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6 魔王様、疑問を持つ


 いつしか、子どもはチビと呼ばれるようになった。

 ゆっくりと時間が流れている夜の国でも、子どもが去るべき日は刻々と近づいていく。魔王の自室のベッドに潜り込んだ子どもは、魔王の足にこてんと頭をのせて、ときおり、ことん、ことんと船をこいでいる。


(そうか、この子どもは、この場所を去るのか)


 貢ぎ物として送られた他国の姫。けっして王族とは思えないくらいに痩せこけ、切ったこともないような長い髪は野性味溢れる姿だが、その違和感に人ではない魔王はまだ気づかない。

 ただ、子どもの首から下げられた星のかけらが、とくん、とくんと温かな鼓動を伝えている。星のかけらのネックレスから、細く、薄い、魔力の道が繋がっているのだ。


 チビ、と呼ばれるときに、ぴくりと子どもの心が揺れるのを、魔王はときおり感じていた。子どもの心を感じる度に、魔王の心も少し揺れる。それは長い時間をかけて固く、強張っていた魔王の心が、ほんの少しずつほどけていくような、不思議な感覚だった。


 チビと呼ばれると、子どもはおそらく喜んでいた。自身を認識してくれたことが、まるで幸せだといわんばかりに。はて、とそのとき魔王は首を傾げた。


(この子どもの、名前はなんだ?)


 子どもが来た、と魔族たちが理解したのは、ただそれだけのこと。あちらが話さぬことだからと疑問にも思わないのだ。名前など、あれば便利に違いないが、なくても別に困りはしない。けれども人は、自身の名をただ一つのものとして大切にしているということくらいは、魔王でも知っている。

 人と魔族の少しのズレに、やっと魔王は気がついた。


「お前……子ども」


 自身の膝の間に丸まる子どもに問いかける。眠りかけた猫のように、子どもは閉じた瞼を億劫そうにわずかに開く。


「お前の、名はなんだ?」


 ぱっ、と子どもは目を見開いた。けれどもそれ以外は、ぴくりとも動かない。ぴくりとも。いや、少しの悲しみの声が聞こえる。魔王が子どもにやった星のかけらが、子どもの心の声を静かに伝える。


「……ペ、ア」


 答えた子どもの声が、幼い子どもが話すには、しゃがれた声であることに、また魔王は気がついた。


「そうか、ペアというのか」


 やっと名を知った。ただそれだけのことだが、子どもはじっと自身の手を見るように丸まったままだ。しばらくそうしていると思ったら、今度は勢いよく立ち上がった。ベッドの上に立ったところで、小さなその身体はベッドに座った魔王よりも、わずかに高いだけだ。


「ん」


 ぴ、と子どもは魔王を指さした。「ん、ん!」何かを伝えたいらしいが、何を言っているのやら、と魔王は端整な顔の、眉間の皺を深くする。「ん~!!!」必死に何度も指を差されて、やっと理解した。


「私の名を尋ねているのか?」

「ん~!」


 今度のん、は先程と様子が違う。にこにこと嬉しそうに笑っている。


「私の名は……アザトフィプスだ。己の名など、とうに忘れていたな……」


 魔王、魔王、と呼ばれるものだから、とっくの昔に消え去ったような名である。だというのに、子どもは嬉しそうに魔王の胸をぱしり、ぱしりと小さな手で叩いた。そのままいつしか魔王にもたれるようにして眠ってしまった。


「ペアか。……人間の子とは、なんと小さなことか」


 忘れていた何かを、少しずつ思い出すような不思議な感覚。


「そうか、これが、興味か」


 何かを知りたいと思うこと。そして、願うこと。

 長い命の中で、魔族たちが少しずつ失ってしまった感情である。

 魔王は、壊れ物を扱うかのようにそうっと子どもの頭に手をのせた。そして恐るおそる子どもの頭をゆっくりとなでる。くすぐったそうに子どもが身じろいだので、びくりと手を離してしまったが、もにょもにょと何か寝言を口にしていただけだったので、また静かに子どもの頭をなでた。


 彼も知らぬうちに、口元にはわずかな笑みをのせていた。


 ***


「……ペアは、どうして、話さぬのだろう、な」

「ペア? 魔王様、一体なんのことで……ああ、あの子どものことですか」


 いつも魔王と一緒にいる子どもだが、今日ばかりはテジュに引きずられるようにして外に連れていかれてしまった。フォメトリアルは邪魔者がいないからとご機嫌に鼻歌を歌わんばかりに、魔王の執務室にてらんらんと書類を並べている。


「魔王様がお気になさる必要はないかとは想いますが、どうせ王族の姫であるからと親に甘やかされていたのでしょう。まったく、あの野生児ぶり。悪魔犬であるテジュと同等ではありませんか」


 信じられないとばかりにフォメトリアルは大仰にため息をつく。が、「……そうだろうか」とわずかに呟いた魔王の言葉を逃すことなく、「何がですか?」と書類から顔を上げる。


「親に甘やかされた姫が……貢ぎ物として魔族のもとに届けられるものであろうか」

「それは……そうに決まっているでしょう。一番大切にしている娘を、大切にしているからこそ、我ら魔族を恐れるからこそ差し出す。愚かな人間としては至極真っ当な行動なのでは?」

「そう……かもしれぬな」


 たしかにそうかもしれない、と魔王は納得をする心もあれば、やはりと首をもたげるような不思議な気持ちを抱えていた。


「……しかし、人間は、人間のもとで生きることが、一番だろう」


 この自身の言葉に、偽りもない。「そうでございましょう」とどうでもいいことのように聞き流すフォメトリアルは、間違ってもいないのだろう。


「そうだ、な……」


 刻々と、時間は近づく。

 子どもが自身の国と戻るまで、もはや数えるほどの日しか残ってはいない。



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