二章-5
――あれから。
幸明が喧嘩を止めに来て、ようやく自分たちが野次馬に囲まれていたことに気付いたのは数分前のこと。好奇の視線が突き刺さっているのを感じながら、郁斗と星歌は幸明に連れられて、この田舎町には数少ない喫茶店に来ていた。
小ぢんまりとした店内は、狭い空間に数席のテーブルが押し込められるようにして置かれている。元々は華やかさを求めていたのであろうあっさりとした色彩の店内は、長い年月経っているせいか、それとも客があまり入っていないせいか、寂しさを感じる。囁くような控え目な音楽がさらに、その寂しさを際立たせていた。
その喫茶店の奥の席に、郁斗と星歌、幸明が座っている。
三人はこの喫茶店で一押しのあんみつを頼み、軽く言葉を交わしながら食べていた。
「つーかさ、いっくんも男の子なのに何で女の子相手にマジで喧嘩してるわけ? 見てみなよー、こんな可愛い子が傷だらけってどうなのよ? それよりも女の子の顔を殴らないで、体を殴るって、どういう意味? 女の子の顔に傷を残しちゃいけないからって言う配慮? それに、体なら痣とか怪我しても服で周囲には隠せるからOKっていう陰湿な悪意?」
「少なくとも後者ではないですよ」
「自分を取り繕う人はそう言うんだよね」
「何ですか? 人を貶めたいんですか?」
「そんなつもりはないよー……って、そんな顔で睨まないでよ。怖いから。ほら、外見てみなよ、青空が綺麗だよー」
「そうですね」
さらり、と流して、郁斗は隣に座る星歌を見る。
星歌はこちらの話は聞いていない様子で、すでに二杯目のあんみつを頬張っていた。気に入った様子で、先ほどの喧嘩の時の憤然とした面持ちは鳴りをひそめている。
彼女の顔にはかすり傷一つなかった。
幸明が指摘した通り、郁斗は星歌の体を殴り、蹴るなどの暴力をふるった。恐らくその服の下には痣がいくつもあるだろう。そして、郁斗もそれなりに彼女に蹴られはしなかったが、殴られた。女にしては強い力で。しかも顔面を。未だ熱を持った痛みは顔面を痺れさせている。
「そんで、この女の子はどちら様? いっくんの彼女?」
「違います。……彼女も、忘却者ですよ」
「ふーん」
幸明はあんみつを食べる手を止めて、じろじろと不躾に星歌を観察した。でも星歌は生憎あんみつに夢中で、幸明の視線に気付いた様子もなかった。
「で? どんな忘却者?」
郁斗に問いかけるも、幸明の視線は未だ星歌に注がれている。注意深く、それでいて、どこか探る瞳は僅かな険しさを宿して。幸明の眼光が何を意味するのかわからず、郁斗は戸惑いながらも口を開いた。
「……《繋がり》の忘却者。その後遺症で〝他者の忘却〟を持っている。おそらく彼女も《協会》の人間です。その確証が持てないのは、《協会》に《繋がり》の忘却者という名がないからです。はっきり言って、僕も彼女……《繋がり》の忘却者のことは全然知りませんでした」
「ふーん」
じ、と見つめる視線に星歌はようやく気付いたのか、それでもあんみつを頬張りながら幸明を見返し、首を傾げた。
「あなた、誰?」
「オレ? オレの名前はミケランジェロ」
「ミケさん?」
「そうそう。よろしく。ところでお嬢さんのお名前は?」
「四宮星歌です」
「ホッシーね。ところで食べるか、喋るかどっちかにしなさい。お行儀悪いよ」
「ミケさんもね」
「オレは大人だからいいの」
「大人を笠に着てるー! 最低!」
「大人だからね」
「はいはいはいはい!」
永遠に続きそうな二人の会話に無理矢理割って入って止めさせる。何か聞いているだけでイライラする会話だった。
「なーにー? いきなり? オレとホッシーの時間を邪魔するわけ?」
にやにやと幸明が嫌らしく笑う。
「違います! で、幸さんは知ってるんですか? 彼女のこと?」
幸明と共に郁斗は星歌を一瞥した。星歌はきょとん、と二人の視線を不思議そうに受け止めている。
「……知ってる」
「え?」
知らない、という答えを予想していた郁斗は、その真逆の答えが来るとは思っていなかった。
「知ってるって……《繋がり》の忘却者のことを?」
「あぁ。さっき、と言っても、朝に電話が来たからな」
「……何て?」
「《協会》から、十六歳くらいの女の子――四宮星歌を見つけ次第保護、《協会》に突き出せ、だとよ」
「……」
郁斗だけではなく、幸明も任務を言い渡されたようだった、二人共同じ任務を受けた。
保護対象――彼女の扱いが厳重かつ、貴重で。それ故の性急さと、確実さを求められている。
《協会》は、それだけ彼女を求めている。
外見からして平凡な少女とそう変わらない星歌を、何故、求めるのだろう?
