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二章―15




   * * *




 ぼんやりと天井を見上げる。木目の天井は見慣れないもので、部屋の中に漂う空気も未だ馴染めずにいた。

 星歌はどこかよそよそしい空間に居心地の悪さを覚えても、それでももう動く気にはなれなかった。ふかふかのベッドに体を沈みこませて、虚ろに視線を天井へと向けている。

 体はここにあっても、思考はまた別のところにいた。

 過去を、虚しく想起する。

 もし――もし、あの時、《未来》の忘却者と繋がっている時に、自分が死ねば、《未来》の忘却者も死んだ。それに導かれた先の未来は、どんなものだったのだろう。

 自分の命を使って、仇を討って、どんな未来が待っていただろう。

 もしかしたら、皆にとって良い未来へと変わっていたかもしれない。

「だけど、皆って、誰だろう……?」

 自分は死のうとした。

 例えそれが間違った方法だとしても、仇を討ちたかった。

 皆の無念を晴らすために。

 でも、無理だった。

 死の恐怖への前で、立ち竦んでしまった。

「はは、馬鹿みたい」

 渇いた笑いが、喉から出る。ひとしきり笑って、星歌は溜め息を吐いた。


 ――自分のために投げ出された命で助かっても、誰も嬉しくなんてない。そうされるくらいなら、僕は死んだ方がましだよ。


 そうなのだろうか。

 迷惑なのだろうか。

 それならば、自分はどうすればいいのだろうか、

 何もできない自分。

 すぐに忘れてしまう自分。

 生きていながら、生きていないような自分。

 なら、この「私」は、何のために、誰のために、使えばいいのだろう。

「ねぇ、郁斗」

 私が強さを求めているように、あなたは自分を求めている。

「でも、でもね」


 ――郁斗に「自分を探せ」と言ったけれど、もうどうにもならないんだよ。


「強くなりたいよ」

 認めたくない。


 ――あんたが諦めているのを見た時、どうしても否定したかった。だって、そこで私も頷いちゃったら、諦めなくちゃいけないじゃないか。


 何もならないなんて。

 どうにもできないなんて。

 夢も、未来も、希望も、期待も、何も持てない。

 そんなの、悲し過ぎる。

「強く、強く、強く、……、……、……、……」

 小さな呟きは、よそよそしい空間へと溶け込んでいった。




   3




 眠りが浅い郁斗の耳に、煩わしい単調な電子音が聞こえてきた。どうやらリビングにある電話らしい。そう気付いて、寝ぼけた頭で携帯の電源を切ったままだったのを思い出した。思い出したけれど、どうにも出る気にもならなくて、布団の中に顔ごと潜り込む。呼び出す音はなおも続いている。仕方がない、と起き上がろうとした時、呼び出し音がぷつり、と切れた。

 聴覚が優れている郁斗の耳に、幸明の話す声が聞こえてきた。

「……」

 彼が何を受け答えしているのか、よくわからない。

 というのも、幸明も寝ぼけているらしく、言葉が「あー」だの、「うん」だのしか聞こえてこなかった。

 やはり、自分が出るべきだった、と反省して。しかし、再び夢の中へと堕ちていく時には、反省や、電話がかかってきたことなど綺麗に忘れていた。






 は、と郁斗は目を覚ます。

 未だ眠気を引きずる体はどこか重苦しく、寝返りを打つのさえも億劫だった。しかし、カーテンから差し込む朝の光は「起きろ」と言わんばかりに、眩く部屋の中を照らす。

「……」

 むくり、と起き上がり、冬の寒さが、生温い体にじんわりと染み込んできた。郁斗は布団から緩慢に抜け出して、自室のカーテンを開ける。朝の光が部屋を照らし出して、ようやく意識がはっきりしてきた。

