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二章―14

 だから何? と《未来》の忘却者に向かって、一声鳴いた。

 郁斗は獣の前脚と、鳥の後ろ脚で、人間の時も、動物になった時とも感じたことのない不思議な土の感触を踏みしめる。土そのもの硬さと、微かに湿った柔らかさ。細かい砂の粒のざらめき。冷たさや、温かさ。土の上に這う生物たちの動きさえも足の裏から伝わってくる。その感覚を不思議に思いながら、星歌へと近づく。星歌は呆然とこちらへと向かってくる幻獣に見守っていた。ずい、と顔を星歌と見合わせる。星歌の二つの眼に、鷲の頭部が映り込んでいた。けれど、放心している星歌には、それさえも認識していないようだった。

「……」

 その間抜け面に呆れ、郁斗は嘴を開き、鳴く。鋭く、甲高い吠え声が、山を震わせた。

「ひ、あ!?」

 間近で響いた鳥の声と、ようやく気付いた眼前にある鷲の頭部に星歌が無様にも仰け反る。そのまま態勢を崩し、ぺたん、と座り込んでしまった。

「何やってんの……?」

「え、だって、その姿……私の力で? え? どういうこと?」

「……混乱するにもほどがあるよ」

 繋がり、能力は共有できても思考回路は別々らしい。そんなことをぼんやりと考えていると、郁斗の思考を読み取ったのか、星歌がぎろりと睨みつけてきた。


「また、か……」


 ぼそ、とした声が郁斗と星歌の間に割って入る。

「《未来》の忘却者。今度こそ、あんたを捕まえる」

 背中の翼を大きく広げれば、翼によって生まれた影が地面に落とされた。その影に包まれた《未来》の忘却者の表情は薄暗く、よく見えない。けれど、その口は何かを呟いているのだろう、幻想上の生物となり格段に感覚器官が上昇した郁斗でも聞き取れないほどの小さな声量で、ぼそぼそと動いていた。

 不気味、だった。

 何かに取りつかれたかのように虚ろで、けれど、確かな意思がそこにあって。まるで執念から生まれた怨霊のようだった。

「……」

 星歌が、こそり、と郁斗の背後に隠れる。

《未来》の忘却者の不気味な気配を感じ取ったのだろう、僅かに震えていた。

「またか、お前らは……」

「……何のこと?」

「お前らはまた、人を殺すというのか」

「――は?」

「お前らはまた、人の未来を奪うというのか」

「待て。何を言って……?」

 独り言か。それとも問いかけているのか。わからなかったが、それでもその言葉の意味がいまいちよく理解できず、郁斗は《未来》の忘却者に問い返す。けれども。返事はなかった。

「あんたは、何を言っている? 殺す? 奪う? しかも、僕と――」

 星歌、が?

 それとも、また別の存在を示しているのだろうか?

 わからない。

 わからないけれど。

「――ま、いい。《協会》の命により、あんたを捕まえる。その後は《協会》へと引き渡す。協会に戻ったら罰が下るだろう。覚悟しておけ」

 ピクリ、と《未来》の忘却者の指先が動く。

「捕まえる……? お前らが?」

 馬鹿にするように、《未来》の忘却者の唇から微かな笑声が漏れた。

 郁斗はその笑い声にぞわり、と冷たいものが体の中を這うのを感じたが、それでも眼前にいる標的に意識を奪われ、そんな微かな感覚はどこかへと放ってしまった。郁斗は翼を大きく広げ、ばさり、と羽ばたかせる。風が舞い上がり、周囲にある木々や地表を荒々しく撫でた。かり、と地面を引っ掻き、蹴り上げる。

「笑わせる」

《未来》の忘却者は、嗤う。

「人殺しの、お前らが!! 私を捕まえて、罰しようというの!!」

 そして、《未来》の忘却者の体から微かに力が立ち上るのがわかった。

 それに呼応するかのように突然、前方から風が押し寄せてくる。

 脅威と、狂気が凝縮された密度の高い凶器と化した風に、郁斗の体が巻き込まれる。体が捩じ切れそうだと思うほどに風が絡みついた。

 ――負けるか!

 もし郁斗の体が人間か、もしくは動物であったならすでに死んでいるだろう。けれど、今の郁斗はそのどちらでもない。この世には存在するはずのない、幻想上にて雄姿を魅せるグリフォンだ。それがどういう生態であり、性質を持っているのかわかるはずがない。だかこそ、この生物になれた今、化けた今でこそ、グリフォンの成体能力を決めるのは、郁斗の想像力だけだった。

 星歌の能力によってグリフォンと化けることができ、郁斗の考え――勝手に決め付けた能力でその存在は確立されるのだ。

 ――グリフォンに化けた今、負けるものは、何もない!

