの前に、一体のぬいぐるみが現れた。
『コンニチハ』
二本足で立ち、女の子のワンピースを着たピンク色のウサギのぬいぐるみは、片言口調で喋った。
「ん? さすがテーマパーク。ぬいぐるみまで喋るのか……」
「感心してる場合じゃないですよ。幸さん。明らかにこれ、おかしいじゃないですか」
「可愛いじゃん」
「可愛いからといって、油断すると痛い目見ますよ」
背後ではすでに《対策チーム》が身構えていた。郁斗も少しずつ、この人形から距離をとる。このぬいぐるみは、恐らく《未来》の忘却者の能力によるものなのだろう。ぬいぐるみが纏う殺気は、尋常じゃないほどに鋭く、歪んでいた。