 リビングへと向かい、ソファにふんぞり返りながらテレビを観る幸明を見つけた時、思わず驚愕の声を漏らしてしまった。

「何で、起きてるの……? 珍しい」

「んー? あぁ、いっくん、おはよう」

「……あぁ、おはよう」

「今日から生まれ変わろうと思って早起きしたんだよ」

「………………そっか、朝、電話が来たんだっけ。何? そのまま起きてたの?」

「おい、人の話を聞け」

「そうだった。僕、携帯の電源切ったままだった。向こうの人たち、怒ってた?」

「そりゃ、もうかんかんに。だから、オレの話を聞けって」

「で? 用件は何?」

「……………………忘れました」

「……」

「……」

「……僕、あいつを起こしてくる」

「オレは後でかけ直します」

 そのままリビングを出て、郁斗は彼女――星歌の部屋へと向かう。聴覚を研ぎ澄ませると、どうやら彼女は起きているらしかった。微かに彼女の部屋から音が聞こえた。

 星歌の部屋まで来て、軽く扉をノックする。

「どうぞ」

 その言葉を確認してから扉を開けると、星歌が何かを読んでいた。

「何、読んでるの?」

 本のようだった。けれど、本とは違う。その装丁を窺うと、見たことがあった。それは星歌が大事にしている日記帳だった。

「日記、を読んでるの」

「そうみたいだね」

「……」

「……」

 途端に、彼女は口を閉ざす。

 星歌の眼だけが動いていた。日記帳に書かれている字を追っているのだろう。

「……」

 何となく。

 別に、そう感じる必要もないのだけれど、どこか気まずかった。

 日記帳には昨日のことがこと細やかに書かれているのだろう。それが何となく後ろめたかった。

 昨日、《未来》の忘却者が襲いかかり、郁斗は星歌の能力である《繋がり》の力で《繋がり》、二つの力を共有して《未来》の忘却者を追い詰めることができた。ただ、捕まえることはできず、逃がしてしまったけれど。それでも大きな進歩であり、発見だった。

 彼女の――星歌の力さえあれば、どんなことでもきっとできる。

 しかし、どんなことでもきっとできるが故に、危険そのものだった。

 無限の可能性は、大きな落とし穴があるものだ。ぽっかりと開いた穴に落ちてしまえば、そこから這い上がる術もなく、ただ朽ちるのを待つのみになる。

 落ちたら最後だけれど、それでも、その危険を受け入れても構わないと思うほどに、彼女の力はとても魅力的だった。

 ――恐らく、《協会》もこいつの力のことを知っている。

 知っているからこそ、認識しているからこそ、彼女を狙っているのだろう。

 そして、《未来》の忘却者も。

 《未来》の忘却者は郁斗と星歌を狙っている。郁斗が狙われる理由はわからないが、星歌に関してはこの《繋がり》の力のせいだろう。《未来》の忘却者は恐らく、彼女の魅力に引き込まれたが故に穴に落ちて、這いあがれなくなった者なのかもしれない。

 星歌はきっとそれを知らない。

 知らされることもないだろう。

 良いように利用されて、危なくなったら閉じ込められる。

 強すぎるが故の、弱点を。

 それを知っている郁斗も、恐らく伝えることができない。伝えてしまったら、彼女はそれこそこれからの未来に絶望を味わうだろうから。別にそれは優しさなんかではない。優しさよりも、浅ましさ、だ。郁斗もまた星歌と同じように、騙されてここにいる。それを知らないふりをして、ここにいる。もし星歌が自身の境遇を知ってしまった時の彼女自身の崩壊に、きっと自分はそれを重ねてしまう。自分もまた誰かの手によって操られた人形でしかないことを重ねて、実感して、――《自身》は崩壊するだろう。浅ましい、卑屈な、情けなく、それでいてこの上ない恐怖に、自分は彼女に伝えられなかった。

 だからこそ、後ろめたく、気まずかった――そのことにようやく気付く。

「……ふぅ」

 ぱたん、と星歌が日記を閉じた。


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