15 魔族たち、読書中
『礼儀作法入門決定版 ~間違いなし! あなたはもう迷わない~』
『王宮料理事典 日常から祝いのテーブルまで』
『とある令嬢の宮廷潜入日記 ~貴族の秘密、教えます~』
『犬のしつけ方』
「いやなんなのこれ。どういうことなの……」
人間から届けられる貢ぎ物の管理室にて、管理人の少年魔族――ロンはわけもわからず呟いた。
『人間の本があるのなら見せてほしい。できれば王宮の作法がわかるもので』
と、いきなりやってきた魔王城の三人衆に呆気に取られていると、さらにやってきたのは魔王様ご本人である。時間が止まるとはこのような感覚だろうか、と鱗で覆われた太い尻尾を、苛立たしいのか困惑しているのかわからない感情のまま、ロンはびったんびったんと床に叩きつける。
魔王と三人組の魔族は各自部屋から移動させた椅子やソファにお上品に座り、ぴらりぴらりとページをめくって真面目に黙読している。
モヤモヤが頭の上に盆を乗せて持ってきた紅茶すらも手をつけず、黙々とページをめくる音だけが響く。だからなんなんだ、この状況は。一生この沈黙が続くような気がする。
「作法のことを、マナー……なるほど。人間は、そう、呼ぶのか……」
「うーん。料理の幅は下手したら人間の方が広いのかもしれねぇな。こりゃ勉強になるぞ」
「ま、まさかそんなとこにまで潜入するだなんて……危なすぎるのではありませんか!? ああっ! カール、相棒のカールが! ほら言わんこっちゃない!」
「わんわん! わんわんいけ! 暴れろ! 攻撃だ! お前の尻尾は誰よりも強い! 犬としての根性を見せろォ!」
いやだんだん盛り上がってきた。カールというのは多分登場人物だろう。そして犬。人間用、しかも王宮の作法がわかる本を出してくれと言われても、そもそも指定された内容が書かれている本の数が少なかった。そのためこれでいいのだろうかと不安に思いながら渡したものもあるのだが、本来の読み方とは違う楽しみ方をされているような気がする。
そうこうしているうちに本を読み終わった四人の魔族たちは、一様にため息をついてページを閉じた。すっかり冷めてしまった紅茶を飲み、しみじみと本の裏表紙を見下ろしている。このまま沈黙が続くのではないだろうかと思うとやっぱり怖い。
「マナー……間違えてはいけない、人間の規範……そうか……」
「人間の国と夜の国じゃ、材料がな……あるにはあるんだが、調味料が、いや、なんとかなるか……?」
「まったく人間とは恐ろしい……。カールは……」
「わんわん最強物語の開幕を期待したのにな……人間にくっぷくしちゃったかぁ……」
やっぱり沈黙は続かなかった。ほっとしていいのか悪魔の宴のような時間が続くことに絶望したらいいのか。彼らは目をつむったまま読んだ物語や教本を心の中で味わっているらしく、眉間に皺を深く寄せている。中でもフォメトリアルは愕然として、「なぜ、カールは……カールは……」とぶつぶつと呟いていた。どれだけカールの存在にショックを受けているんだ。
「なぜ、カールは生き残ってしまったのか……! ピンチを切り抜けてしまったのか! 死の門への誘いを断るようなものではありませんか! 人間のくせになんと生意気な!」
カール生きてたのか。そして悔しがっているところはそこなのか。
いや、この管理室に保管する上で、本の中身は全て把握しているのだが、思わず心の中でつっこんでしまう。ロンは貢ぎ物の管理人として人間と接する役割も長らく兼ねていたために、ちょっと人間らしい思考をしていた。
「……よくわかんないけど、どうだったわけ? この本でよかったの?」
早く出ていってほしいのでロンは腕を組みながら、椅子に座り続ける魔族たちに尋ねる。さっさと日課である貢ぎ物の整理に戻りたい。一日放っておくだけで埃はどんどん積もってしまうし、壊れていないか、まとめた情報に間違いがないか、保管方法の見直しは必要ないかを確認するなど、やるべきことはたくさんあるのだ。
「……ああ。とても、参考に、なった」
「ひゃわあ! あ、は、は、はい! 魔王様!」
