1 生贄少女、夜の国へ
ここは夜の国。
一年中真っ暗闇の、魔物たちが住まう国である。そんな薄暗い国にある魔王城の調理場にて、るんた、るんたと太く長いしましま模様の尻尾が揺れていた。そしてもふもふの手からは立派な爪が生えており、腕には大きな木箱を抱えている。
「うーん、今回の箱は随分でかいなあ。中もずっしりしてるぞ」
「カシロぉ! もしそれがフルーツだったら、おれに一番にくれな? な、なー?」
大きな木箱を軽々と持ち上げ、二本足で歩くしましま虎の魔物の腰元には、犬の魔物の少年が自身の尻尾をこすりつけるようにくるくるとまとわりついていた。「なあなあ!」と、元気な声を上げる少年のおしりでは、茶色いふわふわな尻尾がわっさわっさと動いている。
「さてねえ。いくら俺が魔王城の料理長とはいえ、俺だけの一存ではなんとも言えんなあ。この国じゃ、よその国から来た荷は一人のものではなくてみんなのものとなるからな」
「我らが魔王様はケチじゃないぞ! かっこいいぞ! フルーツはきっといっぱいおれにくれるぞーっ!」
「テジュ、それはお前の願望だろうが。フォメトリアルに怒られるぞ?」
片手を勢いよく空に突き上げ叫んだ少年に対して、虎の魔物が呆れたようにため息をつく。
「ん、ここらへんでいいか」
よっこらせ、と掛け声を出すと同時に、虎の魔物は木箱をどすんと地面に下ろした。本当に重いな、と誰に聞かせるわけでもなく小さく話して首を傾げた後で、「まあいいか」と、ぱちん、ぱちんと両手をこするように叩き合わせつつ、木箱をにまっと見下ろした。「よし、あけるぞ」そして、ぱっかりと箱をあけてみると。
箱の中にあったのは――フルーツではなく。銀色の髪をした、痩せこけた小さな女の子だった。
「「は?」」
魔物たちが同時に声を上げたのは無理もない。
小さな身体を折りたたむようにして座り込んでいた少女は、すぐにぱっと顔を上げた。ぼさぼさの銀髪が、薄暗い夜の国の中でもきらりと光る。
長い前髪の隙間から、青い瞳が魔物たちをじっと見つめた。
「……」
「……」
そんな奇妙な沈黙ののち、少女はべろっと舌を出した。あっかんべー。
「はあっ!?」
即座に少女は木箱から飛び出した。ぴょーん、と、まるで猿のように。
「……? いやいやいや、なんだあれ!? 人間? 人間だよな!? なんでまたこんなとこに! テジュ! 捕まえろ!」
「ええ!? おれぇ!?」
「すばしっこさじゃ誰にも負けないだろうが! ほれ、行けぇ!」
「ほわああああ!」
ひえん、と茶色いふわふわ尻尾の少年が、少女を追って飛び出す。
――これは、まだ誰も知らぬことだ。
猿のように飛び出した少女が、この暗い国を変えていくことになるだなんて。
***
「……で? あなたたちは許可のない人間を、わざわざこの夜の国に侵入させた、というわけですか?」
「面目ない……」
「めんめんなーい!」
しょぼん、と頭を下げる虎の魔物、カシロの隣では十歳ほどの少年がぴょんっと片手を上げてにこやかに存在を主張している。少年は彼らでいう人間めいた姿に茶色い耳を生やしていて、おしりから生えた尻尾がはたはたと元気に動いていた。そんな彼らを段上から見下ろすのは眼鏡をした緑髪の魔物だ。ぴしりと背筋を伸ばしたタキシード姿は従僕然としているが、こめかみがぴくぴくとひくついており、凶暴な表情をしている。
「何がめんめんですかァ! 適当に返事をするんじゃありませんッ!」
「ぎゃわうッ!」
緑髪の男の頭からにゅうっと悪魔の角が生えた。文字通りに。悪魔であり魔族であるフォメトリアルがかざした手から瞬く間に落ちた雷を、テジュは跳ね上がって避ける。そして尾を縮こまらせながら自身のすぐ隣の床を恐るおそる見下ろした。思いっきり、焦げていた。「ワヒャウ……」テジュは喉から風のような小さな息を吹き出し、さらに耳と尻尾を丸めた。
