No.55 危険因子の影響
海に出現した海水を割る現象はAZが起点となって発生している。しかし、AZがやっているのは海水の蒸発だけであって、海水の対流を止めているのはAZの能力ではなかった。
「神酒さんっ」
「ああ...日本の」
「なんですか...あれ」
「あたしも今来たところだから...全然わかんない」
後から来た憂希は神酒と空中で合流し、海が割れている光景に圧倒される。海水が消滅している幅は数百メートルに及んでいるだろう。
「....そもそも波が動いてない」
その衝撃的な光景に次第に慣れてくると、次々に違和感が目に付く。明らかに波が動いていない。水面が穏やかな凪になっているわけではない。高波も白波も含めた海面のうなりがまるで時が止まったように固まっている。
「あのロボットの能力じゃないよね?」
「AZは熱操作のはずです。...他二人はベクトル操作と兵器操作だけのはず」
その会話で行く着く結論は一つだった。
「あの男の能力なのか」
物体の停止と考えれば、初めて対峙したときに全員が動けなくなったことにも辻褄が合う。しかし、停止だけで本当に危険因子になり得るのか。
「まずはあのAZ軍を殲滅しましょう」
「...ちょっとさ、本隊に一瞬戻ってもいい?」
「え、どこか怪我でも」
「めっちゃ申し訳ないんだけど、お酒飲みたいんだ」
「なっ...」
その発言が悪ふざけかと思い、憂希は咎めるつもりで神酒の顔を見た。しかし、咎める言葉が憂希の口から出ることはなかった。神酒の顔は真剣であり、本当に申し訳なさそうな表情をしていた。
「アルコール依存症なんだけど、戦争でお酒を飲んでいないと気が狂いそうになっちゃうんだよ。...本当に嫌なの」
「...ならどうして......能力者に」
「...それしか選択肢がなかったんだ。そうしないと生きていけなかったんだよ。おかしな話だよね、ははは」
いつも明るく掴みどころのない千鳥足のような性格の神酒から放たれているとは思えない言葉と声色。
「わかりました。神酒さんの能力であれば一瞬だと思いますし。本隊にこの状況を詳細まで報告をお願いしていいですか」
「わかった。へへへ、ありがとうね。ちょっと行ってくる」
神酒は空間転移で姿を消した。その去り際はどこか弱々しく、されどそれが本音のように憂希は感じた。
「さて...」
憂希は一人で対峙する。未知の敵と相対した強敵の大群。一人で相手取るのは厳しい。相手は単純な能力兵ではない。軍人のみで構成されたプロ集団の能力兵だ。ビギナーズラック以外で基本的に勝てない相手である。憂希が生み出す奇策すら致命傷には至らないと身をもって感じた。
「....」
しかし、憂希にとってここで退く選択肢はなかった。この戦争において前線を維持する重要性は憂希とて理解している。日米軍の本隊にあのAZの大群が押し寄せれば、一瞬でAZの能力にかき乱されることになるだろう。
「なっ...」
まずは遠距離からAZの侵攻を食い止めるべく、憂希はなぜか変化しない海の対流を操作しようと試みた。しかし、それは叶わなかった。一切動かない。一切流れなどない固体のように海全体が一つの塊になっていた。
「こちら神崎。...海全体が海流すらなくなり、ひとつの物体のように固まっています。俺の能力ですら操作できませんでした。敵の危険因子の男が能力によるものだと思います。...物体の固定とかそういう類だと思いますが、それだけじゃない気がします」
『こちら振動。了解した。今、逆咲伍長の報告を受け、こちらも作戦を検討している。水蒸気を発生させているアンドロイドの大群を止められるか』
振動の能力で通信機を介せずにコミュニケーションを取る。
「了解です。AZだけなら何とか...。危険因子の男は姿が確認できていないので、増援が来たら厳しいかもしれません。実際、俺は一度動きを止められたので」
『無理はするな。遅延できればそれでいい。男が出てきたら一時撤退を優先しろ』
「了解」
肉眼で確認できない距離で海全体に影響を与える能力であるという裏付けが、グリゴリーの能力の影響力を物語る。憂希の能力は表面の海水を攫うような生半可な能力ではない。
「...なら、これならどうだ」
海の形状や対流は完全に停止している。しかし、AZたちは明らかに海を削るように侵攻している。大量の水蒸気は海水が気化している証拠だろう。つまり、形状変化はできなくとも温度変化はできると予想した。そして、その読みは当たっている。
「よし。....手始めに海を全部.....凍らせるっ」
足元の海水が氷結したことを確認し、憂希は思いっきり能力を行使する。そもそも凍ったように動いていない海を完全に氷結させる。海を芯から凍らせるためにかなりの水深まで氷結した。
「物体の固定と過程したら....」
この氷結で敵が次の手を打ってくるのも、足止めとして相手に利用されるのも致命的。その中で憂希が選択する一撃は一択だった。
「っ」
もうためらうことのなくなった渾身の雷撃は大量の水蒸気を雷雲のように駆け巡り、一気に電気分解と共に雷撃の衝撃を破壊に変えながら、落雷の数瞬後に大爆発が水蒸気を火炎と黒煙に変化させた。
「こっちだって....火責めは可能なんだっ」
侵略すること火のごとく。爆炎を操作し、そのまま火力を上げ、範囲をロシア側に広げ、氷結する海の上を火の海に変える。砂嵐のような火炎の壁をロシア軍に向けて放つ。呑み込むものをすべて焼き払う大津波。
