◆第2章 人族編 「田舎少年、気づいたらS級冒険者と国家戦力になってた件」
2-1:冒険者ギルドからの即日S級スカウト
武道大会の喧騒がようやく静まり、村がいつもの朝を取り戻しつつあった頃。俺は畑の手伝いをしながら「昨日のあれ、全部夢でしたってオチにならないかな」とか、現実逃避じみたことを考えていた。
土を掘り返していると、村の入り口の方からやけに切羽詰まった足音が聞こえてきた。振り返ると、息を切らした見知らぬ男が、ほとんど転がり込むみたいな勢いで村に飛び込んでくる。
「す、すみません! ここに、カイリス・アークレイという少年は!」
村長の家から顔を出した村長が、ため息まじりに手を挙げた。
「おるにはおるが……そんなに慌ててどうした」
「冒険者ギルド本部から参りました! 武道大会の記録映像と測定結果を確認しまして、その……至急、本人に用件が!」
まさかとは思ったが、嫌な予感はだいたい当たる。
村長に呼ばれ、土だらけの手を慌てて拭きながら玄関に出ていくと、男は俺の顔を見るなり、目を丸くした。
「本当に……少年なんですね……」
「本当に、って何ですか。俺の方が聞きたいです」
「し、失礼しました! 冒険者ギルド王都本部、連絡担当のハルドと申します!」
やたらと腰の低いその男は、しかし次の一言だけは妙にしっかりした声で言った。
「前例がないのですが……君を“即時S級”として登録したい、というのが本日の用件です」
「……………………はい?」
脳が一瞬、情報処理を放棄した。
S級。冒険者の最高位。伝説や英雄が属する、遠い世界の肩書き。その単語と「即時」と「十歳の俺」がどう繋がるのか、理解が追いつかない。
「ちょ、ちょっと待ってください。まず、冒険者登録すらしてないんですけど?」
「はい。ですので“登録と同時にS級認定”という、これまた前例のない措置になります!」
偉そうに胸を張る話じゃない。
村長が横から口を挟む。
「つまりあれか。武道大会での暴れっぷりと測定石ぶっ壊し事件のせいで、お上が慌てて囲い込みに来た、と」
「か、囲い込みとは言いませんが! 王都ではすでに“化け物新人現る”と大騒ぎでしてですね……。帝国に先に声をかけられても困りますし、連邦として正式に保護・支援したい、というのがギルド本部と軍部の一致した見解でして」
やめてほしい。化け物新人って言葉が一人歩きするのは。
村の空気は、歓声と戸惑いが入り混じったものになっていた。
「すごいじゃないかカイリス!」「うちの村からS級だってよ!」と盛り上がる声もあれば、「そんなすごいところに行ったら、もう戻ってこないんじゃないかねえ」と不安げに囁く声もある。
サラは少し離れたところから、心配そうにこちらを見ていた。嬉しさと寂しさと、不安と誇らしさが全部混ざったような顔で。
「……本人の意思はどうなんだ?」
村長があらためて俺に向き直る。
「S級だかなんだか知らんが、嫌なことを無理にやらせるつもりはない。ただ、このまま村で畑を耕して暮らすって道もあるんだぞ」
その言葉に一瞬ぐらりと心が揺れた。
ここでの生活は、居心地が良い。村の連中とも、サラとも、何も変わらない日々が続いていく。
けれど、脳裏に浮かぶのは、武道大会で見た“もっと広い世界”と、帝国と連邦の不穏な話。そして、ラグネルがふとしたときに漏らした「お前の力は、村一つどころか国をも背負える器じゃ」という言葉だ。
「……行きます」
気づけばそう口にしていた。
「S級がどうとかはまだ実感ないですけど、王都に行って、もっとちゃんと強くなりたいです」
ハルドがほっとしたように肩を落とす。
「ありがたい……! では準備が整い次第、王都本部への同行を――」
「ただし」
俺は言葉を継いだ。
「勝手に化け物扱いされるのは嫌なんで、ちゃんと人として扱ってください」
「も、もちろんですとも!」
村人たちは、歓声を上げながらも、どこか寂しげな目でこちらを見ていた。
その視線を受け止めながら、俺はようやく悟る。
――この瞬間、俺はもう“ただの村の少年”には戻れないのだと。
その日のうちに簡易の登録手続きが行われ、ハルドが持っていた水晶板に俺の名前と「S級候補」という文字が刻まれたとき、遠く王都のどこかでは偉い人たちが「やはり本物だったか」「帝国より先に押さえられてよかった」とか言いながら会議をしているのだろう。まだ会ったこともない誰かが、勝手に俺の価値を計算している。
村の子どもたちは「カイリスがドラゴンとか倒したら自慢できるな!」とはしゃいでいるし、おばちゃんたちは「体だけは壊さないようにねえ」と涙ぐんでいる。嬉しいような、こそばゆいような、逃げ出したくなるような、複雑な感情が胸の中でぐちゃぐちゃに混ざっていた。
それでも――決めた以上、もう後戻りはしない。
武道大会で開いてしまった“扉”の向こう側へ、一歩踏み出すしかないのだ。
2-2:サラと祝勝ステーキ&「遠くに行かないで」ディナー
ギルド職員が去り、村のざわめきもひと段落した夕方。俺はどっと疲れが出て、自分の部屋で天井を見つめながら現実逃避していた。
「……S級って、やっぱり夢じゃなかったんだよなぁ」
ため息をついたところで、窓の外から控えめなノック音がする。
「カイリス、ちょっといい?」
聞き慣れた声。サラだ。
「どうぞー」
扉を開けると、エプロン姿のサラが、大きな包みを両手に抱えて立っていた。ほっぺたに小麦粉をつけているのがいつもどおりで、逆に安心する。
「お祝い、まだちゃんとしてなかったなって思って。……晩ごはん、一緒にどう?」
「もちろん。断る理由がない」
連れて行かれたのは、サラの家の台所兼食堂だった。テーブルの上には、村ではめったに見ない分厚さの肉がどーんと鎮座し、その横には彩り鮮やかなサラダやスープが並んでいる。
「……これ、全部サラが?」
「うん。今日くらいは奮発しようかなって。
お父さんが仕事で王都に出るときに買ってきてくれてたお肉、特別な日にって取っておいたんだ」
そう言って、サラは少し照れくさそうに笑う。
「武道大会優勝と、S級登録と……あと、これからの門出に、かな。
はい、“祝・化け物新人さん”のステーキです」
