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第二十一章 艦隊決戦

第二十一章 艦隊決戦


 天文十三年 1544年夏、フェリペ王子率いる25隻のイスパニア艦隊がモンスーンに乗ってインド洋に姿を現す。

 哨戒任務に充たっていた明国の快速ジャンク船が直ぐに、シンガプーラに寄港して報告をすると、それを受けて、日本海軍と明国海軍の連合艦隊が迎撃の為に出撃をした。

 日本艦隊は更に陣容が充実して、1500トン大和級が6隻、1000トン長門級が18、750トン越前級4

の28隻体制となっている、500トン級の艦は各鎮台で沿岸防衛の任に当たっている。

 これに明国胡宗憲将軍の艦隊30隻が加わった合計58隻の迎撃艦隊になる。


 イスパニア海軍の旗艦は、1000トン級の『サン・カルロス』号、大砲48門を有し、国王の名前を冠したこの船は当時のイスパニアの最高の船だった。

 イスパニア海軍の戦法は、砲撃をしながら敵艦に接近して接舷し水兵が斬り込む接舷戦闘の移乗攻撃を

取っている、この為に搭載している大砲は口径は大きいが射程は短かった。

 これに対して日本海軍は、初期の越前級までは同じ戦法を取り入れていたが、倭寇や海賊、イスパニアの軍船との交戦経験から、長距離射程の大筒を搭載して、円弧形縦陣に敵を誘い込み、砲撃で敵を殲滅する戦法に変化している、長門級以降の艦は、正史で17世紀以降にヨーロッパで発展した『戦列艦』を先取りした艦の形体になっている。

 

 夜明けと共に、敵艦隊を目視した日本海軍は、あえて風下に二列千鳥の円弧形縦陣を引いて敵を待ち受ける。

「敵を充分引きつけてから撃て、ポルトガルからの情報が正しければ敵の射程は我らの半分だ」

と連合艦隊司令義輔が指示を出す。

 一方のイスパニア艦隊では

「風下に布陣するとは、艦隊戦の常識も知らん東洋の猿共に、戦の仕方を教えてやる」

とフェリペ王子が旗艦『サン・カルロス』号の船首砲に砲撃用意をさせる。

 風上から相手に接近しながら船首砲を撃ち、左右に回頭して、舷側の砲をで敵艦に打撃を与えた後に接舷して斬り込むいつもの戦法で攻撃を開始した。

 だが、サン・カルロス号とイスパニア艦隊の艦首砲の射程に届く前から、日本艦隊の大筒は艦隊に着弾してくる。

「なんだ、風下にいる敵の弾がこちらに届く?」

フェリペ王子は日本艦隊の大筒の射程を全く考慮していなかった、サン・カルロス号と同等かそれ以下だろうと勝手に思っていたのだった。

 千鳥円弧に展開した28隻の日本艦隊、合計1320門の大筒の一斉射撃により、旗艦サン・カルロス号

以下の艦隊は、マストを折られ、舷側に穴が空いて、完全に脚が止まってしまう。

「何だと、こんな馬鹿な……」

左に大きく傾き、沈み始めた旗艦サン・カルロス号の船尾楼指揮所でフェリペ王子は天を仰いだ。

「王子、退艦してください、短艇の準備はできています、早く!」

艦長の叫びも虚しく、一斉射撃第二射の砲弾がサン・カルロス号の船尾楼は直撃、王子は海に投げ出された。そして脚が止まったイスパニア艦隊に、風上にいた明国の快速船が接舷して、艦に乗り込み、数で勝る明国兵が敵を圧倒していく、これに応じて、小回りの効く越前級4隻も残存の敵艦に接舷、鉄砲隊の一斉射撃の後、抜刀隊が敵艦に乗り込む。

