第三章 友と嫁と赤備
正史とは違い、尾張を統一して新たな道を歩み始めた斯波家とハルトです。
この先どんな運命が待って居るのか……
第三章 友と嫁と赤備
斯波家の嫡男となり名を改めても、ハルトの普段はあまり変わらない、勝幡城の的場や馬場で家人や足軽達と訓練をして、狩に出かけると言う物だ、義為は商人なども使って積極的に三カ国以外の国、伊勢や美濃、近江などからも国人衆や土豪の庶子や次男以下達を集めていて、連日の様に仕官の希望者が城に集まる様になっている。
彼らは国もとに居ても嫡男以外は普段は無駄飯喰いとして冷遇され、戦の時は矢避けとして真っ先に駆り出される、そんな待遇なので斯波の若殿の城では実力次第で、足軽から馬廻り衆に取り立てられると言う評判を聞けは故郷を捨てて勝幡城の門を叩くのも当然だった。
実際に今は10人に増えた四人張の強弓を持つ家人の内、6人は足軽上がりだ。
義為は普段の所領の実務は元織田家で文官として勤めていた者達から能力重視で再雇用しているので、彼らが効率的にやってくれている。なので訓練以外は時間が有る。
今日も暇そうにしていたら副将の定季が来て、弓の訓練を兼ねて鴨狩に行かないかと誘って来たので新参の弓足軽達を50名程連れて、津島の湊から船で「天王川」を渡った対岸で、鴨狩をする事にした。
鴨に限らず鳥を弓で射るにはそれなりの技術が必要で、これはそのまま戦場で動いている敵を射る技術に応用できる、もちろん鳥を相手に強弓では威力があり過ぎるので、普通の弓を持って行く。
この辺りは河川の氾濫が多発する為に、尾張と伊勢の国境が入り組んでいて当時は明確な国境が無い。
持ってきた矢もそろそろ尽きた頃
「豊猟ですね」
と定李が言う
「そうだな、しかし体が冷えたな、そろそろ引き上げるか」
「あ、義為様、確かこの近くに寺がありますよ、そこで湯殿を借りましょうか?」
「おう、それは良いな、早速行こう」
この時代寺社には湯殿(蒸気浴)が有り、神官や僧侶達は毎日身を清めていた。
清洲城や勝幡城にも同じ施設が有るが、やはり寺社に有る物の方が立派だった。
こうして一行は『願証寺』に向かう。
「義為様あれが願証寺です」
と定李は言うが、山門の両側には櫓を備え、水堀と土塁に囲まれたその寺は義為の目には『城』にしか見えない。門番もどう見ても僧侶では無く武士に見える。
「止まれ、何者か?」
と門番に誰何されると、定李は
「熱田の千秋定李、寺主実恵殿にお取次を」
と騎乗のまま、にこやかに答えた。
やがて、山門が開けられてまだ若い僧形の男性が出てきて、定李に手を合わせて挨拶をする
「これは千秋殿、突然のお越しとは、はて?そちらはどなたですか?」
と義為を見て言った。
「実恵殿、こちらは我が主人尾張守護斯波義達様が御嫡男義為様であらせられる」
と紹介されたので、義為も
「寺主殿、初めてお目にかかる斯波義為です」
と頭を下げる。
ハルトの経験でも義為の経験でも坊主や神官には丁重に接するのが良いと学んでいるからだ。
「これは武門の誉れ高い斯波の若殿でしたか、良くおいでくださいました、こちらへどうぞ」
と案内をしようとする
義為は定李に
「待て定李、家人達は獲物の鴨を持ったままだぞ、これはいかんのでは無いか?」
と言うと、実恵が笑いながら
「斯波様は臨済宗でございましたな、あちらは不殺生の戒がありますが、私どもにはその様な戒律がありません、そのままどうぞお入りください」
と言う事だった。
確かに斯波家は足利家以来伝統的に禅宗の一派である臨済宗に帰依しているし、ハルトの実家も同じ禅宗の曹洞宗だ、だから禅宗の習慣については多少の理解があった。
「斯波の若様、こちらでお待ちください、お茶をお持ちいたします」
と本堂脇の部屋に通された。
「(へぇ、全面畳張の部屋か)」
