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二章―9

「私は、〝強さ〟が欲しい」

 皆の仇を討つ強さを。

 恐怖に勝てる強さを。

 孤独に負けない強さを。

 誰にも頼ることなく、自分一人でも生きていける強さを。

 ――大好きな人たちと一緒にいられるように。

「……」

 彼女の想いが痛いほどに伝わってくる。

 それが、彼女の、たった一つの、絶対に曲げられない願いだった。

「わからないな」

 そう、その願いはとてつもなく強いものだ。しかし、その想いとは裏腹な想いがもう一つある。こうして彼女と繋がっているからこそ、わかることだった。

「〝強さ〟を求めるあんたは、どうして自分の命を犠牲にするようなやり方をする?」

 強さを求めている星歌は、その反面に自分を犠牲にしようとする自虐的な昏い色を窺わせていた。

 この、今の状況のように。

 自分の命を捨てでも、相手を道連れにするような、決死の覚悟を。

「だって、私は、皆が好きだもの」

 好きだからこそ、この命を捨てることができる。

 例え一緒に生きていけなくても、守ることはできる。

 他人を忘却し、中途半端に生きている自分も、他人のために役に立つことができる。

 自己犠牲を前提とした強さを求める彼女の意思が、薄らと伝わった。

 ――それが彼女の、覚悟の行動。

 だから、囮になるのに怒った。そこには自分の意志がない。自分の覚悟が、何もないから。

 その意思に、覚悟に、決意に、郁斗は嗤った。

「自分のために投げ出された命で助かっても、誰も嬉しくなんてない。そうされるくらいなら、僕は死んだ方がましだよ」

「うるさい!」

 怒声が、静かな山の中に反響する。

「あんたには言われたくない! 逃げてばかりで、諦めてばかりのあんたには!」

「……」

「郁斗の過去には同情するよ。でも、わからないからって、そこから眼を背けるなよ! 〝自分〟がわかないなら、探す根性くらいみせろ! 逃げてばかりじゃ何も見つけられるはずないだろ!」

「――言ってくれるね」

 ぎり、と郁斗の奥歯が、知らず強く噛みしめられた。

 肌を刺すような、そして、心臓が締め付けられるような強い緊張感が張りつめる。互いが互いを睨みつけ、相手の中に燃え上がる怒りと闘志が、まるで自分のもののように感じ――実際そうなのだろう。二人の間にある激烈な感情のせめぎ合いを、繋がりあっているからこそしっかりと感じた。

 ふと、この山の中の空気に、不穏なものが混じっていることにようやく気付く。それを星歌も感じ取ったのだろう。星歌から郁斗は視線を逸らし、観察するように周囲を見渡した。

 そして、視界はそれを捉える。

 郁斗は身構え、星歌がひ、と恐怖で竦み上がりナイフを取り落とすのを視界の端に映った。

「野犬……!」

 十数匹の犬が、郁斗と星歌の二人を、いつの間にか囲んでいた。星歌と対峙していたせいで忍び寄る気配に気づくのが遅れた。失態を犯した自分に苛立ちまぎれに小さく息を吐き出す。

 犬たちは牙を剥き出しに、唸り声を上げていた。低く構えられた姿勢は今にも飛びかかろうとしている。


    どうして、こんなに犬が?


