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二章―6

 ――今日は郁斗とパートナーになった。

   これで、皆の仇を討てる。


 カリ、と躍っていたペンが静止する。

「パートナーか……」

 ぽつん、と呟いた言葉が、暖められた部屋にしん、と呑み込まれた。

 相棒となった郁斗。

 彼には悪いことをしてしまった。

 郁斗の諦めの早さに腹が立ち怒鳴ってしまったこと。そして、殴ってしまったこと。星歌はどうしても皆の、仲間の仇を討ちたかった。けれど、力がないのもまた事実だった。彼に力がないと指摘され、「強くなる」と啖呵を切って、つい手が出てしまったのだ。でも、殴ってしまったのは悪いとは思っているけれど、その言葉通りに自分は強くなるつもりだった。

 それでも自分にはまだまだ足りないものがたくさんある。どうしようもなく、それこそ〝相棒〟と呼ばれるものの存在が必要なほどに。相棒を組んだ彼に対して身勝手に巻き込んだことに申し訳なさがあると同時に、幸運とさえ思った。これで、星歌が強くなれる可能性が、芽生えたのだから。

 強くなって、仲間の仇を討つ。

 それが、今の星歌の存在意義だった。

 星歌としていられる唯一の想いだった。

「待っててね」

 自分は、強くなるから。

 パタン、と素っ気ない音と共に、今日の星歌との日々は終わりを告げた。




   2




 朝焼けが見える全てを、包み込んでいる。窓から切り取られた景色を、暖房が付け始められばかりのまだひんやりとする空気を肌に感じながら見つめていた。小さく口から息を吐き出せば白く濁り、静謐な朝の空気へとしっとりと溶け込んでいく。

 郁斗は携帯から聞こえる、向こう側にいる人間の言葉を黙然と聞いていた。

『《未来》の忘却者はまだ見つかっていないよ。どこに行ったのか、どこに隠れているのか……その痕跡すらない。もしかしたら、《未来》の忘却者の力が発動している可能性だってある。見つかるまでしばらく時間はかかるよ。でも、恐らく、お前たちの傍にいるだろう。何しろお目当てがそこに揃っているんだからな』

 はは、と愉快そうに笑う声に、郁斗は溜め息を吐いた。

「他人事だな」

『そりゃ、他人事だ』

「まったく……」

『それよりも』

 からかう様子が僅かに沈み、心配そうな――触れてはいけないものに触れるような慎重さと緊張の色を浮かべて、向こう側にいる相手は声を細めて言う。

『《繋がり》の忘却者は大丈夫なのか?』

「何が?」

 相手の慎重さとは逆に、郁斗は軽く問い返した。

『何がって……』

 飽きれたような口調に、む、と郁斗は眉を顰める。

「はっきり言って、僕はあいつが危険な忘却者だとは思えない。むしろ、最弱だ。力もなければ、無知だし、〝他人の忘却〟という欠落もある。おまけに男勝りだし、怒ればすぐに手を出してくる。人としての性格もダメだろう。そんな奴をどうして《協会》はしつこく探す?」

『……すでにいろいろあったのか。確かに《繋がり》の忘却者は、何もできない最弱な力を持つ、非力……ま、普通の人間と何ら変わりがない。だが、それは《繋がり》の忘却者一人だけ、の話だ』

「一人、だけ?」

『そうだ。《繋がり》の忘却者は、多くの人間が周囲にいればいるほど強くなる。それこそ、世界最強だ』

 世界最強。

 郁斗は昨日の星歌の様子を思い出す。

 人の後ろを歩き、喧嘩っ早く、それでいて口も悪く、態度も女らしくなく、あんみつを夢中で食べていたあの少女。

「冗談は嫌いだ」

『いやいや、冗談じゃなくて』

 電話の向こう側にいる人間は、やってられないとばかりに大仰な溜め息を吐いた。

『もういい。ただ、《協会》が星歌を探しているのは、その理由があるからだ。《協会》はお前を疑っている。匿っているんじゃないか、とか、その力を悪用しようとしているんじゃないか、とか。面白いことに、お前の暗殺の話まで持ち上がってる。ま、それはオレが止めておいたけどな。お前は本当に《協会》から信用がないなー』