 開戦からわずか半日で、イスパニア艦隊は旗艦サン・カルロス号以下21隻が沈没、4隻が拿捕されると言う、日本側の損害は第二艦隊所属の能登が接舷時に砲撃を受けて大破したのと明国艦隊の2隻が同様に大破した以外は大勝利で幕を閉じる、この海戦は後に『インド洋海戦』と呼ばれ、海軍史に残る出来事となった。

 海に落ちたフェリペ王子は行方不明となり、拿捕されたイスパニア海軍の将兵達は、シンガプーラで

艦長と士官達は斬首、水夫と兵達は解放されてポルトガル商船によりインドのゴアへ送られた。


 この戦いの後イスパニアは、アジア進出を完全に諦めて、南北アメリカ大陸の植民地化に邁進して行く事になる、一方でとりあえず平和協調路線を選んだポルトガルは、アジアの貿易を独占して、香辛料を中心に富を蓄えて行く事になる。その結果正史とは違い、イスパニアとポルトガルの地位が逆転しただけでは無く、フェリペ王子の死亡により、1580年のイスパニアによるポルトガル併合が無くなっただけでは無く、正史では1568年に始まり1648まで続いたネーデルランド(オランダ)の独立戦争が大幅に早まり、この世界ではオランダは1554イスパニアから独立する事になる、更に1571年のオスマン帝国との『レパントの海戦』ではイスパニアでは無く、ポルトガル海軍が主力を務める事になる等、様々な事で歴史が変わっていく。

 ヨーロッパではアジアには飛び抜けた海軍力のある日本と言う国が有り、通商は可能だが植民地的な侵略は不可能と言う事が常識として広まり始める。

 日本の商人達は、紅海のスエズにまで進出して、ここを起点にヨーロッパ諸国との交易を行なって行く。イスラム商人達と協調関係にあるので、わざわざ希望峰を回って航海する必要が無いからだ。

 

 足利義勝は、天文二十四年 1555年に63歳で逝去する、死因は脳卒中で、晩年にヨーロッパ諸国から届いたワインを飲み過ぎたのが原因とされている。

 この頃には日本商人との競合に負けたポルトガルはマラッカとインドのゴアから撤退して、マラッカは

再びジョホール王国の手に戻る、日本の商人達は、引き続きマラッカを貿易の拠点として使用する事になる。そしてインドのゴアは、ポルトガルに変わって日本海軍の基地となるが、義勝は駐留権と引き換えにポルトガル領だった周辺都市も含めてビジャープル王国に返還している。

 琉球は国王の圧政(税率80%にも達した)に民衆が蜂起して、国王を追放、国民の総意で薩摩県に編入される事になった。


 また博多で布教を許されたフランシスコ会だったが、思う様に信者を獲得出来ずに、ポルトガルのアジア撤退に合わせて、宣教師達は全員帰国している。


 帝は義勝の死を悼んで、元号を改元、天文から弘治に変わる事になる。義勝が逝去しても、既に関白、太政大臣、二代将軍として実績を積んでいた義家の元幕府は磐石の状態だった。

 義家は帝が崩御した弘治三年に、義勝に習って得度を受け『家如』となり、大阪本願寺を居城とした、変わって関白、太政大臣、三代将軍となったのが、義家の嫡男『義光』だ。

 帝は後奈良帝の皇太子方仁親王が践祚する、これに伴い元号は永禄に改められた。

太閤、大御所となった義家は、若き頃に果たせなかった夢、異国への旅に出て、琉球、台湾、呂宋、大越国、ジョホール王国、ビジャープル王国を歴訪して、更に紅海を渡り、エジプトのスエズから地中海にわたり、ヨーロッパ諸国を歴訪している、この旅の供をしたのは、呂宋庄五郎以下の商人達で、義家は東洋の王として各国で歓迎を受けている。