 星歌が怯えながら、心の中に問いかけてきた。

 ――さぁね。山に野犬が住み着いたなんて聞いたことなかったけど。それよりも気をつけた方がいい。相当、気が立っている。下手に刺激すると襲いかかってくる。

「え!? やばいじゃん!!」

 狼狽した星歌は大きな声と共に郁斗に振り返った。

「馬鹿!! 刺激するなって……!」

 郁斗の声の弾みに、犬たちの四肢が山の地を大きく蹴り上げた。吠え声が耳を掠め、郁斗は反射的にぐにゃりと体を変化させる。

 犬たちよりも遥かに大きく、獰猛な大きな獣へ。

 イメージし、それが固定するよりも先に、体は変貌と遂げていた。

 ぐぐぐ、と視界が高くなる。犬たちが思わぬ〝敵〟の豹変に足を竦ませて、後退することも許されない恐怖に縛り付けられたかのように、その場に立ち竦んでいた。

 郁斗の隣では星歌が呆然と郁斗を仰視している。

 それに一瞥をくれてから、郁斗は犬たちに向かって雄々しく雄叫びをあげた。

 山を揺るがす重量感のある咆哮が、びりびりと空気をも振動させる。

「……熊になった」

 呆気にとられ、放心している星歌の呟きが、熊となった郁斗の咆哮に掻き消された。

 轟く咆哮は地響きのような余韻を残し、真冬の山へと静かに溶け込んでいく。その残響を聞きながら、郁斗は犬たちを鋭く睨みつけた。

 前脚を一歩、大きく宙に浮かせて、ずしん、と地へと振り落とす。大地が軽く揺れた。

 圧倒的な獣を前に、犬たちは逃げ腰になり、敵意が萎んでいく。

 さっさと目の前から消え失せろ、と、郁斗は一吠えした。

「――郁斗っ!!」

 焦ったような星歌の声。

 ふわり、と毛を撫でていく風。

 ちり、とした妙な違和感。

 この感覚は、どこかで覚えがあった。

 ようやく、気付く。 

「《未来》の忘却者……!」

 風の中に混じる自分と星歌のものではない匂いに、潜んだ微かな息遣い。その息遣いの中に嘲笑するような押し殺した笑声を、獣となった郁斗の聴覚が敏感に拾う。

「《未来》の……?」

 その姿が見えず、不審に思った星歌が周囲を見渡す。その瞬間だった。

「げ」

 熊相手では敵わないと悟った野犬たちの標的が、郁斗から星歌に変わり、戸惑う星歌へと飛びかかる。

「ひ……っ」

 くそ、と胸中で悪態を吐きながら、郁斗は熊の姿のままで星歌の元へと駆け寄った。しかし、熊よりも身軽な犬たちの方が速い。地を大きく蹴り上げて、鋭い獰猛な牙を一斉に星歌へと向けた。

 ひ、と恐怖に喉を引きつらせる星歌が、立ち竦む。

 ――何をしている! さっさと逃げろ!!

 言葉は獣の重苦しい咆哮となって、星歌に届いた。


    無理。足が……!


 竦んで動けない、と恐怖に震えあがっているせいか、郁斗の内に響く言葉が淀む。

 ――何やってるんだ、バカ!! さっきまでの威勢はどうした!!

 腹の底から唸り声を上げて、犬たちを威圧した。犬たちは猛進する熊にぎょ、と脚を止め、再び弱腰に郁斗を威嚇する。

 犬たちの注目は郁斗に集まった。

 ――今のうちにどこかへと行け!

 そう星歌に心の中で声を荒げた時、風が唸りを上げた。ごう、と鼓膜を振るわせる風鳴りは、まるで巨大な怪物の吠え声のように響き渡って、そして、どん、とした衝撃が郁斗の体を貫いた。ぐらり、と熊の巨大な体が刹那、中空に浮かび上がる。それに気付いた瞬間、体は大地に叩きつけられた。衝動が全身を覆い、息を詰まらせる。ひやりと冷たい水の感触が毛を通り越し、表皮へと触れた。

 がば、と郁斗は素早く身を起こす。

 水が大きく波打った。

 郁斗は周囲を探る。どうやら荒れ狂った突風によって弾き飛ばされて、後方にあった小川まで吹っ飛ばされたようだった。

 ――《未来》の忘却者の力か……!

 恐らく野犬も、突風も、全ては《未来》の忘却者が操ったもの。自分が都合がいいような展開へと導く、忘却者の力だ。

 野犬たちは獰猛な敵が遠くへと吹き飛ぶのを見て安心したのか、傍にいる自分たちよりも劣る獲物を睨みつけた。そして、邪魔者が入らぬうちにと言わんばかりの性急さで、星歌に飛びかかった。

 星歌は、何もできず襲い来る野犬を見つめている。

 ――だから、早く逃げろと言ったのに。

 もう、ここから急いで駆け付けても、間に合わないだろう。

 凍えるような冷たい水の中で郁斗は星歌から視線を外す。

 この世界は弱肉強食。弱い奴は死ぬだけだ。彼女は弱かっただけ。これ以上の干渉も、関心も、負けた者にはない。

 視線を周囲へとぐるり、と巡らした。

 眼を凝らして、敵意ある匂いを逃さぬよう嗅覚を鋭くして。

 ざり、と霜を踏む、吹けば消えてしまいそうなほどに微かな音が、耳に届いた。

 ――いた。

 ぞわり、と毛が逆立つ感覚に、胸の奥が熱くなるほどの闘志が燻る。

 昨夜は捕獲に失敗した。けれど、今回は絶対に捕まえる。

 郁斗は大きく息を吸い込み、戦意の雄叫びを上げようと、大きく顔を天に向けた時。

 べしゃ、

「!?」

 と、顔に何かが張り付いた。

《未来》の忘却者の力がまた働いたのだろうか、今度は何が起こるのだろうか、と警戒心に身構えた時だった。

「郁斗、よくも私を見捨てたな!! 私が死ぬとあんたも死ぬんだぞ!」

 耳がきん、とするほどの声量を耳元で大きく張り上げられ、郁斗は顔に引っ付いたものを頭を振って川の中へと振り落とす。

「いたっ!!」

 きゃん、と子犬が上げるような小さな悲鳴が上がった。

「うわ、深い! 深い!!」

 きゃんきゃん、と小さな悲鳴が続き、郁斗は眼を見開く。そして、川に沈みこもうとする小さなその存在を信じられない面持ちで凝視した。

 不意に、水の中であがくような息苦しさと、焦燥が襲い、手脚が動かないほどの脱力感に見舞われる。

 何事だ、と郁斗は息苦しくなる呼吸に喘ぎながら、じろ、と子犬を見た。

 真っ白な子犬が小さなその四肢をばたつかせ、川の底へと沈みこもうとしている。

「ちょっと、見てないで助けてよ!!」

 声は、その子犬から聞こえた。

 その声色、口調、声質からある人物が思い浮かぶ。

「あ、あんた、もしかして!?」

 子犬は、四宮星歌だった。


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