「そのネーミングやめてくれない?」
「だって王都じゃそう呼ばれてるんでしょ? 今日、ギルドの人が言ってた」
むっとしつつも、目の前の肉から立ちのぼる香りに抗うことはできなかった。
「いただきます」
一口かじると、じゅわっと肉汁があふれ、香ばしい脂と旨味が口いっぱいに広がる。村で普段食べる干し肉や薄い切り落としとは、明らかに別物だ。
「……うまい」
「でしょ? がんばって焼いたんだから」
隣の皿には、魔力循環を助けると言われる野菜をふんだんに使ったサラダが盛られていた。サラお手製のドレッシングには、彼女が少しだけ魔力を込めてあるらしい。
「これ食べると、魔力の回りがよくなるんだよ。
本番の戦いの前に、ちゃんと身体を整えておかないとね」
「もう“本番の戦い”前提になってるの怖くない?」
「そういう立場になっちゃったんだから、仕方ないでしょ」
言い合いながらも、食事は終始和やかだった。
他愛のない話、村の子どもたちの噂、王都で見た変な人の話。笑い声が何度も台所に響く。
けれど、ふとした瞬間に、サラの表情が少しだけ曇るのに気づいた。
「……どうした?」
「ううん、なんでもない」
そう言って笑顔を作るけれど、その笑みの端が少しだけ震えている。
食後のハーブティーを飲みながら、サラはカップの縁を指でなぞいた。
「ねぇ、カイリス」
「ん?」
「王都に行って、S級になって……もっともっと、強くなって……
すごい人たちと出会って、いろんな場所に行って……」
言葉がそこで途切れる。
沈黙が少しだけ重たくなった。
「……本当に、どこか遠くへ行っちゃったりしない?」
その問いは、冗談ではなかった。
瞳の奥に、はっきりとした不安の影が揺れている。
胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「行かないよ」
考えるより先に、口が動いていた。
「どれだけ遠くまで行ったって、どれだけ強くなったって、俺は俺だ。
ここが“帰る場所”だってことは、変わらない」
「……本当に?」
「本当だ。もし俺が変な方向に調子に乗り始めたら、サラがぶん殴って止めてくれ」
「ぶん殴ってって……」
「サラならできるだろ?」
「……できるかもしれないけど!」
サラは目を潤ませたまま笑い、そっとテーブル越しに手を伸ばした。
「じゃあ、約束して。
どれだけ遠くへ行っても、“帰ってくる場所”を忘れないって」
「約束する」
指切りとか、そういう子どもっぽい仕草はしなかった。
代わりに俺は、サラの手をしっかりと握り返す。
「俺は化け物新人でも、国家戦力でも、その前に“村のカイリス”だよ」
「……うん」
サラは小さく頷き、手を離さないまま、少しだけ涙をこぼした。
その夜の食卓は、祝福と不安と、ささやかな約束に満ちていた。
家を出るころには、外はすっかり夜になっていた。澄んだ空には星がびっしりと敷き詰められ、村の明かりが小さく瞬いている。振り返ると、サラが玄関先からこちらを見送っていた。
「カイリス」
「なんだ?」
「……さっきの約束、忘れたら本当にぶん殴るからね」
「怖い脅し文句だな。でも、安心した」
軽口を交わしながらも、その言葉は胸の奥にしっかりと刻まれる。
星空を見上げる。
あの向こうには王都があって、そのさらに向こうには帝国があって、まだ見ぬ世界が果てしなく広がっている。そこへ歩いていくことを選んだのは、自分だ。
その一歩目を、こうしてサラと並んで踏み出せたことが、何より心強かった。
2-3:初依頼が連邦最古のS級ダンジョンって聞いてない
S級登録の手続きは驚くほどあっさりと終わった。王都本部に着くなり、水晶板に手を当てて魔力認証を済ませ、ギルドカードを受け取る。そこに刻まれた「S」の文字は、正直まだ他人のものみたいにしか思えない。
「これで正式に、君は連邦ギルド所属S級冒険者だ。おめでとう」
担当役人がにこやかに言う。
「ありがとうございます。……で、初心者向けの仕事ってどこにあります?」
「……初心者?」
役人は一瞬きょとんとし、それから乾いた笑いを漏らした。
「いやいや、S級に初心者向けも何も……。君の段階で受けられる依頼は、だいたいどれも普通の人から見たら“死地”だよ?」
「ですよねー……」
軽く頭を抱えていると、奥の方から重厚な足音が近づいてきた。顔を上げると、ギルドマスターのガルスタが書類の束を片手にやってくる。
「おう坊主。ちょうどいいところにいたな」
「ちょうどよくない気しかしないんですが」
「細けぇことは気にすんな。――これが、お前の“記念すべき初依頼”だ」
どさっと渡された書類には、でかでかと任務名が書かれていた。
『連邦最古S級ダンジョン《古代迷宮アトランシア》調査・攻略』
「…………」
文字を三度見直してから、俺は静かに紙を置いた。
「初心者向けの仕事って概念は、このギルドには存在しないんですか?」
「ねえよ」
即答である。
「待て待て待て。普通、ランク上がったばっかりのやつには、もうちょいこう……危険度低めで経験積ませるとか、そういう配慮は……」
「お前、武道大会の映像見たろ? 自分で」
「見ましたけど!」
「測定石を粉々にして、規格外の魔力どかどか叩きつけて、それで“初心者扱いしてくれ”は通らん。
連邦としても、帝国に嗅ぎつけられる前に実力をきっちり測っておきたいんだ」
そう言われると、何も返せなくなる。
国が本気で俺を“戦力”として見ている。その事実が、ひやりとした重みを持って胸に落ちた。
「……サラは?」
「もちろん同行可だ。治癒職なしでアトランシアに突っ込むほど、俺も無茶はさせん」
ガルスタが顎で受付の方をしゃくる。振り向くと、少し離れたところでサラが不安そうにこちらの様子を窺っていた。
視線が合うと、彼女は小走りで駆け寄ってくる。
「カイリス、依頼って……」
「連邦最古のS級ダンジョン攻略」
「……え?」
「え、だよな」
サラの顔から一瞬で血の気が引いていく。
「ちょ、ちょっと待って。それ、教科書にも載ってるレベルの“入ったら帰ってこれない場所”じゃない。死者多数、踏破例ほぼなし、封鎖検討中ってあの――」
