28 虎の、話
侵入者を弟だと話すカシロが、どうしてそんなに言いづらそうな顔をしているのか、チビにはなせだかわからなかったが、よくよく考えてみると補修はすぐに終了する見込みとはいえ、広間はぼろぼろ、取り押さえた魔族たちはずたぼろ、ついでに骨の魔族もただの骨となりホネホネで転がっている。骨の魔族同士でパズルのように骨を組み合わせているが、なかなか大変そうである。
そんな事態を引き起こしたのが自分の弟となれば、気まずくなるのは理解できる。
(魔族にも、おとうとって、いるんだ……)
チビにも兄がいるというのに、考えたこともなかった自分にびっくりした。ぎゅっと心臓が痛くなり、はてと自身の胸元をなでる。
「……ぬ? ぬぬ?」
「ほえーっ! カシロの弟かぁ。初めて見たなぁ~!」
どうしたのだろうかと自分自身の心情をチビが理解しかねていたとき、素っ頓狂な声が響く。いつの間にかやってきたテジュが、頭の後ろに手を回して、まじまじとシトラを見下ろしている。
「テジュ、まったくあなたは……。もっと早く駆けつけなさい! 私など、魔王様とチビとともに即座にこちらへと向かったというのに……!」
「ええんごめんよぉ。ちょっとお昼寝しちゃっててさあ。……フォメトリアル、なんで人間向けの本なんて持ってんの?」
「即座にこちらに来たと言ったでしょう。もちろん本を読んでいた最中だからに決まっています!」
「なるほどそうかぁ。そりゃしょうがないよなあ」
うさちゃんの表紙が描かれた本をフォメトリアルが抱きしめていることに、もはや誰も突っ込まない。
「んがぁッ!!!!!」
そんなほのぼのした空気を四散させるほどの激しい唸り声が広間に広がる。「こ、こいつ、猿ぐつわを……ギャアッ!」城兵を弾き飛ばし、シトラはぬらりと立ち上がった。黄色い瞳が、らんらんと輝くようにこちらを――いや、アザトを睨んでいる。「……フンッ!」筋肉を肥大化させ、シトラは後手に結んでいた綱を無理やりに引き裂いた。
「……てめぇが、魔王ってやつか?」
「おいシトラ、やめろ!」
「よくもカシロをこき使いやがって! 魔王城の料理番になるだなんておかしいと思ったんだ! 魔族は食事なんてほとんど必要ねぇのによ! どうせカシロの魔法を利用してるんだろ。変な人間が、カシロの魔法がかかったランタンを持っているのを見たぜ!」
「あ~。ランタンってこないだ帽子屋にあげたやつ?」
「知りませんけど。あなたたち、そんなことをしていたんですか?」
テジュとフォメトリアルがぽそぽそ話している言葉にかぶさるように、「シトラ、いい加減にしろ!」とカシロが唸るように叫び、シトラはわずかに身じろいだ。
「俺は望んでここにいるんだ。お前に文句を言われる筋合いはどこにもないぞ!」
「…………!」
ぎり、とシトラは奥歯を噛み締める。
口を開き、けれども形にならない言葉を呑み込むように唇を引き締め、息を吸い込み吐き捨てる。「信じられるか、そんなもの……!」「シトラ!」今度は、鋭く響くカシロの言葉をシトラは真っ向から見据えた。
「絶対に、納得するまで俺は森に帰らねぇからな!」
「お前……!」
「いいだろう」
「魔王様!?」
ぎょっとするカシロを無視して、アザトは続ける。
「いいだろう。魔王城は来る者は拒まぬ。好きだけ、いるがいい」
***
「まあたまに拒むけどね、チビの父親とか」と、テジュはむしゃむしゃとギギからもらったオランジの実を食べており、チビはふむう、となんともいえない顔をしている。
「チビの親父については、それだけ魔王様の腹に据え兼ねたってことだろ。……すまねぇな、うちの弟が騒がして……」
と、カシロはため息をついてチビの前に皿を出した。オランジのコンポートだ。チビは両手を握りしめ、ガッと食堂の天井に拳を突き出す。美味しそう、嬉しいという感情を全身で表している。そうした後でハッとして「おいし、そ。とても、いい」と慌てて言葉を付け足す。話すという習慣がなかったので、たまにうっかりしてしまうのだ。