まさか魔王が返事をくれるとは思わず、ロンは一瞬で顔を真っ赤にさせて舌をもつれさせてしまう。いつもふてぶてしい態度をとる貢ぎ物の管理人だが、唯一の弱点は魔王が大好きすぎるところにある。「それなら、よ、よかったです……」ぽそぽそと返事の声まで小さくなり、抱きしめている自分の本を指先でいじいじする。フォメトリアルはじいーっと不満げにロンを見つめている。
「ここの管理人、私とちょっと似ていると思いませんか? 魔王様の中で私の印象が薄くなるのではないかと心配なのですが」
「まったく違うから安心しとけ」
「フォメトリアルは何を入れても一生薄くならないから大丈夫だよ」
見当違いな会話をしている三人組のことは、ロンは意識的に視界から消した。
「本を、読んで知ったのだが。人間には、様々なマナー、や文化があるらしい。……その中には、ぱーてぃー、というしきたりも、ある……のだと」
「ぱーてぃー……いやパーティーですか……たしかに僕もその本を読んだことがあるので、知識にはありますが」
「パーティーとは、祝いの場では必ず行われるもの、だそうだ。このしきたりは、とても重要なことのように、私は感じる」
「さすがのご慧眼です、魔王様ァ!」
フォメトリアルからの合いの手はとりあえず無視して話を続ける。
「我らの国に、新しく人間の子どもが、住むことになった。彼女を祝うぱーてぃーを開きたいのだが、この本には、ぱーてぃーのしきたりについて、あまり詳しくは書かれてはいないようだ……。そういったことに関して詳しく記載された、書物はあるだろうか」
「パーティーについてですか……。お待ち下さい……そうですね、一冊あるようです。お持ちいたします」
まるで辞典のように分厚い自身が持つ本をぱらぱらと開き、ロンは目で追い確認する。すぐさま本棚へと移動し、『パーティーの極意 ~成功への招待状~』と背表紙に書かれた一冊の本を抜き取ると、魔王にそっと手渡す。いつの間にか魔王の背後には三人組がやってきていて、魔王の肩口から見下ろすように本を見ている。一番小さなテジュは、横から精一杯背伸びをしていた。
「こちらも人間のマナー本の一種ですね」
ぴらぴらと魔王は本をめくった。人間の文字と魔族の文字はほとんど同じなので読み取りに時間はかからない。ロンも内容は覚えているので、読みづらそうにしているテジュに伝えるようにかいつまんで説明する。
「パーティーとはホスト……主催者が招待客を招き、交流する場ですね。パーティーを開く目的や形式は様々ですが、一般的には立食式の軽食を提供することが多く、また祝いの場ということでしたら、なんらかのプレゼントも必要でしょうか」
「食事なら俺に任せてほしいが…プレゼントか……」
「人間から貢ぎ物をもらうことはあっても、逆というのは……ううん逆……逆……?」
「おれが『お手』をするってのはどうだろう? さっき読んだ本で、それをすると人間が喜ぶって書いてたぞ。それとも『おかわり』の方がいいかな?」
反応したのはカシロ、フォメトリアル、テジュの順である。魔王は真面目に本のページをめくり続けている。
あれではないこれではないと話す三人組を無視して、ぴらぴらぴらと凄まじいスピードで魔王は本を読み進めている。その姿をロンはなんとなく見つめていた。
ぱたん、と最後に魔王は本を閉じた。「感謝、する」「あ、はい! ……いえ、魔王様にそんなことを言っていただく必要は!」返却された本を抱きしめ、ロンはぶるぶると首が取れんばかりに左右に振った。
「それで、私が把握、したことだが」
魔王が言葉を発すると、三人の魔族は途端にぴたりと口を閉じる。魔王の次の言葉を待っているのだ。
「パーティーには、ドレスコード、というものがあるのだそうだ」
いつの間にか、すっかりパーティーの発音も板についている。すでに彼の頭の中には、読み終わった本の中身が一言一句違わず入り込んでいた。驚異的な記憶力である。
そして魔王は、闇のような静かな声でぽつりと声を放った。
「……服が、必要だな」