「っ」
さらに憂希は追撃する。火炎の嵐を隠れ蓑にし、大地を限界まで融解する。AZたちが進めていた海が切り取られ、海底が露出したエリアの海底を融解し、溶岩に変える。まるで水路のようにその海底が融解した溶岩がロシア軍にそのまま進む。その流速は溶岩とはかけ離れた速度で、まるで津波のように容赦なく侵攻する。その熱も相まって火炎はさらに温度を上げ、熱線のような破壊力を生んだ。
「....っ」
防ぐことが不可能にすら思える憂希の攻撃はロシアの陸に差し掛かる前に停止した。かき消されたわけでも、消火されたわけでもない。文字通り停止した。煙も溶岩も、炎の揺らめきすら停止した。
「そんな」
炎は厳密には物体ではない。燃焼と共に発生する熱と光の現象である。どちらかと言えばプラズマに近い熱と光の放射であり、大気の対流や浮力によりその放射に揺らぎが生じる現像である。熱が発生している以上、それが広がるというのは必然的な現象であり、大気の対流がなくてもその放射は広がる。
しかし、その炎は完全に固まっている。上昇気流で揺らいだまま、まるで絵に描いた炎のように動きを止めた。熱の放射すら止まっている。
「物体の固定じゃない...そもそも....固定ですらないのか」
炎の熱は放熱されていないが、その場にとどまっている。その証拠に憂希が凍結した海が徐々に溶けている。熱の範囲すらも変わっていない。そもそも海であっても憂希の能力であれば固体化されたとしてもそのままの状態で操作はできるはずだ。
「こちら神崎っ。AZの侵攻部隊は撃破しましたが、俺が放った炎がまるごと固定されました。そのまま時間が止まったように動かせません。ただ、熱は効果があるようで氷結した海が溶けています。ただ、炎の嵐で相手の視界は最悪だと思います。兵器による攻撃は今、有効かもしれません」
『物体だけではないのか。...承知した。ロシア軍に攻撃を開始する』
「何なら通用するんだっ...。神酒さんの能力なら通用するのか」
憂希は何もかもが無効化されるような感覚に陥る。水も氷も煙も火炎も風も停止されている。どれかが停止されたら他の何かが停止を解除されるという話ではない。停止される現象が次々に増えている。これまでの戦いで有効打を与えていた自分の攻撃が通用しない状況に憂希は歯がゆさを感じていた。
その頃、仁野は一人で格闘していた。
「なにこれっ。何で!?なんも!」
すぐ下の海中にアレックスの姿が見えていた。氷結はすべて解氷されていたが、アレックスの意識はすでになく海中に漂っている。いや、漂っていると言うのはいささか語弊があるだろう。完全に海中で停止している。浮きもしなければ沈みもしていない。
「っ!...なにやっても水が!なんで!」
仁野は渾身の力で海面を叩いていた。本来立てるはずのない海面に立ち、まるで地面を殴るようにその足元を叩き、踏みつけ、抉ろうと試みた。しかし、その一切に海面は揺らぐところか微塵も形状が変わらない。普通の人間ですら叩けば揺らぐ海面を仁野の力でやっているのにも関わらず、轟音はまるで岩盤を叩いているかのように低く響くだけで何も起きていない。
「アレックスさんっ」
溺れているのか、無事なのか。それすらもわからない。届く距離にいるはずの味方をどう足掻いても救えない。
「何で....うちは.....いつも....何もできないの」
その悔しさと不甲斐なさに仁野は海面で膝をついてうずくまる。少しずつ感じていた自分が役立ってきているというささやかな実感が一気に崩れ去り、仁野は思わず涙を流す。
「っ....うぅ。....え」
仁野が流した涙は海面に滴り、そのまま海面に波紋すら作らず、まるで床に落ちたかのように水だまりを作った。海と同じ塩分を含んだ水分のはずなのに、それはこの固定の制御には該当していない。
「....この海は止まっているだけ。凍らせたり、温かくしたりはできるって言ってた...。ならっ」
自分にできるのはフィジカルの延長線上になることだけ。仁野は自分にできることをすぐに考えた。
「この位置と情報をすぐに伝えなきゃ。うちにできなくても...神酒ちゃんなら助けてくれるかも」
そのまま仁野は海面を走り、日米軍の本隊側へ向かう。その速度はまるで戦闘機であり、一気にトップスピードに到達する。距離が距離であれば瞬間移動のような速さ。
「うちは...うちのできることを」
何でも解決するヒーローとは違う世界。ヒーローだけが特別ではない世界だからこそ、自分の役割を全うすることに意義があり、責任が生まれる。その判断ができるようになったことは軍人として成長した証と言えるだろう。
ニコとネスメヤナが本隊に合流し、AZの消費以外に痛手がないロシア軍。
「では、俺も出るとするか。全くあの小娘。明後日の方向に飛ばしおって。どれだけ心待ちにしていた戦だと思っている」
そこには本隊にまで戻ってきたグリゴリーの姿があった。神酒が仕掛けた分断作戦はそこまで効果を与えず、また振り出しに戻った。
ご拝読ありがとうございます。
皆様の娯楽として一時を楽しんでいただくきっかけとなれましたら幸いです。
素人の初投稿品になります。
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