29 中庭にて、こんにちは
お腹もすっかり膨れたチビは、さてアザトのところにでも行こうと、いつもの執務室に向かおうとした。その途中、少しだけ考えて寄り道をすることにした。フォメトリアルではないが、他に壊れているところがないか城を確認しようと思ったのである。
回廊の端っこの方を歩く黒いモヤモヤの後ろをこっそりとついているうちに、フワフワがチビの頭の上に戻ってきた。お掃除を完了したということなら、まあ大丈夫だろう――と、城の中庭を通り過ぎようとしたときである。真っ白い大きな背中が見えた。
それは、ぱったんぱったん、と黒いしましまの尻尾を左右に動かし、ついでに少し体も揺れている。多分、何かを持っている。「……ふむ」チビは頷き、即座にシトラの隣に滑り込んだ。ずざざ。
「おわっ!? な、なんだてめぇはよ!」
「むふー」
「やめろ暴れるんじゃねぇ! 見るなコラ!……ア? てめぇ、人間か? しかも、子どもなのか?」
言葉の割には、シトラの声色はどこか優しい。「なら仕方ねぇな。子どもは大切にするもんだ。魔族は子どもが少ねぇからな」と、ぶつくさ独りごつように話し、自身の手元の作業に戻る。
大切にすると言われても、自分は魔族ではなく人間なのにとチビは不思議に思ったが、シトラにとってはどっちも同じなのだろう。子どもが少ない、というのは初めて聞いたが、たしかに城ではテジュ以外の子どもを見たことがない。多くの魔族は、最初から大人の姿で生まれるのかもしれない。
「…………」
「……見てんじゃねぇよ。おい、解説を求める顔をすんなよ。盗んだんじゃねぇ、もらったんだ。食堂には、もう行った。そんときにな。カシロには、声をかけてねぇけど」
シトラが持っているのは、細長い二本の棒だった。人間の商人から買った品に混ざっていたらしいが、それがどう食事に使われるのかチビもよく知らない。テーブルの上に置かれていたから、フォークみたいに突き刺すのかな、とうっすらと考えている。
その棒の端の方に、シトラは持っていた道具を使ってこりこりと模様を彫り刻んでいた。
「だから、見んなって……近ぇよ……」
案外こなれている手の動きを、思わず食い入るように見てしまう。先程まで暴れ狂っていた男の仕事とは思えないほどの繊細さである。
それにしても、カシロは、シトラがどこに行ったのかと不安を漏らしていたが、もうすでに食堂を訪れた後とは知らなかった。シトラの膝に手をかけるようにして、チビはじいーっと彼を見上げる。チビの視線の意味を感じ取ったのか、
「邪魔するわけにゃあ、いかねーだろ……。仕事中なんだろ。魔王のやつには文句しかねーけどよ、カシロをこき使いやがって」
「ぐぬぬぬう!」
「なんだいきなり! 暴れるな! おい、なんだお前、暴れるんじゃねぇ!」
「ふうう、ふうう……」
アザトのことを言われてしまうと、思わず頭に血が上ってしまうチビである。我に返った後でおっとっと、と自分の額の汗を拭う。「なんなんだよ、てめぇはよ……危ねぇだろうが」とシトラまでちょっと引いているが、謁見の間で暴れまくった彼に呆れられるのは不本意である。むふん、とチビが鼻から息を吹き出し腕を組んでいると、ちょうど出来上がったらしく、シトラは持っていた棒を近づけたり、遠ざけたりと具合を確認している。チビも同じように、彼の手元を見上げた。
裏庭ではほんの少しの月の光と、魔王城の窓からこぼれる星の光が、はらはらと、まるで雪のように落ちてくる。
「じょお、ず」
「……ああん?」
「シトラ、ていねい。びっくり」
シトラが彫った細工を指差す。
短い指を、ぴ、と向けられて、シトラは少し不愉快そうな顔をする。カシロとよく似ている、けれどもやっぱりどこか違うな、と思った。
「そんなに気に入ったなら、やるよ」
ぽい、と放り投げられたので、チビは慌てて両手を広げて二本の棒を受け取った。
やっぱり何に使うのかよくわからないけれど、夜の光にかざすと、まるできらきら輝いているようだ。チビの胸元にかけた星の石も、どきどきを伝えているような気がする。
「カシロ、みせる」
「ア……? そんなら返せよ。やめろ」
「わく、わく、わく」
「口で嬉しそうに話すな! やめっ……すばしっこいなコラ! くっそ……もう好きにしろ!」
「む、っふ、っふ」
「だから妙な話し方をすんじゃねぇよ!」
こうして見事二本の棒を勝ち取ったチビは、えっさほいさと食堂に向かった。
厨房の前でひょこひょこと頭を覗かせていると、「チビちゃん、どうかしたか?」といつも通りにカシロがやって来てくれたので、サッと棒を取り出す。
カシロの目の前に両手を開き出すと、カシロは目を大きくさせた。
「……シトラか?」
チビは別に、返事なんてしなかった。カシロの言葉が、問いかけているものではないとわかったから。
「あいつはほんとに……大雑把なくせに、妙なところは細かいのは変わらないな」
呆れているような言葉なのに、なぜか嬉しそうな顔をしている。カシロはすぐに食卓に移動して、受け取ったものとは別の新しい細い棒を二本、チビに渡した。
「渡しといてくれ。彫るなら太い方の頭だけだって伝えてくれるか?」
「ん!」
チビはこっくり頷き、またえっさほいさと移動する。
――さてさて、チビの宅配便の始まりである。