と義為は関心した、畳はまだ高価なので、父の清州の城でも、父と来客用の数枚しかないし、それは勝幡城でも同じだった。
「そうか、そろそろ全面畳の部屋を作っても良いかもな」
と思っていると、実恵と若い僧侶が部屋に入り、義為と定李の前に茶碗が置かれた。
「これは『珠光茶碗』ですか、良い物ですね」
と義為が言うと、実恵と定李の二人が驚いた顔をした。
ハルトの祖父と父が教えている、小笠原流弓馬術礼法には室町礼法や初歩の茶道も課題に入っている、それにハルトは歴史オタクとして茶器の知識があった。
「結構なお手なみで」
と、小笠原流茶道の作法で茶を飲むと、実恵に一礼をした。
実恵は軽く咳払いをした後で
「時に斯波の若様、此度は何用で当山までお越し戴いたのでしょうか?」
と聞く
「実は狩をしていて体が冷えたので、湯殿を拝借しようと思いまして、定李がこの寺の事を覚えていた様なのでお邪魔したしました」
と答えると、実恵は楽しそうに笑ってから
「失礼いたしました、斯波の若様直々にと言う事で矢銭の徴収に来られたのかと身構えておりましたが、
湯殿の所望とは、どうぞどうぞ、ご案内いたします」
と笑顔で言った。
湯殿は僧侶数人が一度に入浴……といっても湯に浸かるので無く蒸気浴だが……できる広さで、
湯帷子や手拭いの用意もあった。
この時代の入浴は、湯帷子を着て褌を絞めたままで入るのが作法で、義為と定李は一緒に入り湯殿の床几に腰をかけた。
「寺主殿と親しい様だが?」
と聞くと
「津島の大橋殿の屋敷で茶会に呼ばれまして、そこで実恵殿と知り合ったのです、しかし義為様が茶を嗜むとは存じませんでした、先ほども見事な作法恐れ入ってございます」
「茶は、父上も亡きお祖父様や爺も好きだったからな」
と言う事で誤魔化しておく
「それにしても矢銭の徴収とはな、私も安く見られた物だな」
「それについては良く実恵殿に申し聞かせましょう」
湯殿から上がると新しい小袖と袴が用意されて小坊主が待ち構えていたので、それに着替える。
そして小坊主に案内されて本堂に通された。
ハルトは自然に本堂に入口で手を合わせて黙礼をすると、本尊の前でまた黙礼してから
用意された茵に胡座をかいて座った。
「(これはまた見事な『阿弥陀如来』だ)」
国宝級の仏像だなとハルトは思いながら、座って見ていると実恵の読経が始まった。
「(良い声のお経だな)」
と聞き惚れている、当然意味はわからないし、最後の『南無阿弥陀仏』しか聞き取れなかったが
読経が終わると、実恵がこちらを向いて礼をするので、ハルトも同じ様にする、神職の定李も同じだ
「寺主殿は良い声をしておいでですね、心が洗われた気がします」
これはハルトの本心だ。
「なんの、声を言うなら定李殿の祝詞も見事な物でございますよ」
と実恵が言うので
「そう言えば定李の祝詞は一度も聞いた事が無いなぁ」
「では、阿弥陀如来様の御前ですので、祓詞を」
と定李が祝詞を唱える
「(うん、本当だこちらも良い声だ)」
と思ったが、それだけでは無く、本堂全体の空気が清らかになった気がした、それは実恵も感じた様で
「見事ですなぁ、まさに言葉に神が宿っておいでだ」
と褒めている、どうもこの実恵はハルトが知る、現代の坊さん達とは違う様だ。
その後は三人でちょっとした世間話になった。
実恵は世俗の事情にも詳しい様で、駿河の今川氏の現状を話してくれた。
先の戦での大敗がよほど応えたのか今川氏親は駿府の館に閉じこもってしまったらしい。
そして、思い出したように
「そう言えば相模の伊勢盛時様、矢傷の為に伏せっておいででしたが、先頃お亡くなりになったそうですね、何でも7寸5分も有る鏃に左の肩を射抜かれたとか」
「寺主殿、それは真ですか?」
義為は定李と目を合わせた。