「喜んでくれてよかったよ」とカシロはいつもの笑みでチビの頭をわしわしとなでたので、チビはちょっとだけほっぺたを赤くした。
カシロを料理長とする食堂はそこそこ盛況である。広々とした部屋には大きな木の幹を輪切りにしたテーブルが並べられ、可愛らしい木の椅子もたくさん置かれている。
帽子屋と呼ばれている人間の商人と取引するようになってから、調味料や装飾品など細々としたものが少しだけ増えてもいた。
モヤモヤたちが注文を聞き、食事を運びと食堂は大忙しなように見えるが、魔王城に住む魔族の数と比べるともしかすると客の数は少ないくらいかもしれない。
魔族はほとんど食事を必要としない、と言っていた言葉を、チビはなんとなく思い出した。
食事をまったく食べない、というわけではないが人間と比べて食べる量が極端に少ないのだ。もしくは、一種類のみでも問題ない。たとえば魔王城に枝を張り巡らせた大樹の魔族――ギギは、水と星灯りのみを食料とするらしく、フォメトリアルはたまに他者の感情を食べている。保管庫の管理人、ロンは宝石を主食とするらしい。
この三ヶ月、夜の国の城で過ごすうちにチビが知ったことである。
つまりそれ以外の食事は不要なもの――嗜好品、というわけだ。
ちなみになんでも食べるテジュは、オランジの実で手をべとべとにしている。
「あいつ、シトラのやつ、しばらく城にいると言ってたが……一体どこに行ったのやら……また問題を起こしてないといいんだが」
「お散歩じゃない? 初めての場所に行ったら、探検したくなるじゃん」
平和な感想を話して、テジュはキラッと目を輝かせたと思ったら、オランジの実にかぶりつく。手どころか口元をべとべとにしている。
「だといいんだが。フォメトリアルが広間の片付けを買って出てくれたから、申し訳ないな。俺も手伝うと言ったんだが」
「いやー片付けっていってもギギ様とモヤモヤたちだけで大丈夫そうだったし、フォメトリアルはあれでしょー。魔王様の玉座とかが大丈夫か自分の目で見たいだけじゃない? 今頃、目をぎょろんぎょろんにして広間の中を這いずり回ってると思うよー」
あっはっは、とテジュは笑う。
ちなみにその頃フォメトリアルはテジュの予想通り、いや予想以上に、床や壁に顔を触れんばかりに近づけ、文字通りにカサカサと地面を這っていた。そしてモヤモヤたちを困らせていた。
「ん……まあ、そうかねぇ」
「あ、そういやおれ、カシロの弟のことって、あんま聞いたことないかも?」
「まあな。隠すことじゃねえが、わざわざ言うことでもねぇからな。俺と弟は、雪の森で生まれたんだが……」
「父ちゃんと母ちゃんは? いないタイプだよね。あんま見かけ変わんないし」
「まあな。気付いたときには森にいた」
「……ぬ、ぬう?」
コンポートをゆっくりと口に入れて舌鼓を打っていたチビだが、何やらおかしな会話に眉を寄せ、顔を上げる。
「カシロ、おとうさん、おかあさん、いない?」
「そういうものはいないな。俺は初めから俺だからな」
「???」
両親とはほとんど、いやまったく関わることなく生きてきたチビだが、カシロがなんだかおかしなことを言っていることくらいはなんとなくわかる。
でもその違和感をどう口に説明したらいいのかわからなくて、「ん、あう。うう、あううう」ともどかしく両手を動かすしかない。
「……ん?」
「カシロぉ。人間はさあ、みんな両親がいるんだよ。おれたちと同じじゃないの」
「……ああ! なるほど」
意外なことにテジュはチビの言葉を組んでくれたらしく、ぺろりと口の周りを舐めながら伝えてくれた。人間にはみんな両親がいる。おれたちと同じじゃない。ということは、まさか。
「魔族には、両親がいるやつと、いないやつがいる。俺は後者だな。気付いたときには俺がいて、隣にはシトラがいた。どっちが兄で、どっちが弟ってのは、まあなんとなくだな」
あまりにもあっさりとした説明すぎて、「お、おう……?」とチビは困惑した声を出すしかない。そんなチビを慮ってか、「ええっとな」とカシロは思案するように唸った後、再度説明する。