「その“あの”に行くことになった」
「なんでそうなるの!? 初心者向けの仕事は!? スライム退治とか、迷子の子猫探しとかは!?」
「ないそうです」
「ないんだ……」
サラは頭を抱え、深いため息をついた。
「……怖いよ」
「だろうな」
「本音を言えば、行ってほしくない。
カイリスがどれだけ強くても、絶対安全なんてどこにもないし……」
サラの声は震えていた。それを聞いて、俺の中のどこかも同じように震える。
怖くないわけがない。
連邦最古。死者多数。S級ダンジョン。文字だけでもう胃が痛い。
それでも――
「でもさ」
自分の胸に手を当てる。
「もっと強くなれば、守れる範囲も広がる。
村も、サラも、この国も。俺の力が役に立つ場所があるなら、そこでちゃんと戦えるようになりたい」
「……」
「この依頼から逃げたら、たぶんずっと、逃げ続けることになる気がするんだ」
サラはしばらく黙って俺の顔を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「ほんと、そういうところだけ主人公っぽいんだから」
「“だけ”ってつけるな」
「でも――だから好きなんだと思う」
「今なんて言った?」
「なんでもない!」
サラは真っ赤になってそっぽを向き、それから真剣な目でこちらを見た。
「行くなら、私も行く。
怖いけど、カイリスが一人で怖い場所に行くのはもっと嫌だから」
「心強いな」
本当にそう思った。
怖さは納まらない。でも、その上から薄く布をかけるみたいに、少しだけ心が落ち着く。
こうして、俺たちの“最初の依頼”は、連邦最古のS級ダンジョン攻略という、とんでもないものに決まったのだった。
依頼書にサインをした瞬間、受付の空気がわずかに変わった。周囲で待機していた冒険者たちが、好奇と畏怖が入り混じった視線をこちらに向けてくる。
「……あれが、例の“化け物新人”か」
「初仕事がアトランシアって、笑えねぇ冗談だな」
ひそひそ声が耳に届くたび、背筋がひやりとする。それでも足を止めず、俺は依頼書を丁寧に折りたたんで懐に入れた。
(国は、本気で俺を戦力として数に入れている。
だったら――その期待ごとぶん殴って上回ってやる)
そんな半分強がりみたいな決意を胸に、俺はサラと並んでギルド本部を後にした。
2-4:初挑戦で深層踏破&古代魔導具をお持ち帰り
古代迷宮アトランシアの入り口は、連邦北方の荒野にぽっかりと口を開けていた。黒ずんだ石の門に古代文字が刻まれ、近づくだけで皮膚がひりつくような魔力の圧が伝わってくる。
「……やっぱり帰らない?」
「今さら!?」
サラの弱気な一言にツッコみつつも、その気持ちは痛いほどわかった。
入り口周辺には、かつてここに挑み、帰ってこなかった冒険者たちの慰霊碑が並んでいる。名前も刻まれず、「無名の戦士たちへ」とだけ彫られた石板に、なんとなく頭を下げた。
「今回の任務は“調査・可能なら攻略”だ。無茶はするなよ、坊主」
同行してくれるのは、ギルドから派遣されたベテラン冒険者数名と、王都から来た魔導研究員たち。とはいえ、戦力としての主軸は、どう見ても俺とサラだ。
「とりあえず、生きて帰ることを最優先にしよう」
「最優先事項がそれって時点で、やっぱりおかしいんだよね、この依頼……」
苦笑しながらも、俺たちは迷宮の内部へ足を踏み入れた。
中はひんやりとしていて、湿った空気の中を淡い青の光が流れている。壁や床に埋め込まれた水晶が、俺たちの魔力に反応して脈打つように光る様は、どこか生き物の体内に入り込んだかのような錯覚を覚えさせた。
「うわ……なにこれ。魔力の流れ方がおかしい」
「古代式の魔術回路だな。現行の魔法とは構造が違う」
魔導研究員が興奮気味にメモを取っているのを横目に、俺は前方へ意識を集中させる。
やがて現れたのは、青い鱗に覆われた巨大な蜥蜴――《アークリザード》の群れだった。通常種より一回り大きく、甲殻に刻まれた古代紋様が不気味に光る。
「来るよ!」
「任せろ」
前衛に立ち、無詠唱で魔力を刃に纏わせる。
一歩踏み込んで、斜めに振り抜く。
金属を裂くような音とともに、一体目の首が飛んだ。
続けざまに飛びかかってくる個体には、足元に氷の魔法陣を展開して滑らせ、転倒したところを一気に叩き斬る。
「動きがきれいすぎて引くんだけど……」
「褒め言葉として受け取っておく」
背後ではサラの治癒魔法と補助魔法が絶え間なく飛び、傷を即座に塞ぎ、疲労を軽減してくれる。そのおかげで、俺はほぼ全力を維持したまま前線を押し上げることができた。
階層を下りるごとに、迷宮は“本気”を見せ始めた。通路が勝手に組み替わり、さっきまで開いていた道が塞がれ、別の道が開く。魔力の流れを読むことでなんとか方向はわかるが、普通のパーティだったら完全に迷子になるレベルだ。
「これ絶対、侵入者の魔力を解析してルート変えてるよね」
「知性を持った迷宮って表現、あながち間違いじゃないな」
そんな調子で、俺たちは少しずつ深層へと到達していった。
そして、最深部。
そこは、静寂そのものだった。
広い円形の空間の中央に、青白く光る球体が浮かんでいる。周囲の空間全体から、そこへ向かって魔力が流れ込んでいるのが見えるようだった。
「……古代魔導具、ですね」
研究員の声が震えている。
「解析されていないタイプのコア構造だ。これを持ち帰れれば、過去文明の技術解明に大きく近づく……!」
「でも、どうやって回収するの? うっかり触ったら即死、とかありそうなんだけど」
サラの言葉はもっともだ。
試しに魔力だけをほんの少し伸ばしてみると、コアは微かに震え、まるでこちらの存在を認識したかのように明滅した。
(……拒絶してはいない)
むしろ、「ようやく来たか」とでも言いたげな、妙な“親和性”を感じる。
「カイリス?」
「たぶん、大丈夫だ」
自分でも根拠薄いなと思いつつ、俺は一歩前に出た。
サラが慌てて袖を掴む。
「ちょ、ほんとに行くの!?」
「ここでビビって引き返したら、一生後悔する気がするんだ」
掴まれた手に軽く力を込めてから、そっと振りほどく。
ゆっくりと、コアへと手を伸ばす。