 明国では胡宗憲将軍が倭寇や南蛮討伐に大戦果をあげた事で、宦官達の敵意を買い、謀反の罪で

1557年に獄中で暗殺されている。

 これ以降、明国の海軍が外洋に進出する事は無くなった。

 1617年、第四代将軍足利義仁の時、明国皇帝万暦帝の要請により幕府は満州族である『金』国との戦いに15万の兵を送り明国側で参戦、錦州城の戦いで『ヌルハチ』率いる金軍を退け更に、大凌河の東まで追い返している。

 この結果、金は北京に迫る事無く撤退して、長春を都とする『清』帝国を建国する、この後中国では明帝国と清帝国が並立する状況になり、それは後に数百年続く事になる。

 この時李氏朝鮮第16代国王仁祖は明国に朝貢して冊封を受けていたにも関わらず、金側に付いて明国を攻撃している。激怒した万暦帝により、明と日本の両軍によって攻められソウルは陥落、ここに李氏朝鮮は滅びる事となる、その後は明国による傀儡の王が建てられるが、金からも攻められ、結局明、日本、金の三カ国に朝貢と言う名の納税をする事となった、これにより国は衰え、民は飢えまさに全土が地獄図となるが、幕府は朝貢さえ送られてくれば、一才関知せずの姿勢を取り続けた。


 ヨーロッパでは、カソリックのイスパニア、ポルトガル、フランスとプロテスタントのイギリス、オランダ、ドイツ諸侯との間で激しい対立が起こり、それは新大陸と大西洋でも引き継がれて、植民地からの富を得る所では無くなり、各国とも長期に渡る消耗戦で疲弊して行く事になる。

 

 その間日本では、アジア諸国やヨーロッパとの貿易で富を蓄え、技術革新が起こり蒸気機関が発明されている……


 エピローグ


「大翔様、大丈夫でございますか?」

「(何だ、あ、そうかさっき目眩がして……え、ハルトと呼ばれた?)」

ハルトが目を覚ますと、そこは『断夫山古墳』だ、

「(なんか長い夢を見ていた様な気がする)」

と思って、立ちあがろうとすると、自分の服装が違う事に気が付く、古墳の調査のバイトに参加して土方の様な格好をしていたはずだが、和服の様な洋服の様な不思議な服を着ている。

「大翔様、暑気当たりかもしてませんね、館に戻りましょう、今お車を回します」

「(この人誰だ?なぜ様付け?オレ発掘のバイトをしていた筈だよな)」

そう思っていると、黒塗りの大型SUVがハルトの前に止まった

「これ、『センチュリー』じゃないか」

 ハルトは声に出して驚いた、愛知が誇るトヨタの最高級車センチュリーの新型はSUVタイプとなり発売されたばかりだ、ハルトの家の車は、祖父がトヨタ1800GT、父はハリアーを乗っていたはずで、こんな高級車の筈が無い。

 車に乗ると先ほどの男性が、車内の冷蔵庫から冷たい水のペットボトルを出して手渡してくれた。

見慣れた市街のはずだが、どうも色々と違和感がある。

「(あ、車が逆だ)」

そう、右側通行になっているのだった、そして車は『城』の大門を抜けて……

「(この城は勝幡城か?)」

 ハルトの中に義勝の記憶が蘇ってくる、織田信貞から奪い、その後二の丸、三の丸を拡張して、四層の天守を建てた、ハルト=義勝の最初の城だ、尾張は三河と合併して新たな尾張県となり、その後義勝の次男義輔の足利尾張公爵家の領地となり、勝幡城は義勝の弟、伯爵斯波義元に与えた事を覚えている。

 ポケットに入っていたスマホを見ると、今は2025年で間違いの無い様だ、つまりこの城は、義勝が死去した後、500年近くも存在していた事になる。二の丸には大きな道場が有り『足利流綜合兵法』の看板がかかっている。