「相模の門徒からの文ですから間違いは無いでしょう、盛時様は我らの宗門を敵視していましたので」
と言う事らしい。
「実恵殿、その7寸5分の鏃は義為様の矢で間違い無いですね」
「なんと、そうでしたか鎮西八郎様の生まれ変わりと言う噂は事実なのですね」
義為は少し考えて、
「寺主殿、申し訳無いが、伊勢盛時殿の供養に読経をお願いできないだろうか?」
「義為様、それは」
と定李が止めようとしたが、実恵は
「構いませんよ」
と『正信偈』と言う経(正式には違う)を読んでくれた、ただ、後で聞くとこの寺では『供養』と言う物は無く、例え悪人でも亡くなった人は極楽浄土に行くと言う考えなのだそうだ
「義為様、例え敵であっても亡くなった方を敬う事は大事でございますから」
と言われて、ハルトは
「(この人は本物の宗教家なんだ)」
と納得した、実恵の方も義為に好意を持った様で、この後、月に二度くらいで、義為は定李とこの寺に通う様になる、教養が有り柔軟な考え方をする実恵と定李の三人で会話をする事が楽しかったからだ。
こうして実恵は定李に続いて義為の二人目の友となった。
義為が実恵と懇意になった事で、尾張の国人で織田氏とは敵対関係に有った、津島の南『河の内』の服部党も義為の麾下に加わり、当主の次男、服部友成が馬廻り衆として従う事になる。
この寺が現代では『伊勢長島本願寺』と呼ばれる一向一揆で有名な寺だとハルトが気が付くのは少し先の事になる。
しばらく平和な時を過ごしていた義為だったが、ある日父に呼ばれて清洲城に登城した。
清洲城は改修工事の最中で、二の丸、三の丸が造成されていて、空堀は水堀になり、土塁は石垣になって、尾張の本城らしい姿になりつつ有った、父の御殿も、対面の間は畳張りとなり、美しい襖絵に彩られるようになっている。
そんな対面の間で、父は
「義為、其方に嫁を迎える事に決まったぞ」
と当然言い出した。
「は?父上、今何と?」
「だから嫁を迎えると言っているのじゃ」
「え?その、突然の事なので、そのどこの姫を?」
とハルトは狼狽えた、まだ19歳になったばかりで、嫁を貰うなど考えてはいなかったからだ。
「美濃の守護土岐政房殿の御息女、二の姫殿じゃ、大層な器量良しと聞いておるぞ」
と言う事だが、現代でも見合いの釣書が詐欺まがいなのは常識だ、二の姫と言うのは次女と言う事位しか
わからない相手だと言う事だろう。
「土岐殿は我らと同じ源氏、悪い話ではなかろう」
と父は言うが、系図を遡って十代以上遡らないと同じ先祖に辿り着けないのだから、同じ源氏といっても、他人の様な物では無いかと義為は思ったが口には出さないでいた。
いずれにしろ父が決めた以上、断る事はできないのだから。
そして、数ヶ月後に、美濃から二の姫が清州へ輿入れをして来た、『武三献』の儀式を行い、義為はその時初めて二の姫と対面した。
「(子供じゃ無いか!)」
と驚く、白無垢姿の二の姫はどう見ても、10歳程度にしか見えない、ただ現代の基準で言っても整った顔立ちなのは確かだろう。
それでもとにかく婚姻の儀式は無事に行われて、これ以降『美濃殿』と呼ばれる様になる二の姫は、義為と一緒に勝幡城に入る。
この婚姻を一番喜んだのはこの頃病病に伏せっていた祖父斯波義寛だったが、祖父はこの後しばらくして息を引き取る、法号は『正観院殿道仙竺渓』と称し熱田円通寺に葬られた。
そんな義為だが
「子供を嫁にしてどうしろと言うんだ」
と知恵者の定李に聞くと、
「うーん、貝合わせをする位しか思い浮かびませんな、私も童の頃は妹と遊んだ覚えがありますが」
とそっけなく言われて、頭を抱えた。
無視するわけにもいかないので、城内の館に新築した別棟に有る『美濃殿』の部屋に向かうと琴の良い音が聞こえて来た
「姫、入るぞ」
と声をかけて襖を開けると、演奏しているのは『美濃殿』だ。
