八回目「睡眠と火種」
二千二十六年四月十三日。月曜日。晴れ。気温は暖かい。水道水はまだ冷たい。
春はあけぼの。と言いますが、日の出の時間に起きて居ない。何だったら日が落ちてからも眠って居ない。
昔のジャペアニィズの殿上人は、月を待ったり、音楽に耽ったりして、夜を過ごした人も居たらしいけど、民は、ケの日(平日)には早々に眠りに就いていたっぽいですね。
明かりをつけるにしても、油や薪と言う燃料が必要で、日が落ちてから起きて居るだけで、その燃料代がかかってくるわけですから。
夕方から宵の入りにかけて、次の日の準備をして眠って、日の出とともに起きる……と言う生活を、主に農民が行なっていたと言う事を、何処かで読んだような、聞いたような気がします。
今頃の、初夏に成りかけの季節であれば、前日が午後六時頃に火が沈んだとして、一時間後には眠ってしまうとして、午後七時に眠って、次の日の朝四時には明るくなっているのかな?
そうすると、短くても九時間睡眠。全然問題なく、健康的。
だけど、マッチが開発されるよりもっと昔の人は、火種を消さないために囲炉裏の近くで「寝ずの番」をしたらしいです。
その番をする事は、やっぱり嫌われていて、昔話とかで読むと、主にお嫁さんに「寝ずの番」を押し付けていたらしいですね。
「寝ずの番」とは言っても、「うたた寝はして良いけど、とにかく火種を消すな」と言う事だったみたいです。
つまり、ちょっと大きめの薪に上手く着火させて、熾火を作れば、暫く眠れたらしい。
火が静まった後は、熾火に乾いた藁や麻なんかを被せて、息を吹きかけて火を熾すのです。
灰の中に火のついた薪を隠しておく方法もあって、低酸素状態で燃えにくくしてあった「火種の残っている薪」を火箸で取り出して、やはり乾いた藁や麻や細かい枝をくべて、息を吹きかけて火を熾すんですって。
令和版のアニメの「ど○ろ」では、ど〇ろが「弓切り式」で、焚火の火種を熾していましたが、おまい……その弓、どうやって用意した? って言うのが凄く疑問でしたね。
マッチが発明されたのは十九世紀の欧州で、日本にマッチが来たのは幕末で、明治八年には日本産のマッチも作られるようになったそうです。
現代では、一般のお店では「チャッ〇マン」と言う、ライターの一種の方の普及率が高いように思われます。
十年くらい前まで、マッチは百均で売って居たりしましたが、現代ではどうなんだろう。
置いてあっても売れるのだろか。




