表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

外伝 伊勢新九郎盛時

本編を結構気持ちよくスラスラと進めたので、敵方の記述があまりありませんでした、なので外伝として追加します、本編の二章中盤にほんの少しだけ登場した伊勢新九郎盛時(北条早雲)の話です。

「何? 瀬名氏貞殿が討たれただと?」

「は、多米殿からの伝令です」

 伊勢新九郎盛時は居城の小田原城で、家臣大道寺盛昌からの報告を聞いている。

この盛昌は盛時の従兄弟で友人でもあり家臣でもあった、大道寺重時の嫡男だ、重時が七年ほど前に亡くなったのを受けて大道寺家の家督を継ぎ若いながらも侍大将として成長して、父と同様に盛時の片腕となっている、

「それは面妖な、斯波義達は気位は高いが凡庸な武将、武勇に優れる瀬名殿が遅れを取るとは考えられぬが」

 盛時はこの頃は、堀越公方足利茶々丸を退けて伊豆を支配下に置き、相模もほぼ平定しつつある。

今川家との関係は姉が、先代の今川家当主義忠の正妻北川殿となり嫡男で現当主今川氏親(龍王丸)を産んだ事から、今川家の家督争いに介入して龍王丸の擁立に成功して、以後は駿河守護代として氏親の後見をしている。

 この度は、遠江曳馬城攻略に出陣する今川氏親の後詰として、兵2000を今川家からの要請で、侍大将多米権兵衛元益に託して出陣させている。

「ふむ、尾張の奉行に確か織田信貞と言う器用な奴がいると聞いたが、其奴の仕業か?」

「いえ、それが、斯波義達の長子斯波小太郎義介と申す者に討たれたそうで、この義介は此度が初陣の18歳だそうですが、六尺を超える大男で何でも八人張の弓を引き、鎮西八郎源為朝の再来と言われているとか」

「何と、鳶から鷹が生まれたか、盛昌支度をせい、わしも遠江に出る、甥が危ないかもしれぬ」

 これまで幾多の戦いに勝利をしてきた盛時の直感である。

この頃の戦場では一人の武者の活躍で戦況が逆転する事が稀にある、それが総大将の初陣の嫡男(盛時はそう思っていた)となると、敵の士気が大いに上がる事になるからだ、兵数が互角なら士気の高い方が勝つのもこの頃の戦の定石でもある。


 大道寺盛昌を連れて共の供の兵500と駿河に入った盛時は、道々で西遠江の今川方の城や砦が既に落とされ敵は7000以上に増えて、曳馬城に入る所と言う報告を受ける。

「まずい、これはまずい氏親殿、逸るなよわしが行くまで待っておれ」

と嫌な予感を振り払う様に、馬を走らせる。

 盛時が安心して伊豆や相模を攻略できたのは、背後に今川と言う味方が居るからだ、ここで今川家に何か有ったらその背後が危なくなり、今までの様に攻勢に出る事ができなくなる。

 伊豆も相模も本来の伊勢家の所領では無い、その状況で新興の伊勢家が勢力を伸ばすには安定した今川家の存在が必須条件なのだ。

 現に伊豆を抑えたとは言え、国人衆を完全に従えたとは言えず、相模に至ってはやっと主要な城を押さえたが、まだまだ伊勢家に反抗する国人衆は多いのだ、盛時が勝ち続ければ国人衆が逆らう事も無い、今はまだ盛時の伊勢家は立ち止まる事が出来ない状態で、嫡男の氏綱もまだまだ家を任せるには物足りない状態だ、盛時はその為に、家名を東国の武士達には馴染みの無い『伊勢』から『北条』に改める事も考えている位だった、これにより伊豆と相模の統治の正当性も主張できると思った事でもある、北条とは勿論鎌倉幕府の執権として関東に覇を唱えた北条得宗家の事だ。

 

 その頃、『木原畷』に陣を張った今川氏親は自身の兵3000に伊勢家の援軍2000を加えた5000の兵の布陣をほぼ終えている、右翼と左翼の森や丘陵に伏兵として、其々500名を配置している。

