第八章:最終面接:飾らない言葉
七月下旬。さくらは、「アソビバ・ラーニング」の最終面接会場、森川先輩のオフィスとは別の、少し静かな会議室にいた。
面接官は、社長を含めた三人の役員たちだった。
中央に座る社長は、四十代前半だろうか、タイドアップしていない紺のブレザー姿。その顔には鋭い知性と、ベンチャー特有の挑戦的な光が宿っていた。
左の男性は三十代半ばで、白いシャツに細身のダークグレーのパンツという、IT企業らしいスマートな装い。技術担当役員だろうか、少し冷徹な目がさくらの履歴書を追っていた。
右の女性役員は五十代手前で、柔らかなベージュのセットアップ姿。彼女の穏やかな眼差しは、さくらの緊張を和らげるよりも、むしろその本質を見抜こうとしているのか、さくらの顔をじっと見つめていた。
その瞬間、さくらは気づいた。以前の大手企業の面接では、緊張で面接官の顔すらまともに見られなかったのに、今は彼らの服装や表情、そして会議室の静けさまでが、驚くほどクリアに見えている。それは、自分が「安定」を演じる鎧を脱ぎ捨て、心から話したいことを話す準備ができた証拠だった。彼女は、この空間を客観的に観察できる心の余裕があることに、静かな自信を覚えた。
さくらの心は驚くほど静かだった。大手企業の面接のように、緊張で喉が渇き、用意したセリフを噛み殺すようなことはなかった。それは、この面接には「自分を偽る」という選択肢がないことを知っていたからだ。
面接が中盤に差し掛かった頃、社長が静かに口を開いた。
「田中さんのESは、文学部での学びや、言葉への情熱が強く伝わってきました。しかし、当社の選考に臨む前に、あなたは大手総合商社やメガバンクといった、いわゆる『安定』志向の企業を多数受けていますね。なぜ、急に当社の様な、設立間もないベンチャー企業を第一志望としたのか。その明確な理由をお聞かせください」
核心を突く質問だった。さくらは、ここで一般的な「御社にしかできないこと」というテンプレート的な回答をするのをやめた。彼女は深呼吸をし、正直な言葉を選び始めた。
「はい。実は、これまでの就職活動で、私は大きな失敗をしました。貴社の選考を受ける前、私は『安定』と『世間の評価』に流され、自分が本当に何をしたいのか見失っていました」
さくらは、大手企業の集団討論で、役割を演じることに終始し、議論の本質に参加できなかった経験を語った。
「その結果、不採用が続きました。それは、企業が私の表面的なスキルではなく、『田中さくら』という人間そのものを求めているのに、私が虚像で応えようとしていたからです。特に集団討論の失敗で、私は心から思いました。『自分の言葉ではないものを発信しても、誰も心を動かすことはできない』と」
面接官たちは、さくらの真摯な告白を、静かに聞いていた。
「その後、御社の森川先輩にお会いし、『言葉の力で子どもの思考力を育む』という事業を知りました。それは、私が文学部に入り、小説を読み、文章を書いてきた中で、ずっと心の奥底で求めていたことでした。失礼な言い方かも知れませんが、リスクは承知しています。しかし、安定した環境で『やりたいこと』を見失うよりも、不安定でも、御社で『やりたいこと』を追求する方が、私にとって真の『安定』になると確信しました」
さくらの声は震えていなかった。それは、彼女の言葉が、何十枚もの自己分析ノートと、いくつもの不採用通知によって裏付けられた、紛れもない真実だったからだ。
社長は、さくらの目を見つめたまま、一言も発しなかった。沈黙が数秒流れ、さくらは全身に汗が滲むのを感じたが、視線を逸らさなかった。
やがて社長は、わずかに口元を緩めた。
「分かりました。我々が求めているのは、まさにその『言葉』に真摯に向き合える、飾らない情熱です。結果は追って連絡します」
面接室を出たさくらは、力が抜け、壁にもたれかかった。やりきった。結果がどうであれ、この最終面接で、さくらは初めて「田中さくら」というありのままの自分を、社会に対して提示できたという充足感があった。就職活動は、彼女にとって、自分自身を偽るためのプロセスから、自分自身を解放するためのプロセスへと変化していた。




