12 生贄少女と、幸せの光
わああ、と広間が震えるほどの歓声がチビの耳朶を打った。
そこにいたのは、城中の魔族たちだ。フォメトリアルとカシロがチビに向かって手を伸ばし出迎え、名前を知っている魔族もいれば、顔を少ししか見たことがない者もいる。いつもは無口で静かなモヤモヤたちも楽しそうに飛び跳ねているし、骨でできた下級魔族たちは声を出すことができない代わりに、体中の骨をからからと鳴らして踊っていた。
「おめでとう!」
「いらっしゃい、夜の国へ!」
「今日がおチビちゃんの門出だあ!」
あまりの大声に、びりびりと肌が震えた。周囲には紙吹雪が飛び、星の光を灯した、いくつものシャンデリアが天井できらめき、まるで昼間のように明るい。さらにいつの間にか運び込まれた白いクロスを被せた円卓の上には、見たことのないようなごちそうが並んでいる。
「…………」
「ほら、チビちゃん。お前が主役なんだから。こっちに来てくれ。どうだ? 人間らしい豪華な食事ってやつを調べてみたんだが」
いつまでたっても動かないチビに、カシロが毛皮で覆われた手を再度向ける。その隣では出迎えたときは笑顔だったはずのフォメトリアルはすっかりしかめっ面に変わっていて、「本来でしたらもっと豪勢なパーティーになるはずでしたのに……。やはり今からでもやり直しを……」と、ぶつぶつ文句を言っていた。
「フォメトリアル、まだ言ってんのそれぇ? いいじゃん。本を落としちゃったときにさ、どうせチビにバレちゃったんだもん。いつするのかなあってもやもやされるより、さっさとした方が間違いないって! な?」
「テジュ! もとはといえばあなたが手を滑らせたから……!」
「いや待て、チビちゃんの様子が変だぞ」
カシロが二人の揉め合いを仲裁すると、テジュとフォメトリアルはチビに目をやる。
チビは、目を見開き、ついでに口もあけて絶句していた。もちろん、驚きすぎて微動だにしていない。
「……もしかして、バレてなかったの? おれたちが読んでたの、人間のマナーの本で、パーティーの開き方について書かれた本だったからさ……ほら、チビが正式に夜の国に住むことになったから、人間風にお祝いしたいよあってなって……」
ぽかんとするテジュの後ろでは、フォメトリアルが頭を抱え、カシロが苦笑している。「ま、こんなこともあるわな」とカシロはぽん、と大きな手をチビの頭にのせる。その温かな手に触れたとき、仲間はずれにされたと苛立ち、飛び出した自身を思い出して、チビはいたたまれない気持ちになった。かっ、と耳の後ろ辺りが熱くなって、また逃げ出してしまいたいくらいだ。
でも、彼らがチビを仲間として認めてくれたということが嬉しくて、耳の赤らみは今度は別の意味に染まっていく。顔を伏せて、ぎゅっと唇を噛んでいたチビの手を、「ま、それはいいんだけど。おいで!」とテジュが引っ張る。
子ども二人が階段を駆け上がった先には、アザトが佇んでいた。その場だけが奇妙なほどに静かで、夜の国の王は闇を纏うようにチビを見下ろす。
「…………」
「…………!」
無言でこちらを見るアザトに動揺してしまい、テジュの手から抜け出すと、チビはわたわたとその場で一人暴れた。右を見たり、左を見たりと忙しい。ときどきほっぺに手を当てて、視線だけを天井に向け、下を見る。そうしている間にフォメトリアルとカシロもやってきた。
「チビ! テジュ、あなたはまた……! 二人とも、魔王様にきちんとご挨拶なさい!」
「へへ、今日はお祝いの日だからさあ」
「まあまあフォメトリアル。テジュが言う通り、今日のところは落ち着いて」
三人の魔族たちが言い合う声が聞こえる。気づけば、パーティーに参加していた他の魔族たちも、チビの存在をそっちのけて酒を酌み交わし、食事を食べており、楽しそうな笑い声が聞こえる。
