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22 少年王子の、後悔


 ***


 チビの声は、アレクシスにも届いていた。

 あれほど深く感じていた穴は、瞬く間にただの小さな穴となり、大人一人分程度の高さになってしまった。チビはテジュの背に抱きついたまま、穴の端で小さく座り込むアレクシスを見下ろした。アレクシスは立派な服を泥だらけにさせていて、穴を登ろうと四苦八苦したであろうことが見て取れる。


「…………」

「お、いたじゃん」


 何がどうなっているのかと呆然としてテジュとチビを見上げたアレクシスに、テジュがけろりと笑っている。チビは、すとりとテジュの背から下りて、一歩二歩、アレクシスに近づく。


「……ン」


 それだけ言って首をくいっと上げて、踵を返す。そして役目は終わった、とばかりに穴をよじ登って外に出ようとする。「おれの方がおーさきっ! へへ!」「ぬう……!?」ぴょんっ、とテジュがジャンプをしてさっさと穴を出てしまった。テジュはチビの最後のひと登りを手を伸ばして助けてやり、二人はあっさりとその場を去っていく。


「ま、待て! 待て待て待て! 私を助けに来てくれたんじゃないのか!?」

「えー。助けに来たじゃん? これくらいなら登れるだろ?」

「の、登れるわけがないだろう! 私の背の何倍もある高さだぞ!? 早く手を貸さないか!」

「……チビ、もしかして王子様って、運動神経ないわけ?」

「……ぬう?」


 わからない、とばかりにチビはふるふる首を横に振る。魔族であるテジュと、シビアな環境を生き抜いてきたチビたちは、人間の常識がわかっていない。

 なんとかテジュに押されて引っ張られて地上に戻ってきたアレクシスは、地面に四つ足をついてハアハアと肩で息を繰り返している。


「んじゃあ、これにこりて勝手に魔王城の外を歩かない方がいいぞ? しょーじき責任なんて取れないし、っていうか、おれたちに責任なんてないし」


「寝覚めが悪くなりそうだから、一回くらいは助けてやったけどさ」とからりと話すテジュに対して、チビもこくりと頷く。


「んじゃあ帰るか! あー……。どこに行ってたのかってフォメトリアルがうるさそうだなぁ……」

「うぬー……」

「ま、待ってくれ!」

「はあ? 次はなんなんだよ」


 さすがのテジュも苛立ったように振り返った。アレクシスはゆっくりと立ち上がり、「待ってくれ。違うんだ、その……」何かを言い淀み、顔を上げ、「す、スペア!」とチビを呼ぶ。チビはぴくん、と片眉を上げた。


「本当に……悪かった。申し訳なかった! お、お前のことを、私は、ずっと存在しない者として扱っていた。同じ母から生まれた兄妹だというのに、わ、私は、私は……!」


 まるで悲痛な叫びのような声だ。アレクシスは一国の王子だ。謝罪などし慣れているわけがない。作法も知らない。どうすればいいのかと自身でも焦るように苦しげに目をつむり、勢いよく額を地面について土下座した。「本当に、申し訳なかった……!」こんなこと、彼は人生のうち一度だってしたことがない。


 しばらくの間、テジュもチビも何も言わず、ただ時間が過ぎていくだけだった。両手を地面に置いて、頭を下げたアレクシスの後頭部をチビはじっと見下ろす。「ん~……」とテジュがとん、とん、と自分のこめかみを人差し指で叩く。


「チビ、とりあえず帰ろっか」

「ン」

「え、あ、え……? 待ってくれ! わ、私の謝罪は……?」


 まるでアレクシスの謝罪をないもののように扱う二人に、アレクシスは慌てて顔を上げる。ぬかずいていた額は泥で汚れていた。テジュはチビの表情を確認して、「んんん~」と唸りながら首を傾げている。


「も、もう一度頭を下げたらいいのか?」

「いや、っていうかさ……」

「一度では足りないのだろう? そんなことわかっている! だ、だから」

「おーい、チビ~」

「何度でも、何度でも頭を下げる。それで、お前の気がすむのなら、私には、それだけしかできないから……!」

「あ~……ん~……」


 チビは、いや、アレクシスにとってのスペアは。

 ()()()()()()()()()()()()()


