No.70 少女の覚悟
ラプラスは明海の提案が本当にどういう意図で言われているのかがわからなかった。勧誘にしては安っぽく、揺さぶりとしては弱い。普通なら世迷言で終わるような提案だった。
「...それは何の冗談だ」
「まあ悪い冗談にしか聞こえないよね。僕とってのがまさに悪夢みたいだろ。でも、実際君にとっても悪い提案じゃないと思うんだ」
「どういうこと」
体力を完全に回復するための時間稼ぎなのか、それとも別のことから意識を逸らすための誘導なのかはラプラスにはわからなかったが、無視するわけにもいかず明海にその意図を問う。
「こんな戦争を好き好んでやっているのは僕からしてもいかれているとしか思えない。何でこんな戦争なんてことにこの時代に生まれておきながら首を突っ込まなきゃいけないんだって思わないかい?君たちが実際どうかは知らないけど、僕はもともと軍人なんかじゃない。ノートにも書いたけど、僕は僕の立場を確立するために能力者になった。だから戦争したかったわけじゃない。そうしなきゃ生きていけなかっただけだ」
この戦争が背景にあるのかは今となっては定かではないが、日本人である明海は中国において差別を受けていた。国全体ではなく、言ってしまえばどこの学校にもよくあるいじめの一つ。ただ攻めやすい理由として人種の違いに目をつけられただけで、実際本当に日本人を嫌っていたのかですら怪しい。だが、事実として日本人だからこそ明海は迫害に近い差別を受けていた。その不利な状況を好転させるために、目の前で光ったわずかな希望に縋り、寄りかかり、命を預けた結果、命を懸けるという代償を払うことになった。
「軍に所属していた時にこんなことばれたらそれこそ何されるかわかったもんじゃないけど、今はいるのは日本だ。僕は中国軍の人間だけどその前に日本人だ。なら今ここでこんな辛い拷問を受け続けて、中国軍のことを干からびるまで吐き続けるくらいなら、いっそ逃げたっていいじゃないかって思ってね」
「なぜそれでオレを誘う」
「今、それを阻止できるのは君だけだ。能力を知らない君が何をできるのかなんて僕なんかにはわからないけど」
不確定要素であり、実際この場所まで連行したのはラプラスであることは事実。それを除いても相手の能力がわからないまま、圧倒的に体力のない現状で戦闘を挑むのは自殺行為だ。
「...その話、オレにメリットがないな」
「まあ、そりゃそうだよね。デメリットならいくらでもあるだろうけど。...僕は、君を殺したくないんだ。これは言い訳に近いんだけど」
心の器を少しだけ傾けて、その中身をそっと垂らす。上澄みのような思いが少しずつ溢れるように言葉になって流れ落ちる。滴る言葉が、明海の声を震えさせた。
「君は唯一、僕をどうでもいいと切り捨てず、雑に扱うこともしなかった。...救いだったんだ。大げさじゃなく、僕にとっては」
ラプラスからしてみれば、ただただ情報を聞き出すためにコミュニケーションを何とかして取っていたにすぎない。自分だって苦手なコミュニケーションを何とかやりやすい形で行うために文通を選択したまで。全部ラプラスは自分のいいように選択して、明海と接点を持っただけ。何も過剰なことはしていない。なんなら足りないほどだろう。
「...オレの態度を救いと言っているのは、過剰だ。オレは敵として対峙し、オレの任務を遂行しているに過ぎない」
「そうだろうね。でも言っただろ。僕にとってはだ。戦争以外の話をできる存在なんて...いつぶりだろう」
明海にとって差別は言うまでもなく、彼自身の社会を大きく狭め、認識や価値観を歪めた。目に見える人間すべてが自分を嫌悪し、存在価値を問いただしてくるようにすら感じた。その深く閉ざした視界を切り開くには、些細な光すら大げさな希望に感じる。
