余話「終末都市の拾い屋①/学び舎の残像」
今回は余話として、小林サイドとは別視点でのお話です。
ゾンビパンデミックによって、人類の文明は崩壊した。
ウィルスに感染した者たちは、発熱と錯乱の果てに、本能が乞うまま生きている人間を襲い始めた。
それは、実際にはウィルスが自身の生存圏を広めるための手段だったのだろう。
人間の限界を超えた腕力で扉を壊し、何をも恐れず生者を求めた。
その身が崩れるのも顧みず、ガラスを破り、壁を叩く。
恐怖も痛みも感じない”動く屍”となって、都市を、人々の暮らしを、ゆっくりと、だが確実に壊していった。
初めのうちは「人生を悲観したものによる猟奇殺人」だとか「薬物によって錯乱した暴漢」などと、ワイドショーを賑わすだけの事件として扱われた。
しかし、その異常性にだんだんと世間も気づき始めた。
未知のウィルスによる世界的なパンデミックが起きているとWHO(世界保健機関)が発表したのは、最初の事例から2週間後のことであった。
日本政府はゾンビ化した人間への対処を見誤った。
軍や警察の投入は慎重に検討され続け、現場の対応は後手に回り続けた。
結果として、わずか三か月で経済は麻痺し、日常生活は破綻した。
政府要人がどこかのシェルターへ逃げ込んだという噂も流れたが、それを咎める気力も余裕も、民衆にはもうなかった。
やがて、人かゾンビかの区別がつかない集団による暴動が起きた。
商店や倉庫からは物資が奪われ、街の秩序は崩れ去った。
指示系統を失った軍や警察の一部は、それぞれが独自の判断で動き出した。
発砲や武力による鎮圧は、すぐに“当然の措置”となった。
それを「過剰防衛だ」と叫んだ活動家たちもいたが、ゾンビの脅威の前では長くは持たなかった。彼らの声は、すぐに途絶えた。
そして、最初に崩壊したのは医療現場だった。
運び込まれてくるのは、怪我人か、感染者か。
誰にも見分けがつかないまま、病院の中に“それ”は入り込んだ。
患者も医師も職員も、もろともに沈んだ。
各地の避難所も、同じ結末を迎えた。
外からの侵入を防いでも、中に感染者が紛れ込めば終わりだ。
恐怖と疑心暗鬼が人々を裂き、やがて内側から壊れていった。
各地の発電所や工場の被害も深刻だった。
稼動を停止できなかったコンビナートでは大規模な火災が起き、原子力発電所では臨界事故が起きたところもある。
連鎖的に製造工場は操業が止まり、物資の供給は断たれた。
困窮した生活の中、未来に絶望して自ら命を絶つ者も少なくなかった。
その選択を誰が責められるだろうか。いや、生者なんてどこにも居なかった。
そんな中でも辛うじて生き延びた人たちはいた。
少ない食料で食いつなぎ、自給の道を切り拓いた。
街に残された物資をかき集め、生存基盤を築いていく。
やがて、ゾンビウィルスの活動は次のフェーズへ映った。
無闇矢鱈に人を襲うことが、エネルギー消費の悪い行動だと気づいたのかも知れない。
”乗り物”が壊れると生存圏拡大の活動が出来ないと気づいたのかも知れない。
最低限の活動として、緩慢な動作で街中を徘徊するだけになった。
ゾンビウィルスは新たな生存戦略を得たようだった。
ただ、もう手遅れだった。
日本だけではない、世界的に起きたゾンビパンテミック。
略奪、謀略、混乱に乗じた侵略。
自分の利益を優先した”生きた人間同士の殺し合い”によって、世界人口は99%以上が失われた。
* * *
──あれから二年。
都市からはすっかり文明の灯が消えた。
シェルターも、病院も、警察も、学校も──人が築いた“秩序”のほとんどは風化したか、焼け落ちたか、どこかで眠っている。
そんな街を転々としながら、物を、思い出を、拾って回る男がいた。
名前を”榊”と言う。
年齢は30歳後半だろうか。
伸び放題の黒髪に、剃り損ねた無精ひげ。
肩には使い古したメッセンジャーバッグ、腰には伸縮式の警棒とスタンガン。
改造バイクに乗り、その荷台には予備燃料のポリタンクと、分厚い「拾得品ノート」が固く括られている。
服はくたびれたジャケットにカーゴパンツ、どちらも擦り切れと油染みで新品の面影はない。
長く街を渡り歩いた痕跡が、そのまま身にまとわれている。
彼は物を拾い、痕跡を記録し、それを誰に届けるでもなく抱えて、街から街を渡る。
それが、生きる理由かどうかも分からない。
だが、そうでもしなければ──自分がここにいた意味すら、残せないような気がしていた。
榊はゆっくりと歩き出す。
今日の目的地は、街の外れにある一つの高校。
避難所としての役割を終えた、というより、終わらせられた場所だ。
最初は、まだ均衡を保っていたらしい。
敷地を囲う柵には鉄板や廃車で組まれたバリケード。門には鎖がかかり、窓や出入り口は板で補強されている。
中にいた者たちは、外からのゾンビの破壊や侵入を必死に防いでいたはずだ。
──だが、内部から崩れるのは、いつも早い。
避難者の中に、すでに感染していた者がいたのか。
あるいは、どこかで傷を負った誰かが、気づかぬうちに“それ”を連れ込んだのか。
数日と経たず、疑心と恐怖が広がり、秩序は音を立てて崩れた。
教師も、生徒も、避難者も、ただの“誰が感染しているか分からない群れ”へと変わっていった。
