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第8話「合理的主義者の山小屋生活」

 もともと、無駄を嫌い、効率や安全を最優先する性格だった。

 だからこそ、パンデミックという非常時のなかでも、何とか生き延びてこれたのだと思う。

 今でこそ、山小屋での暮らしは静かで穏やかだと感じるが――

 ここにたどり着いた最初の頃は、そんな余裕とは程遠かった。


 パンデミックが本格化し、まだ攻撃型ゾンビがあちこちに徘徊していた時期。

 都市部や住宅地、郊外の大きな集落は、感染や襲撃による混乱で一気に崩壊していった。

 ニュースやSNSで流れてくる映像のなかで、「密集地帯に残るのは危険だ」と即断した。


 都心のマンションに立て籠もる選択肢もあったが、

 群れで襲ってくるゾンビに囲まれたら逃げ場はない。

 生き残るためには、見通しが良く、四方に逃げ道があり、

 人の出入りが少ない場所を選ぶしかなかった。


 土地勘はなかったが、インターネットや地図アプリのキャッシュ、

 断片的な情報を組み合わせ、

「山間部の小規模な村落」「水源と畑のある場所」「アクセス道路が限られている」

 そうした条件を満たすエリアを事前にいくつか絞り込んでいた。


 山小屋という選択肢は、その時の状況では理にかなっていた。

 バリケードや柵で守りを固めやすく、裏山があれば資源も逃げ道も確保できる。

 音や動きに敏感な攻撃型ゾンビが、まとまって押し寄せてくるリスクを最小限に抑えられる。

 “都市部のゾンビが流入しにくい地域”という点でも長野の山間部は有力候補だった。


 実際の移動は計画通りにはいかなかった。

 都内からタクシーに相乗りし、サービスエリアで一人降ろされることになり、

 そこからは徒歩や自転車、道端の廃車などを使いながら、

 道路標識や地図アプリを頼りに進んだ。

 途中、人気のない集落や畑をいくつか下見し、

 どこも人影はなく、たまに遠くに低活動型のゾンビがいる程度だった。


 逃亡の途中、夜を明かす場所に困ることは何度もあった。

 はじめのうちは、住宅地の無人の家を拝借して過ごすことが多かった。

 誰も戻る気配のない、カーテンの閉まった家。

 水道と電気は止まっていたが、布団と屋根があるだけで天国のように思えた。


 しかし、そんな夜に限って、窓の外を誰かが通り過ぎる影が見えた。

 それがゾンビなのか、生きている人間なのか、判別できないことも多い。

 いずれにしても、物音一つ立てれば、何が起こるかわからない――

 緊張と警戒で、体のどこにも力が抜けなかった。


 一度だけ、早朝にふと目を覚ますと、台所の勝手口が僅かに開いていたことがあった。

 念のため包丁を握りしめて、恐る恐る廊下に出ると、

 靴跡が泥まみれで床に続いている。

 幸い、何者かが入った痕跡はそれきりだったが、

 その時の“無力感”と“見知らぬ他人への本能的な恐怖”は、今も忘れられない。


 ゾンビも人間も、物音に引き寄せられる。

 同じ屋根の下に潜んでいるというだけで、

 人の気配や意志のない徘徊者に囲まれていることを強烈に意識させられる。

 都市や住宅地に長居することは“自分の意志で危険を呼び込む”ことだと、痛感した。


 物資や水源の確保、誰も戻る気配がないことを確認したうえで、

 外れにある古い山小屋と納屋に目星をつけた。

「ここならしばらく身を隠せるかもしれない」

 そんな、ギリギリの現実的判断だった。


 実際に暮らし始めてみれば、理想のスローライフとはほど遠い現実が待っていた。

 水は井戸ポンプが詰まっていて、最初はバケツで泥水をすくうしかなかった。

 修理道具も限られ、何度も試行錯誤しながら手押しポンプをようやく復旧した。

 それも「水を飲むたびに何かが浮いていないか」を気にしながら、布で濾して煮沸する日々だった。


 雨水は貴重な資源のはずが、最初の夏にはタンクごと腐らせてしまった。

 畑も、耕してみればモグラのトンネルだらけ。

 せっかく植えたジャガイモは半分以上、獣や虫のエサになった。


 最初の一ヶ月で思い知ったのは、「理想と現実のギャップ」だった。

 YouTubeや本で見た知識はあっても、実際に自分ひとりでやるとなると、思い通りにいかないことばかりだ。


 “全部はできない”――その事実を、早く認めた方がいい。

 そう自分に言い聞かせてから、ルールを作った。

「最優先は水・食料・安全。どうしても必要なことだけ、手順を決めて実行する」

 それ以外のことは、「やれたらやる」「余裕ができたら考える」でいい。

 完璧主義をやめたとき、初めてこの場所で呼吸がしやすくなった。


 もちろん、失敗はそれからも山ほどあった。

 罠にかかった動物をさばこうとして怪我をしたこと。

 薪ストーブを焦がして煙だらけにしたこと。

 保存食が腐って全滅したこと――

 全部ノートに書き残し、次からは同じミスをしないようにした。


「合理的主義者」なんて、ただの開き直りかもしれない。

 それでも、“できることを見極めて、手を抜かずに続ける”

 そんな生き方こそが、いまの俺にはちょうどいい。


 窓辺のノートをめくる。

 走り書きの反省と工夫のメモで、何冊も埋まった。


 最初のページには、


「全部やろうとしない、命がけでやることだけやる」


 そう書き込んであった。


 無理はしない。だが、諦めもしない。

 今日もまた、静かで、しぶとく、合理的な一日を生き延びるだけだ。

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