 先鋒の部隊が突撃をし、一度退却をして敵が喰い付いた所で、左右の伏兵と本隊で一気に敵を押し潰すと言う作戦だ。

「流石はお館様ですな、見事な策です、敵は数に勝っておる様ですか所詮烏合の衆」

と言うのは今川家の侍大将朝比奈泰以だ。

これまで尾張の斯波家とは幾度か小競り合いを経験していて、斯波家は弱いと確信しているが故の布陣だ。


「遅かったか」

盛時が戦場に駆けつけた時には既に戦況は決まっていた、今川氏親は本陣を敵に囲まれて果敢に防戦をしているが、このままでは全滅も時間の問題だ。

「盛昌!」

と声を掛けると、一気に突入して、本陣の今川氏親を見付けると駆け寄った。

まだ床几に腰を下ろして、軍配を持ち堂々としている甥は立派だが、

「氏親殿、ここは引きなされこのままでは危ない」

と自分の兵に命じて氏親を立たせると馬に乗せて、兵に馬を引かせて後方に下がる様に命じ、共の兵を後方の警護に配置して自分は氏親の少し後から周囲を警戒しながら下がる。

「敵将今川氏親が逃げ出したぞ」

と言う歓声が聞こえて、氏親が一度立ち止まり、馬を返そうとするのをなんとか引き止める。

「氏親殿、勝負は兵家の常、次の戦に備えてこそ将の役目……」

と氏親を諭していた所に左の肩に激痛が走り、危うく落馬をする所でなんとか体勢を持ち直した

「なんだ? まさか肩を射抜かれた?」

馬の手綱を持っていた左手が全く動かず、肩に手をやると血が吹き出しているのがわかる。

しかも、盛時を貫いた矢はそのまま氏親の背に突き刺さっている。

「化け物か?」

盛時は薄れていく意識の中で、後方の騎馬武者の姿を見て恐怖した。

「殿!」

「親方様!」


 盛時が目を覚ましたのは、駿河の国府の今川館の客間だった。

意識を失っている間に、金創医が手当をした様で、左の肩には晒が幾重にも巻かれている。

左腕はどうやらまだ動かす事はできない様だ。

「盛時殿」

と心配そうなのは、尼僧姿の姉だった。

「姉上、氏親殿は?」

「背に傷を負いましたが命に別状はありません、今は伏せっております、貴方が盾になってくれた

おかげです」

「そうか、良かった、姉上、私が側におりながら申し訳がない」

「仕方がありません、あの子も戦に勝って慢心していたのでしょう、それより小田原に連絡を入れてあります、明日には氏綱殿が到着するとの知らせがありました、もう少し休んでいなさい」

 そう言われて盛時は目を閉じた、肩はまだかなり痛むし、意識もまだ少し朦朧としている。


「父上、お加減はいかがですか?」

と声をかけて来たのは武蔵の国で戦の最中だった筈の嫡男の氏綱だ、姉からの連絡を受けて戦場を弟の氏時に任せて駿府に駆けつけて来たとの事だ。

「たわけ、武蔵の戦を放り出して来るとは、それでもワシの跡取りか」

と取り敢えずしかりつけたが、ここで息子の姿を見て安心した。

 伊勢氏綱はこの頃24歳で、従兄弟の今川氏親とは一回りとちょっと歳下だ。

武将としてはまだまだだが、何事も卒なくこなすので武勇に優れた陪臣が居れば、いずれは領国を任せられる様になると思っている。

「申し訳ありませぬ、しかしお父上が大怪我をされたと聞いて、取る物も取り敢えず駆けつけた次第です」

「そうか、それで氏親殿にはもうご挨拶は済んだのだな」

「はい、先ほど見舞って参りましたが、大層恐れておいでの様で……父上、この鏃をご覧いただけますか」と氏綱が見せたのは、盛時の肩を貫き、氏親の具足を貫いて背に刺さった鏃だった。

 それを手に取って盛時は唸る

「7寸5分の鏃とは恐れ入った、まさに鎮西八郎源為朝の再来よの」

「父上はこの矢の持ち主をご存知なのですか?」

「斯波の嫡男小太郎義介に間違い無いだろう、威力が落ちる騎乗の弓でわしと氏親殿を射るとは恐ろしい男だな」

「斯波小太郎義介」

と氏綱は小さく声に出した。


 この後盛時は、まだ養生していろと言う姉と医師の言葉に逆らって、輿を用意させて小田原に戻る。

だが、この時無理をした結果、小田原に着いて半月も経たない内に、傷が悪化して高熱を発し息を引き取ってしまう。


 正史では後に北条早雲と呼ばれた伊勢新九郎盛時は、ここで歴史の舞台から退場する事になる。

これにより正史より8年早く家督を相続する事になる伊勢氏綱は、伊豆と相模の国を纏めるのに苦労して相模の豪族三浦氏との争いに敗北して、相模の支配権を失って行く事になる。

ボリューム的には本章の一章の1/3位でした、今後も気が向いたら他の敵の事も書いて行こうかと思ってます。


読んでいただいてありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
楽しみにしてました!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