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第10話「終末世界の貴重品」

 紗季が山小屋を離れて、もう数日が過ぎた。春の終わり――空はどこまでも澄み、空気は静まり返っている。

 工場も車も動かなくなったこの世界では、森の匂いや土の手触りが、かつてより鮮明に感じられるようになった。

 けれど、朝晩の冷え込みは例年よりもずっと厳しい。地球温暖化という言葉が、遠い昔の冗談のようだ。人類の営みが消えてから、季節は少しずつ昔の姿に戻っていくのかもしれない。


 今日は、山小屋から集落まで物資の補充と整理に出かける日だ。

 山小屋と集落を結ぶ道は、およそ一・五キロ。徒歩で二十分ほど。リヤカーに圧縮袋入りの衣類、保存食、納屋で見つけた工具や予備のバケツなどを積み込む。

 途中には小さな沢があり、何度も自分で補修した木橋を渡る。橋が壊れてしまえば孤立する。そのため、荷物は欲張らず一度に運ぶ量を決めている。

 もし天気が崩れそうなら、ポリ袋やブルーシートで荷物を包んでから出発する。


 集落に着くと、最初にやることは物資の点検だ。

 古いノートに、食料、衣類、燃料、工具、乾電池などの在庫リストを書き込む。使ったもの、補充したものを一つ一つ確認する。

 物資は、山小屋だけに集めてしまわず、火事や獣害、何かあったときのため、近くの廃屋と納屋にも分けて保管している。分散しすぎれば無駄な動きが増えて危険になる。安全と効率の間を、いつも考えながら管理する。


 集落の家々には、今も過去の痕跡が残っている。割れた窓や壊れた扉、虚ろな目をしたまま縁側で座り込む非活動型のゾンビ、生前の行動をなぞって家の中を歩き続けている影。

 ここに定住すると決めた時、まず最初に、すでに動かなくなったゾンビや住人の亡骸を、できる範囲で片付けた。

 腐敗や臭気、感染リスクも考え、生活圏から外れた場所に穴を掘って埋葬した。

 シャベルで土をかぶせる作業は淡々と進めていたが、とりわけ顔に土をかける瞬間だけは、どうしても手が止まった。

 一瞬ためらいながらも、「生き延びるためには必要なことだ」と自分に言い聞かせて、静かに目を閉じて土を落とした。その時、胸の奥がひんやりと冷えたのを、今でもはっきり覚えている。

 埋葬地には小さな石や木片を積んで印とした。すべてが整理されたわけではない。それでも今では、集落は静かに眠る倉庫のようになっている。


 布団カバーの端切れは包帯や雑巾に、新聞紙や広告は火種や拭き取り用に。

 枕も今では貴重な資源のひとつだ。カバーをほどいて中身を取り出し、そばがらは天日で乾燥させて畑の敷きワラや通気材に、ウレタンのチップはクッションパッドや防寒材に、綿わたは応急手当の詰め物やフィルター代わりにと、素材ごとに分別して再利用している。こうした素材ごとの再利用は、終末世界では当たり前の知恵になった。

 圧縮袋があるおかげで、布や衣類は虫や湿気を防ぎ、かさばらずに多く持ち帰れる。


 乾電池やガスボンベ、ロウソクは密閉容器に入れて絶縁し、予備は緊急用として最小限しか使わない。スマホは、どうしても必要な時だけ――写真や録音、ライト代わりに限定している。普段の記録は、紙ノートと鉛筆。

 金属製の鍋や缶、割れたガラス瓶も、保存容器や道具の修理、畑のガーデニングツールとして再利用する。


 紙製品――トイレットペーパーやティッシュは特に貴重だ。残りが少なくなれば、古布を濡らして代用し、洗って再利用する。新聞や古い雑誌も、火種や拭き取り、雨漏りの補修にまで役立つ。

 終末世界では、すべてのものが資源だ。かつてはゴミにしか見えなかったものも、今ではどれも“生き抜くための貴重品”になる。


 最後に、使ったもの・補充したものをノートに記録し、納屋の戸締まりを確かめて山小屋へ戻る。

 帰り道、ふいに、冷たい風の中にかすかな煙の匂いを感じた。

 小屋の方角ではない。春の終わりの空に、誰かが火を焚いたのかもしれない――

 この静かな世界に、まだどこかで“誰か”が生きているのだろうか。

 会いたい相手か、会いたくない存在か、それはまだ分からない。

終末に備えたい人は圧縮袋は買いだめしておきましょう

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