義為を見て、演奏を止めて、お辞儀をする姫に
「そのまま続けてくれないかな」
と言って、姫の正面に座り、琴……和琴と言うらしい……の奏でる音楽を聴いた。
「(雅楽みたいだな、良い音色だ)」
と思いながらしばらく聴いていると、曲が終わった。
「姫、これは何と言う?」
と聞くと、『美濃殿』は顔を伏せたまま、消え入りそうな声で
「『薦枕』(こもまくら)にございます」
と答えた、どうやら義為の事が怖い様だ。
「姫、私が怖いですか?」
と聞くと、初めて義為の顔を見てから
「いえ」
と、また消え入りそうな声で答える。
姫の後には美濃から、輿入れについて来た女中が二人座ってやはり俯いている。
「良き音色でした、また来ますので、聞かせてください」
義為はそう言って、席を立った、何故だか悪い事をしている様な気分になる。
だが何日か通って和琴の演奏を聴いている内に、姫も少しずつ打ち解けて一言三言だが会話をする様になってきた。
数日後、和琴にも少し飽きた義為は
「定李、貝合わせのやり方を教えてくれ」
と頼んで見ると
「もうお覚えていません、そうだ熱田の館に居る妹に頼んでみましょうか?」
と言う事で、定李の案内で千秋季平の館に行き、定李の妹、『かな』に貝合わせを教わる事になった
義為が美濃殿の為に覚えると言うと、かなは
「まぁ、お優しいのですね」
と少し顔を赤めて言う、かなは14、5歳位に見える、定李によく似た綺麗な娘だった。
それから、数日おきに、昼過ぎから季平の館で過ごす様になった。
貝合わせを教わると言う口実もあるが、美しい「かな」と過ごすのが、まだ子供の「美濃殿」と過ごすより楽しかったからでもある。何しろ、これまでハルトはガールフレンドも居なかったのだから。
ある日、宴席が設けられて義為はかなの酌で酒をかなり飲んでしまった。そして、かなと同衾してしまったのだった。
これに歓喜したのは館の主人千秋季平だ、季平からすると、次男定李は義為の家老的な立場になっている、ここで娘を側室に差し出す事で、今や三カ国の守護となった斯波家の次期当主と更に関係を深める事ができるのだ、しかも娘は、秋の奉納での義為による奉納弓の儀式を見てから、義為に惚れている様なのでこれは娘の為でもある、と言う言い訳にもなる。そんな訳でハルトは無事童貞を卒業して、五日ごとに季平の館に通う様になった。
ハルトはこの事による罪悪感……この時代は側室が居るのは当然で罪悪感を抱く方がおかしいのだが、義為の中身は現代の19歳の少年なのだ……もあってから、これまで以上に美濃殿と一緒の時間を過ごす事にした、貝合わせで遊んだり……これは本当に難しく、姫どころか女中達にも一回も勝てない……、羽子板の様な物で遊んだりしている内に、姫も打ち解けて普通に話せる様になった。
ただ、当然ながら夜の関係はまだ無い、それは姫が大人(初潮を迎える)になってからと言うのがこの時代のルールらしい。
平和な一時を過ごしていた義為だったが、その生活は突然終わりを告げた、隣国美濃では守護の土岐氏が守護代の斉藤氏と長年に渡って争っている、ただ今回はそれに土岐家の家督争いが加わってしまった、
土岐政房は嫡男である頼武を差し置いて次男頼芸を跡取りとしようとして、小守護代長井長弘がこれを支持したが、頼武には守護代斎藤利良が味方して美濃を二分する争いが起こった。
劣勢に立たされた、政房が姻戚関係になった尾張の斯波義達に援軍を要請したのだった。
父の命を受けて、義為は配下の朱雀隊3000名を率いて、美濃に出陣する事になった。
出陣前に、義為は定李と共に挨拶を兼ねて願証寺の実恵を訪ねた
いつもの様に茶を飲み、読経を聴いてから美濃に出陣する事になったと話すと実恵は
「そうですか、美濃ですか御仏のご加護が有ります様に」