 ただ、本丸御殿は、どうやら立て替えられた様で、三階建ての和洋折衷な建物になっていて、これはハルトの記憶には無かった。

 「若様、おかえりなさいませ」

と使用人達に出迎えれた。

「(一体何がどうなっている、俺は確か過去に飛ばされてそこで人生を全うしたはずだ、それがまたハルト

として、現代に戻ってきたのか?しかもなんか変な事になっている)」

 ハルトは気分が悪くなった振りをして、ふらついて見せると、先程車に一緒に乗っていた男性が

「暑気当たりです、早くお部屋にお連れして」

と言ったので、ハルトは使用人の肩を借りて、自分の部屋と言われる場所に案内してもらった。

ベッドで休むと言って使用人を退出させると、部屋の本棚を見る、そこに

『勝幡斯波伯爵家伝』

と言う本を見つけて、ベッドに横になって読む。

「(成程、弟だった斯波義元の子孫と言う事になるのか、オレが義勝になった事で歴史が変わった世界って事か、これは面白そうだ)」

とハルトは本を読み耽った。

 

 ハルトはこの世界の日本の事をだいたい把握して、今度は自室でネットを使って改変された世界史を調べて出した。

「(へぇ、第一次世界大戦と第二次世界大戦は起こって無いんだって、そもそもアメリカ合衆国が無いのか)」

 この世界ではどちらの世界大戦は起こっていない、代わりに新大陸大戦、ヨーロッパ大戦と言う二つの大きな戦いがあった、アジア各国はそもそもヨーロッパ諸国の植民地になっていなかったのでこの戦いには参加していない。北アメリカ大陸のロッキー山脈から西は、今は『国際連盟』の委任統治領として日本が管理している。

 すると、執事が部屋のドアをノックした。

「若様、旦那様がお呼びです、応接間までいらしてください」

「わかりました、今行きます」

「(この家無駄に広いから大変なんだよな)」

「父上、何か御用ですか?、あ、失礼いたしました」

ハルトが応接間に入ると、来客が居る様だ。

「おう、大翔君か大きくなったな」

「(えっと誰?)」

「この無作法者、ちゃんと千秋伯爵にご挨拶をせんか」

「(千秋伯爵って事は、 定李か季光の子孫か)」

「これは失礼いたしました伯爵ご無沙汰をしております」

「良い良い、斯波伯爵、今の若者はみんなこんな物ですよ」

と千秋伯爵は穏やかに笑っている、父よりは少し年上の品の良い男性だった。

「それで、お前を呼んだのは……」

 父の話によると、毎年恒例の熱田神宮秋の大祭の奉納弓射と流鏑馬に今年は勝幡斯波伯爵家を代表してハルトが出ると言う事だ、流鏑馬には清州斯波公爵家の長男も出るとの事だ。

「(清州斯波公爵家と言う事はこっちは義輔の子孫か)」

「はい、かしこまりました全力を尽くします」

 ハルトはそう言って、千秋伯爵に挨拶をして応接間を後にした。

二の丸の『足利流綜合兵法』 道場に向かった、祖父が居て門弟と何か話をしていたので、弓道場を借りると言って、中に入る、壁には、『開祖足利義勝の九人張り弓』と言う物が飾られているが、どうもこれはレプリカの様だ、ハルトはこの弓を壁から外すと、二、三回弦を引いて見た。