「まったく……人間どもからの供物の管理すらできないとは……。誰ですか、これは食料に違いないと勝手に持っていったおバカさんは!」
「ぬう、俺だ……すまない……」
「カシロ! あなたにもお仕置きが必要なようですね!?」
「あわわ、いい匂いがしたような気がしたんだ! テジュもそう言っていたし!」
「御託は結構! さあ覚悟なさい……!」
「やめてくれよおフォメトリアルぅ……! おれにならいくらでも雷を落としてくれていいからさあ! いっぱい頑張って避けるからさあー!」
「避ける前提でお話しするのはおやめなさい!」
「やめろ」
わいわい、ぎゃあぎゃあと騒いでいた魔物たちが、広間に響いたその声に、ぴたりと一斉に口をつぐんだ。フォメトリアルが、ぴんと伸ばした背筋のまま静かに一歩下がり、ゆっくりと腰を折り曲げる。カシロとテジュは自身の口を両手で押さえ、段上を見上げる。
――そこには一つの玉座があった。
座する者はただ一人。夜の国の王である。
魔王、と彼は呼ばれる。夜のような腰まであるつややかな黒髪。そしてすっと通った鼻筋の下には品の良い口元。端麗な美貌はいっそ冷ややかなほどである。魔王は魔物たちを静かに一瞥する。
「これは、どういうことだ」
魔王の言葉は夜の国に住まう者たちにとって絶対である。どういうことかと尋ねられたのだから、現状を正しく説明せねばならない。だというのに、彼らは一様にして黙り込み、困惑したように互いに視線を交わしていた。わっさわっさ。魔王が腰掛けた玉座の背には、広間を包み込むほどの大樹がそびえ立っている。城の至る所に根を張り、枝を伸ばし、緑の葉を散らしているのだ。ゆっさゆっさ。その大樹が、揺れている。太い大きな枝が思いっきり、上下にわしわし揺れていた。だいたい魔王の頭の上辺り。
口をつぐんだ魔物たちは、そうっ……と視線を上に移動させた。全員が、なんとも言えない顔をしていた。いや、魔王の右腕とも呼ばれるフォメトリアルだけが、びきびきとこめかみに血管を浮き上がらせている。
なんせ、魔王の頭の上にある太い枝の上に、一人の幼女が抱きつくようにしてぶらさがっていたから。
「フシャアアアア!」
しかもなんか威嚇している。五歳くらいの小さな少女が、長いぼさぼさの銀髪の髪を振り乱して、獣のようにこっちを見ている。その下には無表情の魔王がいる。
誰かどうにかしてくれ、とその他広間の端で事態を見守る大小の魔物たちの声が聞こえた気がした。
「きさ……きさ、貴様ぁああああ!!!! 人間ぶぜいが! 魔王様の頭の上で木登りするなどォオオオオ!!! さらに、威嚇を行うなど!!! 指導を施してやるッ!!!!!」
「……ヘンッ」
「鼻、鼻!? こ、この魔王様の右腕である高貴なる私を鼻でわら…ッ!?」
「幼子といえど手加減せんぞォ!」とブチギレながら突撃しようとするフォメトリアルを、さらに幼女は鼻で笑った。もさもさぼろぼろの頭を振り乱し、しゃかしゃかと木の枝をつたって逃亡する。その背中をフォメトリアルが全力で追いかける。
彼らの騒がしい姿を、魔王は肘掛けに手をのせたまま見てため息をついた。魔族たちが、困ったような顔をしている。
――いつでも冷静な、我らが王が、ため息をつくだなんて。
そんな声が聞こえてくるようだ。
魔王とて、心が揺れないわけではない。ただ変化のない日々に慣れているだけだというのに。
「待てい、この小娘がァ!」
「…………ヘヘンッ」
追いかけっこは、どうやらまだまだ終わらないようだ。
短編『捧げ物のお姫様』の長編版です。
10万文字程度で完結予定ですので、どうぞよろしくお願いします!