と言ってから、席を外して幟を持って来て義為の前に広げた。
黒字に金糸で「南無阿弥陀仏」と書かれた幟と、これより少し小さめで白地にこれも金糸で南無不可思議光如来と帰命尽十方無碍光如来と書かれた名号幟の三旒だ。
「私も義為様に同行したいのですが、そうも行きませぬ、せめてこの幟をお持ちください」
と言うことで、義達は
「これはいかにも御仏の御加護がありそうですね、ありがたく使わせていただきます」
と言って幟を受け取った。
「しかし、これに朱雀隊の孫子四如の旗と合わせると、文字ばかりの旗になりますね」
と定李は笑っている。
「そうだなぁ、何か目立つでも持って行くか、そう言えば前の戦いの時は今川と良く似た旗指物だったから紛らわしかったな」
と義達は考えて自分の印を決めた。
「(徳川家康が使っていたと言う大金扇にしよう)」
勝幡城に戻ると、早速職人を呼び、七尺の巨大な金扇の中央に斯波家の家紋である「足利二つ引」を印した物を作らせた、これに合わせて実恵から貰った幟三旒を、自分の旗としたのだった。
今回はほぼ全軍で出陣するので、兵糧などの準備も怠らない。
そして、侍大将として、槍隊を率いるのは、千秋定李の兄『千秋季光』だ、季光は千秋家の嫡男だったので、前回の今川との戦には参陣していない、だが今や千秋家は義為に家の将来を『全振り』した状況なので、弟に続いて義為の家人となったのだ。
そして、弟と同様に知識と教養があり、槍の腕も確かな事から赤備えの具足を与えられて侍大将に抜擢されたのだった。
「(どうも、この二人は僕より赤備えが似合うな)」
出陣の準備をしている、定李と季光の兄弟を見ている、いかにも優男風な定李、良家の若様と言う表現が合う季光、こちらは源氏の若殿と言う表現が義介よりずっと似合うと思う、何しろハルトは『ゴリマ』だったのだから。
そう思って居ると、服部友成に声をかけられた。
「若殿、どうかされましたか?」
「いや何、千秋の兄弟を見ていると、赤備えが映えると思ってな」
「そうでしたか、この具足良い物ですが派手過ぎて、私も些か面映いですな」
と笑っているが、この友成も目付きは鋭い物の、現代の関西で言うシュッとした良い男だ、ただ
「しかし、若様も良くお似合いですよ、お若いのに既に大将の風格がお有りです」
と褒めてくれた、どうやら人を煽てるのも上手いらしい。
朱雀隊は、副将で弓隊を指揮する千秋定李、槍隊の千秋季光、馬廻り衆として足軽隊を指揮する柴田勝達、佐久間盛通、平手経英、丹羽長政、服部友成の七人が侍大将として合わせて3000の兵を率いる事になる。
出陣の日の早朝、義達は美濃殿の部屋で、和琴の調を聞き心を落ち着かせた。
この時代の常識では出陣前に女性に近づくのはNGなのだが、姫はまだ子供と言う事で、義為は勝手にルールを変えている。
「姫、我らはお父上土岐政房の要請で、美濃に援軍に出陣いたします、心安らかにお過ごしくださる様に」
と言うと、姫は初めて義達にしがみつく様にして、
「御武運をお祈り申し上げます」
と言うと、目に涙を浮かべている。
「可愛いじゃないか」
とハルトは姫を一度抱き寄せてから、
「では、姫」
とだけ言って、部屋を出た。
勝幡城を出て清州の城で父に挨拶をして、それから美濃の稲葉山城を目指す。
配下の美濃の国人衆や土豪出身の者達を先行させて、今回の出兵目的を説明させて、義為の軍に敵対しなければ、こちらからは攻撃をしないと言う事を触れさせた、国人衆も義為の家人となった息子達の言い分なら少しは聞けるだろうとの予測だった、更にもし国人衆を味方に引き込める事ができれば戦は楽になる。
尾張と美濃の国境『河野島』で最初の戦闘が有った、敵は木曽川の対岸に陣を構えこちらを待ち構えていた。
「旗印は斉藤、守護代斎藤利良は出陣して居ない様ですね」
