二章―30
少女――星歌は心の呼び声が聞こえたかのように、郁斗を振り返った。ふわり、と黒髪が揺れる。星歌は郁斗を見て、小さく首を傾げた。それでも視線は外さない。じ、と郁斗の心の中を覗くように、直視していた。
「……?」
星歌が、誰? と口を動かす。声になっていない問いに、郁斗は答えなかった。
「星歌」
星歌の後ろに立っていたもう一人の少女――《夢》の忘却者が、星歌を呼ぶ。そ、と星歌の手を掴んで、優しく引っ張った。
「行こう」
「あ、うん」
《夢》の忘却者はぺこり、と頭を下げる。星歌も頭を下げて、こちらに背を向けて歩き出した。その背中はこちらを見ようとしなかった。
* * *
誰だったんだろう? と夢子に手をひかれながら、ふと思う。
華奢な体をしていた少年だった。背も星歌と同じくらいで、男の子にしては痩せた体つき。一切感情を出さないと言わんばかりの無の表情が浮かんでいたが、女である自分からして見ても少年の整った顔立ちは可愛かった。中性的、とでも言うのだろう。笑ったらとても可愛いんだろうな、と男の子だったら絶対に喜ばない感想を抱きながら、思い出していた。
あの無表情は、少しのことでも絶対に崩れないんだろうな、と、少年と目があった時そう思った。けれど、違った。彼は星歌のことを視認した途端、目を見開いていた。口も何か言いたげに少し開いて。しかし、その表情はすぐに消えて、また無表情に戻ってしまっていた。
――誰?
と、思わず呟いてしまった。
きっと、彼は答えない。
そして予想通りに彼は答えなかった。
けれど、眼が、動揺を浮かべていた。
驚いたような――違う、もどかしさ、だろうか。何か言いたいのに、何も言えない、そんな歯痒さのような動揺。
何でそんな顔をするんだろう?
星歌は、彼のところへと行こうとした。その時、優しく、けれど、強く引き留められる手があった。
手を掴んだ主を見れば、《夢》の忘却者だった。
「行こう」
と手を引っ張られて、星歌は渋々歩き出した。
振り返りたい。
彼の顔をもっと見たい。
振り返りたい。
彼のところへと行きたい。
そう思っているのに、体は動かない。
何でだろう。
何で、こんな気持ちになるんだろう。
――ねぇ、『郁斗』。
もう、忘れてしまった、かつてのパートナーに声をかける。
――私は、このままでいいのかな?
その答えは、返ってこなかった。
* * *
「よう。久しぶり」
街中の裏路地にひっそりとある今にも倒壊しそうなアパートの一室で、そいつはいた。《知識》の忘却者である、日方昭だ。古いアパートの中はどこか埃っぽく、じめじめしていた。部屋の中にベッドが一つだけという生活感の欠片もない空間には、余所余所しい雰囲気が立ち込めている。
昭は二十二歳の青年だ。パーカーとTシャツにジーンズというラフな格好でベッドに寝転がっている。金色の髪に、色素の薄い目、整った顔立ちがどこか日本人離れした容貌をしていた。
「どうしたのさ? いきなり」
「用件は言わなくても、わかっているはずですよ」
「ま、そうだけど」
寝転がっている昭は、緩慢に上体を起こした。
「《未来》の忘却者の居場所、知っていますか?」
「残念だけど、まだ見つかってない」
きっぱりと言い切った昭に、幸明が目をパチクリと瞬かせた。
「めっずらしいな。あっきー、力弱まった?」
「そういうわけじゃないんだけどさー。いろいろと、妨害がありまして」
「妨害?」
「上の方々が、周辺を荒らすから情報を拾うのが大変なのさ」
「なるほどね」
「ま、何もないところだけど、ゆっくりとくつろいでよ」
「おおよ。ほんとうに何もないところだけど、ゆっくりするわ」
幸明が無遠慮に部屋の中に入り込む。郁斗も続いて入り、表面がざらついた畳の上に座った。
「さて、さて、しばらくそこにいるといいよ。俺は、少し、探ってくるから」
「はい、お願いします」
うん、と頷いて、《知識》の忘却者は寝転んで、そのまま寝入ってしまった。
「ねね、いっくん」
「はい?」
「落書き、してもいいと思う?」
「ダメですからね」
そんな調子で一時間、二時間と経過して――遂に夜になってしまった。
夜になり、朝日が昇ったころ、昭はようやく目を覚ます。
「見つけたよ」
目覚めて、開口一番に、そう告げられた。
「荻呂市にあるテーマパーク、『アイランド』にいる」
――と。