指先が光に触れた瞬間、世界が反転した。
膨大な情報が、頭の中に一気に流れ込んでくる。
古代文字、魔術式、魔力回路、構造図。
理解したこともない概念が、なぜか「こうすればこう動く」と直感的にわかる形で押し寄せてくる。
「っ……!」
膝が折れそうになるのを、必死に耐える。
どれくらい時間が経ったのかはわからない。
気がついたとき、俺は膝をつき、右手には冷たい感触の球体が収まっていた。
「カイリス!!」
サラが駆け寄り、慌てて治癒魔法をかける。
頭痛はまだ残っていたが、命に別状はない。
「……大丈夫。ちょっと情報を詰め込まれすぎただけだ」
「そんな軽く言うこと!?」
その瞬間、迷宮全体の光がふっと弱まり、やがて完全に沈静化した。さっきまで不規則に変化していた通路は、出口まで一直線に伸びている。
「……試験に合格した、ってところかな」
誰にともなくつぶやく。
こうして俺たちは、誰も踏破できなかったアトランシアの深層に初挑戦で到達し、古代魔導具をその手に収めた。連邦に持ち帰った瞬間、学会と軍部がひっくり返ることになるとは、このときまだ想像もしていなかった。
2-5:将軍たちとの面談で“史上最強新人”認定
アトランシアから帰還した翌日。ろくに休む間もなく、今度は軍本部からの召集がかかった。
「連邦近衛騎士団本部……?」
呼び出し状に記された名前を見て、思わず眉をひそめる。
そこは、国の“剣”そのものともいえる組織だ。普通の村人どころか、普通の冒険者にすら縁のない場所。
「やっぱり、古代魔導具の件だよね」
隣でサラが小声でつぶやく。
「だろうな。あれを持って帰ってきて“はいそうですか”で済ませてくれるほど、国も暇じゃない」
重厚な門をくぐり、案内役の兵士に導かれて石造りの廊下を進む。壁には歴代の英雄の肖像画や、竜を討伐したときの武具が飾られていた。
(場違い感がすごい……)
そんなことを考えているうちに、会議室の扉の前に到着する。
扉が開かれ、中に入ると――そこには、鎧に身を包んだ将軍たちがずらりと並んでいた。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
中央の席に座っているのは、銀髪の壮年の男。鋭い眼光と、無駄のない所作。ひと目で、ただ者ではないとわかる。
「よく来てくれた、カイリス・アークレイ君」
男は立ち上がり、軽く会釈した。
「私は連邦近衛騎士団総司令、ヴォルグ・ラインハルトだ。
こちらは各師団の将軍と、魔導顧問の諸君だ」
紹介されても、名前を覚える余裕はなかった。
ただ、その場にいる全員が「国の中枢」であることだけは理解できる。
「まずは礼を言わせてほしい。アトランシア深層の踏破、および古代魔導具の回収。
正直、我々も半ば諦めていた案件だった」
「いえ……俺一人の力じゃありません。同行してくれた皆さんと、サラがいてくれたおかげです」
隣でサラが小さく会釈する。
「謙遜も結構だが、事実は事実として受け止めた方がいい」
別の将軍が、分厚い書類を机の上に置いた。
「武道大会の映像、魔力測定データ、アトランシア内部での行動記録。
これらを総合した評価が、ここにある」
ぺらりと紙がめくられ、いくつもの数値とグラフが示される。
「魔力量、既存最高値の一・五倍。
魔力制御精度、理論値上限をわずかに超過。
反応速度、成人戦闘員の平均の二倍以上。
戦術判断能力、単独で小隊指揮官級と同等――」
「待ってください。なんですかその“理論値超過”とかいう嫌な単語は」
「こちらが聞きたい」
将軍の一人が苦笑する。
「お前の存在そのものが、我々の前提をぶち壊している。
だが、そのおかげで見えてくる未来もある」
ヴォルグが俺の目をじっと見つめた。
「率直に言おう。――史上最強の新人だな」
「……冗談、ですよね?」
「半分冗談、半分本気だ」
会議室にくすくすと笑いが漏れる。
しかし、その笑いは決して軽いものではなかった。
「君のような存在は、国にとって諸刃の剣だ。
うまく扱えば大きな力になるが、間違えば周囲を巻き込んで崩壊させる」
魔導顧問の老人が、まぶたを細めてこちらを見る。
その視線は、誇らしさと不安が入り混じったものだった。
「だからこそ、ここで提案したい」
ヴォルグは椅子から立ち上がり、机越しに一歩近づく。
「カイリス・アークレイ。
君を、連邦軍の“特別戦力枠”として登録したい。
冒険者でありながら、軍と連携して国防に関わる立場だ」
喉がごくりと鳴った。
「それは……前線に出ろ、という意味ですか?」
「いずれは、そうなるだろう。だが今すぐではない。
まずは、軍の訓練と演習を通じて、君自身に“戦場”というものを知ってほしい」
帝国との関係。
北方国境での小競り合い。
禁呪兵器の噂。
ラグネルから聞いていたあれこれが、頭の中で一本の線になり始める。
「……断ることは、できますか?」
「できる。君はまだ十歳だ。
誰も、君に義務としてそれを強制することはできない」
ヴォルグはきっぱりと言った。
「ただし――君の力があれば救える命があり、守れるものがあることも、忘れないでほしい」
重たい沈黙。
サラが、心配そうに俺の袖をつまむ。
「カイリス……」
俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
「……わかりました」
自分の声が、思ったよりもはっきりと響く。
「軍の特別戦力枠、受けます。
どうせ戦うなら、ちゃんとやり方を学んでからの方がいい」
ヴォルグの目がわずかに和らいだ。
「いい返事だ。
ではまず、“軍事演習”から始めよう」
こうして俺は、ただのS級冒険者ではなく、
“国家戦力”としての道を歩き始めることになった。
会議が終わり、部屋を出ようとしたとき、隅の席で静かにこちらを見ていた大魔導士が、そっと近づいてきた。村で俺の診断をしてくれた、あの老人だ。
「ずいぶんと遠くまで来たのう、カイリス」
「先生……」
「誇らしいことじゃよ。じゃが同時に、心配でもある」
そう言って、彼は穏やかに笑う。
「お前は強くなりすぎる。だからこそ、自分の心だけは見失うな。
