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第21話「つかの間の宴」

 焚き火の上で、鉄串に刺した熊肉がじゅうじゅうと音を立てる。

 脂が溶けて火に落ち、ぱちぱちと小さな火花が跳ねた。


 燻製や干し肉へ加工しなかった部位を、今日の糧として食べることにしたのだった。

 さながら、終末のバーベキューと言ったところか。

 クマを討ち取った男たちの戦勝パーティでもあった。


 塩とわずかな胡椒、それに香味として野草のカキドオシを添えただけの質素な味付けだ。

 丸みのある緑の葉が熱でしんなりし、ミントにも似た爽やかな香りが立ちのぼる。脂の甘みと混ざり合い、鼻腔をくすぐった。


 川口が串を回しながら、肉の焼け具合を確かめる。

「いい色になってきたな。……そっちも返してやれ」


 中村が「おっと」と笑いながら串を返す。火の上で肉汁がじわりと浮き、煙が夜気に溶けた。


 ひと口かじった中村が、目を丸くする。

「うわ、これは……思ったより全然いけますね!」

 脂の重さはなく、香りがすっと抜けていく。


「癖がないだろ。初夏の熊は草を食ってるから、こういう味になる」

 山岡の声は淡々としているが、その表情はわずかに緩んでいた。


「これだけあれば、しばらく食いもんの心配はいらないっすね」

 中村が竹串を振って笑う。


 川口は熊肉を噛みながら、ふと呟く。

「……ニワトリは小林さんがうまく飼えてるけど、他の家畜はどうなんだろうな」


 小林が答える。

「豚や山羊なら、放っておいても生き延びるかもしれないな。山羊なんかは何でも食うし、山道にも慣れてる」


「確か、飯田市の方に山羊牧場がありませんでしたっけ」

 川口が思い出したように言う。

「”日本で唯一子ヤギの競り市”とか、昔お客さんが喋ってた気がします」


「それは気になるな。近くだし、探してみても良いかもしれない」


 これは良い情報を得られたかも知れない。

 ニワトリに次いで、別の家畜を得られるなら暮らしの安定度が跳ね上がる。


 それにヤギは除草にも役立つと聞いたことがある。

 山の近くにいると雑草の繁殖力には本当に辟易する。

 思わず、捕獲から連れ帰る方法までのシミュレーションが頭の中で始まってしまう。


「牛は難しい。特に乳牛は人の世話がないとすぐ弱る」

 山岡が言葉を継ぐ。

「茅野あたりに農場があったと思うが、放牧されてた連中は長くは持たんだろうな」


「羊はどうです?」と中村。


「小っちゃい頃、どこだったかのふれあい広場で見たことあるが、羊は人間が定期的に毛刈りしないと動けなくなるって係りの人が言ってたな。夏場の暑さはきついし、野生動物から逃げるのも難しいかも」

 小林は火にかけた鍋をかき混ぜながら言った。


「飼える可能性はあっても、捕まえるのは別の話だ。野生化したら警戒心も強くなるだろう」

 さすが野生動物を近くで見てきた山岡の言葉には含蓄があった、

「特にブタなんかは野生化してイノシシになったら、数世代であっちゅうまに野生に帰る」


 中村が串をくるくる回して、にやりとする。

「いずれにしても……見つけられれば、また“家畜”に戻せるかもしれませんね。問題は、俺らより先に熊に見つからないこと」


 短い笑いが焚き火の煙に混じって消えた。

 火を囲む温もりは心地よかったが、長く続くものではないことを、全員が分かっていた。


 * * *


 夜の山は静かだった。

 火の気を消した仮拠点は、風にさらされて冷えている。土壁に囲まれたこの空間は、外気をいくらか和らげるが、それでも肌にじんわりと冷たさが染みる。


 小林は毛布にくるまりながら、朧げな月光の射す天井を見上げていた。焚き火で炙った熊肉の余韻が、喉の奥にまだ残っている。

 胃袋が満ちている。誰かと囲む食卓がある。ただそれだけのことが、どれほど尊いのかをこの世界で思い知った──そんな夜だった。


「……はぁ」


 息が漏れる。眠れないわけではない。ただ、体が新しい刺激に追いついていない。

 気温、空気、匂い、音、そして“誰かの気配”。

 独りでいた時間が長すぎたせいか、他人の寝息すら、時にまるで異物のように感じられる。


 壁際には山岡が浅い寝息を立てていて、川口は仰向けのまま、毛布をかけてじっとしている。中村は竹の枕を少しずらしながら、寝返りを打った。

 ハチだけが、入り口近くで丸まっている。時折、ぴくりと耳を動かしながら。


 外から、ざわ、と木の枝が揺れるような音がした。

 風はそれほど強くないはずなのに、音の間隔が妙に不規則で、小林の耳にだけ届くような気がした。

 やがて、それも静まり返る。


 夜鳥が鳴いた。ホトトギスか、それともヨタカか。

 短く、乾いた声がひとつだけ、闇に響いては、すぐに消える。


 目を閉じると、微かな気配が全身に沁みこんでくるようだった。

 人の気配。風の気配。山の気配。

 そして、思いがけず、記憶の奥から浮かび上がる気配があった。


 ──紗季。


 ふと、数週間前の夜を思い出す。

 古びた寝具の感触。誰かの寝息がすぐ隣にあって、ただ一晩だけ、心を預け合った時間。

 あれ以来、誰かと布団を並べて眠ることも、柔らかな気配に包まれることもなかった。

 けれど今、自分の周りには再び人の息づかいがある。

 それが嬉しいのか、怖いのか──自分でもよく分からない。


 小林は、もう一度深く息を吸い込み、そっと目を閉じた。

紗季、また出番くる予定です

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