 嘴を広げ、鋭く啼く。

 鳥のような、獣のような咆哮が、周囲に響き渡った。

 絡みつく風を体に纏わりつかせながら、郁斗はそのまま突き進む。全てを呑みこみ、壊しつくそうとする暴風の領域を一気に突き抜けた。無理矢理に突き抜けられた嵐は、そのまま弾けた。そして、嵐を抜け、穏やかな世界へと飛び込んだ先に、憎悪の炎を揺らし、怨嗟に濁る双眸で郁斗を睨みつける《未来》の忘却者が屹立していた。

 逃げる暇を与えるつもりもない。

 抵抗する時を使わせるつもりもない。

 そして、郁斗の百獣の王者の前脚が《未来》の忘却者へと、突き付け――






 鋭い爪は《未来》の忘却者に突き刺さることはなく、大木の幹を貫いていた。めき、と樹木が軋む音を立てながら、緩やかに傾斜していく。がさがさと枯れ葉を擦れ合わせ、剥き出しの枝をばきばきと折りながら、大木はどすん、と山の中へと沈んだ。

「どこに……」

 行った?

 と、郁斗は周囲を見渡す。

 背後にはぺたり、と未だに座りこんでいる星歌の姿。そして、冬の山中の風景が広がっていた。

《未来》の忘却者の姿は、どこにもなかった。

「……逃げたのか」

 聴覚を鋭く研ぎ澄ませ、周りの音を聴く。自然が奏でる音、星歌の息遣い、そして、

「……」

 雑音だった。ざらざらと音が反響しあって、鼓膜の中を煩く響き合う。自然が生み出した音ではない。星歌が作り出したものでもない。残るは、

「《未来》の忘却者の仕業か」

《未来》の力でも使ったのだろう。郁斗が追いかけてこれないように。

 今から追っても無理だろう。

 今、郁斗はグリフォンだ。追いかければ間に合うかもしれないが、《未来》の忘却者が山の外へと出てしまっていては、この姿ではさすがに人目に付く。それに、また《未来》の力を使われて、上手くまかれる可能性が高かった。

 郁斗は身を震わせる。

 翼がばさりと雄々しく羽ばたき、す、と消えた。翼だけでもなく、鷲の頭も、獣の前脚も、猛禽類の後ろ脚も。空間に溶け込むように消えていく感覚と共に、人間としての感覚が蘇る。幻想上の生き物と、脆弱な人間の能力の落差を実感し、内心苦笑した。同時にほ、とする。

 ――自分は、まだ「郁斗」でいられることに。


 郁斗は背後を振り返る。

 放心した星歌が、呆然と郁斗を見つめ返していた。

「帰ろう」

 無愛想に、けれど、頼もしさを感じながら、郁斗は星歌に手を差し出した。






 あれから、郁斗と星歌は山を後にし、家へと帰った。ぼろぼろな二人を見て幸明は眼を見開いて、間抜け面を晒していた。「何やってたの?」と当然の質問をする幸明に、事のあらましを簡単に説明をした。その時、幸明は珍しく思案する様子を見せたが、すぐに「大変だったねー」などといつも通りの気だるい表情に戻っていた。

 そんな幸明を置いておいて、先に部屋に戻ってしまった星歌の後を追うように、郁斗も自室へと戻った。

 あれから。

 本当に、あれから、いろいろなことを考えた。

《未来》の忘却者のこと。

《繋がり》の忘却者――星歌のこと。

 そして、《繋がり》の忘却者による、強化された力のこと。

 あの時、郁斗は星歌と繋がっていたからこそ、強くなれた。伝説上の生物へと在れた。全て、星歌の能力のおかげで。

 強い。

 それに使い方によっては、《繋がり》の力は無敵になる。

 しかし、

「危険すぎる」

 郁斗はベッドに寝転がり、見慣れた天井をぼんやりと見つめた。

 最初はとても弱いやつだと思っていた。

 けれど、それは違った。

 危険なのだ。

 彼女は。

 彼女の力は。

 あの時は、郁斗と繋がったからあの結果になった。けれど、もし、他の忘却者と繋がれば、彼女の力はどう働くのだろう。一心同体になり、運命共同体になるあの力は。考えれば考えるほど、膨れ上がる不安。《未来》の忘却者を捕まえるという希望は微かなもので、その不安に簡単に押し潰され、塗り潰された。

「……」

 考えても、答えなどでるはずもなく。

「――僕がやれることを、やろう」

 それしか、答えを見いだせなかった。





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