「ここにいたのが君以外の誰かだったら、こんな誘いはしない。能力云々ももちろん理由だけど、それ以外のほうが僕にとっては大きい。...教えてほしい。僕は散々閉じこもってあらゆるものを拒絶してきた。大体自分を卑下に扱っていればそこからさらに踏み入ってくる人間はいないから。...君はどうやって生きてきた?」
「オレは...」
今もなお、憧れという仮面をつけ、自分を上書きするように衣装や性格を作り込んだラプラスはその問いに対して、答えが詰まる。
「...私は、あなたとは違う。似てる部分があるのは認めるけど...それでも根本的に違う」
憧れの仮面を外し、ラプラスのフードを取って、仲村 新香として答える。戦闘中でありながら、お互いに向けるのは銃口ではなく、腹の内だった。
「...私は確かに素の私は嫌い。根暗で臆病でプライドだけあって自分中心な私が嫌い。おどおどして何もしてないくせにずっと被害者みたいな顔してるやつなんて誰も好きにならない。私だって嫌い。...でも、この衣装でいる私は好き。好きなものを注ぎ込んだ性格。義理堅くて落ち着いていて、いざというときに本領を発揮する。蔓延る薄っぺらい正義や流され続ける価値を否定し、筋の通った大義をぶれずに突き通す。私がそうありたいものに、私がなるために。私が好きな私になるために」
かつての嫌いな自分を否定するところまでは同じかもしれない。ただ、そのまま自分を否定し続けた明海と、違う自分を新しく生み出そうとしたラプラスでは、行く着く先が別物だ。その分岐は現時点でも大きな差を生んでいる。
「私のことを...変だと思う人もいた。嫌いな私より否定されることもあった。味方が...いなかったこともある。それでも、今の私には、私を認めてくれる人がいる。私を否定しないで受け入れてくれる人がいる。仲間だと言ってくれる人がいる。...私は私の嫌いな私も、否定しないでいてくれるかもしれない人ができた。戦いは苦手だし、戦場は怖い。銃もまともに撃てないし、体力もない。...でも、私は私が好きになれる私でいるために、戦うの。だから、裏切るなんてできない」
「...そうかい」
ラプラスが放つ、拒絶とは違う断りに明海は心底残念そうに呟いた。
「...あなたこそ、なんでそんなところにいるの?そんなに嫌なら中国なんて飛び出して、日本に来ればよかったじゃん。私を誘うんじゃなくて、あなた来れば」
「正気かい?...本当にそう思うのかい?」
信じられないものを見るような目で、明海はラプラスに問う。傾けた心が揺れ、溢れ出す心が器にひびを入れ始める。
「国を裏切って軍を移動するやつがその軍で信用されることなんてないだろ。元々所属していたとかならまだしも、完全に別組織にいながら、寝返るなて。...自分の芯をもって我の強い人間ならできるだろうけど。...今の味方に生まれた恨みや怒りは必ず僕に届く。国の存亡をかけた世界大戦で国に反逆する意味がわかっているのかい?」
「...じゃあ逃げ出すのと何が違うの」
「敵対するのと逃げ出すのじゃ何もかも違うだろう?」
ラプラスは深くため息を吐いた。まるで嫌いな自分の鏡写しを見ている気分だった。自己中心的で自分の視点でしか物事を捉えない。被害妄想に近い偏見に溺れて、息を吸えないと騒いでいる。現実逃避の手段を探しては、藁なのか蜘蛛の糸なのかもわからずすがろうとする。
「敢えて伝えよう。...オレは君がオレに感じている共通点を認められない。オレ自身が否定したいオレの弱さだからだ。心の奥底でその弱さが残っていようと、決して過去の所業を消せないとしても、オレはラプラス・イビルヴォーク・カタストローニャであることに偽りはないっ」
仮の姿、仮想の自分、理想の真似事。そのどれであっても、それを定めた自分を否定するわけにはいかない。自分がありたい姿を目指すなら、その歩みを止めるわけにはいかない。弱者の行進はその一歩こそ小さいが、その一歩一歩の継続が強者にはない強さとなる。
