4 生贄少女、お出かけする
夜の国は、いつもゆったりと時間が過ぎていく。
日が昇らず、時間の感覚さえも曖昧になる。そして変化もなく、どこか停滞している。魔王は魔王と呼ばれはするが、ただ昔からそうだというだけだ。
いつの頃からか、魔王は口数も少なく、ただ自身が行うべきことを行うのみとなった。
魔王は夜の国の王だ。だから夜を作る。黒い夜空に向かって指を差し、くるくるとかき混ぜるのだ。
「……」
「……」
しかし今日のところも魔王の頭にがっしりと子どもがくっつき、さらにフワフワも乗っている。魔王は変化のない表情で彼女らを乗せたまま無言で城の中を歩く。フォメトリアルが見れば卒倒しそうな光景だが、この程度の重さは魔王にとっては些末なことなので気にならない。
いや、どうでもいい、ともいえる。
どうせこの子どもも、ひと月後には自身の国に帰るのだから。
来たときよりも少しばかり身綺麗になった子どもを肩車のようにして乗せ、魔王は城の外へと向かった。夜空を作るには外でなくても問題ないのだが、外の方がやりやすい。魔王がさくさくと草原に向かって歩いている間、子どもは「ほうほう、ふうふう」と興味深そうにきょろきょろ周囲を見回していた。長い銀色の髪がわっさわっさとその度に動いて魔王の視界を邪魔している。
そろそろいいだろう、と立ち止まり、手のひらを伸ばす。くるう、くるう。一つの星に向かって指を差してゆったりと回す。すると、指された星を起点にして星々が回る。「ひゃっ……」頭の上で、小さな、息を呑む音が聞こえた。
落ちてくる。魔王がゆるりと夜をかき混ぜる度に星が尻尾のような軌道を残し、螺旋を描く。草原の中を宵の風が駆け巡り、火花のように星が散り、弾け、地に落ち、それは七色の火花となり輝き溶けて、夜を鮮やかに彩り、消えて、また生まれる。
こうすることで、世界は巡る。夜の国の外の世界に、朝が来て、また夜がやってくるのだ。
彼はこれを、毎日繰り返している。一日たりとて欠かすことなく。
「――――ッ!」
頭の上にいる子どもが、悲鳴を上げているのかと思った。
声にもならない声を上げ、子どもが何かを叫んでいた。じたばたと魔王の身体を子どもの足が蹴り上げる。痛くはない。が、なんだろうと見上げると、子どもは必死に幼い指をもがくように動かしていた。きらきらと、星々にも負けないほどに目を輝かせ、夜空の星を掴もうと、手を伸ばしていた。
「…………あれが、ほしいのか?」
問われて、はっ、と子どもは息を呑んだようだった。
魔王は少しだけ考えて、子どもを地面に下ろしてやった。魔王はいくら子どもによじ登られようと、抵抗したことはない。だからだろうか。子どもは少し不安そうな顔をした、ような気がした。
魔王の心は緩慢な時間の中ですっかり固く閉ざされていたから、人の心の動きを敏感に察することは少し難しかった。
魔王は雨のように落ちる星の一つに手を伸ばし、その大きな手のひらをゆっくりと握りしめた。指の隙間から細く白い輝きが漏れ、最後に強く握りしめると、その輝きも消えた。
「これを、やろう」
拳を開き、子どもの前に見せると、星はただの石となっていた。かき混ぜ終わった夜はもう動かない。ただの真っ暗闇の下で、魔王は子どもに石を見せる。
子どもはきょとん、と魔王の手を見つめるばかりだ。
そのとき、はた、と思い至る。
子どもは、輝く星を見て喜んでいたのではないかと。ならばこれは、ただの石だ。輝きもせず、親指ほどの大きさをした面白みもない石。
いらぬことをしたのではないか――と、鈍い自身の心に向かい合うように考えたときである。
「あ……と」
子どもが、何か意味のある言葉を言おうとした。それはしっかりとした言葉に変わることなく、魔王が与えた石を大事そうに両手に握りしめ、にこりと笑う。そう、笑った。
「そうか」と魔王はただ呟いた。
子どもは、魔王に感謝の言葉を告げていた。
なぜ自身は子どもの気持ちを理解したのか。そのことを、不思議に思った。