二章―24
がしゃ、がしゃ、とガラス片を踏む、慌ただしい足音と一緒に、
「郁斗!」
隣の車両から、星歌が来た。
「うわ……」
星歌がこの車両の惨状を見て悲痛に顔を曇らせる。けれど、き、と毅然に《未来》の忘却者を見据えて、郁斗に近寄った。
「郁斗、大丈夫?」
「僕は何ともないよ。そっちこそ、腕、大丈夫?」
《未来》の忘却者を注視しているため彼女の腕の状態を見られないが、常人以上の嗅覚を持っているため、つん、とする鉄錆の匂いが星歌に纏わりついているのに気付いていた。
「別に大丈夫だよ。それよりミケさんは?」
「外に放り出された」
「え」
「大丈夫だよ。あの人はこんなことじゃ死なないから」
「ほんと?」
「本当だよ」
「……良かった」
安心したように、星歌が胸を撫で下ろす。
「郁斗」
す、と星歌が手を差し出してきた。それを見て、ちら、と星歌を窺う。彼女も同じことを考えているようだった。
「怪我してるから、ちょっと痛いかもだけどね」
勝気に、星歌は笑って見せた。
その笑顔を見て、郁斗も笑う。
「そんなの、大丈夫だよ」
ぎゅ、と郁斗は、星歌の手を握った。
かちり、と、互いが互いを嵌り込む感覚と共に、相手の情報が一気に流れ込んでくる。星歌の記憶――先ほどの記憶が、郁斗の記憶へと流れ込んで、混合された。星歌の怒り、悔しさ、悲しさ、遣る瀬無さ、その全てが伝わる。
ずきり、と腕に痛みが走った。刃物で刺されたかのような鋭い痛みと、熱だ。よく、戦いに慣れていない星歌がこの痛みを我慢できたな、と素直に感心してしまう。
大丈夫?
星歌が心の中で問う。
――大丈夫だよ。
そう、なら良かった。それで、どうするの? 何か、あいつ変だよ?
――僕の記憶を見ろ。
……うわ。〝気狂い〟って、大変じゃんか!
――そうだよ。だから、やっつけなくちゃいけない。わかるね?
あはは。がんばるよ!
「よし、行くぞ!」
風が吹き荒れる中、郁斗は走り出す。ぐるん、と世界が変わり、全てが変貌した。太い前脚で床を蹴り上げ、ライオンとなった郁斗は《未来》の忘却者へと突っ込む。不意に風の流れが変わった。吹き荒れる風が郁斗を吹き飛ばすように、一気に押し寄せてきた。
――グリフォンに……!
そう思う。
けれど、グリフォンになれるだろうか? そして、この狭い車内の中でグリフォンになっても大丈夫だろうか?
勝算よりも、不安の方が大きい。
――違う。もっと。グリフォンよりももっと大きな力じゃないと……!
郁斗は風に巻かれそうになりながら、必死に床に爪を立てていた。ぎり、と爪が床を引っ掻く。
「……郁斗?」
星歌の声が聞こえた気がした。呆気にとられたような、異様な自分の思考にただただ不思議そうに。
もっと。
もっと、強い力が欲しい……!
知らず、喉から唸り声が上がる。狩りをする前の飢えた本当の獣のように。
どうしてグリフォンになれた?
それは、自分の能力を星歌の力で繋げられたからだ。
『多くの者と繋がり、強大な力を得ることができる』
福良の言葉が、不意に浮かび上がる。
――多くの者と繋がる……?
グリフォンは、動物と動物で繋げあった幻想上の動物だ。
ならば、人間同士は?
忘却者同士であるならば、忘却者同士の力を合わせれば、どうなる?
答えは、簡単だ。
郁斗は駆け出す――福良の元へ。事の成り行きを見守っていた福良は、どうして自分のところにライオンとなった郁斗が来るのかわからずに眉を顰めていた。
「郁斗!」
風に煽られている星歌が声をあらん限りの力で叫んでいた。まるで、止めろ、と言わんばかりに。
がしゃり、とガラス片を踏んで、福良の前にライオンの姿で立つ。
「何だ?」
郁斗、止めて!
星歌の制止の声が、脳裏に響いた。
――嫌だ。
一蹴して、郁斗は福良を見据える。福良は全身、切り傷だらけだ。それでも、構わない。力が、手に入るなら。
郁斗!
郁斗は前脚をぬ、と出して、福良の脚に触れる。がちり、と嵌り込む感覚と共に、福良の情報が流れ込み――全身に、痛みが走った。
* * *
もう、何が起こっているのか、判らなかった。
全身が痛くて、痛くて、仕方がなかった。ずるずる、とその場に、星歌は座り込む。全身が、汗と血で濡れそぼって気持ち悪い。血を流しすぎた体は気だるかった。
皆の記憶が、想いが、感覚が、全てが流れ込んでくる。
痛み、恐怖、不安が混濁した、全身が凍りつくくらいの圧倒するほどの感情の渦に、涙が滲む。恐い、怖い、それしか思えなかった。
そこには勝利とか、希望とか、そんなものはない。ただ痛みと恐怖にどれだけ自分が耐えられるかという試練と、この先どうなるのだろうかという絶望しかなかった。
「郁斗……」
自分のパートナーの名前を呼ぶ。
郁斗は。
郁斗は、最初福良と繋がった。そして、近くにいた夢子に。さらに近くにいた対策チームの人間に、さらにその近くにいた人間に。そうして、どんどん繋がっていった。繋がっていき、その力を自分へと定着させた。
「郁斗、怖いよ……!」
自分のパートナーに、恐怖を訴えた。
郁斗は多くの忘却者の力を手に入れて、混ぜ合わせて、自分のものとした。一言で言えば、この場にいる人間の力を、自分一人に詰め込めたのだ。力の集合体――それが今の彼だった。
「お願い、皆死なないで……。気絶しないで……」
必死に繋がった人たちに伝え続けた。誰かが死ぬと、全員死ぬ。誰かが気絶すると、全員気絶する。未来は全て、全員の手の中にあるのだ。
「郁斗、郁斗……!」
郁斗は暴れている。全員の力を集めたからだろうか、彼の心は聞こえなかった。声も聞こえないし、届きもしない。
「う、ぁ、……」
誰かが苦しんでいる。
「……あ、ぁ」
誰かが怖がっている。
ダメだ。
駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ―――――!!
「郁斗――――――っ!!」
凜、と体の中で、何かが弾けた。




