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二章―8

 一声、星歌を威圧するように鳴く。

 甲高い、猛禽類の鳴き声が響き渡った。

 旋回し、そして、獲物に急降下する。空気を切り裂き、風を巻き上げ、獰悪な鋭い爪が、武器も持たない、そして、戦闘に関して全くの素人である彼女へと向かった。

 彼女は、身構えるだけでそれを見守っている。

 そして、イヌワシと化している郁斗の足に、柔らかい弾力と、生温かいものがねっとりと絡みつく感触が広がった。つん、と匂い立つ、鉄錆の匂いに、刹那、頭が朦朧とする。


 凜、と静かな水面に、滴が一滴零れ落ちて波紋を作るように、何かが郁斗の中で鳴り渡った。


 途端、ずきり、と片翼が鋭く痛んだ。

「――――っ」

 星歌の肩に突き刺さった爪を、思わず抜き取った。乱暴に引き抜いたせいで、彼女の肉が少し抉れる。

「い……っ!」

 痛さに、苦悶する息が、彼女からもれた。

 しまった、と思うと同時に、ぐちゅり、と片翼の付け根から血が溢れ出す。ぐちゃ、とまるで肉体にナイフを押し込まれ、捻りながら抜き取られるようなおぞましい痛みが、全身を駆け抜けた。

 郁斗はそのまま飛び続けることができず、ふらり、と地面へと突っ込む。冷たい地面の感触が羽毛越しから伝わり、その地面へとぼたぼたと血が零れ落ちるのがわかった。あまりにも生々しい感覚を振り払うように、意味もなく翼をばたつかせる。ひらり、と羽根が、雪のように舞った。


    痛い。

    痛い。


 これは、確かに痛いと同感する。

 ――同感?

 瞬間、郁斗は暴れることを忘れ、何故、その思考に至ったのだろう、と思い直した。

 広げたままの翼を地面に落とし、霜が立った地を抉っていた鉤爪は放置し、頭をもたげ周囲を見渡す。

 星歌がこちらに背を向けて座っていた。肩から流れる血を抑えて、苦痛に喘ぎ、身を震わせて。

「……」


    痛い。


 ――あぁ、痛い。

 またも同感する。


    あんたがいけないんだ。

    私をパートナーと認めないから。


 ――仕方ないだろう。

   あんたは戦えない。

   足手まといは、必要ない。


   そうだね。

   私は足手まといだ。

   でも、もうあんたの負けだよ。


「……あんた」

 まさか、という疑念が胸の奥で膨れ上がった。感覚がぐにゃりと変化する。翼から人間の手へ。羽毛は人間の肌に。鋭い爪をもつ足は、人間の脚へ。

 人間としての郁斗に戻り、膝を付いていた郁斗は立ち上がり、星歌へと向き直った。


    どう? 私の能力?


 星歌はほくそ笑みながら、ゆらりと立ち上がる。その拍子にぽたり、と血が零れ落ちた。

 頭に直接響くようで、けれど、自分が自分自身に問いかけているような錯覚に、ふらり、と目眩がする。

 これは、錯覚だ。

 違う、これは錯覚ではない。

 郁斗の意識の中に、誰かの――星歌の意識が入り込んでいる。

 この感覚は以前、どこかで感じたことがあった。それは、星歌と初めて出会った日のことだ。そして、ようやく、郁斗は思い至った。

「《繋がり》の忘却者、か……!」

 郁斗という意識に、星歌の意識が、情報が流れ込んでくる。自分の知らない過去の映像がぐるぐると脳裏に映っては消えていった。しかし、それは〝他人の忘却〟という忘却の後遺症のせいで、過去の映像は虫食いのようにボロボロで、不鮮明だった。

 そう、今、郁斗は星歌と〝繋がって〟いる。

 ぽたり、と郁斗の体から血が零れ落ちた。その傷は、先ほど郁斗が星歌の肩に傷つけた個所と同じ場所だ。

 思考も、傷も、全て、彼女と繋がっている。

 そして、この痛みも、負傷具合も、同一なのだろう。

 これが、星歌の、《繋がり》の忘却者の力。

 他人と一心同体となる、能力。

 同時になるほど、と納得する。

 あの日、初めて星歌と出会った日。何故、星歌の気配が掴めなかったのか――その理由がようやくわかった。《繋がり》の力で、周囲に溶け込んでいた。周囲の山々の雰囲気と繋がっていたから自分は、彼女の気配に気づけずにいたのだ。

