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20 生贄少女、穴を探す


「おい、スペア!」


 そう呼ばれる度に、チビは言葉を話す気がすっかり消えてしまう自分に気がついた。『スペア』というのは名前ではなく、ただの呼び名だ。呼ばれたとしても、はいと返事をするのは自分じゃなくても別にいいように感じていた。だって誰でも代用がきく『スペア』なんだから。


「スペア、いい加減にしろ!」

「…………!」


 だからいきなり肩を掴まれたときにはびっくりした。双子とはいえ、男と女、しかも夜の国に来るまで、チビはまともな食事にありつくことも難しい日々だったので、腕も足も細い。力いっぱい引っ張られたら痛みだってある。

 視界の端でテジュがいつでも飛び込めるようにか、体を硬くするのが見えたが、今のところは大丈夫と首を横に振る。明日には帰る相手なのだから、いつもみたいに、少し我慢すればいいだけだ。


「私は、お前の兄だぞ! 妹なら、私の話を聞かないか!」

「…………?」


 チビは自身の意思とは関係なく、眉を訝しむように動かしてしまう。


 ――兄って、はなしたことも、ない、のに……?


 チビたちを産んだ際に死んでしまった母はともかく、父とは会ったことすらない。目の前にいる兄とは一度視線を交わしただけで、ずっといないものとして扱われていたのに。

 今更兄を名乗られたところで、一体何を考えてのことかと理解もできない。

 とにかく放っておいてほしかった。


 その感情が表情に表れていたのかもしれない。


「なんだその顔は!」


 大声で叫ばれたことに驚いて、チビは勢いよくアレクシスの手を弾いてしまった。そんな扱いをされたこともないのだろう。アレクシスは呆然と自身の手を見つめた後で、チビを見て、かっと眉を怒らせる。チビは思わず身構えたが、アレクシスはすぐに息を吐き出し、どこか早口に告げた。


「スペア、お前はイリオルル国の王女だろう。なぜそんな見窄らしい服を着ているのだ。父上に言って王族に相応しい服を用意してもらうといい。こんな薄暗い国にいるのではなく、イリオルル国に戻るべきだ。服もそうだが、そのネックレス……ただの石じゃないか。こんなもの、さっさと捨てて……」

「やめ、て!」


 アレクシスの手が、わずかにチビが首に下げた星の石に触れた瞬間、今度こそ強く手を叩いた。アレクシスの指が首の紐に触れて、引きちぎれる。かちゃんっ! と石が音を立てて地面に落ち、くるくると城の回廊を滑っていく。


「……!」


 チビは喘ぐように落ちたネックレスを追いかけて、へたり込む。恐るおそる、両手で包み込むようにしてネックレスを持ち上げると、少しだけ、石の端がかけていた。くしゃりとチビの顔が歪む。

 これは、アザトからもらったものだ。今は光らないただの石でも、夜の国にいていいのだとアザトが教えてくれた、大切な石なのだから。


 ――この人と、いっしょに、いたく、ない……。


 そのとき、チビは初めてそう感じた。


「……おい、スペア……?」


 チビはぴくりとも動くことなく、石を両手で握りしめていた。

 けれども、唐突にぱっと顔を上げて、アレクシスを睨み振り返る。

 チビが想像するよりも、少年は困惑した表情をしていたが、そんなこと関係ない。チビはアレクシスを威嚇するかのように立ち上がり、すぐに翻って駆け出した。魔王城の回廊を力いっぱいに駆け抜け、手の中には切れたネックレスの紐を握りしめ、とうとう夜の草原へと飛び出してしまった。


 頭の上にぽろぽろと星がこぼれている。

 どこかの本の一ページのように、チビは駆けた。

 美しい夜が、どこまで走ってもチビを追いかけてくれる。綺麗な月が、一人ぼっちにしてくれない。


「……落ち着いた?」


 どれくらい走り続けたのか、わからないくらいに走って。

 ただ肩で息を繰り返して、立ち止まっていた。荒い息が口から吐き出て、心臓が痛いくらいに鼓動を繰り返している。チビの腰ほどまでの長い緑の草が、風が吹く度にざあざあと音を鳴らして揺れていた。隣を見ると、なんてこともない顔をしてテジュがにっかり笑っている。