チビは、ただじぃっとアザトを見上げた。
アザトも、変化のない表情のままチビを見下ろす。
ふいに、アザトはチビを持ち上げ、自身の肩に乗せた。
「あ、あう? あわわ?」
「……人の、マナーにはあまり詳しくは、ないのだ」
「んむ?」
だから、と言葉を区切って、アザトは指を鳴らす。その瞬間、チビの周囲に星の光が溢れ、大きく輝いた、と思った途端に光は収縮しぱちんと弾ける。「はわっ!?」ひらり、と白く美しいレースが揺れた。チビが着ていたはずのシンプルなワンピースは、いつの間にか立派なドレスに変わっていた。
「ふお? ふわ? ふおおお?」
「祝いには、プレゼントが必要なのだろう。人間のドレスに、夜の国で採れた星の涙を縫い込んだものだ。これで、マナーに間違い、だろうか?」
今度は抱き上げられてアザトはチビに顔を近づける。そんなことを言われたって、こんなふうにお祝いごとをされたのは初めてだから、マナーなんてわからない。
「あ……」
チビが何か、自分でもわからないような言葉を落とそうとしたとき。ぴたりと、全ての音が消えた。ふいに闇の中に呑まれてしまったかのような、そんな感覚がやってきたとき、誰かが叫んだ。「宵の風だ!」それとほとんど同時だったかもしれない。嵐のような荒れ狂う風が広間のテーブルをなぎ倒し、シャンデリアが揺らす。シャンデリアに入れられた星灯りが不規則に辺りを照らし、魔族たちの怒声のような悲鳴が響いた。
「ギャアアア! こんなに大きな風、博士は気づかなかったのか!?」
「博士はただいまお休み中です!」
「まさかこんな肝心なときにかぁー!?」
「オンギャワワーッ!」
ざあざあと激しく降る雨のような音は、魔王城に巻き付いた木の枝が強風に煽られている音だろうか。そんなこともわからなくなるくらいに、激しく打ち付ける風で広間のシャンデリアの明かりはとうとうかき消され、いつの間にか周囲は闇に覆われてしまう。
――まっくら、だ。
チビはアザトに抱き上げられたまま、少しだけ目を閉じる。目をあけても、閉じてもわからないくらいの深い暗闇。
抱きしめられた温かな体温が、ゆっくりと伝わるのを感じた。だから、別に。
――こわく、ない。
チビは小さな指を、そうっと伸ばして目をあける。指先に魔力を灯し、それを手のひらへ、細く、薄く、循環させるように魔力を伸ばす。ぎゅっと小さく、手を握った。温かな光がチビの手の中で生み出され、そして――。
「わあ……」
次にチビが開いた手のひらから、星の雨が昇っていく。きらきらと、ゆっくりと時間が巻き戻るように。
「すごい!」と、感嘆の声を上げ、興奮して両手を上げたのはテジュだ。「まあ、そこそこでは? 私の雷には及びませんが」とフォメトリアルは無意味に眼鏡を触っていて、カシロは「わっはっは」と大声で笑っている。揺れる尻尾の先には赤い火が灯っていたが、もしかするとあれはカシロの魔法なのだろうか、とチビはこっそり考える。
魔族たちも、さっきまでの騒動はすっかり忘れてしまったらしく、また大盛り上がりだ。もともと夜の国なのだから、みんな暗い中でもへっちゃららしい。
チビはこれでよかったのだろうかと少しだけ不安になって、こっそりアザトを見上げた。「…………!」すると、アザトはびっくりするくらい優しい瞳で、チビを見つめていた。あわわ、とチビはなんとなく顔を赤くしたままそっぽを向く。
「う?」
そのときである。ふわり、ふわりと、柔く輝く何かが天井から落ちてきた。チビは片手を伸ばして受け取り、首を傾げる。もっとよく見たいので、アザトに向かってこくりと頷き合図を送って、床に下ろしてもらった。
「……ニアの花だな」
チビの手に落ちてきたものは、ほんのりと光り輝く赤い花だ。回廊で木の実が落ちてきたように、今度は枝から花を落としたのだろうか?