どれだけ周囲が持ち上げても、“自分で選ぶ”ことを忘れるんじゃないぞ」
「……はい」
その言葉は、将軍たちの評価よりもずっと重く、胸に残った。
2-6:軍事演習参加で、模擬戦を一瞬で終わらせる男
軍事演習の日は、朝から空気がぴりついていた。王都郊外の広大な演習場には、整然と並んだ兵士の列、魔導士隊の詠唱練習の声、武具がぶつかり合う金属音が響いている。
「すご……。本物の軍隊だ」
サラが目を丸くする。普段の村やギルドとは別世界だ。
「今日は見学と医療班だって聞いてるけど、ちゃんと安全圏にいてくれよ?」
「カイリスこそ、危ないことしないでよね」
そんな会話を交わしていると、ヴォルグ将軍が近づいてきた。
「アークレイ。準備はいいか」
「一応、覚悟だけは」
「よろしい。――では、君には“部隊指揮”を任せる」
「はい?」
聞き間違いかと思った。
「ちょっと待ってください。一兵士として参加するんじゃなくて?」
「訓練用の安全措置は施してある。死ぬことはない。
それに、君の力を測るには“個人戦”より“隊の運用”を見た方が早い」
将軍たちは完全にその気らしい。俺の方に選択肢はほぼない。
「サラフィア君は、後方医療班だ。模擬戦中の負傷者のケアを頼む」
「はい!」
サラが胸に手を当てて答える。
彼女の存在が視界の端にあるだけで、少しだけ落ち着いた。
与えられたのは、騎士と魔導士を含む二十人ほどの小隊。皆、年上の熟練兵ばかりだ。
「お前が、例のS級ガキか」
顎髭の騎士が、試すような目でこちらを見てくる。
「今日はよろしくお願いします、隊長さんよ」
「いや、隊長は俺じゃなくてあなたたちですよね?」
「違うな。今日の隊長はお前だ」
周囲の兵士たちも、半信半疑ながら視線を寄せてくる。
期待と不安と好奇が混ざった、複雑な眼差しだ。
開始の号令が響く。
「模擬戦開始! 目標は前方の丘に陣取る“敵部隊”の制圧!」
フィールドの先には、訓練用魔術で作られた幻獣と、別班の兵士たちが布陣している。
煙幕が上がり、視界が一瞬だけ白く染まった。
「前衛、三歩前進! 盾を構えて半円を作れ! 魔導班はその後ろで詠唱準備!」
状況をざっと見渡し、無意識に言葉が口をついて出る。
皆が一瞬戸惑いつつも指示に従い、陣形がすばやく整えられていく。
煙幕が晴れた瞬間、敵幻獣が突撃してきた。
「右翼、半歩下がれ! 敵の突撃を中央に誘導!
槍兵、突撃線に合わせて斜め下から突き上げろ!」
号令と同時に、槍の列がわずかに角度を変える。
突っ込んできた幻獣の脚が見事に貫かれ、その巨体が前のめりに崩れた。
「今だ、魔導班! 頭部に集中砲火!」
「《フレイムランス》!」
「《ライトニングボルト》!」
炎と雷が一斉に放たれ、幻獣の頭部を焼き切る。
ごうっという音とともに、巨体が地面に沈んだ。
その間にも、左右の林から敵兵が回り込もうとしている。
「左翼二列目、左に一歩移動! 正面の敵は前衛に任せて、側面を牽制!
弓兵、木々の間の影を狙って牽制射を!」
矢が飛び、敵兵の動きが一瞬止まる。その隙に前衛が押し込む。
(見える。どこにどれだけ戦力を置けば、一番効率よく崩せるかが)
頭の中で、戦場が小さな盤面のように組み上がっていく感覚がある。
自分でも気持ち悪いくらい、最適解が次々と浮かんでくる。
「中央、三歩前進! 敵の隊列が乱れたところを一気に叩く!」
叫んだ瞬間、部隊全体が一斉に動いた。
混乱した敵の陣形は、前衛の盾と槍、後衛の魔法の集中攻撃であっという間に崩壊する。
「そ、総員戦闘不能判定! 模擬戦終了!」
審判役の声が響いたとき、開始からまだたいして時間が経っていないことに気づく。
「……終わった?」
兵士の一人がぽかんと呟く。
「おいおい、こんな短時間で目標達成とか聞いてねぇぞ」
「本番より手強いって文句言ってたの誰だよ……」
ざわめきが広がる中、ヴォルグ将軍がゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「見事だ」
「いえ、皆さんが動いてくれたおかげです」
「指揮官の役割は“皆を動かすこと”だ。
それをこれだけ短時間でやってのけた時点で、十分すぎる成果だよ」
将軍は、どこか呆れたような顔で笑った。
「……やはり、君は“模擬戦を一瞬で終わらせる男”という評判になりそうだな」
「そんな二つ名いりません」
遠くで、医療班からこちらを見ていたサラがほっと息をついているのが見えた。その顔を見ただけで、張りつめていた緊張が少しだけ解ける。
「演習を通じて分かったことが一つある」
ヴォルグが少しだけ真顔に戻る。
「――カイリス・アークレイ。
君は一兵士としてだけではなく、“作戦指揮官”としても十分以上の素質を持っている」
その言葉に、戦場の未来がうっすらと形を帯びて迫ってくる気がした。
2-7:指揮官適性までバグっていたことがバレる
軍事演習が終わったあと、俺はそのまま簡易な反省会――という名の“評価会議”に連行された。場所は演習場の臨時詰所、参加者はヴォルグ将軍と各部隊の指揮官たちだ。
「まずはアークレイ小隊の戦闘データからだな」
机の上に、水晶板に記録された映像が投影される。そこには、さっきまでの模擬戦の様子が克明に映し出されていた。自分の動きを客観的に見るのは、なんとも言えない気恥ずかしさがある。
「初動での陣形変更……ここだ」
副官の一人が映像を止める。
「煙幕が晴れる前の数秒で、敵の出現位置をほぼ正確に予測している。
普通は様子を見てから動くところだが、アークレイは迷わず指示を出しているな」
「結果として、敵の突撃は中央に集約され、側面からの挟撃を未然に潰している。教範に載せてもいいレベルの動きだ」
「続きも見ろ。右側面からの回り込みに対する対応も、実戦級だ」
映像の中の俺は、ほとんど反射で指示を飛ばしているように見える。だが本人としては、頭の中で戦場の全体像が勝手に立体図として組み上がっていくような感覚があった。
「……これ、本当に事前の打ち合わせなしなんだよな?」
「はい。こちらからは大まかな目標しか伝えていません」
副官の答えに、将軍たちは揃って眉を上げた。