「うるさい」

 あははは、と笑う声が、不意にぴたり、と止んだ。無音と、無言が電話の向こうから漂ってくる。


『悪いことは言わない。《繋がり》の忘却者を《協会》に引き渡せ。でないと、《協会》は何をしでかすかわからない』


 郁斗は、それを黙殺した。

『《協会》は忘却者で固められた組織だ。全員が被害者であり、オレたちが恐れるのは喪失という恐怖だ。もうわかっているだろう? 被害者同士で〝支え合う〟集まりは、〝守るためなら容赦はしない〟非情な集団に成り下がった。《繋がり》の忘却者は大きな喪失の可能性を持っているんだ。そんな奴を《協会》がみすみす野放しにするわけがない。むしろ、他を犠牲にしてでも星歌を捕獲する』

 ――他を犠牲にしてでも。

 その言葉に、郁斗は嗤う。

 聞いたことがある、違う、言ったことがある台詞だった。そして、その後に気に入らないと顔をしかめた少女が脳裏に浮かぶ。さらにその後に「パートナー宣言」をされて……、苛立ちが沸、と燻った。

《協会》も、あの少女も、自分をよくイラつかせるものだ。

 ふと、思い出す。

 ――へぇ、素敵だね。支え合うだなんて、すごい。

 あの少女は、《協会》にたいしてそう笑顔を浮かべた。

 けれど、現実は先ほど言っていた通りに全然違うモノだ。

 無駄に正義感が強い、けれど、とても弱い彼女は、その真実を突き付けられた時、どうするのだろうか?

「……」

『何だ? どうした?』

 不穏な空気を敏感に察知したであろう向こう側の人間が、怪訝に声をかける。

「いや、別に」

『そうか』

「それよりも、僕は彼女をあいつらに引き渡すつもりはないよ。……今のところはね」

『……どうしてだ?』

「任務完遂のため」

『任務……確かお前の任務は《未来》の忘却者の捕獲、か』

「あぁ」

 それ以上は何も言わなかった。向こう側にいる人間が、こちらの事情をもうすでに全部掌握しているだろうから。

 郁斗が星歌を利用しようとしていることも。

 星歌とパートナーを組んだことも。

 彼は、この世のすべてを知っているから。

 しばらく、お互いが黙り込んだ。沈黙が交錯する中で、時計が時を刻む針だけが嫌に大きく響く。

『……いいのか? 例え、それが――……』

 何かを言いかけて、躊躇い、言い淀んだ。何を言いかけたのだろう、と推測しかけた郁斗に、向こうから小さな笑声が聞こえてくる。

『お前らしい』

「……」

『わかったよ。できるだけのサポートをする』

「……」

『じゃあな、《化け者》』

「あぁ、《情報屋》」

 ぶつん、と電話が切れた。無機質な音が郁斗の鼓膜を、単調に刺激する。

「お前らしい、か」

 携帯を閉じて、目を閉じた。そして、す、と瞼を開く。眼前に広がる朝焼けに彩られた景色に、皮肉気に呟いた。


「――〝僕〟らしい、って、何なんだろうね」


 呟きは、朝の空気にしっとりと溶け込んだ。





 リビングでくつろいでいた郁斗は自分の予想を裏切る事態に、若干困惑した。

「おはよう。郁斗」

 リビングで新聞を広げながらコーヒーを飲み、朝の習慣のままに動いていた郁斗に、起き抜けの、のんびりとした少女の声が掛けられたのだ。

「どうしたの、その間抜け面」

 ぷ、とからかうように笑うその少女は、星歌だった。

「あんた、オレのこと覚えて……?」

 そう言いかけて、あ、と思い出す。

「そうか、あんた日記を書いてるって言ってたな……」

「そうなのよー」

 じゃん、と星歌は抱えていた分厚い本のようなものを郁斗に見せた。その本は星歌と出会ったあの日も、彼女は大切そうに抱えていたのを思い出す。

「本当は昨日のことさっぱりなんだよね。自分が誰かと言い合いをしてたのは覚えてるんだけど……その相手ってやっぱりあんただね」

 星歌はちょこん、と郁斗の向かい側のソファに遠慮なく腰を下ろした。そして、日記を広げて、視線をその紙面へと落とす。

「こうやって、朝日記を読み返すのが私の習慣なんだ。そうすれば、覚えていなくても、肝心なことはちゃんと明日へと繋げられる」

「……」

 郁斗は星歌の言葉を聞き流し、再び新聞へと視線を戻した。

「……ふぅん。私、あんたとパートナーを組んだのね」

 思わず、認めたくない現実を再確認されて、新聞をめくる指先が止まる。

「……」


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