16 お勉強会、これにて終了
贈り物を服にすると決めた際、魔族たちはそれはもう混乱した。
なんせ、魔族は服を持たない。実のところ、彼らが着ているものは服ではなく皮膚であり毛皮である。
――そもそも服とは、文字と同じように、魔族たちの姿を人間が真似て取り入れた文化だ。形こそ似ているものの、魔族と人間とでは『服』に対する意識はまったく異なる。
「人間とは脆弱な生き物ですからね……肌を覆わねば少しのことで怪我をしてしまいます……なんと愚かなことか」
と、話すフォメトリアルの服装はタキシード姿であり、従僕然としている。眼鏡が不穏にきらりと輝いた。
「服ねー。服。うーん。おれもこの服は肌の一部だけどさ。じゃないと犬になったとき服が脱げちゃうし。あ、でもカシロは違うよなー?」
と、首を傾げて尋ねるテジュは、フードのある服を着て、ズボンにはたくさんのポケットがついている。ポケットの中にはときどき遊び道具を隠し持っている。
「まあな。俺は毛皮が服のようなもんだしな。ただ料理をするときに汚れちまうし、一応布を巻いてはいるな」
分厚いもふもふの胸板を見せるカシロの腰には幾何学的な模様が刻まれた大きな布が腰に巻かれている。
「服……か……」
ぽつりと話すアザトは黒い外套を羽織っており、彼の黒髪と合わせるとまるで闇の化身のようだ。その場に存在するだけで、威厳と気品が伝わってくる。
いまだに白熱する話し合いを、もうどうにでもなれという気分でロンは見守っていた。こうなったらとことんやってくれと思うが、いや待てその噂の人間の子どもは、もとは貢ぎ物だというのに自身は把握していないぞという事実に気づき、無意味にそわそわと太い尻尾で床を叩く。
――のちにこの噂の子ども、チビがこの保管室にやってくることになるのだが、このときのロンはもちろんまだ知らない。
ちなみにチビは現在進行系でアザトの寝室のベッドの上にて、ぐーすか眠っている。彼女が着ている白いワンピースは、最初に着ていた服があまりにもばっちいため、激怒したフォメトリアルが見様見真似で裁縫仕事をした結果である。
「フォメトリアルがもっかい作るとか?」
「無茶を言わないでください。あの貧相な服でせいぜいですし、あんなちまちまとしたもの、もう一生作りたくはありませんよ」
「女物の立派な服はドレスというんだろう?……さすがに俺たちには限界があるんじゃないか?」
「ドレス……ドレスか……」
この話はどう決着がつくんだろうな、とだんだんどうでもよくなってきたロンは、部屋のソファに座ろうとした。そのとき彼らの視線が自身に集まっていることに気づき、バネのように勢いよく立ち上がる。他の魔族ならいざ知らず、魔王の、アザトの視線には常にぴんと背筋を正してしまう。ロンが意識を飛ばしている間に、どうやら彼らの中でまた一つの結論が出たらしいが、一体なんだというのか。
「……人間が着る服なのだから、人間から手に入れるべきなのでは、ないかと話し合った。お前は、人間からの貢ぎ物の管理をしているのだったな?」
「え……あ、はい! そうです!」
「ならばその中に、幼子が着るドレスは、あるだろうか」
「……あるにはありますが、古いものがほとんどですね。デザインもそうですし、その人間の体の形に合うかはわかりません」
「体の形でしたら、だいたいは私が把握しています。しかし古臭いものでは困りますね」
むっと眉に力を寄せて難しい顔をするフォメトリアルに、「プレゼントだもんな!」とテジュがにこにこしている。
「……ええっと、それなら馴染みの商人がいるので、取り寄せることはできるかとは思いますが」
「ならば、次に商人と連絡がつくのは、早くていつになる?」
「先程イリオルル国の使者は夜の国から帰ったそうですが、まだ宵の風が吹いていないので……今願うことはできなくもないですね。それが終わって次に止まるのは一週間後と聞いていますから、すぐにでも手に入るかと。あ、でも服は体の形に左右されるので、貢ぎ物の管理もかねて、間違いないか僕自身もサイズを確認してからの方が」
「多少のことならば私の力で修正はできるだろう。なるべく早く、手に入れたい。形を確認するのは、その後でも問題あるまい」
なんともざっくりであるが、服に対しての認識も魔族たちはざっくりなので、こんなものである。