「戦術教練を積んだ士官でも、ここまで滑らかには動けまい。
場数を踏んだ歴戦の指揮官が、ようやく辿り着く域だ」
「魔力量も制御も規格外だというのに、戦術眼まで備えているとはな。
神様はどうして一人にこんなに盛ったのやら」
半ば呆れたような、半ば感心したようなため息が漏れる。
ヴォルグが腕を組んで、じっと映像と俺とを見比べた。
「――決まりだな」
「何が、ですか?」
「アークレイ。
君の適性は、一兵士ではなく“作戦指揮官”だ」
「ちょっと待ってください。まだ十歳なんですけど」
「年齢は関係ない。現に、君は二十人規模の部隊を違和感なく動かしてみせた」
別の将軍が、頭をかきながら笑う。
「正直なところだな。普通の仕事が振りづらい」
「……は?」
「斥候任務に出すには目立ちすぎるし、後衛待機させるにはもったいなさすぎる。
かといって前線で好き勝手暴れさせたら、敵も味方もついてこられん」
「つまりどうするつもりなんです?」
「特別戦力として、本格的に戦時体制に組み込む方向で調整する。
指揮官候補として、今から慣れておいてもらう」
あまりにもさらっと、とんでもないことを言われた。
「いやいやいや、ちょっと待ってください。
俺、まだ戦争に出るって正式に決めたわけじゃ――」
「お前、自分で“国を守るために力を使う”って言っただろうが」
「言いましたけど!」
そこへ、扉の外から小さな咳払いが聞こえた。
「……あの、ちょっとよろしいでしょうか」
顔を出したのはサラだった。医療班の仕事を終えたらしく、白衣姿のまま腕を組んでいる。
「軍医として一言、言わせてください」
その声には、明らかな不満がにじんでいた。
「カイリスに無茶させすぎじゃないですか?」
会議室の空気が、少しだけ和らぐ。
「いや、無茶というよりは――」
「模擬戦とはいえ、初参加でいきなり部隊指揮ってどうなんですか。
まだ十歳ですよ? ちゃんと休ませてあげてください」
将軍たちが顔を見合わせる。誰も、正面から言い返しはしなかった。
ヴォルグが、苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「……君の言い分ももっともだ。だが、戦場は待ってくれん」
「だからこそ、準備が必要なんです。
身体も、心も。いきなり“国の命運背負ってね”なんて言われて、はいそうですかって割り切れる人なんていませんよ」
サラの必死の抗議に、俺は思わず笑ってしまいそうになる。
自分のことなのに、自分より真剣に怒ってくれているのがわかるからだ。
「……安心しろ、サラフィア君」
ヴォルグが真面目な表情に戻る。
「君の言葉も踏まえて、段階的にだが準備を進めるつもりだ。
いきなりすべてを任せるつもりはない。特別戦力としての運用方針も、慎重に決めていく」
「ほんとですか?」
「ああ。約束しよう」
サラはしばらく睨むように将軍を見ていたが、やがてふっと力を抜いた。
「……じゃあ、そのかわり。カイリスの無茶のログは全部私が覚えておきますから」
「こわいこと言うな!」
「後でまとめて説教する用だよ」
指揮官適性がバレてしまったことで、俺はますます“普通の冒険者”から遠ざかっていく。そのフラグが、ここではっきりと立ってしまったのだと、このときようやく自覚した。
それでも、隣でぷんすか怒っているサラの姿を見ていると、「まあ、なんとかなるかもしれない」と思えてくるのだから不思議だ。どれだけ肩書きが増えようと、どれだけ周囲が騒ごうと、俺の一番近くでツッコミを入れてくれる人がいる限り、まだ大丈夫だ――そんな根拠のない確信だけは、なぜか強く胸に残っていた。
2-8:サラフィア、軍医として前線同行を決意
演習から数日後。軍本部から正式な文書が届いた。
『北方方面における帝国軍との緊張状態に鑑み、特別戦力カイリス・アークレイ殿には、前線視察および実戦参加の準備を要請する』
ついに来たか、という感じだ。
「……これって、もうほぼ“出陣してね”って意味だよね」
ギルドの宿舎の一室で、俺はため息をつきながら文書をテーブルに置いた。
「そうだな」
向かいの椅子に腰かけたラグネルが、どこか遠い目で文面を眺めている。
「正直言えば、もう少し時間をかけたかった。
だが、戦場の都合ってやつは、個人の事情なんか待ってくれねぇ」
「ですよねー……」
頭のどこかで覚悟はしていた。それでも、こうして現実として突きつけられると、胃の辺りが重くなる。
そこへ、ノックもそこそこに勢いよく扉が開いた。
「カイリス!」
「サラ、ノックは!?」
「したよ! 二回だけど!」
なぜ回数を減らした。
サラは息を弾ませながら、手に一通の封筒を握りしめていた。
「見て、これ!」
差し出された封筒には、軍医局の印章が押されている。
「……もしかして」
「うん。軍医としての正式な登録許可、出た!」
サラは嬉しそうに笑った。
「カイリスが特別戦力として前線に向かうかもしれないって聞いて、軍医局に直談判しに行ったんだ。
『彼のそばで治療にあたれる人間が必要です』って」
「直談判て」
「最初は『君みたいな子どもを前線に出すわけにはいかない』って言われたけど、治癒魔法の実技試験を受けさせてもらったら、担当官の人が目を丸くしてたよ」
その様子が目に浮かぶようで、思わず笑ってしまう。
「で、『条件付きなら前線同行も検討する』って言われて……その条件っていうのが、カイリスの担当医療班に正式配属されることだったの」
「つまり?」
「つまり――カイリスが前線に出るなら、私は“軍医として”一緒に行けるってこと!」
サラの瞳には、不安と、それ以上に強い決意が宿っていた。
「本当は、怖いよ。
戦争なんて、遠くの物語でだけ聞いてればよかったものだと思うし」
「……だろうな」
「それでも、カイリスが一人で危ないところに行くのはもっと嫌なの。
誰かを治す仕事を選んだのに、一番近くにいる人だけ守れませんでしたなんて、そんなのは絶対に嫌」
サラは胸に手を当てる。
「だから、決めたんだ。
私は“村の幼馴染”としてじゃなく、“軍医サラフィア”としてカイリスに同行するって」
その言葉には、覚悟の重みがあった。