と千秋定李が言う。
「さて、どうする?ここで陣を張るか、川を渡るか」
義為がそう言うと、定李は、
「敵陣まで凡そ30間ですね、と言って微笑んだ」
この距離は敵は狙いの定まらない放物線状の矢しか射る事ができないが、こちらの強弓は敵を狙えるのだ。
「敵の数、2000と言う所か、敵は地の利が有りこちらが渡河中に一斉射と言う所だな」
「はい、定石通りかと」
「よし、友成、幟を掲げよ、定李、強弓隊を前へ」
赤備えの具足を身に着けて、四人張の強弓を持った十人の弓兵が一歩前に出る、そして義為の後方に控えていた服部友成が郎党に指示をして、巨大な金扇の印と三旒の幟を掲げた。
「定李」
と義為が声をかけようとすると、定李が
「義為様、敵の様子が変です、兵の1/3程が後方に引いて行きます」
敵陣では何か怒号が飛び交い、混乱している様子だ
「なんだ、後方に味方でも居るのか?、構わん定李」
「は、強弓隊、放て」
混乱した敵陣に、強弓隊の矢が吸い込まれる様に射られて、敵の侍大将らしき物が倒れるのが見える。
義為は日頃から強弓隊には敵の将を狙えと教え込んであるからだ、義為も自分の弓に矢を番えて、敵の中央で、何やら怒鳴りまくっている男を狙った。
義為の矢は他の矢と違う音で飛び、その男の甲冑の胴を貫いた。
「季光」
「は、槍隊前進」
と浮き足立っている敵に向かって、季光は先陣を切る、義為も獲物を最近になって使い始めた穂二尺五寸、全長10尺余りの朱槍に持ち替えて
「前進!」
と声を掛けて川に馬を乗り入れた。
その後を柴田勝達ら馬廻り衆が続く、定李の弓隊は今度は、味方に当たらない様に、放物線の矢筋に切り替えて、全員で敵の陣に斉射を続ける。
先陣の季光達が、敵陣に雪崩れ込んだ所で、敵は総崩れになり、武器や鎧を捨てて後方に逃げていく
「なんだ他愛も無い」
と勝利したのに季光は不満そうだ。
「兄上、鎧袖一触とはまさにこの事ですね」
と遅れて川を渡ってきた、定李は余裕の表情だ」
「幸先良い戦いだった、千秋季光、勝鬨をあげよ」
と義為が指示をして、季光が槍を手に、
「えい、えい、おう!」
と声をあげて、全軍でこれに応じた、義為は大将なので、作法通りに右手に栗、左手に扇を持って掲げている。
そして配下の足軽の中のこの辺りに詳しい者に、近隣の里長を連れて来させ褒美を与えて、戦場の後始末を依頼した、全員が軍装を整えてまた稲葉城を目指して進軍する。
「若殿、この先に兵500、皆武器を置き、跪いております」
と物見の兵から報告がある」
「柴田勝達、見て参れ」
と指示をすると、勝達が自分の指揮する足軽隊を率いて、前方に駆けて行った。
敵の詭兵かもしれないので、用心の為だ、だがしばらくすると、指揮官らしい甲冑姿の数名を連れても戻ってきた。
「若殿、この者共は美濃の国人衆で、若殿にお目どおりをと申しております」
義為は馬から降りて、床几に腰を下ろすと、平伏をしている国人衆に声をかけた
「尾張守護斯波義達が嫡男義為である、表をあげよ」
この名乗り、定李からは
「官位も名乗ってください」
と言われているのだが、面倒なのでいつも省略している、ちなみにこの時は斯波家の嫡男として『正五位下右馬頭』を授かっている、つまり公式には「右馬頭様」と呼ばれるのが正しいのだが、定李は義為様、他の者は『若殿』と呼ぶのが普通になっている。
「斯波の若殿、お目通りが叶い、恐悦至極に存じます……」
と、この国人衆の当主らしき男は挨拶を続けようとしたが、義為はそれを遮った
「挨拶は良い、要件を申せ」
「はは、北方城城主、伊賀太郎衛門光就と申します、我ら宗門の門徒衆、御仏の御旗に弓を引く事はできませぬ、若殿の陣の端をお借りで出来ればとお待ちしておりました」
「そうか、その方ら先程、斎藤の陣を抜けた者共だな、我が陣に加わる事を許すが、一つ聞いて良いか」