「わかりました。では急いで連絡しましょう。こちらから報酬を弾めば商人もすぐに飛びつくかと」
「よろしく頼む」
アザトからの直接の声掛けに、ロンは思わず頬を少し赤くした。
「あ、悪い。できれば人間が使う調味料もついでに調達できるか?」
「パーティーについての知識は、この本一冊では不安ですね。最低十冊は追加で取り寄せていただきたいところです」
「おれ、本に書いてあった『持ってこい』ってやつもしてみたいから、いい感じのボールもほしい!」
しかしその瞬間、にゅっと飛び出て追加する三人組の言葉にロンはぴくりと口の端を引きつらせる。テジュがにこやかな顔つきでぱたぱた尻尾を振っているのが、さらに憎らしいような気持ちになった。
「…………」
そもそも、自分は貢ぎ物を管理しているだけの立場であり、人間の商人とのつなぎがあるのはあくまでも副産物のようなものだ。面倒なことに違いはないし、その人間の子どものためにわざわざ手間をかける必要など、ロンにはどこにもないのだが――。
「ロン。お前がいてくれて、よかった」
「……えっ、あ、は、はい! あ、ありがとうございます! こ、光栄です……!」
静かな夜の声に、ロンは目を見開きあまりの光栄さに声を失う。
小生意気ではあるが、彼も可愛らしい少年であった。
***
こんな事情があり、チビが着ることになるドレスは、ロンの手腕ですぐさま手に入れることができた。アザトが使う夜の魔法で星の光を編み込み、多少のサイズ変更は可能であるためチビの大きさにぴったりな誂えとなった。
その他、カシロは本をもとにして、魔族はもちろん人間の口にも合う料理を考案し、フォメトリアルはパーティーに対してのさらなる研鑽に務めるため魔族たちとの勉強会を行っていたのだが、不運にもその最中にチビに目撃されてしまった。もう少し時間をかけて万全の準備をしてからパーティーが行われるはずだったが、決行を決意。パーティーとは明るい光の下で行うものという認識のもと、テジュは虫取り網を振り回し、星の光を大量に手に入れた。
「なあチビ、『おて』って言って!」
「ヤ」
「じゃあ『おかわり』は!?」
「イ、ヤ」
「めちゃくちゃ練習したのに! どうして!? 人間はこれが好きなんじゃないのぉ!?」
こうして無事成功したパーティーであったが、テジュに対して歪んだ価値観を残し、チビは不愉快と不可解を混ぜ合わせたような顔をするはめになったのだった。
***
「はー……。まったく疲れた。魔族の連中ときたらいつもいきなりだもんなぁ」
と言いながら、と大きな横掛けカバンを二つも左右にかけてとぼとぼと夜の国の道を歩く男は、人間の商人である。ロンに呼び出され、やれ子ども用のドレスを準備しろと言われたり、調味料を手に入れるために奔走したりと、短い時間の中での苦労からか、げっそりとやつれている。
「パーティーに関する本を十冊とか、意味がわからねぇよ。今までで一番の無茶ぶりだったな……。一回でかい風が吹いたから、帰れないんじゃないかと不安だったし……次に宵の風が止まるまで、夜の国に足止めなんて絶対にごめんだ!……ああ、本当に疲れた。でも……ふ、ふっふっふ。今回は、もうかったぁ!」
らんらんらん、と音が聞こえて来そうなほど、先程までの足取りの重さも消えて商人は軽やかに跳ねてスキップする。夜のしじまの中で、商人の笑い声だけがよく響いた。いつも夜のこの国は、しんとしていて、どこか寂しく、恐ろしい。なのに、大声で叫びだしたくなるような、不思議な魅力を持っている。
静かだからこそ、してはいけないようなことをしたくなるのかもしれない、と商人は被っていた帽子のつばをちょいと触って考える。まったく、不思議な国だ。
いやそんなことよりさっさと帰宅しなければいけない。万一門が閉まってしまったら大変だ……と、足早に歩き出したときである。
「……ン?」
気の所為だろうか、と商人は振り返った。
どこかで、助けを呼ぶような幼い声が聞こえたのだ。
「……! 子どもが! 子どもがいる! おい、お前、大丈夫かぁ!?」
砕けた木箱の中で倒れ込むその銀髪の子どものもとへ、我も忘れるほどに大急ぎで商人は駆けつけたのだった――。
こうしてまた、物語は進む。