 手の中にある、アザトからもらった石を見下ろす。たとえ少しくらい欠けたとしても、思い出が消えてしまうわけじゃない。


「……ん」

「お。久しぶりに声聞いたな」


「やっぱ、返事がある方がいいよな」と言われたから、なんとなく顔を赤くしてしまったが、薄暗い夜の下では、テジュにはわからなかったかもしれない。


「とりあえず、帰るか。落ち着いたんならさ」

「……ん。かえ、る」

「あいつ、どうする? チビの後を追いかけたみたいだけど途中で見当違いのとこに行ってたらしい。城の外に出てるんならよくないけど、放っておく?」


 ちょっと考えた後で、ふるふると首を横に振った。


「だよなー。チビならそうするよな。しょうがない。捜してやるかあ!」


 ***


 魔王城の周囲に道や看板があるわけではない。チビも大きな魔王城の全てを把握していないのに、さらにその外となると何もわからないに等しかったが、人間の少年を見かけなかったかと通りがかりの魔族に聞きながら、テジュとチビは外の世界を歩いた。

 モヤモヤたちの証言をもとにしてたどり着いた場所は、チビも足を踏み入れたことのない場所だ。そこはごつごつとした岩場が視界いっぱいに広がっており、生き物の影の一つもない。


「おーい、たすけてくれー」


 ふいに、のっぺりとした声が聞こえた。

 アレクシスの声だろうか?

 それにしても、何かおかしい。


「おーい、たすけてくれー」


 妙に間延びした声が、今度は別の場所から響いてくる。岩場の中で反響しているから、どこから聞こえているのかよくわからない。


「たすけてくれー」「すぺあー。たすけてくれー」「ここだよー」「たすけてくれー」


「……う? あ、う……?」

「あー……。ここは闇フクロウの住み処だな。四方八方からあいつの声が聞こえるだろ?」

「う、うむう」

「闇フクロウは巣穴に落ちた人間の声を真似して、餌として引きずり込むために、通りがかるやつらを迷わせるんだよ。おれたち魔族はまずいから人間は食わないけど、迷いフクロウは食べられりゃ、なんでもおかまいなしなんだよな」

「え、えさ……」


 ということは、アレクシスは今、迷いフクロウの巣穴の中にいるのだろう。岩場の中には、暗い影のようにぽこぽこと穴があいており、あれらの全てが巣穴なのかもしれない。


「あのこ、たべられ、ちゃう……?」

「今は生きてるだろうけど、放っときゃね」


 それならさっさと助け出してあげないといけないが、あちらこちらから声が聞こえるから、どこに行けばいいのかわからない。今もずっと、奇妙な声は響き続けていた。

 どうしたらいいんだろう、とチビが困って口元を尖らせていると、何がおもしろいのか、「ふっふっふ」とテジュが楽しそうな声を出している。


「あのさあ、チビ。おれがなんのためにフォメトリアルと一緒に、魔王様の側近をしてると思う?」

「……う? テジュ、そっきん?」

「そ、側近っていうか、魔王様じゃなくって、フォメトリアルの部下だけど! いいじゃん、同じようなもんだろ!」


 珍しくちょっと照れたように、なぜか早口で言い返されてしまった。別に文句を言ったわけではなく、よくわからなかったので繰り返しただけなのだが。

 うーん、とチビはのけぞるように考えて、やっぱりわからなかったのでメトロノームみたいに体をちっくたっくと揺さぶってみる。


「あのさあ、おれ、魔物(まもの)(けん)! わかる? 魔物犬なんだよ!」

「フォメが、言ってた……?」

「あ、たしかにフォメトリアルが言ってたかも? あのねー魔物犬ってのはねー。魔族の中でもめっちゃくちゃ鼻がいい種族なんだぞ。さらにおれはその中でも超すごいんだからね。じゃないと魔王様と一緒にいれないよ」


 テジュは自分の鼻をつん、と指差し、ふふんと自慢げな顔をしている。

 はて。それが何を差すのだろう……と、チビはふーん、反応するだけだ。


「つまり風さえあれば、誰がどこにいるかなんてお手の物だよ。この場所は、おれの独壇場ってやつだね」


 まかせてよね、とテジュはビッとテジュなりのかっこいい顔をする。チビはテジュを見上げてワンテンポ遅れた後に、「おおおー」と、ぱちぱち小さな手で拍手をしたのだった。


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