「は、なんなりと」
「その方達の様な宗門の国人衆は他にも居るのか?」
「はい、おりまする」
「ではその者達にも告げよ、我らに弓を引かないのならそれで良い、里に引き篭もっておれ、我らに合力するなら、働きに応じて褒美を取らすとな」
「はは」
と伊賀光就達は平伏をした。
「大義、服部友成この者達、其方に預ける」
と参陣を許した事で、この後美濃の国人門徒衆やその他の国人衆も、次々と参陣をして稲葉山城に近づく頃には兵力は5000を超えていた。
翌日、義為は、稲葉山城の本丸御殿の対面の間で、舅で有る土岐政房と面談した。
同席したのは、政房の次男土岐頼芸、小守護長井長弘と家老格の牛屋城主の氏家行隆だ。
「舅殿には初めてお目にかかります、尾張守護斯波義達が嫡男右馬頭義為にございます」
と義為は軍装のままで挨拶をした、こちらは同席するのは副将の千秋定李だけだ。
稲葉山城は山城で、山麓の本丸や二の丸は以前の清洲城と同じ様に、土塁と空堀に囲まれている。
この対面の間も板敷で、畳は城主の土岐政房と、主客である義為の席のみに敷いて有る。
「婿殿、援軍を感謝いたす姫は息災か?」
と聞かれたので、毎日和琴を爪弾いたり貝合わせをしたりして過ごしていますと答えると、政房は安心した様だ。
「して、舅殿、戦の塩梅はいかに?」
と肝心の話をすると、側に控えていた長井長弘が話を始めた。
「(なるほど、舅殿は戦は苦手な様だ)」
と義為は思い、必要な事を聞いた
美濃を二分しているとはいえ、守護代斉藤氏に加勢するのは国人衆の六割ほど、こちらは三割に満たないと言う危機的な状況だと言う。
なので、義為はまずは守護代斎藤利良の居城『沓井城』を攻める事を提案した。
長井長弘と氏家行隆の二人も納得したので、早速明朝に出陣する事になる。
自分の城から出陣する時は適当なのだが、流石に舅の城なので、古式に乗っ取り出陣の儀式をしてからに
なる。
「(こういう面倒なの好きじゃ無い)」
と義為の中のハルトが呟く。
攻撃目標『沓井城』までは、一里半しか離れていない、そしてこの城の直ぐ南東は、美濃の守護所があり土岐頼武が居る『川手城』になる、つまりこの二城はほぼ隣接して建てられているのだ、美濃は本来はこちらが本城で城下町も広く賑わっている、つまり、舅は美濃の実権を既に殆ど失っており、稲葉山城に籠っていると言う状態だと言う事だ。
「これは中々大変だなぁ」
と義為は定李に言うと
「まずは一戦して敵の様子を見ましょう、先日の前哨戦は敵が弱すぎましたからね」
と言う事で、翌朝、長井長弘と氏家行隆の軍2000を加えた7000で稲葉城を出陣した。
「敵は城に籠るかな?」
「いや、野戦でしょう野戦でこちらを叩けば、それで戦は終わりですから」
と定李は言う、義為も同じ考えだ。
物見の兵を出すと、すぐに敵の陣が発見された、城の前に陣を張っている
「城と言うよりは館だな、敵は『壁の陣』だな」
「そうですね、どう攻めますか?」
「こちらの方が兵力が多い、左翼を長井長弘殿、氏家行隆殿、右翼は服部友成と美濃衆、中央はいつもの通りだな」
「鶴翼鋒矢の陣ですね、しかしそろそろ義為様は後方で督戦されてはいかがですか?」
「そうだな、父上位の歳になったらそうさせて貰おうか」
と笑い合って、行軍しながらも布陣が進んで行く。
陣形と言っても綺麗に部隊が並ぶのでは無く、大体この辺りから敵のその辺を攻撃してくれ程度なのだが、それでも何も指示しないよりはずっと効果が有るのだ。
先に戦闘の口火を切ったのは左翼側の敵で、長井、氏家隊に猛攻を加えている、だがこちらの右翼が敵に攻撃を開始すると、敵は乱れ初めて中央の義為の部隊が攻撃を始めた頃にはもう、後方に下がり城に逃げ込む兵が相次いでいる、しかも城の城門を閉める気配が無い。