「……ありがとう」
気の利いた台詞は思いつかなかった。
それでも、絞り出すようにそう言うしかなかった。
「でも実際の戦場は、演習みたいにうまくはいかないかもしれない。
怪我人も、もしかしたら……」
「わかってるよ」
サラは静かにうなずく。
「それでも、誰か一人でも多く助けられるなら、そこにいたい。
そしてできれば、カイリスが無茶したぶんくらいは、ちゃんと生きて帰らせたい」
「なんか、俺の死亡フラグ量産してない?」
「してない! むしろへし折るためにくっついていくの!」
言い合いながらも、その視線は真剣だ。
「ラグネルさんも、何か言ってあげてくださいよ」
サラがそう振ると、ラグネルはしばし黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「……俺の立場から言えば、本当は二人とも戦場なんか行ってほしくねぇよ」
「ですよね」
「でもな。自分で選んだ道から、他人の価値観で無理やり引きはがされたやつは、だいたいろくなことにならねぇ」
ラグネルは椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「行くって決めたなら、とことんやれ。
その代わり、生きて帰ってこい。それが最低条件だ」
「はい」
「はい!」
俺とサラは同時に答えた。
こうしてサラフィアは、“村の幼馴染”から“軍医として前線に同行する相棒”へと、正式に立場を変えたのだった。
その日の夕方、軍医局から支給されたばかりの白衣と腕章を身につけたサラは、少しだけ誇らしげだった。鏡の前でくるりと一回転してみせる。
「どうかな?」
「似合ってる。というか、思ってた以上に“それっぽい”」
「でしょ? これなら、どこの誰が見ても軍医だって分かるよね」
腕章には、連邦軍医局の紋章と、彼女の名前が細かく刺繍されている。それは単なる飾りではなく、命を預かる職務の証だ。
「私がこの腕章をつけている限り、簡単には倒れないでよね」
「了解しました、軍医殿」
敬礼の真似をしてみせると、サラは吹き出した。
恐ろしい未来が近づいていることは、二人とも分かっている。それでも、こうして笑い合える時間がある限り、前を向いていける――そんな気がした。
2-9:村総出の壮行会と「必ず帰ってきて」の約束
前線行きがほぼ確定したと知ると、俺はどうしてもやっておきたいことが一つあった。
「一度、村に戻りたいんだけど」
軍本部でそう申し出ると、ヴォルグ将軍は少し考えてからうなずいた。
「短期間であれば許可しよう。
士気の源は“守りたいもの”の実感だ。それを確かめに行くというなら、むしろ推奨したい」
そうして俺とサラは、護衛の兵を数名連れて故郷の村へ戻ることになった。
村の入口に姿を見せると、最初に気づいた子どもたちが大声を上げる。
「カイリスだー!」
「サラ姉ちゃんも帰ってきた!」
わらわらと人が集まり、あっという間に小さな人だかりができた。
「おかえり、カイリス」
「王都で偉いさんと会ってるって聞いたぞ」
「身体は壊してないかい?」
口々に投げかけられる言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。
村長が前へ出てきて、静かに言った。
「……顔つきが変わったな」
「そうですか?」
「前はまだ“どこか迷ってる顔”だった。今は、迷ったうえで前を向いている顔だ」
図星すぎて何も言い返せない。
夕方になる前には、村中がざわざわと騒がしくなり始めた。
納屋からは机や椅子が運び出され、広場には大きな鍋や樽が並べられていく。
「これってもしかして……」
「決まっておろう。
――壮行会じゃ」
村長の一言で、準備は一気に加速した。
日が暮れる頃には、広場に長机が並び、料理と酒が所狭しと並んでいた。焼いた肉、採れたての野菜の煮込み、サラの家で焼いたパンと菓子。誰かが持ち込んだ楽器の音まで鳴り始める。
「カイリス、これ食べな!」
「お前の好きだったやつ、ちゃんと作っておいたからね!」
「サラちゃんも、ちゃんと食べて太らないとダメよ」
「太らなくてもいいでしょ!」
笑い声とツッコミが飛び交い、いつもの村の空気がそこにはあった。
やがて、村長が立ち上がる。
「静粛に」
ざわめきがすっと収まる。
「皆も知っての通り、カイリスは王都でS級冒険者となり、軍の特別戦力にまでなった。
それは誇らしいことじゃ。同時に、とても危うい橋でもある」
村長の言葉に、皆が真剣な顔になる。
「これから始まる戦は、ただの喧嘩ではない。
国と国がぶつかり合い、多くの命が失われる。……その場に、こいつは立つことになる」
そう言って、村長は俺の肩をぽんと叩いた。
「だがな。こいつは、どれだけ偉くなっても“この村のガキ”だ。
お前ら、そう思って扱え」
わっと笑いが起こる。
「うちの村からそんな偉いのが出たってのは自慢だが、だからといって遠い存在になったわけじゃない。
ここはお前の“帰る場所”だ。忘れるな」
「……はい」
喉の奥が詰まりそうになるのをこらえながら答える。
村長は今度はサラの方を向いた。
「サラフィア」
「はい」
「お前も、軍医としてこいつについて行くと聞いた」
「はい。怖いですけど……それでも、一緒に行きたいです」
「そうか」
村長はうなずき、少しだけ優しい目をした。
「じゃあ、お前は“村の代表としての軍医”だ。
こいつが無茶しそうになったら、その都度頭をひっぱたけ」
「任せてください」
「任せないでほしいんだけどなぁ」
周囲から笑いが漏れる。
そのあと、村の人たち一人ひとりが、俺たちのところへやってきて言葉をかけていった。
「誇りだよ」
「無理はするな」
「困ったらすぐ帰ってこい」
「王都でもちゃんと野菜を食べろ」
どれもこれも、胸に刺さる言葉ばかりだ。
最後に、サラの両親が近づいてきた。
サラの母は、目を赤くしながら俺の手を取る。
「カイリスくん。サラを……サラを、頼むね」
「こちらこそ、頼りまくってます」
「でも、一つだけ約束して」
サラの母は、涙をこらえながらもはっきりと言った。
「必ず、ちゃんと帰ってきてね」