壁面には、散弾や小火器の弾痕が無数に刻まれている。
窓枠は黒く煤け、一部は爆風で外れたのか、コンクリごと抉れていた。
おそらくは、警察と自衛隊による“鎮圧”だったのだろう。銃声と爆音が、この校舎の中で響き渡ったはずだ。
短時間で決着がついたとは思えない。建物に刻まれた傷跡は、そこで繰り広げられた抵抗の激しさを物語っていた。
榊は校門の前で足を止めた。
──ゾンビの気配は、ない。呼吸も、足音も、腐臭も感じない。
あるのは、死んだ空気と、かすかに残った火薬とカビの匂いだけだった。
足元には、泥にまみれた学生鞄が落ちていた。中には教科書が詰まったままだ。
ページは雨に打たれて膨らみ、ところどころに血が滲んでいた。
昇降口から中へ入ると、1年生の教室だろう。新しい手提げ袋がいくつも散乱している。
新入生を迎えたばかりの春──それが、この場所の最後の日常だったのだろう。
黒板に目をやると「学級閉鎖」の文字。
その横には、「また会おう」「がんばれ」というチョークの書き込み。
筆跡は生徒と教師、どちらのものもあった。
祝福の言葉と、血の跡と、燃え残った教科書。
すべてがひとつの時を刻んで、永遠に止まっているようだった。
途中、「職員室」の文字を見つける。
職員室の扉は半ば崩れ、廊下側へ倒れかかっていた。榊は中へ入り、目を凝らす。
棚は荒れ、書類が床に散乱している。コピー機には紙が詰まり、天井の一部は落ちかけていた。
そんな中で、引き出しのひとつに整然とファイルされた生徒名簿が残っていた。湿気に歪んだ紙をめくると、名前の横に小さな鉛筆書きのメモ──「高熱」「親と帰宅」「行方不明」……そして、いくつかの名前には無造作な斜線が引かれていた。
誰かが、記録しようとしていたのだ。何が、どうなっていったのかを。
そこには事務的な作業だけではない、悲痛や憂慮が込められているようにも思えた。
榊はファイルから一枚を破ってノートに貼りつける。細かく書き込みを加えるのは後だ。
探索を続ける。
2階に上がると廊下の突き当たりにある被服室に足を向けた。
扉は外れかけ、内側から何かがぶつかった跡があった。床には血と埃の混ざった泥が薄く広がり、あちこちに靴が散乱している。
中には、うず高く積まれたマットレスと、破れたブルーシートがあった。ここもまた、一時的な避難所として使われていたのだろう。壁際には、空になった非常食の包装と、折れた鉛筆、開きかけたままの救急箱。
だが、そこに人の姿はない。ただ、破れた制服の袖の中から覗く細い腕の骨と、落ちたヘアピンがひとつ──それだけが、誰かの“いた”証だった。
廊下を挟んだ向かいのトイレにも足を運ぶ。中には、複数の足跡と、かすれた血の引きずり跡。小便器の上には、誰かが書き残したメモがセロテープで貼られていた。
「もうダメです。でも、○○くんだけは無事でいてください。
私はここに残ります。お願い、どうか生きて──」
それを読み終えた榊は、数秒立ち尽くしたまま、無言で紙をそっと剥がした。
そのまま進むと空気に異質なものが混じるのを感じる。
──二年B組の教室。
扉をそっと開ける。ゾンビの気配は無し。
奥の教壇に目を向けたとき、異質の正体を見つけた。
そこに、一体の遺体があった。
黒く変色したスーツのまま、背筋を伸ばして椅子に座る姿勢。両手首と足首はガムテープと布で縛られていた。口元には、かつて何かが詰められていたような跡がある。
骨となったその顔は、机に伏せられ、眼鏡のフレームが片方だけ落ちかけていた。
崩れかけたこの校舎の中で、ただひとつ、誰にも触れられていないまま残された場所──教壇だった。
榊はしばし無言でその姿を見つめる。
──死を自覚していたのだ。自分が、感染していたことを。
ならば、なぜ逃げなかった。なぜ、ここを選んだ。
答えは出ない。ただ、言葉にならない問いだけが、空気の中に漂っていた。
やがて榊は、教卓に歩み寄り、そっと名札を拾い上げる。
「○○高校 2年B組担任 大沼 和之」
名札を見つめながら、榊はノートを開いた。
ページの余白に、静かに書き記す。
「教師として死ぬことを選んだ。
死後の自分すら、他者の害にならぬように──
それは愚かでも、無意味でもない。尊厳だ」
窓の外に目を向けると、グラウンドの端に並んだ体育用具置き場が傾きかけていた。
草の伸びた校庭には、サッカーボールがひとつ転がっている。
榊はゆっくりと教室を後にした。
校門を出ると、午後の光がコンクリートの壁に鈍く反射していた。
榊は一度だけ振り返る。
あの教室の窓は、風に揺れたカーテンがわずかに動いていた。
誰かがそこに居たような錯覚──いや、記憶の残像か。
誰が読むでもない記録を残して、何になるのか。
それでも、拾ってしまう。書いてしまう。
それは誰かのためでも、世界のためでもない。
ただ、自分の手が、そうしないと落ち着かないだけだ。
榊はバイクに跨り、エンジンをかけた。
乾いた音が、廃墟の中にひとときの“動”を刻む。
誰かの言葉で言えば──きっと、意味などない。
それでも、手を止めたら、自分まで消えてしまう気がする。
ノートを背に、榊は次の街へと走り出した。