「いっくん」
意識を思考と一緒に奥深くまで沈ませていた郁斗は、突如、現実へと掬いあげる声にぼんやりと顔を上げた。
「深く、考えるな」
そして、掬いあげ、現実を突き付けられた。息を呑んで、覚醒する。
「……さて、どうしようかな。いっくんとホッシー?」
「え?」
「ん?」
もぐもぐと、隣に座る星歌がまだあんみつを食べていた。見れば空っぽの椀が、四つ積み上がっている。いつの間に、こんなに食べたのだろう。
「《協会》がホッシーお前を探しているんだ。ぶっちゃけ言ってオレたちはすぐにあんたを《協会》に連絡して連れて行かなきゃいけない」
「イヤ」
簡潔、即答。
星歌はプイ、と子供のようにそっぽを向いた。
「何で?」
「《協会》に行ったら、皆の仇打ちができないじゃない」
「仇打ち? 皆? 誰?」
「私の仲間たち」
「仲間……あぁ、《失意》の忘却者たちのことか」
ほう、と納得したように、幸明は頷いた。
「殺された、って言ってたな……。ホッシーは、《失意》の忘却者たちの仇打ちをしたいのか。それで、仇敵である《未来》の忘却者を殺すのか?」
ぴたり、星歌の挙動が止まる。幸明の言葉を噛みしめるかのように数瞬の間をおいて、ようやく彼女は頭を振った。
「ううん。捕まえる」
「捕まえる? 殺すんじゃなくて?」
「だって、殺すのはいけないことじゃん」
ぱち、と幸明が意外そうな面持ちで瞬きをする。そして、星歌から視線を逸らすと、どこか遠くをぼんやりと見つめた。思考を巡らせているのか、時折、眉間に皺が寄る。
そして、静かな店内に沈黙が落ち、どこかよそよそしい空気が流れた。
幸明は黙考し、
星歌はあんみつを食べ始め、
郁斗はぼんやりとその二人の様子を見つめる。
「よし!」
ぱん、と、幸明がようやく思考に結論が出たのか、手拍子を打った。
「何?」
「ん?」
郁斗と星歌の二人分の少しの驚きに彩った、疑問の声が上がる。
幸明はそんな二人の顔見て、にんまりと、憎たらしいくらいに厭らしく、ともすれば殴り飛ばしてしまいたいほどの愉快さを込めて、笑った。
「お前ら、今日からパートナーな」
「へ?」
「え?」
その日一番の衝撃が郁斗を貫き、そして、これが人生の中で一番の最悪な日だと胸中一人、嘆いた。
* * *
冴えた青白い月が漆黒の夜空にぽっかりと浮かんでいる。冷気を孕んだ風が窓ガラスを優しく叩く音を聞きながら、星歌は机に向かっていた。
ここはミケ――幸明と郁斗が住んでいる〝家〟の一室。今日パートナーを組んでから、宛がわれた部屋だった。この部屋にはベッドと机、僅かな調度品が、申し訳程度にひっそりと置かれている。生活感の欠片もないそこには、郁斗のかつてのパートナーの部屋だと聞かされた。それに対して特に思うところがないが、それでも人が住んでいた、という過去を持つ部屋にどこか侘しさを感じる。
まるで自分と同じようだった。
忘れたら、そのまま。
失くしてしまったら、もう元に戻ることはない。
せいぜい形だけが残り、そこに他人事のような感慨が残るだけだ。
「……いけない」
ぱん、と自分の頬を軽く叩く。
暗くなる思考に引きずられて、気分までも暗色になりつつあった。それではいけない。
星歌は机の上に広げられた自分の日記に視線を戻し、ペンを持った。
カリカリ、と書いていく。
今日の出来事を。
絶対に忘れられない、忘れたままでは後悔する真実を。