 もう一つ、あの時、頭に響いた声は、星歌のもの。星歌の声が、自分を誘導し、風を操らせた。

「うん。これが私の力なんだよ」

「すっかり騙されたよ。あんたは何も知らないみたいだったから」

「私は、本当にわからなかったんだよ。皆、何も教えてくれなかったから。でも、郁斗と繋がって自分の力がどういうものなのか理解できた。でも、郁斗の推測でしかないけどね」

「……そうみたいだね」

 星歌と繋がっているため、自分の中へと流れ込んでくる彼女の記憶の中で、《忘却者》に関する記憶や知識が全くないことが分かる。そして、《忘却者》という渦中の真っただ中にいて、それでも何も知らされない彼女の心境も。けれど、何となく彼女は自分自身の力に気付いていた節があるようだった。ただ、それがどういうものか――確信を抱いたのは郁斗と繋がり、郁斗の思考を読んだからだった。

「私は、あんたに会えてよかったよ。自分の正体が何なのかわかったから」

「……それで?」

 星歌の過去も、想いも気の毒だと思うが、郁斗には関係のないことだった。所詮、他人は他人。自分は、自分。それ以上でもなければ、それ以下でもない。どこで誰が何をしようと、どうなろうとも、自分はどうでも良かった。

「あんたは、薄情者だね」

 そう、この思考も彼女には筒抜けだ。何しろ、自分と星歌は繋がっている。この場で口先だけの言葉を口にしようとも、その心の奥にある動きを敏感に察知されるのだ。嘘を吐いても、嘯いても、彼女には一切通用しない。

「そういうことだよ」


    なら、私の考えていること、わかるでしょ?


 星歌の発声と、心の本音が同時に言った。

 指摘されてなくてもわかる。

 今、星歌のダウンジャケットのポケットには、一振りの折りたたみのナイフがある。

 それは朝、星歌が幸明の部屋から盗ったもの。

 星歌と繋がっているため、その時の様子がよく思い出せる。幸明が呑気にもベッドで寝ている間に、忍び込んだ星歌がナイフを手に取る。その後で飄々と、リビングにいた自分に声をかけたことも。

 ――見かけによらず、狡賢い。

 その思考を読み取ったのだろう。星歌は苦笑しつつ、ナイフを取り出し、鋭利な刃を見せつけた。

 マフラーを乱暴に剥いで、刃を、自分の首元に突き付けて――、

「どう?」

 ぴたり、と刃の鋭い切っ先が彼女の首に僅かに沈んだ。

 ちくり、とした痛みが首元から走る。

「……」

 星歌の先鋭が沈んだ首元から、つ、と、一筋の血が伝った。

 まるで合わせ鏡のように、自分の首元から一筋、肌の上を生温かい血が伝う感触に、ぞわりと総毛立つ。


    このまま、ナイフを首に刺すとどうなると思う?


 星歌が静かに、そう問いかけた。

 もし。もし、星歌が自身の首に突き付けたナイフを、一押しすればどうなる? 答えは簡単だった。ナイフは首を貫き、血が噴き出し、絶命するだろう。そして、星歌が死ねば、彼女と繋がっている郁斗も、死ぬ。


    私が、死ねば、あんたも死ぬ。


「遠回りな自殺だね。これは」

「でしょ?」

 彼女はけたけたと面白そうに笑った。

 けれど、それは表面だけで、郁斗が少しでも動けばナイフを首に突き込もうとする裏の表情が郁斗に伝わる。

「……」

「……」

 郁斗と星歌は、黙然と対峙していた。

 けれど、心の中ではお互いが、緊張で張りつめて、今にも突き動かそうとする焦燥で満ちている。互いが、互いの感情を荒れ狂わせ、さらに苛烈させていくような感覚を無理矢理抑える。

 星歌もそうなのだろう。ナイフを持つ手が震えていた。

「《自身》の忘却者――《化け者》。あんたも、辛い過去を背負っているんだね」

 突如、口に出された郁斗の名称に、ぴくり、と肩が揺れる。思わず表に出してしまった動揺に、郁斗は顔を歪ませた。

「そうだったね。あんたと繋がっているんだ。僕の情報があんたにも伝わる――迷惑な忘却の力だよ」

 そうだね、とでも言うように、星歌は困ったように微笑しながら、肩を竦める。そして、き、と表情を一変させた。真摯な眼差しで、強固たる意志で引き締められた顔立ちは、胸の内を読まなくても、有りのままの自身を曝け出している。


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