「そうか...。確かにそうだ。君は君の居場所がある。僕にはないものを君は持っているんだね。...羨ましいな」
「だから諦めてそこにいろ。...そこにいる間は話し相手になってやろう」
「...ありがたいけど、それはどうやら無理みたいだ」
「何を」
「この襲撃は中国軍のものだよ。僕を奪還しに来たのかただの襲撃かはわからないけど、ここが中国軍に露見した以上、容赦なくここを落としに来るだろう」
「っ...だが、ここには我々の総戦力が」
「ほらまた...」
明海は崩れた天井から夜空を見上げる。黒い雨が滴り、何の光もない空が明海の心のように透けて見える。そこにあるはずのない星のような光が無数に空に散らばっている。それは明らかに殺意を持った輝きだった。
「No.999が来ている。...彼が戦闘する場所に敵がいるとみなし、中国軍はその場所を徹底的に破壊する。僕がいてもいなくても関係なく。ここから避難したほうがいいよ。君がどんな能力かは知らないけどね」
少し体力が戻ったが、明海はラプラスに能力を行使することはない。これから始まる無差別攻撃に対して、自分の命をつなぐために。
黒い雨に恐怖を感じながらも輪廻は憂希の臭いや気配を辿りながら一生懸命向かった。運がいいことに憂希の周辺には現時点で誰の気配もない。
「ゆーきっ」
やっと気配を感じていた場所に憂希の姿を視界に捉える。地面に冷たく倒れ込んでいる憂希の姿に輪廻は動揺する。黒い雨のせいでよくわからないが、血の臭いがすることは確かだった。
「ゆーきっ。...っ。...ああ、ゆーきっ」
輪廻だからこそ感じ取る憂希の異常。体温の低下や浅い呼吸。欠損した左腕。火傷や擦り傷で傷だらけで、心音は耳を澄まさないと聞こえないほどか細い。
「っ...」
輪廻は自分の姿を大型のオオカミに変え、憂希を背に乗せて走る。一番自分が慣れている走り方と、一番安心する温かさを無意識に選び、無我夢中で走る。
「ゆーきっ、だいじょうぶ。...だいじょうぶだからっ」
不安なとき、怖いとき、震えが止まらないとき。憂希がいつも輪廻に優しく言っていた言葉を真似する。その意味はわからない。でも、その温かさを理解していた。恐怖を拭い、不安を和らげ、震えを小さくするその言葉を輪廻が伝える。
「ふっ....ふっ.....ふっ。....っ!?」
輪廻は思わず急停止する。雨が匂いや視界を邪魔しているが輪廻ははっきりとそれを認識する。神経の隅々まで浸透した嫌悪感のすべてが警報を鳴らす。
「っ......どうしよう。ゆーきが。....でもあれは....こわいもの」
輪廻は必死に頭で考える。何が最善か、何が必要か、何ができるか。
「っ。....アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
その咆哮は雨音を貫く。混乱と混沌を極める戦場で銃声や爆発音が情報をかき消す中で、統制の取れていない日本軍に示す最大の警報。野性においても最重要となる情報の共有とコミュニケーション。それを一声で輪廻が担う。予期せぬ咆哮に中国軍は反応できない。それが何を示すものかを瞬時に理解できない。
「っ...」
その声が一番最初に届く人物は決まっている。助けを求める声。仲間を求める声。そこに誰かが待っている。それに呼応するのはそれを救う者。
「輪廻ちゃんナイス!うちが来たから、安心して!」
「にのっ」
ピンチに颯爽と駆け付け、満を持して降り立つのはいつだってヒーローだ。その拳一つで絶望の曇天を穿ち、殺意の雨を消し飛ばし、希望の星を空に広げる。
ご拝読ありがとうございます。
皆様の娯楽として一時を楽しんでいただくきっかけとなれましたら幸いです。
素人の初投稿品になります。
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