「なんだ、麻では無くて化繊の弦か、大丈夫そうだな」

そう思って、遠的の的に向かって矢を射てみる。

 矢は良い音をして的の真ん中を貫き後の壁に突き刺さった。

「(こっちの世界でも弓は普通に使えるな)」

ハルトは、この後10射ほどして、道場を出て馬場に向かった、今度は流鏑馬の練習をしようと思ったからだ、こちらも全然問題無く馬に乗って騎射をする事ができる。


 それから秋まで何度が練習をして、流鏑馬大会に出場し、清州斯波公爵家や岐阜斯波公爵家の親戚達と

の争いに勝ち上級者クラスで優勝する事ができた。

 そして、熱田神宮秋の大祭の奉納弓射も無事終わった。

「(懐かしいな、これをやった時は斯波義介と名乗っていたんだっけ)」

と思っていると、会場が賑やかになる。

「では、これより恒例の初代将軍足利義勝公の愛用の九人張りの弓を引く勇者を募集いたします、

ちなみに前回この弓を引く事が出来たのはおよそ100年以上前、足利宗家の先々代ご当主の若かりし頃となります」

と言う事だ。

 ハルトは神事の衣装のままで当然手を挙げる。

他の足利家の親戚達と目が合うと両手を軽く上げ、肩をすくめる仕草をされた。

「無理だろう、やめとけよ」

と言っている様に思える。


 「では五人目の挑戦者です、先程は見事な弓の腕を披露していただきました、勝幡斯波伯爵家の御嫡男足利大翔殿です」

 観客からは一応声援が送られる。

弓と矢を手渡してくれたのは巫女姿の可愛らしい十代の女性だった、ちょっと面影が愛妾だった熱田の方こと『かな』に似ている。

 「(へぇ、これもレプリカか、でもよく出来ているな、俺の弓にそっくりだ弦も麻だし)」

そう思いながら、鏑矢を番えて、斜め上に向かって弓を引き矢を放つ、この矢も義勝の鏑矢のレプリカの様で、『昔』と同じ様な良い音をして上空に消えていった。

 観客から大歓声が起こり、弓を巫女に返すと、巫女が涙ぐんで感激しているのがわかって、ハルトは少し照れながら、観衆に右手を挙げて手を降ってから深々と立礼をする。

「見事です、なんと100数十年ぶりの快挙、皆様足利大翔殿にもう一度拍手を」

ハルトが神事の衣装を着替える為に控え室に戻ると、そこには父と祖父、千秋伯爵の姿があった。

「良くやった、わしも親戚達に鼻が高いわ」

と父は上機嫌だ。

「それで大翔君、賞金の事なんだが1000万円の賞金が出る事になっていてね、ただその賞金は勝幡斯波伯爵家からなのだが、どうするね?」

「はは、それは僕が受け取ったらおかしいですね、父上その分をどこかの福祉団体にでも寄付をしたらいかがですか?」

「それもそうだな、千秋伯爵それで良いですかな?」

「ええ、もちろんです、伯爵良い息子さんを持たれましたな」

 そこに先程の巫女の少女が服を着替えてやってきた。

「お父様、あ、大翔様」

とハルトを見て赤面している。

 どうやらこの世界のハルトとは顔なじみだった様だ

「(へぇ、千秋伯爵の娘って事か、まさか俺の婚約者とか言う展開では無いよな)」

なんて思っていると父が

「佳奈殿は15歳になられた所か、大翔は来年大阪本願寺の『学習院大学』に入る事になっている、佳奈殿には四年間お待ち頂く事になるが、それで構わなかね?」

と聞いている、どうやら冗談では無く親同士が決めたハルトの婚約者の様だ。

「はい、斯波伯爵様、その間に花嫁修行をして大翔様に相応しくなれる様に頑張ります」

と佳奈は笑顔で答える。


 更に数日後、ハルトは安土の足利宗家から呼び出されて、足利宗家19代当主で、現在の日本帝国総統

足利義将と面会をした。そして総統直々に、侯爵位(ハルトが成人して勝幡斯波伯爵家を継いだ時に侯爵に陞爵する)事を告げられた、義勝ハルトが作った『足利家は武によって立つ』と言う伝統はそのまま受け継がれているのだった。

「(そうか、この人俺の子孫なんだよな、不思議な感じだ)」

 ハルトは自分が500年以上前に普請させた安土城天守で、琵琶湖の風景を見ながら茶を楽しんだ。

第二部終了です、ダラダラと蛇足を書くのもどうかと思うので、三部は無いです。

でもあと少し外伝を書くかもしれませんが……w


読んでいただいてありがとうございました。

また、何度も誤字の訂正をしていただき感謝しております。

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