「あのさあ~」


 あっけらかんとしたテジュの態度は、悲痛な声を叫ぶアレクシスの前では、まるで冗談めいた姿のように思えた。


「チビは、あんたのこと、どうでもいいんじゃない?」


 だから別に、謝る必要なんてないよ、と。

 自身の兄に興味がないから。いたところで、()()()()()()()()


 存在がない、無価値で、好きと嫌いとも無縁の存在。どうでもいい存在。

 心の隅にすらも居場所がなく、いてもいなくてもどうでもいい。


 ――それは、お前には謝罪する価値すらないと、言われたも同義である。


「あ……」


 どれだけ後悔を伝えても、謝罪を叫んでも。

 なんの、意味もない。


「あ、う、あ……」


 全てが返ってきているだけだ。今まで、自身が彼女にしたことが、同じように返ってきているだけ。


「う、ひ、あ、」


 アレクシスの指は震え、唇は言葉を紡ぐ前に形のない息がただ漏れ出る。「うー……、う、うう……」嗚咽が口からこぼれた。虫のように丸くなり、慟哭する。「あ、う、ああああ!!!!」ぽろぽろと涙をこぼし、拭うことすら忘れてアレクシスは泣き叫ぶ。


「う、あ、う、ううううう」

「ええ~……。なんなんだよ……。チビー、どうする?」

「…………」

「もー。しょーがないなー。帰るぞ。ほら、立てって。おんぶするか?」

「う、ううう、ああああ」


 赤子のように泣き続けるアレクシスをテジュはおぶって魔王城に帰った。チビはずっと何も言わなかったし、アレクシスもずっと泣いていた。

 そうして魔王城にたどり着いたとき、一体どこに行っていたのかと問い詰めるフォメトリアルやカシロに、何も言わない双子に変わってテジュが順を追って説明すると、「お前……」とカシロはひきつくような笑みでテジュを見下ろす。


「テジュ、なんというか、お前……意外と容赦がないな……」

「え、なんで? ほんとのことじゃん?」

「うわあああああん!」

「お、おやめなさい……」


 フォメトリアルもちょっとだけ引いている。


「それにしてもよく泣くねー。人間ってこんな泣き虫なの?」

「ひ、ふっ、ひ、ひ、ふっ、う、うううう」


 テジュに悪意があるわけではない。その証拠に、どれだけアレクシスが泣こうともおんぶをやめない。きちんと背負って、「よしよしよし」とときどき揺れてあやしてやる。まるで赤ちゃん扱いである。チビはずっと知らんぷりをしている。

 なんというかなあ、とカシロは苦笑するようにフォメトリアルにちらりと視線を向け、フォメトリアルは腕を組んだまま渋い顔をしている。


 どれだけ泣き喚こうとも、アレクシスは明日には夜の国から消える。本人が嫌がったとしても、無理やり送り届けることになるだろう。だったら別に、このまま放っておけばいいのだが……。どうしたものかな、とカシロがフォメトリアルに視線を向け続けると、なぜだか彼の眉間の皺が、じわじわと深まっていく。


「……パーティーを、開きましょう」


 腕を組んだまま、苦々しい声でフォメトリアルは話す。


「ん? パーティーってなんでー? お祝いなんてすることないぞ?」

「……いいですか? テジュ。この間、私たちはマナーの本を読みました。人間のマナーでは、人を招くときにもパーティーを開催するしきたりがあるそうです」

「たしかにそんなことも書いてた……ような?」

「ええ。私ともあろう者がすっかり失念しておりましたが、私はきちんとルールを遵守する悪魔であり魔族ですからね。人間とは違うのです。というわけで、さっそく魔王様に許可を得に行きましょう」

「はいはーい。よーし、いっくよ~。よーしよし」

「う、うう、うううう……」

「ま、明日で王子様が帰る最終日だし、ちょうどいいな。あれからまた俺も料理のレシピを増やせるから腕の見せ所だ」

「…………」


 フォメトリアル、テジュ、テジュに背負われたアレクシス、カシロに、チビ。みんなが一列に続いて、ぽてぽてと歩き魔王のもとへ向かう。

 謎の一行を迎えた魔王――アザトは、わずかに瞳に困惑の感情を乗せたが、アレクシスの歓迎、もとい送迎パーティーは否を言うことなく承認した。「好きにするがいい」とだけ、ぽつりと返事をしたのだった。

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