「これは罠だな、おそらく城の後方に敵が居る、こちらが敵を追って城に入った所で火攻めにでもするつもりだろう」
そう思った、義為は愛用の弓に鏑矢をつがえると空に向かって放った。
義為の鏑矢は特大の音量がするので、戦場全体に響きわたる、次いで二本目の鏑矢も放つ、これに合わせて、大幟が左右に振られる。これは攻撃中止と後退の合図だが、左翼の長井、氏家隊や、右翼の美濃衆には伝わらない、だが右翼は服部友成隊が居るので直ぐに攻撃を中止して一時後退をした。
「千秋季光、槍隊を率いて左翼から城の後方に回れ、恐らく敵の本隊はそこだ、後の者は続け」
と義為は右回りに城を迂回して、右翼の服部友成隊と美濃衆を吸収しながら進む。
城の裏手に出ると、予想通り敵が先行した季光隊と交戦状態だ、そこに後から義為の本隊が雪崩こむ
あっと言う間に混戦になるが、兵の数と練度が違う、敵はそのまま粉砕されて、散り散りになり、更に後方の『川手城』に向かって撤退して行く。
まだ日は高いが、こちらは無理をする必要はない
「今日はここまでだな、定李あの沓井城使えると思うか?」
「私なら井戸に毒を撒いて、館の床下には油壺でも置いておきますね」
と言う事なので、遠慮なく『沓井城』には火を掛ける事にした。
いつもの様に戦勝の儀式として勝鬨を上げて、今日はこの辺りに陣幕を張り野営をする事となる。
「定李」
「物見の兵なら、長井殿に頼んで出してますよ」
と言う返事が返って来た
「気が利くな、氏家殿に稲葉山の舅殿に報告とついでに酒でも貰って来る様に言ってくれ」
と言ってから、具足を外して、陣幕の奥にゴザを引いて横になり
「飯ができたら起こしてくれ」
と目を閉じる。
優秀な幕僚達が居るので、義為が少し位サボっていても大丈夫だろう。
稲葉山城からは近いので、夕刻までには、握り飯と酒が届いた。
「(いつも、こんな戦なら楽で良いなぁ)」
と義為は、行軍が大変だった今川との戦いを思い出している。
稲葉山と清州は近いので、何もなければ馬なら半日の距離だ、急げはもっと早く着ける。
だが、街道筋には当然国人衆の領地が点在しているので、それが全て味方だった場合の話になるが。
今回の様に、それぞれの里の入り口で一旦停止して、村長と話をしてを繰り返せば軽く二日は掛かってしまう。
「義為様、長井殿からの報告では、城は静かで城下も人一人歩いていないそうです、籠城でもするのでしょうか」
「今頃、抗戦か降伏かを評定している所かもなぁ、そうだ明日の朝、長井殿に降伏勧告の使者に立って貰おうか、土岐頼武殿を討てば美濃殿が悲しむだろうからな」
と甘い事を言う義為だ、何しろこの時代は親子兄弟、親戚で争うのが普通なのだから。
だが翌朝、降伏勧告の使者として『川手城』に向かった長井長弘は狐に摘まれた様な顔で戻ってきた。
「何、城がもぬけの殻?」
「はい、小者や女中等は残されていたのですが、土岐頼武様、斎藤利良殿のお姿は無く郎党共も消えておりまして、昨夜の内に城を捨てて逃げ出したのではと」
「逃げると言っても何処へ?」
「西には氏家行隆の牛屋城がございますから西では無いかと」
「南は尾張、北、東は我らの目がありますからな、恐らくは西に向かいそれから北に向かったのではと推察されます」
と言う事で、美濃の地理に詳しく無い義為は以後の捜索を長井長弘以下の美濃衆に任せて、帰国する事にした、とりあえず援軍としての使命は達成したと判断したからだ、今回の敗戦で守護代斉藤氏の権威は失墜したわけだし、後は舅殿と義兄土岐頼芸に任せれば良いだろう、父義達と舅殿が約束した報酬さえ届けばそれで問題は無いのだ。
そんな訳で、美濃遠征はそれなりの成果を上げ父の面目を大いに立てたて、例によって国人衆達の庶子や次男以下を家人に加えて凱旋帰国をする事になった。