③ 思い出の山
雪子は、自分も運転席に乗り込むと、直ちに光学迷彩をかけて、ビートルを急上昇させた。
「うおおっ。」
光秀は唸り声とも、悲鳴ともつかないような声を出した。
それはそうだろう。何しろ空飛ぶ乗り物なんて、彼は見た事も聞いた事も無いのだから。
「あら、ごめんなさい。ちょっと急発進過ぎたわね。この後は、安全運転で行くから安心して。」
雪子は舌を出して言った。
安土桃山時代のニンゲンに、テヘペロが分かる筈も無いのである。
「一体、どこまで行くのだ?」
「貴方にとって、ある意味、懐かしい場所よ。」
「ほう…?」
シルバーのビートルは、数分後には目的地に到着してしまった。
雪子は、クルマを地上に降ろすと、光学迷彩を解いた。
「さあ、光秀殿。降りて下さい。」
雪子は、もたついている光秀のために、外から助手席のドアを開けてやった。
そこはまたもや、とある山中だった。
しかし光秀にとっては、確かに見覚えのある場所だった。
「ようこそ、比叡山延暦寺跡地へ。」
「あっ。」そう言ったきり、彼は二の句が継げなかった。
織田信長の指示による、延暦寺の焼き討ち。
あれはもう、10年以上前の出来事だった。
僧侶・学僧・上人・児童の区別無く、そこに居て抵抗した者、全ての首を撥ねた、あの残虐行為。
余りの非道な所業に心を痛め、後に光秀は、お忍びでこの地を訪れた。そして、せめて墓前に、遺族にと、幾ばくかの金品を置いて行った事があったのだ。
その件もまた、今回彼が、本能寺で謀反を起こす、動機の一つとなっていたのだった。
あの行ないは、決して正義では無かった。
織田信長は、魔物である。
光秀はあの時、そう断じたのだった。
やがて光秀たちの周りに、山中から一人、また一人と僧侶たちが集まって来た。
その中で、最も高齢と見受けられる僧侶が、口を開いた。
「これは、これは、ユキコ殿。お久しゅう御座いますな。」
「皆さん、お元気にしてたかしら?」
「ユキコ殿の、度々の差し入れのお陰様で、皆、息災にやっております。」
「そう、それは良かった。今日は、約束の御仁を連れて来たわよ。」
「おお、これは光秀殿、ようこそ来られましたな。」
「…その節は、どうも。」
光秀も、事ここに至っては、最早、どんな挨拶が相応しいのかも、分からなかった。
「光秀殿、貴方には、今日からここで、僧侶の勉強をしてもらいます。」
やおら雪子がそう言うのを、聡明な彼は、予期していたようだった。
「なるほど、そういう事か。委細承知した。」
彼は慌てず騒がず、僧侶たちに伴われて、山中の小屋の中に消えて行った。
以後、"明智光秀は死んだ"事になり、ここに"南光坊天海僧正"が誕生する運びとなったのである。
後の江戸幕府での、僧侶でありながら、軍師としての彼の存在感は大きなモノであり、ソレは歴史書に詳しく記されている。




