第14話「気配」
空気が少し違う――そう思ったのは、昨日と変わらぬはずの朝だった。
まだひんやりした山小屋の中、寝床から出て窓を開ける。外には昨日と変わらぬ景色。ホオジロやキビタキのさえずり、裏山の若葉が朝露に光っている。
けれど、どこか細い神経が引っかかる。空気の密度が、ほんのわずかに違う気がする。
朝のルーティンをこなす間も、その違和感は消えなかった。鶏小屋の見回り、餌やり、畑の様子見。何も変わった様子はない。
だが小屋の裏手に回ったとき、普段は気にしない地面の草が、やけに踏みしめられていた。人の靴跡らしきものが、朝露にかすかに残っている。鶏の足跡ではない。動物でもない。人間のもの――それも、一度でなく何度か出入りしているようだった。
さらに、柵の外にいる非活動型ゾンビの様子にも、僅かな変化があった。
普段はじっと同じ方向を向いて立ち尽くしているだけのゾンビが、今日はほんの少し、柵の外の林のほうへ顔を向けている。
風でも鳥でもない何かに反応したのだろうか――自分が近くにいないときに動くことは珍しい。
気配を探るように、集落の方まで見回りを広げてみる。赤い屋根の納屋、母屋の周辺、畑や倉庫。特に荒らされた痕跡はない。物資がなくなっているわけでもない。ただ、いつもならきっちり閉まっている扉の、ほんの数センチのずれ。落ちていた小枝の向きの違い。小さな違和感の積み重ね。
物色ではなく、何かを探すような――あるいは慎重に様子を伺うような歩き方。
無遠慮に持ち去るでもなく、触れるでもなく。
あえて“ただ観ているだけ”のような気配だった。
夕方、薪割りをしながら一息ついていると、視線の端に微かな影が揺れた気がした。風が吹き抜けただけかもしれないが、妙に胸がざわつく。
日が落ちて山小屋に戻ると、帳面に今日の気付きや感じた違和感を書き留める。「人間の気配」「物資被害なし」「監視? 偵察?」とだけメモしておく。
今夜は普段より少し早めに戸締まりをした。
灯りを小さくして、寝床でじっと耳を澄ます。
ただの気のせいなのか。それとも、本当に“誰か”が近くまで来ていたのか。
今この世界に、俺以外の生き残りがまだいる――
それは希望なのか、不安なのか、自分でもよくわからない。
けれど、明日もまたいつものように目を覚まし、生きていくしかない。
静寂の夜、どこか遠くで小さく葉が揺れる音がした。
気配だけが、微かに、けれど確かに残っていた。