「魔族には年を取るやつと、取らないやつがいる。取らないやつは、ある日いきなり死んで、そいつが昔生まれた場所に、また新しい魂が生まれるんだ。人間だと生まれ変わりがどうとかいうが、少しそれに近いな。ただ記憶が引き継がれているわけじゃない。最初のやつが終わって、次のやつが生まれる。ただそれだけだ。そうして夜の国は回っている」
ぽろり、とチビの手からフォークが落ちた。ぽかんと目を見開いてカシロを見上げる。「そんなに驚くことか?」とどこか優しい声色で、カシロはチビに話しかけた。
「おれはいるよー。父ちゃんと母ちゃん。だからおれは年を取る方。人間とおんなじだから、大器晩成。これからでっかくなるよー」
にひひ、とテジュは歯を見せてチビを覗き込むように笑う。なんとなくチビはちょっとだけのけぞってしまう。
そのとき、テジュの頭にぽこんと大きな何かが落ちてきた。「きゃわんっ」とテジュは悲鳴を上げ、足元に転がる橙色の実を見つめて拾い上げる。それから頭の上を見上げて、「フォメトリアルが呼んでるって、ギギ様が教えてくれてる」とぽつりと呟く。
「なんだろー。あれかな、謁見室の片付け、おれも手伝えってことかなあ……ああ、違った! 魔王様の警備、おれがする時間だった! ごめんなぁ、先行くなぁ!」
「おいおい手くらい拭いてけ!」
「はあーい! ありがとー!」
カシロが投げた手ぬぐいを上手に口で受け止めて、テジュは風のように消えてしまった。元気な犬である。けれどもチビはじいっと自分の皿の上にあるコンポートに視線を落としていた。皿に手をつけるわけではなく、瞬きすらもせずに、ただじっと。
カシロはそんなチビをしばらく見つめた後、わずかに苦笑するように微笑み、チビの隣にゆっくり座る。
チビは何も言わない。もちろんカシロも。
どれくらいの時間がたったのだろうか。チビはゆっくりと口を開いた。
「カシロ、おとうさん、おかあさん、いない……」
「そうだな」
「でも」
「うん」
「おとうと、いる」
「……そうだな」
優しい顔をして、カシロは頬付けをついたままチビに返事をした。
「……俺とシトラは雪の森と呼ばれている森で生まれた。一応、魔族たちが集まっている小さな村みたいなのもあったんだが、俺たちが生まれたときに死んだ魔族がそこのまとめ役みたいなのをしていたらしくてな。俺とシトラも、同じように族長っていえばいいのかね、まあ、そういう役になったんだ」
「…………」
「雪がいつもしんしんと降っている森でな。小さな村で、それなりに楽しくやってたんだが……俺は、これが魔法だからなぁ」
そう言って、カシロは静かに指を立てる。小さな炎がちろちろと指の先で燃えて、すぐに消えてしまった。
「森で、炎の魔法ってのはな。雪が降っているときならいいが、雪がやむときもたまにはあったから、どうしても、な」
寒くなると、炎がよく燃えるということは夜の国に来る前に、生まれた城のメイドたちが話していたことだ。どうしてか、理屈は知らない。けれど夜の国でも同じなのだとしたら、カシロも肩身が狭い思いをしていたのかもしれない。
「誓って追い出されたわけじゃない。俺が森を出たのは自分からだ。森のことはシトラがいりゃあ問題ないだろうと思ったし、もともと料理ってものを気になってはいた。勉強ついでに魔王様のところに来て、魔王城で働こうと決めたのは……ま、テジュが生まれる前くらいの話だな」
似合わない難しい顔をしてカシロを見上げているチビの頭を、カシロはそっとなでた。その手は、いつもよりも少し優しい。
「だから、チビちゃんは心配しなくていいことだ」
「……ぬう」
「コンポート、自信作なんだ。味わって食ってくれよ。じゃ、俺も仕事に戻るかね」
そう言って、カシロはもう一度チビの頭をなでて厨房に消えてしまった。一人その場に残されたチビは、唇を尖らせてしばらくカシロの後ろ姿を見送ったが、すぐにフォークを持ち、美味しくコンポートを味わった。