そう不思議に思って、手のひらを開いてまじまじと確認していると、アザトが呟くように花の名を教えてくれた。なぜだか、少しだけ複雑そうな顔をしているようにも思えた。
「あ! ギギ様からの贈り物だ! いいなー。ギギ様って気分でいろんな実とか花を咲かせるもんなー」
「ギ……?」
「ギギ様! 話したことはないけど、ずっと昔からいる魔族だよ!」
チビの手を覗き込んでいたテジュが、にかっと笑って、ぴんと天井を指差す。
「…………!」
ざわざわとどこからか風が吹く。巨大な木の枝が、梢が、揺れている。太い木の幹が魔王城を突き破るように生えて、腕を広げるように見渡す限りの視界の中で、力強く緑の枝を伸ばし、蛍に似た柔らかな明かりを葉っぱの上で跳ねさせて、ぽろろん、ぽろろん、とピアノのような音色を鳴らす。
――夜の国に、いらっしゃい。
そう、木が話しているように思えた。
「…………」
「こら! ギギ様が与えてくださる植物は、気分ではありません。その魔族に一番見合ったものをくださるのですよ!」
「まじで!? おれ、いつもオランジの実なんだけど! 美味いからありがとーって思ってた!」
「テジュは花より食い気だもんなぁ……。チビちゃんには花の方がいいさ。そっちの方がいい感じだからな」
賑やかに笑う彼らの中で、チビはうつむきながら花を見つめた。
チビの手の上で輝いていた花の光は、だんだん頼りなく、小さくなっていく。すっかりただの花に変わってしまったけれど、美しい記憶を辿るように、それでもじっと花を見下ろす。
ふいに、白く長い指先がチビが持つ花を攫った。
アザトの指が赤い花を持ち上げ、チビの銀の髪に花飾りとして挿す。
「……よく、似合っている」
なぜだろう。彼の笑みを前にしたとき、チビはどうしてだか泣きたい気持ちになってしまった。ぎゅっと唇を噛む。それから自身の喉をなでて喘ぐように息を吐き出す。「あ、アザ……ト」彼の名を呼ぶと、彼以外の魔族たちも笑い合っていた言葉をぴたりと止める。
「……テ、ジュ」
「はい!」
「カシ、ロ」
「なんだ?」
「……フォメ」
「はい、何か……ん!? フォメ!? 私、フォメなんですか!?」
やっぱり、自分の声は好きじゃない。しゃがれていて、かっこ悪い。それでも。
「あり……がと、う」
伝えたいことがある。不格好でも、情けなくても。
ドレスを身にまとい、赤い花を髪に飾った少女は、それと同じくらいに顔を真っ赤にさせた。アザトは静かに、けれども優しげな瞳をチビに向け、テジュは、口元をにいっと横に伸ばして楽しそうに笑って、カシロは微笑ましいものを見るかのように頬を緩めている。その中でなぜだかフォメトリアルだけ両手で顔を隠すように覆い、若干のけぞっていた。みんなそれぞれ、反応が違う。
「どういたしまして!」
なのに返答は似たりよったりだった。
多少の言葉の差はあれど、返してくれる気持ちは同じだ。
「…………」
チビは今、自分がどんな顔をしているのかわかっていない。そんなこと、知るわけない。赤い顔を冷ますために両手を頬に当て、けれどもこぼれ落ちる笑みを抑えることができず、とても可愛らしい笑顔を向けているなんて、そんなこと。
まったく、全然、知らないのだ。