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第22話「終末の冷蔵庫」

 焚き火の炎が、春先の冷たい空気の中でやわらかく揺れていた。

 熊を仕留めた翌朝、拠点の裏では肉の処理と保存作業が続いている。


 解体された巨体から切り出された肉は、部位ごとに分けられていた。脂ののったロース、肩肉、モモ、肋骨周り──干し網にはすでに何枚もの肉が吊るされ、さらに煙で燻す準備が進められている。


 ヒレや背脂、骨周りの柔らかい部分は燻製用に仕分けられ、内臓は一つひとつ丁寧に洗われた。心臓や腎臓、腸などは保存用の容器へ。食べきれないか、保存が難しい部位だけが厳選され、土に埋めて処理されていく。


「干しはこれで最後ですね。吊るしすぎて網が足りないくらいです」


 手袋を外しながら中村が言う。肩越しに振り返った山岡が無言で頷くと、傍らで伏せていたハチが静かに立ち上がった。


「このあと燻す分、火の調整どうします?」


「今すぐはやらん」


 山岡が短く答える。中村は少し戸惑ったように首をかしげた。


「温燻とかですか?」


「冷燻だ。しっかり乾かしてから、火を焚いて煙だけ回す。……時間はかかるが、日持ちが違う」


「長持ちさせられれば名古屋の食生活も多少は変わりますもんね! あいつらにも旨い肉、食べさせてあげたいなあ」


 納得したように言いながら、焚き火の位置をずらして薪を組み直す。山岡の手元では、厚い背脂が慎重に切り分けられていた。


「……にしても、昨日の焼き肉、久しぶりに食べたけど美味しかったな~! ヒレとか貴重なんですよね? 加工しちゃうの勿体ないなぁ」


 昨日の肉の味を思い出してか、中村がわざとらしく腹をさすり、よだれを拭う振りを見せる。

 その様子に小林は思わずくすりと笑ってしまう。


「確かに、炭火で炙った脂のノッた肉は抜群にうまかった。あんなに旨い肉は久しぶりだったよ。全部干したり燻製にしちゃうのはもったいないって気持ちも分かる」


「そうですよね! そうそう、塊で残せたら……あー、やばいっすよね。贅沢っていうか、もう、罪ですよ。あれ、なんでしたっけ。肉は腐る直前が美味しいとか……熟成肉? そういうの上手いことできないですかね」


 中村の言葉は冗談めかしているが、食事への深い探求と欲望がしっかり滲んでいた。


 その横で山岡は無言のまま背脂を切り分け続け、刃物がまな板に当たる乾いた音が響いた。


 小林は火の前に腰を下ろし、干し網の結び目を確かめながら、ゆっくりと口を開いた。


「実は……冷蔵できる場所、あるんだ」


「え?」


 中村が振り返る。山岡は無言のまま手元を動かしていた。


「赤錆のトラクターが置いてある納屋があるんだが、まだ調べてなかったかな? あの裏手に、業務用の大型冷蔵庫があるんだ。そこに去年の冬、雪が積もったときに中をぎっしり雪で埋めておいた。圧縮して、ガチガチにしてあるから氷室みたいになってる」


 中村が目を見張る。


「マジっすか……それ、今でも使えんですか?」


「ああ。確認済みだよ。実は朝のうちに山岡さんと一緒に一番傷みやすい生肉は運び込んでおいたんだ」


 その時、冷蔵庫の内部には圧雪とひんやりした冷気がしっかり残っていた。


「……なんと、すごいですね、そこまで準備してあったとは」


 中村が真顔で感心する。

 小林はうなずきながら、静かに言葉を継いだ。


「実は去年、夏場の保存がうまくいかなくて、かなりの量をダメにしたんだ。だから、何かしら残せる方法を考えたくて……冬に雪が積もったタイミングで、氷室や雪室にすることを思いついたんだ」


 ──去年の夏は、正直きつかった。


 魚は干してもすぐ傷む。肉も、塩を振って吊るしても三日と持たなかった。

 高温と湿気に晒される保存環境では、知識も工夫も限界があった。


 だから、小林は考えた。

 冬の間に、嫌と言うほど降る雪を夏まで持ち越せないかと。

 そこで思いだしたのがテレビで見た、土を掘ってそこに氷や雪を詰めて貯蔵する雪国の知恵だった。


 1月から3月にかけて、雪が溶けだす前に何回かに分けて雪を運び込んだが、なかなかの重労働だった。

 納屋の前に積もった雪をスコップで掘り、冷蔵庫の中へとひたすら詰め込む。

 ただ積むだけでは足りないと考え、足で踏み固め、体重をかけて圧縮した。さらに水を撒いて凍らせ、層を重ねる。


 そうして作った即席の「氷室」は、密閉空間の中でゆっくりと冷気を保ち続けていた。

 扉の開閉も極力避け、使わない毛布をかけて断熱強化も施した。


 実を言うとこの即席の氷室は、赤錆のトラクターの納屋だけじゃない。

 山小屋の裏手にある北側の斜面にも穴を掘ってあるし、集落内には何軒も農家があり、大小さまざまな屋外設置の冷蔵庫がある。小林はそれらにも地道に雪を運び込んでいた。


 大型の冷蔵庫を開けるときは常に緊張した。ゾンビウィルスに感染したまま住人が閉じこもっていたりしたら、不意打ちを食らうからだ。

 雪で足場が悪いと、機敏な動作は出来ないから油断できなかった。

 ただ、それはゾンビも似たようなもので、生前の動きをなぞる彼らの多くは、冬の間は建物の中にこもっていることが多かったっけ。


 そんなことを思い返していると、中村の興奮を帯びた声が耳に入る。


「天然の冷蔵庫ってことっすね! めちゃくちゃ助かります! 都市部でも家電の動作は発電機頼みになってて、いつか冷蔵も冷凍に限界が来るなって思ってたんです」


 山岡が小さく頷き、立ち上がる。作業はまだ続く。

 でもその合間に、確実に“生きるための知恵”が積み上がっていくのがわかった。

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