その一言に、胸の奥で何かがカチリと音を立てる。
「……はい」
言葉にできる約束は、それしかなかった。
でもその瞬間、俺は心の中で、もっと重たい約束を自分自身に課していた。
(どれだけ無茶をすることになっても、この村に戻ってくる。
泣いて笑って送り出してくれたこの人たちの前で、“ただいま”って言う)
夜空を見上げると、星がやけに近く感じられた。
村総出の壮行会の熱と、あの「必ず帰ってきてね」という言葉が、これから戦場へ向かう俺の一番の支えになる――そんな予感がしていた。
宴は夜更けまで続いた。酔っぱらったおじさんが泣き上戸になって昔話を始めたり、子どもたちが「帰ってきたらドラゴンの話聞かせて!」と無邪気にせがんできたり。そんな光景一つひとつを、俺は頭の中に焼き付けるように眺めていた。
この夜の匂いと音と温度を忘れなければ、きっと折れずにいられる。
そう信じながら、俺は皆と一緒に笑い、そして心の中で何度も何度も「必ず帰る」と繰り返した。
2-10:帝国侵攻の報せ――世界が戦争モードに入った件
村での滞在は、あっという間に終わりの時を迎えた。三日目の朝、まだ太陽が顔を出しきる前に、王都からの伝令騎士が全力疾走で駆け込んでくる。
「カイリス・アークレイ殿、サラフィア殿はおられるか!」
村長の家の前で息を整える暇もなく、伝令は封蝋付きの文書を差し出した。封には連邦軍最高司令部の紋章が押されている。
胸が嫌な予感で重くなりながら、封を切る。
『至急帰還されたし。帝国、本格侵攻を開始』
短い文の中に、世界の色を変えるには十分な情報が詰まっていた。
「……来たか」
村長が低くつぶやく。
伝令が状況を説明する。北方国境の複数の砦が同時多発的に攻撃を受けたこと。帝国が正式に“連邦への制裁行動”を宣言し、大軍を動かしていること。各地で狼煙が上がり、連邦軍は総動員体制に入ったこと。
「特別戦力として、両名には前線部隊への合流を要請する、とのことです!」
伝令の言葉が、妙に遠くから聞こえる。
村人たちは、固唾をのんでこちらを見ていた。昨日まで笑っていた顔が、一瞬にして不安と恐怖に染まっていく。
「カイリス……」
サラが袖をぎゅっと掴む。
俺は、彼女の手のぬくもりを感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
「行くよ」
言葉にすると、不思議と腹が据わる。
「ここで逃げたら、きっと一生後悔する。
あのとき戦っていれば守れたかもしれないものを、ずっと考え続けることになる」
「うん……わかってる」
サラの声も震えながらも、はっきりとしていた。
村長が二人を見つめ、静かにうなずく。
「覚悟は、とっくに決めておった顔じゃな」
「村長……」
「行ってこい。国のため、守りたいもののため、そしてお前ら自身のために」
ただし、と村長は続けた。
「条件は前にも言った通りだ。――生きて帰ってこい」
「はい」
「はい!」
準備にかけられる時間は多くなかった。最低限の荷物をまとめ、村人たちが慌ただしく食料や薬草を持たせてくれる。
「これ、道中で食べなさい」
「傷薬も多めに持っていけ」
「寒いときはこれを羽織るんだよ」
ひとつひとつに、送り出す側の願いが詰まっている。
見送りの列の先頭で、サラの母が涙をぬぐいながら笑った。
「大丈夫。あんたたちなら、ちゃんと帰ってくるって信じてるから」
「うん。行ってきます」
馬車に乗り込み、村を出るとき。
俺は振り返って、大声で叫んだ。
「絶対に、帰ってくるから!」
その言葉に、村人たちは一斉に手を振り返してくれた。
その光景が、胸の奥に焼き付く。
山道を抜け、王都への街道に入るころには、周囲の空気も変わっていた。行き交う馬車の数が増え、武装した兵士たちの姿が目立つ。遠くの空には、各地からの狼煙が細い筋となってのぼっているのが見えた。
「……ほんとに、世界が“戦争モード”に入ったんだね」
サラが窓の外を見つめながら呟く。
「ああ。もう、後戻りはできない」
王都の城壁が見えてくると、そこにも変化があった。門の前に並ぶ検問の列、荷馬車の検査、慌ただしく走り回る兵士たち。普段は穏やかな城下町の風景が、緊張に覆われている。
軍本部に到着すると、すでに戦時の空気が支配していた。廊下には次々と命令書を運ぶ兵が行き来し、作戦室の扉の前には徹夜明けらしき将校が疲れた顔で立っている。
そんな中、ヴォルグ将軍がまっすぐこちらへ歩いてきた。
「よく戻ったな、カイリス、サラフィア」
「思ったより早いですね、将軍」
「戦は待ってくれんからな。
帝国は本気だ。こちらも、本気で応じるしかない」
将軍の声には、いつもの余裕ある響きに、わずかに硬さが混じっていた。
「いいか、カイリス。
ここから先は、もう“訓練”ではない。お前の判断一つで、部隊丸ごとの生き死にが決まることもある」
「……わかっています」
「恐れるな、とは言わん。恐れを抱いたまま、その上で前に進め」
ヴォルグはそう言って、俺の肩を力強く叩いた。
武道大会から始まった“ちょっと特別な日々”は、こうして本物の戦争へとつながっていく。
田舎少年だった俺は、いつの間にか“国家規模の戦争の中心”に立つ位置まで押し出されていた。
幼馴染。村。国。
それらすべてを守れるかどうかは、もう俺の力と選択次第だ。
第二章の幕が下りると同時に、世界は確かに一段階、重く音を立てて動き出したのだった。
夜。王都の宿舎の窓から外を眺めると、いつもより灯りの数が多いのがわかった。城壁の上、詰所、鍛冶場――あちこちで誰かが働き続けている。
「眠れない?」
背後から、サラの声がした。
「少しだけ」
「私も」
並んで窓の外を見ながら、俺たちはしばらく何も話さなかった。やがて、サラが小さく笑う。
「でもね。怖いけど、楽しみでもあるんだ」
「楽しみ?」
「うん。カイリスがどこまで行けるのか、ちゃんとこの目で見届けられるって思うとね」
「……じゃあ、その特等席を手放さないように、生き残らないとな」
「もちろん」
そうして交わした小さな約束が、嵐の前の静けさの中で、静かに第二章を締めくくっていった。




